夕空の法則

乗っています

車を運転していると、妙な光景に出くわすことがある。

先日のことだ。信号待ちをしていた。大きな交差点で、赤い信号はなかなか青に変わらない。そんなとき人は、ラジオやCDを聴いたり、助手席の同乗者と話をしたり、煙草を吸ったり、鼻歌を歌ったりするものだが、私は「前の車をじっと見つめる」ことにしている。もちろん、自分が先頭車でない場合に限ってのことだ。

前に止まっていたのは軽自動車だった。運転席に背の低い女性がいるのが分かった。そんなことはどうでもいい。私の関心はある一点に注がれていた。

「赤ちゃんが乗っています」

後ろの窓の内側に、こう書かれたステッカーがぶら下がっている。これをみて「そうか、牛が乗っているのか」と思う人はいない。乗っているのは赤ちゃんだ。そう書いてある。だがなぜこんなメッセージを後続車に送らなければならないのだろうか。「あやしてやって下さい」という意味だろうか。たぶん違う。「運転しています」だろうか。そんな馬鹿な話があるものか。こういうステッカーは「衝突しないで下さい」という暗黙の命令が隠されていることになっている。

これは一大事だ。

「赤ちゃんが乗っています」とわざわざ書かないと、車をぶつける人間が後を絶たないのだ。うっかりしていると横からセダンが突っ込み、後ろからダンプに突き上げられ、クレーン車で宙に吊るされる。ドライブから生きて帰れる保証はない。そうした事態を避けるためにこそ、このステッカーはある。

赤ちゃんである。赤ちゃんでなければならない。

ではほかのものならどうか。

「テロリストが乗っています」

これはいやだ。いいからさっさとどこへでも消えていただきたい。だが世の中には正義感の強い人間もいる。中には「そうか、いるのか」と力んで車を突っ込ませる者が出てくるかも知れない。やはりテロリストはまずい。

「イルカが乗っています」

見てみたい。自家用車に乗っているイルカ。水はあるのか。そこのところがどうしても知りたい。やはりこれも危険である。

「イルカに乗っています」

城みちるだ。城みちるなら安全だろう。

「私が乗っています」

そんなことは言われないでも分かっている。それとも、「ノリにノッている」という意味だろうか。「ノリにノッている」人間に車を運転されてはたまらない。なにせ相手はノリノリである。危険きわまりない。

後続車にぶつけられたくなければ、ただちにステッカーをぶら下げるべきなのだろう。どうやらそういうことになっているようである。「赤ちゃんが乗っています」か「イルカに乗っています」を選べば安心だ。だが本心を言えば、私は「赤ちゃんが乗っています」のステッカーを見ると、無性に不愉快になるのである。

(2001.9.29)