ホームページやメールの文章を読むとよくこんな表現を見かける。
「お前アホちゃうか?(笑)」
問題は「(笑)」である。文末につける。これはインターネットの世界で発明されたわけではない。出版業界では古くから使われてきた。とくに対談や座談会の文章で、ある人の発言に対して笑いが起こったことを示すのに使われたものだ。だがインターネットでの使用法はこれとは異なる。周りの人が笑っているのではなく、発言者みずからが、自分の発言に対して笑っているのだ。「私の言ってること、面白いでしょ」ということだ。感情の押し売りとも言える。
こんな記号もある。
「昨日財布をなくしちゃいました(泣)」
「\(^o^)/」や「(>_<)」は顔文字と呼ばれるが、「(笑)」「(泣)」をどう呼ぶのかは知らない。ここでは暫定的に「感情記号」と呼ぶことにしよう。感情記号はほかにもある。
「課長ったらもうひどいんです(怒)」
「ひどいんです」だけで充分怒りが伝わるのに、わざわざ「(怒)」と書き添える。だが不思議なのは、感情記号を使う人は、自分のことを「お茶目」だと思っている節があることである。
「課長ったらもうひどいんです」
さぞひどいのだろう。そのひどさを訴えたがっている。だが「課長ったらもうひどいんです(怒)」と書くと、「(怒)」の分だけ心に余裕が感じられる。たしかに立腹はしている。立腹はしているが、その腹立たしさを文章にする私の心は余裕よ、と言いたげだ。
そして感情記号の王座に君臨するのが「(爆)」である。わざととんでもない発言をして、そのとんでもなさを自分で弁解しつつ笑う、というテクニックである。漫画の世界ではよく、登場人物がとんでもないことを言うと、爆発する絵になり周りの人が吹っ飛ぶことになっている。「(爆)」の由来はそこから来ているのかも知れない。例を見よう。
「俺なんか朝飯よりも朝メールチェック(爆)っていう人間だからさ」
感情記号を使えば文学が変わるかもしれない。ここはやはり太宰治にお願いしよう。もちろん『人間失格』である。
「恥の多い生涯を送って来ました(笑)。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです(泣)。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした(苦笑)。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず(汗)、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました(爆)。しかも、かなり永い間そう思っていたのです(核爆)」
太宰もいろいろ大変である。
(2001.11.6)