仕事柄、辞書をよく使う。国語辞典はもちろん類語辞典、英英辞典、西西辞典(スペイン語)、百科事典などだ。何冊あるか数えたことはない。かなりある。たくさんあればあるほど、辞書の好き嫌いや相性といったものも生まれてくる。中でも私のお気に入りはこれだ。
齋藤秀三郎『熟語本意 英和中辭典』岩波書店
「熟語本位」というだけあって、熟語や例文が豊富である。たとえば love を引くとこんな熟語がある。
Platonic love 色情を離れたる男女間の愛。
今なら「プラトニックな愛」だろう。だが「色情を離れたる」である。なにやら荘厳な雰囲気が漂う。思わず居ずまいを正してしまう。すると次にこんな例文があった。
Give my love to Kitty! きいちやんに宜しく。
Kitty は「キティー」という女性名だろう。サンリオのキティーちゃんの、あのキティーだ。それが「きいちやん」ときた。なかなかこうは訳せないものである。齋藤先生の日本語の豊かさには感心させられる。こんなのもある。
Love laughts at distance. 惚れて通へば千里も一里。
まるで都々逸だ。うっかりすると三味線を弾いてしまいそうになる。
Love is blind.
「恋は盲目」という有名なフレーズだ。だが齋藤先生はそんな無味乾燥な日本語にはしない。
「惚れた目にはあばたもゑくぼ」
さすがである。齋藤先生はこうでなくてはいけない。
英語でよく使う単語に have がある。さまざまな意味がある。齋藤先生は8ページにもわたって例文を紹介している。たとえばこれだ。あなたならどう訳すだろうか。
This boy has a good appetite.
「この少年は食欲旺盛だ」「食いしん坊だ」。そんなところだろうか。だが齋藤先生は違う。
「能く飯を食ふ子だ」
「めしを食う」。言われてみればたしかにそのとおりだ。それにしても見事ではないか。思わず唸る。ではこれはどうだ。
Will you have me?
私は意味が分からなかった。あなたは分かるだろうか。だが心配は無用だ。齋藤先生がいる。齋藤先生はこともなげにこう訳す。
「私を婿にして呉れるか」
婿である。「嫁じゃいけないんですか」などと聞いてはいけない。なにしろ相手は百戦錬磨の齋藤先生である。次の例文を人はどう訳すだろう。
Let us have him in.
私は「あいつも仲間に入れてやろうよ」だと思った。だが齋藤先生はこう断言する。
「彼を(此の座敷へ)呼ばうではないか」
頭をがつんと金槌で打たれたような気がした。座敷か。座敷なのか。
私は齋藤先生のとりこになってしまった。どんな例文も突拍子もない日本語にして下さる。まいった。恐れ入りました。だがこんな程度で恐れ入っていてはいけないのだった。齋藤先生の力はこんなものではないのだ。次の例文を見よ。
She had a good match in Mr. A.B.
「good match」は「申し分のない結婚の相手」とか「良縁」という意味である。だが分からないのは「Mr.A.B.」だ。チンプンカンプンである。いったい何者だ。齋藤先生の翻訳を読んだ。
「安部君という良縁があつた」
(2001.10.23)