ビートたけしの『ザ・知的漫才 結局わかりませんでした』を読んでいたら、動物生理学者の本川達雄との対談が載っていた。ビートたけしが、飛ぶ鳥と飛ばない鳥がいるのはなぜかと問うと。本川氏は「飛ぶという行為は、辛いのかもしれませんね」と答えている。
我が家ではセキセイインコを飼っている。日本野鳥の会にも入会している。常々鳥には敬意を表してきた。小さい体で、粗末な餌を食べるだけで大空高く舞うその姿には畏怖の念さえ覚える。だが本川氏の説を聞いて驚いた。
「飛ぶのは辛い」
同じ距離を移動するということを考えると、歩くより飛ぶ方がコストが安く済むという。ただし時間当たりでみると、エネルギーの使用量はとても多いのだそうだ。しかも、飛ぶためには体を軽くする必要があるし、そうなると当然食べるものも限られてくる。動物は「動く物」というだけあって、より速く動けるように進化してきた。その意味では鳥は人間よりはるかに高級な生き物らしい。高等といわれる動物ほど体温が高い。では人間がいちばん高いかというとそうではなく、脊椎動物のなかでは鳥がいちばん高いという。体温が高ければ化学反応も速く起こるので、体内の新陳代謝も活発になり、効率よく動くことができる。言われてみれば、我が家のセキセイインコは片時たりともじっとしていない。よく動く。とにかく動く。ただし鳥は高級すぎて、エネルギー補給のためにあくせくしなければならないのだということをこの対談で教わった。
ゆうゆうと舞う鳥をみて人は呟く。
「翼をください」
もし鳥が聞いたら呆れるだろう。
「冗談じゃないよ」
なにせ鳥は好き好んで飛んでいるわけではないのだ。翼なんてものがあるから、しぶしぶ飛んでいる。そんなことも知らずに「鳥になりたい」などと言う人は、鳥の境遇を考えるべきではないか。
「鳥の幸福」
果たして鳥の幸福とはなにか。そもそも幸福とは何か。
「長生きすること」
長寿という言葉があるくらいだから、長生きは幸福ということになっている。だが本当にそうなのだろうか。本川氏によれば、体重から換算すると、人間の適性寿命は30歳だという。子供を産んで育てたところで人としての役目は終わるのだそうだ。なのに人間はどんどん寿命を延ばしてきた。そのせいで老いると体のあちこちにがたがきて、成人病などという病気にもなる。生物学からみれば、成人病などというものは病気でもなんでもない。つまり死に損ないなのだ。どうやら長く生きれば幸せというものではなさそうである。
体を動かすから体のあちこちが傷んでくる。そこで個体の世代交代をして新しい体にする。これが寿命だ。ならば寿命がないのが究極の幸福ではないか。
「植物」
縄文杉だ。六千年以上生きる。死んだ細胞の上に新たな細胞を重ねて生きながらえる。鳥は植物に憧れているにちがいない。
「いいよな。じっとしていたいよな」
鳥もなかなか大変である。
(2002.3.17)