誰にでも口癖のひとつやふたつはあるだろう。
「あー、うー」
若い人はご存知ないかもしれないが、大平首相の口癖だった。大平首相。いたな。そんな人がいたよ。書いてて、今思い出した。なんて印象が薄いんだ。なにしろ大平首相について覚えているのは、なにか口にするたびに「あー、うー」と言っていたことだけだ。大平首相が歴史的人物として記憶されるとしたら、それはどのような人としてであろうか。
「あーうーの人」
こんな形で歴史に名を残したくないものである。
「いーえーの人」
なんだよ、いーえーって。
「るーやーの人」
わけがわからない。
かく言うわたしには、人をからかう資格はない。口癖があるのだ。
「なるほど」
自分でも意識している。人の話を聞くと、つい、「なるほど」と唸ってしまう。もともと自分に自信がないから、他人の話に耳を傾けるのが好きだ。人はそれぞれ異なる人生を歩んでいる。百人いれば百通りの人生だ。人の話を聞けば、自分とはまったくちがう経験をしていることを知らされる。含蓄に富む言葉が聞ける。そこでつい、「なるほど」ということになる。その際、注することにしている。
「なるへそ」
口が裂けても、これだけは言わないようにしている。だって「なるへそ」だよ。大の大人が「なるへそ」はないじゃないか。だが「なるへそ」と口にする人は奇妙な技を披露することがあるから困る。
「なーるへそ」
伸ばす。なーる、と、伸ばす。なんで伸ばすんだよ。だが、別の技もあるから事態は深刻である。
「なるへそ~」
ニョロニョロと伸ばすな。ニョロニョロはだめだ。
これだけならまだいい。
「なーる」
なぜ略す。大の大人が「なーる」はだめだろう。
「なーるほど!ザ・ワールド」
いつの時代の話だ。相川欽也の番組の決まり文句である。懐かしい。懐かしんでいる場合か。
わたしの知人に、なにかというと、こんなことを呟いている人がいる。
「いやあ、まったくなあ、ちくしょう」
なにがなんだかわからない。
わからないときは辞書だ。「いやあ」とはなんだろう。
1) 驚いた時などに主に男性が発する声。
2) 照れくさい時、恥ずかしい時などに発する声。すると知人が定義できる。
「驚き、恥ずがっている人」
だが「まったくなあ」がある。
自分の言うことにうそや誇張のないことを示す。
知人の定義を改めねばならない。
「驚き恥ずかしがっていることに嘘偽りはございませんという人」
では「ちくしょう」はどうなんだ。
人をののしったり、ねたんだり、自分の失敗をくやんだりする時などに発する語。
知人の定義が決まる。
「驚き恥ずかしがっていることに嘘偽りはございませんと言うと同時に、人を罵り、妬み、自分の失敗を悔やむ人」
だがこれだけではない。なにしろ知人はこの言葉が口癖なのだ。最終定義だ。
「驚き恥ずかしがっていることに嘘偽りはございませんと言うと同時に、人を罵り、妬み、自分の失敗を悔やむ人、しかも、のべつ幕なし」
知人が歴史に名を残さないことを祈る。
(2002.2.11)