夕空の法則

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大学時代の先輩と名古屋でお会いした。

待ち合わせは午後6時、場所は地下鉄の終点である。少し早く到着したわたしは、待っているあいだ、駅の構内をなんとはなしに眺めていた。

「伝言板」

駅にはなぜか伝言板というものがある。昔の学校の黒板のような板に、チョークがあり、メッセージを書き込める。ただし6時間後には消されてしまう。待ち合わせに失敗したときなどの連絡用に使うと便利だ。最近は携帯電話が普及しているから、伝言板はすたれてしまったのではないかと思っていたが、どっこい残っていた。

書き込みが三つある。読んでみた。

「栄徳の体験入学おもしろかったヨ!受けんします」

署名がない。誰に向けられたメッセージなのかもわからない。だがこの一文だけで、次のことがわかる。

  1. 書いた人は中学生である。
  2. 文体からしておそらく女の子である。
  3. 名古屋の栄徳高校では体験入学という行事を行っている。
  4. この女子中学生は栄徳高校の体験入学をした。
  5. 不特定多数の人に伝えたいほど体験入学は面白かった。
  6. 栄徳高校を受験する決心をした。
  7. 不特定多数の人に伝えたいど決心は固い。
  8. だが「受験」の「験」の字が書けない。

受験するのはいいが中学生とあろうものが「験」を書けないのはいかがなものか。彼女の「受けん」が「成こう」することを祈るばかりである。

次の伝言を読んだ。

「おせーよハゲ (ピーチクへ) 寒いから先いく!(あり)」

どういう言葉遣いだ。だがこの一文からもさまざまな情報が読みとれる。

  1. 二人の人が駅で待ち合わせをしたが、会えなかった。
  2. 待っていたのは「あり」というあだ名で、来なかったのは「ピーチク」というあだ名の人である。
  3. あだ名で呼び合うほど二人は親しい。
  4. 「あり」はなかなか「ピーチク」が来ないので怒っている。
  5. 「ピーチク」は禿げ頭である。
  6. 寒い。
  7. 「あり」は「ピーチク」が来るのを待たずに先に出かけた。
  8. 「あり」の文体には教養というものが感じられない。
  9. 「あり」の文体は話し言葉である。
  10. 「あり」は「行く」という漢字が書けない。
  11. この文だけでは、「あり」と「ピーチク」が男なのか女なのか分からないが、「ハゲ」という以上、おそらく「ピーチク」は男である。
  12. 「あり」が平仮名である以上、このあだ名は昆虫の「アリ」ではなく、本名からとった可能性がある。「有田」「有川」あたりではないかと思われる。

短い文だがこれだけの情報がつまっている。

最後の伝言を読む。

「大前翔」

これは難しい。なにしろ漢字三文字である。解読してみよう。

  1. 少なくとも日本語には「大前翔」という熟語はない。
  2. おそらく「大前翔」は人名である。
  3. 読みは「おおまえ しょう」である可能性が高い。
  4. 年齢は定かではないが、たぶん男性である。
  5. 天下に自分の名前を知らしめたくてしかたがない。
  6. 「大きく前に翔けました」という過去形の文である。
  7. 「大きく前に翔けろ」という命令文である。
  8. 「大きく前に翔けたい」という欲望である。
  9. 「大きく前に翔けるのがぼくの主義です」という訴えである。
  10. ただ知っている漢字を並べたかっただけである。
  11. テロリストの暗号で、「ビン・ラディン万歳」という意味である。
  12. 地下鉄職員のあいだの符牒で「キセル乗車発見」という意味である。
  13. 麻薬の入手先、金額、受け渡し場所の暗号である。
  14. Oh! My show! という英語を漢字で表現したものである。

大前翔。永遠の謎である。先輩は少し遅れてやって来た。

(2001.12.4)