カフカの『変身』を読んだのは小学5年か6年の頃だったと思う。高橋義孝訳の新潮文庫版だ。
新潮文庫は安かった。紙質からしていかにも安っぽかった。新潮文庫の漱石を揃えたのも同じ頃だった。もちろん岩波だって安かったのだが、装丁も、言葉遣いも、活字のかたちも、どうも馴染めなかった。
「読みたいのか。じゃあ読ませてやる」
そう言いたげな佇まいだった。新潮文庫はちがった。
「こんなわたしでよければ」
断然わたしは新潮文庫派だった。
どうでもいい話だ。とにかく『変身』である。
どきどきしながら本を買いに行ったのを覚えている。衝撃的な一文で始まるということをどこかで聞きかじっていたからだ。すごいんだろうな、よっほどすごいんだろうなと棚から文庫本をとって、驚いた。驚いたというより、怖ろしくなった。
表紙は上下二色に分かれている。上は背景が黄土色でカフカ直筆のサインが大きく書かれている。下には顔写真があった。カフカなのだろう。ただし顔全体ではなく額から鼻先までで、ちょうど映画のスクリーンで顔の真ん中をアップでとらえたような具合だ。その顔の不気味さは忘れられない。
「妖怪、あるいは宇宙人」
とにかく気持ち悪い。黄土色の背景は表紙の上から3分の2くらいを占めていて、不気味な顔は下の3分の1である。化け物がぬうっと下から顔を出して表紙を押し上げている、そんな感じだった。
今さら引用するのもどうかと思うが、冒頭はこうだ。
ある朝、グレーゴル・ザムザが何か気がかりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。
驚いた。
衝撃的だというのはこの一文のことだなとすぐ分かったが、わたしが驚いたのは予期せぬ虫への変身ではなかった。
「グレーゴル・ザムザ」
主人公の名前だ。妖怪じみた写真におののいて表紙をめくったら、これである。人間の名前だとはどうしても信じられなかった。小学1年の同級生にジョンというアメリカ人がいたのだが、以来外国人と生活したことはなかった。そんな子どもにいきなり「グレーゴル・ザムザ」である。信じろという方が無理だ。だって「グレーゴル・ザムザ」だよ。
だいたい「グレ」がいけないよ。しかも「グレー」と伸ばして「ゴル」だ。それだけなら我慢もできる。「ザムザ」ってことはないじゃないか。
真っ先に思い浮かんだのはざざ虫だった。これほど虫っぽい名前がほかにあるだろうか。友だちに「やーい、ざざ虫」とからかわれるのは目に見えている。こんな名前をつけられた日には、もう虫にでもなるしかないじゃないか。
まったくなんて虫っぽいやつだと思いながら読むと、ざざ虫としか思えない主人公が、朝起きて、自分が巨大な毒虫に変わっているのを発見して、驚いているのだった。
「ざざ虫が毒虫に」
「毒虫」という言葉の響きがいかにもザムザにふさわしい。数年前に出た池内紀の新訳では「途方もない虫」になっている。これではザムザのざざ虫っぽさが伝わってこない。
ジョンだったらよかったのにと思う。
「ある朝、ジョンが何か気がかりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した」
クラスメートが突然毒虫に変身する。不条理だ。しかし、ジョンが人名だと思わない人だっているかも知れない。
「ジョンって、犬?」
(2004.3.4)