夕空の法則

食いしん坊

料理が好きである。

といっても得意なのではない。人様にご馳走できるような腕前ではない。自分で食べて満足しているだけである。仕事柄、家にいることが多い。パソコンに向かってひたすら原稿を書く。食事の時間に台所に立つ。すると気分転換になる。

真鯵を三枚におろし、鯵のたたきを作る。茹蛸とキュウリを酢と豆板醤で和える。豚のばら肉と大根で角煮にする。炊き込みご飯を炊いたり、鱈をホイル焼きにしたり、漬物を漬けたりする。鶏肉と長葱を甜麺醤で煮込む。鰯の梅煮も好きだ。どれも簡単な料理ばかりである。

食欲は旺盛だ。食い意地がはっているわけではないが、体重が増えてきたので、ダイエットをしている。間食はしない。

食い意地がはっている人のことを人はこう言う。

「食いしん坊」

そして、食いしん坊といえば、決まったフレーズがあとに続く。

「食いしん坊ばんざい」

食いしん坊はなぜか「ばんざい」である。ほかの言い方は聞いたことがない。

「食いしん坊拍手喝采」

なんだか妙だ。

「食いしん坊胴上げ」

胴上げしてどうする。なにしろ相手は食いしん坊だ。重いだろう。食いしん坊が宙に浮かぶ。どしんと落ちる。骨折する。食いしん坊は胴上げしないほうがいい。

それにしても、なぜ「ばんざい」なのか。そもそも「ばんざい」とはなんだろう。学研の『国語大辞典』で調べてみた。

「威勢よく祝福するときにとなえる語」

食いしん坊は祝福されるべき存在なのか。食いしん坊は食い意地がはっている。言葉の由来は「卑しん坊」である。卑しい。みっともない。そんな人を祝福していいものだろうか。「ばんざい」にはほかの意味はないのか。

「〔両手を上にあげることから〕降参すること」

降参である。たしかに食いしん坊には降参する。なにしろ相手は食いしん坊だ。ちょっと目を離すとすかさずなにかを食べる。四六時中なにかを食べている。「人間以外ならなんでもいただきます」とでも言わんばかりである。

辞書にはほかの意味も載っている。

「破産すること」

食いしん坊が破産する。当然だろう。食って食って食いまくるのだ。金がいくらあっても足りない。自業自得とはこのことである。

「ばんざい」の意味はこれだけではない。

「どうにも手のつけようのないこと」

まったく手のつけようがない。「もうそのくらいにしておけ」と言っても、食いしん坊は食い続ける。

辞書がとどめをさす。

「進退に窮すること。お手上げ」

お手上げである。だが待ってほしい「進退に窮する」のは誰なのか。食いしん坊を見ている人か。それとも食いしん坊本人か。

「食いしん坊本人が進退に窮する」

食いしん坊が進退窮まっている。いったいどういう状況なのか。

「二トントラック一台分の牛丼が届く」

さすがの食いしん坊もお手上げだ。見ると涙を流している。悔し涙か。食いしん坊がひとりすすり泣く。

「さびしん坊」

食いしん坊の哀しさは凡人には理解不能である。

(2002.1.10)