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標識

二年前のことだ。

職場から車で帰宅する途中で警察官に呼び止められた。小学校の近くだった。その道は午後二時から五時までは通行禁止だという。私は道路標識にまったく気がつかなかった。結局罰金を払わされた。それ以来違反はしていない。

車を運転する人はどれくらい慎重に道路標識を見ているのだろうか。案外見過ごしている人は多いのではないか。見過ごす理由はさまざまあるだろう。小さすぎる。物陰に隠れて見えない。あるいは多すぎてどれに従えばいいのか分からない。こんな経験は誰にでもあると思う。解決しなければ事故は後を絶たない。ではどうすればいいのか。やはり「分かりやすく目立つもの」にするべきだろう。

道路標識を改革しなければならないと思ってるのが私だけではないと知ったのはつい先日のことだ。インターネットでたまたま、とあるサイトに出くわした。「道路標識の新解釈」というサイトだ。そこにはおなじみの標識がたくさん掲載され、それぞれに新しい解釈をほどこしていた。たとえばこれだ。

打ち上げ花火注意

びっくりした。運転中にこんな標識を見たらたまったものではない。どこもかしこも打ち上げ花火である。思わずスピードを落とす。事故は減るだろう。

安眠まくら

なんだこれは。「枕か、枕があるのか」。一体どこにあるんだとキョロキョロしていたら、車が舗道に乗り上げてしまった。これはだめだ。危険である。

枝毛注意

思わず自分の髪の毛を見る。ハンドルから手を放してしまった。車がスピンする。幸い人にも車にもぶつからなかった。まったく物騒な標識だ。

バス落下専用

えっと思った瞬間、空からバスが落ちてきた。あわててハンドルを切って車を停める。バスは交差点の真ん中に墜落し爆発した。誰だ。こんな標識を作ったのはどこのどいつだ。

幼児誘拐専用

窓の外を見た。町中の子供たちが次々とさらわれている。こんな道路を誰が許可したのだ。私は急ブレーキをかけてその道から別の道に入った。

仲の良い兄弟等あり

仲の良い兄弟たちがてくてく歩いている。私はほっとした。ここなら安全だ。もちろん運転も慎重にする。もう空からバスは落ちてこない。枝毛の心配もいらない。誘拐もない。「新しい道路標識」はこうでなくてはいけない。もう心配はいらないだろう。思えばずいぶん妙な標識ばかりだった。だが奇跡的にも私は事故を起こさず、事故に巻き込まれることもなく、生き残った。私は満足して運転を続けた。「もうないだろうな。これ以上、ないだろうな」。

あった。

パパ、あれ買って

(2001.10.19)

夕空の法則