今年の二月、名古屋在住の蟹江ぎんさんが亡くなったことは記憶に新しい。
きんさん・ぎんさん。双子のおばあちゃんだ。愛嬌と茶目っ気があり、全国民に親しまれた。双子の特徴はいうまでもない。
「瓜二つ」
顔かたちから一挙手一投足にいたるまで、なにからなにまで似ている。そして、双子を目にすると人は決まって同じ反応をする。
「笑う」
思わず笑う。嘲り笑うのではない。にこやかに笑う。なぜ笑うのだろう。
笑いの哲学者といえばフランスのベルクソンである。
ベルクソン『笑い』岩波文庫
久しぶりに読み返してみた。目次がある。
第一章 おかしみ一般 形のおかしみ 運動のおかしみ おかしみの膨張力
第二章 状況のおかしみと言葉のおかしみ
第三章 性格のおかしみ
双子にあてはまるのは「形のおかしみ」だろう。読んでみる。法則がある。
「まともな恰好をした人間が真似することのできる不恰好はすべて滑稽になることができる」
ちょっと待ってほしい。双子は互いに相手を真似しているわけではない。不恰好なのでもない。『笑い』を通読したかぎりでは、双子が笑いの対象になる理由はみあたらなかった。
考えてみると、双子に限らず、瓜二つの人をみると人は笑う。
「内館牧子と『もののけ姫』の米良美一」
似ている。そっくりだ。
「ダース・ベイダーと高橋直子」
なぜか似ている。
「ムンクの『叫び』とそのまんま東」
面長なところが共通している。
「ゴリラとガッツ石松」
最近はCMで「ゴリラ」という酒の宣伝をしているくらいだ。本人も認めているのだろう。
顔面相似がなぜ笑いを生じさせるのか。理由を考えてみた。
「まったく同じ人は存在しえない」
人間は「霊長類ヒト科」に属しているという点では同じだが、なにからなにまで同じ人というのは存在しない。しかし双子は、どうみてもなにからなにまで同じである。ありえないはずの人が存在する。これは驚異である。この驚くべき事実を人は素直に受け入れることができない。そこで笑うことによって、とりあえず心の平静を保つ。
ところが時代はおそろしいものを発明してしまった。
「クローン」
遺伝子のレベルでまったく同一の動物や人間を生み出すことが可能になった。倫理的な問題にかんがみて、今のところ人間のクローン化は実現していないが、科学者というものはつい新たな発明をしたがるものである。遅かれ早かれ人間のクローンが誕生するだろう。こうなると双子どころの騒ぎではない。
「同一人物二人が目の前に現れる」
双子をみると人は笑う。では同一人物二人に出会ったらどうなるか。
「大笑い」
道を歩く。クローン人間の和田勉が二人やってくる。
「腹を抱えて笑う」
クローン人間の高木ブーがウクレレを弾いている。
「笑い転げる」
通りの向こうからクローンで蘇った二人のヒットラーがやってくる。
「笑い死に」
ただ存在するだけで人を殺すクローン。
ヒットラーのクローン化は避けるべきである。
(2001.12.19)