昔はよくやった。でも大人になってからはしなくなった。そんなことが、誰にでも、ひとつやふたつはあるだろう。急に思い出せと言われても困るだろうが、私には、ある。最近気がついたのだ。
「スキップをしていない」
子供の頃はわけもなくスキップしたものだ。誰かに教わった記憶はないが、いつの間にかスキップしていた。幼稚園の頃だ。当時のことを思い出しながら、私はなぜかこんなことを考えた。
「初めてスキップをした人間は誰なのか」
スキップの創始者である。偉大なスキップの創始者が現れるまで、人類は誰もスキップのしかたを知らなかった。だがある日、創始者はやって来た。人々が集まってくる。創始者は、おもむろに、「かわるがわる片足で軽くとびはねながら進む」という動作を行った。観衆がどよめく。「何だこれは」。見ればその人は何だか楽しそうだ。見ている方も気持ちが和む。人々は真似をしようとした。だがどうもうまくできない。無理もない。創始者以外、誰もそれをやったことがないのだ。見るに見かけた創始者はこう告げただろう。
「だから、こうだよ。足をさ、かわるがわる、こんなふうに、ぴょんと、ね」
人々は一生懸命練習した。偶然、ひとりの女が成功する。全員が驚く。そして歓喜の叫びがこだまする。やった。ついにやった。女は嬉しさではちきれんばかりだ。とうとう「かわるがわる片足で軽くとびはねながら進む」によって、楽しさを表現することに成功したのだ。周りの人が祝福する。だが人類はまだ「スキップに成功した人を祝福する方法」を知らなかったのだ。スキップの喜びをスキップで表現する。これはなんだか変だ。そこへひとりの老人が現れた。
「バンザイの創始者」
白髪の老人は、両手を頭上に高く振り上げる動作を繰り返し、そのたびに、バンザイ、と口にした。人々の驚きは増した。「スキップに成功した人を祝福する方法」にぴったりに思えたのだ。すぐに全員が真似をする。だがどうもぎこちない。腕の高さがまちまちだ。振り上げ方もぎくしゃくしている。白髪の老人は低い声で諭した。
「なっとらん。いいか、腕をこうだ、こう上げるのじゃ、それからバンザイじゃ、バンザイというのじゃ」
人々は従った。するとどうだ。全員が見事なバンザイを完成させた。人々は老人を尊敬のまなざしで見つめ、そして、老人の深遠なる英知を讃えようと思った。だがその方法が分からない。全員でスキップ。これはおかしい。全員でバンザイ。これもだめだ。なぜなら「バンザイの英知を讃える」のにバンザイしたのでは、なにがなんだか分からないからである。人々は悲しみに沈んだ。なすすべがない。さめざめと泣いている者もいる。するとそこへ現れたのだ。
「胴上げの家元」
家元は、やって来るなり、全員にこう言った。
「いいから集まれ。みんなでご老人の体を抱え上げろ。そして何度も空中に投げ上げてみろ」
人々は従った。最初はちぐはぐだったが、何度か試しているうちに、老人は宙に舞った。老人は嬉しそうだ。
たとえそれが何にせよ、創始者は偉大である。
(2001.10.13)