夕空の法則

仕事と応援

いつも疑問に思っているのだが、応援される仕事とされない仕事があるのはなぜだろう。

水道局に務めている友人は、ひとり職場で計器類をチェックしている。「ひとりだから気が楽だ」とよく口にするのだが、かえって気を緩めるわけにはいかないだろう。なにしろ水である。しかし、市民に感謝されたり応援されたりした経験がないらしい。人が生きていくのにこれ以上欠かせないものはないのだから、通りで見かけたときにちょっと声をかけてくれてもよさそうなものだ。

「いつも飲んでますよ、水」

友人とは逆に、仕事の最中ずっと応援されている人がいる。プロ野球選手だ。

球場で試合を見るたびに思うのだが、選手は鳴り物の応援をどう考えているのか。とくにドーム球場だ。行き場のない音が内部にこだまする。応援している人たちはいいが、静かに観戦したい者にとっては騒音である。と、こんなことを言うと、話はすぐ「鳴り物応援の是非について」などという方向になり、評論家が新聞や雑誌でやりあうのだが、問題は「他人の職場で」ということではないのか。

「たまには静かに仕事させてくれよ」

そう考えている選手がいないなどと、誰に断言できるというのだ。

明日までに企画書を作らないと会社が大変なことになる。残業だ。昼間たまった疲れのせいで思考は鈍い。栄養ドリンクをぐいっとあおり、パソコンの画面を見る。その時、やつらはやって来るのだ。

「私設応援団」

太鼓とトランペットとメガホンの音が狭いオフィスにこだまする。わあわあと、何を言っているのかわからないが、ものすごい歓声だ。マウスに手を伸ばせば大合唱が起きるだろう。

「ここーで一発キ・ヨ・シ!」

クリックするのに「ここーで一発」も何もあるものか。

誰に頼まれたわけでもないのに他人の職場に乗り込むのが私設応援団である。ふだんの団員はそれぞれ仕事をしている。医師もいるだろう。外科医だ。メスを手に手術を始める。やつらがやって来る。

「いてまえ」

これはかなりまずいのではないか。

単独で行い集中力を要する仕事に私設応援団はふさわしくないことがわかる。ガラス職人。棋士。とび職。教祖。警備員。小説家。哲学者。どれもだめだ。だいたい、哲学者をどうやって応援しろというのか。

「オーレー、オレオレオレー」

たとえ哲学者の耳に「俺」と聞こえようが、何の助けにもならない。哲学者の応援に「団」ほど似合わないものはない。するなら、ひとり静かにだ。となると、ファンレターだろう。

「いつも応援しています」

ファンレターを受け取る哲学者がいるとしたらそれはそれで困った人だと思うが、新鮮な驚きについ返事を書いてしまうことだって考えられる。

「頑張ります」

水道局の友人はどうやって応援したらよいのか。頑張っている哲学者は言うだろう。

「税金をぐーんとはずむことだ」

公務員を応援するのは難かしい。

(2003.6.24)