二、三年前のある平日の朝のことだ。
七時半頃、マンションのゴミ置き場にゴミを出した。すると敷地に面した人通りの少ない交差点に、見知らぬ中年の男性が立っていた。肩からカバンを提げている。なんだかわからないが、とにかく突っ立ったままで、あたりをきょろきょろ見回すでもなく、携帯電話で話をするでもなく、直立不動でじっとしている。なにをしているんだろうと訝りながら、わたしは家に戻り、職場に出勤した。
午後六時過ぎに自宅に戻った。すると、朝の男が、やはり、同じ場所に、同じ格好で突っ立っていた。ただしそのときは、じっとしているのではなく、何歩か歩いては踵を返して戻り、また歩いては戻るという不思議な動作を繰り返していた。その男性が朝から半日近くその場所にいたのかどうかはわからないが、服装とカバンが同じであることと、立っている場所も同じであることから、わたしは、朝から夜までずっと同じ場所に突っ立っていたにちがいないと判断した。
「不審な男」
見知らぬ中年男性が、カバンひとつ肩から提げて、朝から晩まで交差点の同じ場所に突っ立っている。どう考えても怪しい。なぜ怪しいのか考えてみた。
「ふつうの人は、同じ場所に長時間いない」
室内ならともかく、路上で半日近くも同じ場所に突っ立っているという振る舞いは、ふつうの人のすることではない。いったい何者なのか。即座に思いついた職業は探偵だ。もしかしたら、マンションの住民の誰かの行動を監視しているのかもしれない。だがよく考えてみると、その男性の行動は探偵としては奇妙である。なにしろ目立つ。路上に突っ立っているのだ。目立つ探偵は探偵として失格だろう。こっそり調べるのが探偵の仕事だ。だが半日近く路上に突っ立っていては、「こっそり調べる」のは無理である。
「堂々と調べる探偵」
そんな探偵がいるものか。
結局わたしが学んだ教訓は、「ふつうの人は、同じ場所に長時間いない」ということだ。ただし警備員とか警察官などの職業は別である。問題は、「なにもせずただじっと長時間同じ場所にいる」ということである。
人はできるだけふつうの人として暮らしたがるものである。不審人物になりたいという人はいない。では不審人物にならないためにはどうすればよいか。
「ときどき場所を変える」
同じ場所にじっとしていてはだめだ。場所を変えなくてはいけない。交差点に半日突っ立っていれば、誰の目にも怪しい人物として映る。場所だ。場所を変えるべきだ。
「一時間後に公園の砂場にじっと立つ」
たしかに場所は変わった。だが「公園の砂場にじっと立つ」は、ふつうの人のすることだろうか。やっぱり怪しい雰囲気が漂ってしまう。さらに場所を変えたほうがいい。
「電柱の真ん中にじっとしがみつく」
なにをやっているんだ。電気工事の人でもないのに、電柱にしがみつく。しかも、下に立つのでもなければ上に登るのでもなく、真ん中にコアラのようにしがみついて遠くの空を見つめる。
ふつうの人になるのは難しい。
(2002.1.26)