別に気にする必要はないのだが、気になりだすと夜も眠れなくなる表現がある。
「焼き魚」
焼いた魚である。言い方を変えれば、焼かれた魚だ。だが「焼かれ魚」とは言わない。「焼き魚」である。そして「焼き魚」という言葉をじっと見つめていると、とんでもない意味を発見してしまう。
「なんでも焼く魚」
不気味である。ほかの魚たちを次から次へと焼いていく。水中を泳ぎながら、やみくもに焼いて泳ぎ回る。
「焼き肉」
とにかく焼いてばかりいる肉だ。手当たり次第に焼く。そんな肉を食べたりしたら、体は燃え上がり、即死するだろう。世間は狂牛病で大騒ぎだが、「焼き肉」に較べれば大したことはない。なにしろあなたを焼いてしまう肉だ。これ以上危険な肉がほかにあるだろうか。
「走り書き」
走りながら書く。立ち止まって、落ち着いて書いたらどうだ。だが「走り書き」である。走って書かなければ「走り書き」ではない。この言葉は筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』という本にちゃんと記載されている。これから走り書きをする人は、言葉の意味をきちんと理解した上で行動するべきである。
「踏んだり蹴ったり」
たいていの辞書には「ひどい仕打ちを重ねて受けるさま。重ねて被害を受けるさま」と定義されているが、それは間違いである。なぜなら、被害を受けている人の立場からすれば「踏まれたり蹴られたり」だからだ。つまり「踏んだり蹴ったり」は、無闇に人を踏んで蹴ることを指す。
「今日は踏んだり蹴ったりだったよ」
大勢の人やたくさんの物を踏みまくり、蹴りまくった。これこそ正しい「踏んだり蹴ったり」である。
「読み流す」
読み終わった本を川に流す。読み流された本が海原で浮いたり沈んだりしている。読み流す人は、どれだけ海を汚しているかを知らない。
「寄せ鍋」
大勢の人が鍋を持ってきて、寄せる。鍋のおしくらまんじゅう。なにが目的なのかは当人たち以外誰も知らない。悪魔の儀式である。
「立ち往生」
立ったまま息絶えて、極楽に行く。周りの人たちが冥福を祈る。立ち往生した人は仁王立ちしたまま、ぴくりとも動かない。
「立ち往生しちゃったよ」
こんなことを言う人を見かけたらただちにその場を離れるべきである。なぜならその人はすでに死んでいるからだ。なのに口を利く。幽霊である。
「目配り」
目を配って歩く。もらった人は、どうしたらいいのか分からない。だが無料なので、ありがたく頂戴する。
「暴飲暴食」
人の迷惑かえりみず、暴れながら飲み食いする。片時もじっとしていない。うるさいことこの上ない。
「逃げ足」
逃げていく足だ。取り戻したくても、足が逃げてしまったので、動くに動けない。逃げ足の速い人は、諦めるほかない。
「抱きまくら」
このまくらに近寄ってはならない。なにしろあなたに抱きついて離れないのだ。いくら追い払っても抱きついてくる。眠れない夜が続く。
今夜の私の夕食は、焼かれ魚である。
(2001.11.7)