新型コロナウイルスの蔓延により公演が中断された『ジプシー歌集』(Romancero gitano)がベニカルロ、ヘタフェ、ビトリアとバレンシアで再開するのを控えたヌリア・エスペルへの電話取材です。
- ――ロルカとはどんな糸で結ばれていますか? 演じるときの自分はどんな感じ?
- まるで自分の言葉であるかのよう。彼の詩はそれぞれがひとつの世界で、わたしの世界に組みこもうと努めます。九歳のときに「お月さま、お月さまのロマンセ」を発見して、ロルカが誰なのかさえ知らないまま自分のレパートリーに入れたの。ルベン・ダリオから始めて、その後はカタルーニャの民衆詩を知って、「お月さま、お月さま」はまるでわたしのために書かれたみたいでした。ロルカを独り占めにして、終生の伴侶になりました。『イェルマ』を観に行ったとき、テクストが深く印象に残りました、事前に読んだとき以上に、そして自分にとって何かとても大切なものになり得ると感じたの。実際にそうなったのは何年も後になってからだけど。ロルカを熱心に読んだことがある人ならガラスだろうが鉄だろうが扉を開けてくれる理解の水準に嫌でも到達するのよ。
- ――スペインの根源にはあなたが演じて愛するロルカと関わるどんなことがあるのでしょうか?
- 暗い根(oscura raíz)がどこにあるのか、わたしにはわからない。ちょっと前に五十年代に書かれた最初の伝記を読んだの、友達の家で午前三時まで朗読して、すでに大詩人だったとても若い頃のロルカを読み解く鍵がたくさん詰まった印象的な本。今の人たちは彼をアイドルのように、奇跡のように見ているけど、その本の中ではまだとても人間的な少年で、かりに詩才に恵まれなかったとしても、姿や話しかたの何かが、言葉が彼の口でキラキラ輝くさまの何かがきっと周囲に漂っていたと思う。
- ――しかも現実の力があります、隠喩に沈潜する詩人ではありません、彼の詩には骨、苦悩、喜びがあります。
- 現実への接近のしかたは怖いくらい。詩集『ニューヨークの詩人』の「ローマへの叫び」はリュイス・パスクアルの決断で『ジプシー歌集』の終幕を飾る詩ですが、怖いの、だって詩というものがどれほど危険なものになり得るかを示しているから。「詩は未来が装填された兵器だ」とセラーヤは言いました。フェデリコはそれを文字通り感じ取って、「ローマへの叫び」はこれまでに書かれた最も美しく危険な詩のひとつです。
- ――「教師は子どもたちに山からやって来る素晴らしい光を教える/でもやって来るのはコレラの暗いニンフが叫ぶ下水溝だ」。まるでスペインの現在を言い当てているようです。ロルカの全作品は書かれたばかりの作品として読めるのでしょうか?
- ええ。魔術的な成分があるの、彼の詩の中だけではなく、ちょっとした歌にも。そして彼の愛の詩の深さは他のどんな詩人も匹敵するのは無理でしょう。
- ――ロルカはあなたの演技そのもの、人生において決定的でした。
- その通り。彼の詩に惚れて、わたしの職業の一部になって支え、わたしを別の女優に変えてしまった、でも自分の人生をどの程度占めるかは想像できませんでした、アルマンド[註。夫、1994年死去]の妻として、娘たちの母として。精神的に伝染性がある。わたしのまわりにいれ人たちはみんなその愛について知ってます。
- ――かつてこうおっしゃったことがあります。「舞台で朗読するものはすべて彼から生まれる」。では他の人物を演じるときは?
- ロルカは私の朗読スタイルを変えてしまいました。アルベルティからもたくさんのものを授かったけれど、フェデリコはもっと心の奥深いところに触れたんです。
- ――あなたとパスクアルがラ・アバディーア劇場で『ジプシー歌集』を初演したときマルコス・オルドニェス記者がエル・パイスにこう書きました。「パスクアルとエスペルはドゥエンデを授かったフラメンコ・アーティストのようだ、ドゥエンデと言うのはロルカと言うことである」。劇場の一階席の観客はあなたの朗読を聞いて、朗読しているのはヌリア・エスペルの服を着たロルカだと感じられます。
- 誰かがそんなふうに思ってくれたらねえ! アハハ! お客さんが上演で見ているのは彼の服を着たわたしで、稽古したり詩を読んだりして暗記したことを全部詰めこむんです。『ジプシー歌集』の詩はどれもが二時間の素晴らしい芝居にできる。わたしはいがみ合う人物たちだけではなく、内容がぜんぶそこにあるように努めるの。女優として、すべてが肉体的になるように、まるでその瞬間に実際にわたしの身に起きているかのようにするの。
- ――テクストをそこまで体の奥に取りこんだ段階で舞台が強いることは何でしょう?
- 話しているのは彼だと観客に思ってもらうのが望みです、自分のことをわかってもらえるよう努めているのは彼だと、ロルカは純粋だから。彼は実際に目で見たのだし、すべては彼の目の前に現れるの。彼はこう言うのよ。「もし皆さんが、わたしが『夜明けにガラス工場千個のタンバリン』と言う理由をお尋ねになるなら、それはわたしが天使たちの手の中でそれを見たからだと答えるでしょう、でもそれ以上言う術を知りません、意味がわからないから」。詩が好きな観客にとってはとても有益です。わたしを受け入れてくれるなら、わたしを愛しているんです。二つ三つ知れば、彼からの愛の告白として受けとめる。
- ――オルドニェスはロルカは「濁った凡庸な時代に」誰かが助けを求めると駆けつけるとも言っていました。このご時世に彼は役立ちましたか?
- わたしにも、彼の詩を読む全員にも役だったと思います。最初は私たちはあまりにも怖かったので救いは文化だけだと言われました。真実らしく聞こえます、もっとも結局は口だけで終わったのかもしれない。わたしには役立ちましたよ。伝染病の大被害に遭ったのは『ジプシー歌集』の全国ツアーの最中でした。ツアー再開に向けて詩を朗読すると、昼間のニュース番組がぞっとするニュースを伝えるときにわたしの頭に浮かぶ考えを遠ざけてくれるの。
- ――ルメア劇場へ戻ることにはどんな意味がありましたか?
- 予想していたほどではなかったわ。感激しすぎるんじゃないかって心配してたけど、またあそこでお客さんを迎えて、昔と同じ楽屋で着替えるのがあまりにも普通で……。きっと憂鬱になるだろうなあって思ったの、でも楽しかった、長いツアーを終えて自宅に帰ってきたみたいに。人々があんなふうに反応したとき、ウイルス騒ぎ以前からカタルーニャは問題を抱えていたので、大きな平和のようでした。わたしたちがいた一ヶ月はわたしに良いものをいっぱいくれました。
『マファルダ』の作者として知られるキノ(Quino)ことホアキン・サルバドール・ラバードが亡くなりました。享年88。
漫画『マファルダ』の主人公Mafaldaが生まれたきっかけは1962念洗濯機と冷蔵庫の広告を依頼されたことでした。マンスフィールド社が自社の電化製品を使う家族の生活を描いた漫画を新聞広告に載せるべくキノに依頼し、キノは主人公の名前をマンスフィールド(Mansfield)との語呂合わせでマファルダ(Mafalda)にしたそうです。