正月休みが明けたころだった。
パソコンの電源を入れると、いつものようにメールが何通か届いていた。使っているメールソフトは、差出人の名前やアドレスなど、どの情報も同じフォントとサイズで一列に表示されるよう設定してあるのだが、真っ先に目に飛び込んでくるのは、なぜかいつも決まってタイトルである。
視線を向ければ、タイトルだ。
「動画アップしました」や「Re:謹賀新年」である。なかには「だだっこ」「ふわふわします」「ぎっくり腰はまだ」というのもある。何を言い出すんだ突然。「ぎっくり腰はまだ」ってことはないじゃないか。
だが、その日目を奪われたのは「ぎっくり腰はまだ」ではなかった。
「人間のくず」
一瞬どきりとしたが、事情はすぐに飲み込めた。「おまえは人間のくずだ」と非難しているのではない。「人間のくず」といえば、わたしの交友関係では年上の友人のOさんであり、しかもあだ名ではなく、Oさんみずからそう名乗っているのだった。
どなたですかと聞かれれば、人間のくずですと、Oさんはこたえる。
何者であるのか訊ねられたとき、こたえはさまざまだ。氏名。勤務先と肩書。屋号。身分。だが、いま問題にしたいのは、「自分が何者であるか」ではなく、「相手は何者であるか」を訊ねなければならない状況とは何か、である。
「あなたは誰ですか」
子供のころ習った英会話だ。Who are you? の和訳であるのは言うまでもないが、それまで一度も「あなたは誰ですか」という人に会ったことがなく、口にしたこともなかったので、少なからず驚いた。
「だれ」や「どちらさまですか」「どなたですか」ならいい。「誰だ」も聞いたことはある。しかし「あなたは誰ですか」だ。いくらなんでも、これはちょっとまずいんじゃないのか。そう思いながら、わたしはひとつの発見をした。
「アメリカ人は『あなたは誰ですか』と訊ねる」
会話の本に書いてあるのだからまちがいない。だが、電話では Who's calling? というのだと、そのとき教わっていた。ノックが聞こえたら Who's there? だという。アメリカ人は、どんなときに「あなたは誰ですか」と訊ねるのか。
中学に上がったころ、映画『スーパーマン』が公開された。ヒロインがビルから落ち、スーパーマンが助ける。ヒロインが "Who are you?" と訊ねた。スーパーマンは "A friend of yours." と答えた。
「あなたは誰ですか」とアメリカ人が訊ねるのをついに目撃できたのだが、「スーパーマンを見てわからないのか」と、わたしはちっとも嬉しくなかった。
(2003.2.16)