世の中には変人奇人と呼ばれる人がいる。飲み込んだ金魚を胃袋から生きたまま吐き出して金魚鉢に戻すという珍芸が売り物だった「人間ポンプ」というおじさんがいた。いつの世も妙な人間はいるものである。
宮武外骨という人を知ったのはいつだったろうか。
赤瀬川源平の『学術小説 骸骨という人がいた!』(ちくま文庫)で読んだのが最初だから、ちょうど十年前だ。
1867年、香川県生まれの、今でいう反権力的ジャーナリストである。だがその変人ぶりが凄まじい。風刺新聞や猥雑滑稽な雑誌を出版して投獄されること20数回、参議院選挙に立候補して落選、それでもめげずに全国の奇妙な絵葉書を徹底的に集め回ったりしている。
宮武外骨の代表作は「スコブル」という雑誌と「滑稽新聞」という新聞である。「スコブル」は現代なら「宝島」のような野蛮かつアナーキーな雑誌である。その創刊号に宮武外骨はこんな創刊宣言を書いている。
スコブル記者はスコブルといふ雜誌をスコブル念入りに編輯してスコブル多く賣りたいとスコブル苦心して居るがそれでスコブル景氣がよければスコブル目出度いが若しスコブル不評判であつてスコブル賣れなかつたときにはスコブル面目玉を失ふてスコブルショゲルだらうとスコブル讀者は餘計な心配をするだらうがスコブル記者はスコブル變人だからスコブルが失敗なればスコブル以上のスコブル猛烈な事をやるつもりだ故にスコブルはスコブルに始まつてもスコブルには終らないで何處までもスコブル式にやるのだからスコブル面白いぢやないか
なんだこれは。
「スコブル」という言葉をこれだけ使った文章がほかにあるだろうか。どこを読んでも「スコブル」。とにかく「スコブル」である。誰がなんと言おうと「スコブル」だ。私は体がむずむずしてきた。すこぶる、むずむずする。
これ以上読み続けると身に危険が及ぶような気がして、私は読むのをやめた。そして、宮武外骨のもうひとつの代表作、「滑稽新聞」をひもといた。毎号奇妙な特集が組まれているのだが、第114号にこんな特集があった。
身躰で飯を食ふ人
体で食事をする。当たり前じゃないか。だが続きを読んで私ははっとした。
口で飯を食ふ人・・・・・落語家
なるほど。うまい。「笑点」なら確実に座布団一枚である。
目で飯を食ふ人・・・・・鑑定家
鼻で飯を食ふ人・・・・・香道家
座布団二枚だ。三遊亭円楽なら間違いなく二枚進呈するだろう。それにしても「目で飯を食ふ」である。そして「鼻で飯を食ふ」。想像するだけで気持ち悪い。だが宮武外骨はさらに凡人の思いもよらぬ境地へと邁進する。
他人の耳で飯を食ふ人・・・・・音楽家
他人の目で飯を食ふ人 ・・・・・眼科医
さっきの目や鼻は本人のものだった。だが今度は他人の体だ。それも「他人の耳」「他人の目」である。そんなものを使って飯を食うのはごめんである。他人の体は嫌だ。ましてや他人の体で飯を食うなど考えただけでも身震いがする。勘弁してください。私は心の中で宮武外骨に祈った。だが祈りは通じなかった。
他人の歯で飯を食ふ人・・・・・歯科医
(2001.10.24)