夕空の法則

年賀状

年賀状が届いた。

今年はふつうの年賀状のほかに、e-カードというインターネットのカードや、ホームページの掲示板でも年賀の挨拶を受けた。そこで、複数の人が同じ言葉をつかっていた。

「あけおめことよろ」

FMラジオをつけた。DJがリクエストの葉書を読んでいた。リスナーの挨拶があった。

「あけおめことよろ」

「あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします」の略語なのだろう。いったい、いつからこんな表現が定着したのだろう。気がついたときにはもう世間に広まっていた。

「あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします」。

たしかに長い。略したくなる気持ちはわかる。それにしても「あけおめことよろ」は礼儀にかなっているのだろうか。なんだか相手に甘えている感じがしはしまいか。

人はつい言葉を省略する。

「こんにちは」

省略する人は、これさえも言うのが面倒だ。

「ちは~」

たった五文字の言葉をなぜ略す。

「おはようございます」

香取慎吾は略した。

「おっはー!」

では「こんにちは」はどう略せばいいのか。

「こっにー!」

言いづらい。なんて言いづらいんだ。「こんばんは」はどうか。

「わんばんこ!」

略していないじゃないか。

だが世の中は省略された言葉であふれている。

「パーソナル・コンピューター」

誰もこんな言葉はつかわない。

「パソコン」

「吉野家」

なにも略さなくてもよさそうだが、これも例外ではない。

「よしぎゅう」

吉牛である。

性行為をおこなうことを、いつしかこう呼ぶようになった。

「Hする」

エッチする。もともと「エッチ」とは、Hentai(変態)の頭文字をとったものだ。それがいつのまにか性行為の意味として気軽に用いられるようになった。これ以上は省略できまい。

人は、これ以上省略できなくなるまで、言葉を省略する。

「ノート型パソコン」

これはすでに省略語なのだが、いずれさらに省略される可能性がある。

「ノーパ」

なにかに似ている。

「ノーパンしゃぶしゃぶ」

なつかしい。ひところはノーパンしゃぶしゃぶが流行った。大蔵省の役人が通っていてスキャンダルになった。無論役人たちはお忍びでこっそり通っていたに違いない。

「おい、今夜あたりどうだい、ノーパンしゃぶしゃぶ」

こんなことをおおっぴらに言うはずがない。省略していたにちがいない。

「おい、今夜あたりどうだい、ノーしゃぶ」

これでも勘が鋭い人ならピンとするだろう。もっと省略しなければ危険だ。

「おい、今夜あたりどうだい、ノー」

ノー。こうなると、もうなにがなんだかわからない。

なんでも省略すればいいというものでもあるまい。「あけおめことよろ」もそうだ。省略するかわりに、別の短い言葉をつかえばいい。種田山頭火が山本国蔵に出した年賀状はこうだ。

「賀正  福寿草も買はざりし机上塵払ふ 大正三年元旦」

短さを競うなら、せめてこのくらいひねりたいものである。

(2002.1.6)