車で出勤する途中、信号待ちをしていたときのことだ。トラックやダンプの往来がはげしい道で、その日もまわりに何台か並んでいた。対向車線の先頭も大型のトラックで、ふだんと変わらない光景なのだが、視線は思わずそのダンプに吸い寄せられた。
ギンギラギンに飾り立てられていて、その派手さはこれでもかと言わんばかりだ。いわゆる「デコトラ」である。車体の側面には巨大な龍の絵が躍り、ナンバープレートの横にもう一枚プレートがあって、「提供は○○組でした」と書いてある。だが、なにより目を惹かれたのは、フロントガラスの上の一文だった。
深作欣二の『仁義なき戦い』の冒頭、スクリーンに映し出される映画タイトルの字体を思い出してほしい。あの字体で、こんな文句が書いてあるのだ。
「素敵な夢を貴女に」
字体と文意のギャップに、わたしは茫然とした。デコトラといえば「一番星」や「望郷の旅」「はぐれ鳥」など、演歌のタイトルに使えそうな文句と相場が決まっていると思っていたのは大きな間違いだった。それでも字体だけはどれもおどろおどろしいから、そこにはひとつの美学が貫かれている。
「トラック野郎の美学」
トラック野郎の美学は、あの毒々しい字体にある。だから、もし「度胸一番」が明朝体で書かれていたとしたら、トラック野郎たちは口々に言うだろう。
「なってないね」
だめなのだろう。やはりだめなのだ。だからといってゴシック体もどうかと思うし、『笑点』の寄席文字だったら真面目なのかふざけているのかわかったものではない。やはり『仁義なき戦い』の、あの字体でこそのトラック野郎だ。「素敵な夢を貴女に」という、一見デコトラにふさわしくなさそうにみえる文句も、あの字体で書かれると妙な説得力をもつ。
「届けてくれるのね。素敵な夢を、わたしに」
だが、圧倒的に多いのは、「下北の旅」や「御意見無用」といった、演歌的というか任侠的なフレーズ、つまり、一種の詩である。そしてわたしは発見した。
「トラック野郎は詩人である」
しかもただの詩人ではない。
「ポエム野郎」
野郎がつけば、そこは男の世界である。男なら誰だって一度は野郎と呼ばれてみたいものだ。問題は、誰もがトラックを所有しているわけではないことだが、そういうときは自家用車でもいいのではないか。
「赤ちゃんが乗っています」
毒々しい字体で書くのだ。だがカローラである。カローラ野郎は、なんだか肩身が狭い。
(2003.3.4)