夕空の法則

注文

皿うどんが好きである。といっても本場長崎の皿うどんは食べたことがない。そもそも長崎に行ったことがない。東京で学生だったころ、恩師にたびたび赤坂のバーに連れていってもらった。その店のメニューに皿うどんがあった。極上だった。うどんと言えば、きつねかたぬきか、せいぜい鍋焼きうどんくらいしか知らなかったから、こんなにうまい食べ方もあるのかと感動した。

名古屋に来て、家の近所に長崎ちゃんぽんの店を見つけた。久しぶりに皿うどんが食べたくなり、暖簾をくぐった。女子高生らしいアルバイトのウェイトレスがメニューを持ってきて、海鮮皿うどんがお勧めですと言った。メニューを見ると、期間限定で海鮮皿うどんが割引になっていることがわかった。躊躇せず、海鮮皿うどんを注文し、持参した雑誌をぱらぱらとめくって待った。

料理が来ない。待てど暮らせど来ない。

サービス業で待たされることほど腹立たしいことはない。客を待たせるとはなにごとか。待たせるなら、あらかじめ断ってほしい。雑誌はもう二回も読んでしまって読むところがない。

店の人に注文はどうなっているんですかと訊ねようとした矢先に、ようやく料理が運ばれてきた。目の前に大きなどんぶりがどんと置かれた。海鮮ちゃんぽんだった。

海鮮ちゃんぽんは頼んでいない。注文したのは海鮮皿うどんだ。こういう場合、人はどう振舞えばよいのか。出された料理を黙って食べればいいのかも知れないが、あいにく海鮮ちゃんぽんは食べたくない。どうしようかと思案しながら人気のない店内を見渡すと、ウェイトレスは手持ち無沙汰にだらしなく壁によりかかって爪をいじっている。その光景を見て腹が立った。海鮮皿うどんを勧めておきながら海鮮ちゃんぽんを出して平然としている。サービス業として許しがたい行為である。ウェイトレスを呼びつけようとしたが、店の奥の壁にもたれていて、大声を出さなければ声が届かない。みっともなくて大声なんか出したくない。思案に暮れていると、厨房からコックが出てきたので呼び止めて訊ねた。

「注文と違います」

コックはテーブルを見て事情を察知し、すぐ作り直しますと言って、どんぶりを撤去し厨房に消えた。腹の虫はおさまった。作り直してくれれば文句はない。ふたたび雑誌を読んだ。読み終わって、また最初から読んだ。

来ない。海鮮皿うどんが来ない。客はわたししかいない。いったいどうなっているのだ。

さんざん待たされて、やっと料理が来た。海鮮ではない、ただの皿うどんだった。わたしは堪忍袋の緒が切れて、「もういいです」と言い残し、店を後にした。

我慢して皿うどんを食べるという道もあろう。だがわたしは許せなかった。考えてもみてほしい。たとえばお見合いだ。相手が気に入って縁談がまとまる。契約成立だ。そして結婚式当日、まったくの別人が現れる。相手の親か仲人に苦情を言わなくてはならない。

「注文と違います」

正しい婚約者がやって来るまで時間を潰さなくてはならない。そのとき人は雑誌を持っているべきである。なぜなら正しい婚約者は待てど暮らせど来ない可能性が高いからである。

(2002.3.8)