日記をつけている。
毎日文章を書いていると、なぜか気持ちが落ち着く。心のなかのもやもやしたものが吐き出されて、きれいさっぱり掃除されるような心地だ。
だが日記とて文章である。文章は言葉で書く。この言葉というのが、じつにやっかいな代物である。
近所の温泉に行った日、私は日記にこう書いた。
「初老の男性の知遇を得た」
男性は常連客で、すぐ互いに親しく話すようになった。見た目は50代後半、小柄だが筋骨隆々、そして柔和な面持で人懐っこい。こういう人と露天風呂で世間話に花を咲かせるのはたいへん気持ちがいいものである。話が年齢のことに及んだ。「いくつくらいに見えますか」と訊ねられたので、素直に50代半ばくらいと応えたら、なんと62歳だという。若く見える秘訣は、野良仕事で毎日運動し、若い人と積極的に話すように心がけているからだという。
数日後、ある本を読んで、驚いた。
「初老とは40歳のことである」
虚を衝かれた。あわてて手許の『大辞林』を調べた。
(1)老境に入りかけの人。老化を自覚するようになる年頃 (2)四〇歳の異称。
角川書店の『国語辞典』も引いてみた。
(1)老人になりかけた年ごろ。
(2)四十歳の別称。ついでに、解釈の面白さでは抜群の三省堂『新明解国語辞典』も調べた。
肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じられるおよその時期。〔もと、四十歳の異称。現在は普通に六十歳前後を指す〕
調べるうちに、どうやら、60歳前後を初老と呼ぶようになったのは戦後になってからのことらしいことが分かった。「初老」とは奈良時代以降の習慣で、40歳からはじまって十年ごとに年の祝いをしたことに由来するそうである。40歳はその最初の祝いで「初賀」とか「五八頌」とか「初老」とか呼ばれていた。
だが高度成長期にあわせて、日本人の寿命は急激に伸びた。もはや40歳は老人とは言えない。60歳くらいになってようやく老人の仲間入りをする。だから今では60歳前後を初老と呼んでいるのだろう。私もそういう意味で日記に書いたのだった。
ところで今の日本はバブルがはじけて以来、十年以上も不況が続いている。株価は一万円前後で揺れ動き、企業の倒産は後を絶たず、毎年三万人もの人たちが自殺している。低成長どころか、マイナス成長の時代に入っている。
こういう事態が長引けば、寿命が縮まることが考えられる。ふたたび戦前のように、40歳が初老になる可能性がある。だがそれならまだいい方だ。もっと悪い状況も考えられる。
「平均寿命50歳」
こうなると、35歳くらいが初老だろう。さらに不況が続けばどうなるか。
「平均寿命40歳」
初老は25歳である。新聞にブライダルサロンの広告が載る。
「結婚適齢期を迎えた初老の貴女へ!」
世界恐慌が起こったりすれば事態はいよいよ深刻になる。
「初老の健太君、小学校入学」
第三次世界大戦が勃発した時のことを考えると恐ろしい。
「初老の美穂ちゃん、ご入園おめでとう」
私は四年後に初老になる。
(2001.11.17)