この世でもっともおそろしい言葉とはなんだろう。
「おまえはもう死んでいる」
おそろしい。漫画『北斗の拳』のケンシロウの殺し文句だ。ケンシロウが敵に技をかける。相手はケロッとした顔をしている。そこにぽつりとこの言葉を漏らす。相手はキョトンとし、次の瞬間、体が木っ端微塵になる。そのとき謎の間投詞を叫ぶ。
「ヒデブ!」
なんだよ「ヒデブ」って。
だが所詮は漫画の世界だ。絵空事である。ほかにはないのか。おそろしい言葉はないのか。
「かわいい」
たしかにこれもおそろしい。女の子はなにを見ても聞いても「かわいい」だ。女の子たちの「かわいい」にはさまざまな意味がある。
「可愛らしい」
「便利だ」
「気に入った」
だが、彼女たちが「かわいい」を連発する理由はただひとつである。
「みんなが言うから」
みんなが言うから「かわいい」と言う。そして柄谷行人は言う。
「言葉は形容詞から古くなる」
言われてみればそうだ。形容詞は時代を反映する。そして形容詞の問題は、コミュニケーションにとって、形容詞ほど不要なものはないということである。
「この服、かわいい!」
「ほんと。かわいいよね」
この会話には、じつのところ、まったく意味がない。お互いにわかっていることを確認し合っているだけだ。既知の情報である。だがコミュニケーションとは、未知の記号との遭遇である。したがって、形容詞はコミュニケーションの敵である。
というわけで、形容詞はおそろしくないのであった。この世でもっともおそろしい言葉はどこにあるのか。
「と」
わたしは、これではないかと思う。英語で言うと and だ。なにかと、なにかを、結びつける並立助詞である。
「君とぼく」
これのどこがおそろしいのか。並立助詞は、まったく無関係な存在を並立させる。つまり、無関係であるものを無理やり関係づけるのだ。「と」を挟んで並んだ瞬間、二つの事柄は突然関係づけられる。
「猫とフェルマーの最終定理」
フェルマーの最終定理は数学の難問中の難問である。先ごろ三百年ぶりだか四百年ぶりだかで証明されたばかりだ。そして猫である。「と」がついただけで、「猫」と「フェルマーの最終定理」が関係づけられる。いったい、どんな関係があるというのか。
「ガッツ石松と実存主義」
わからない。関係がさっぱりわからない。だが「と」があるから、なんらかの関係があることになる。おそろしい。
「愛と納豆」
愛と納豆の関係。いかなる思想家も問題にしたことのない関係だ。「と」だ。「と」である。「と」があるだけで、わたしたちの目の前に、未知の世界が広がり、わたしたちは途方に暮れる。
「ローマ法王と燃えないゴミ」
考えられるものか。なんの関係があるというのだ。
「野村佐知代とアリストテレス」
なんでも関係づければいいってもんじゃない。
(2002.2.14)