マドリードのアバディーア劇場がカタルーニャ国立劇場と共同制作でロルカの『観客』を上演します。10月28日から11月29日まで。開演時間は火曜から金曜は午後8時半、土曜は19時と21時半の二回公演、日曜は19時半。上演時間が一時間というのが気になります。原作戯曲を素直に上演すれば少なくとも一時間半はかかるはず。どこか台詞をカットするのかしら。
2015年の演劇ケレス賞にリュイス・パスクアル演出、ヌリア・エスペル主演の『リア王』が選ばれました。授賞式は8月27日メリダのローマ劇場で行なわれます。選考対象は2014年7月21日から2015年7月19日までの一年間にスペインで上演されたすべての舞台芸術作品です。審査委員会は新聞やテレビの文化担当記者九名から成り、審査委員長は俳優で制作者のアントニオ・レシーネス。残る八名の審査員はフスト・バランコ(ラ・バングアルディア紙)、ミゲル・アヤンス(ラ・ラソン紙)、ダニエル・ガリンド(スペイン国立ラジオ)、フアン・イグナシオ・ガルシア・ガルソン(ABC紙)、セサル・ロペス(エル・ペリオディコ紙)、ラウル・リサネス(ラ・ガセタ紙とインテルエコノミーア・ラジオ)、マルコス・オルドニェス(エル・パイス紙)、マチュス・オシナガ(スペイン国営テレビ)、リス・ペラレス(エル・ムンド紙)。
『恐怖、忘却、そして幻想――フェデリコ・ガルシーア・ロルカに関するアグスティン・ペニョンの調査記録』(コマレス出版)の著者であるマルタ・オソリオが同社から『ある死をめぐる謎――アグスティン・ペニョンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈』を出版しました。定説ではとロルカの遺体はフエンテ・グランデ(現ガルシーア・ロルカ公園)に埋められているはずですが、本書によるとリャノスはペニョンに「ある身分の高い人物」から聞いた話だとして、ロルカの遺体は余所に移されたと語ったそうです。オソリオは真相は不明だとしながら、ロルカの遺骨がある場所が共和主義者の巡礼地になるのを恐れたフランコ主義者または遺族が遺骨をほかの場所に移した可能性があると述べます。
昨日サンタンデールのメネンデス・ペラーヨ国際大学で毎年恒例の夏期講座が開幕し、本日は〈文学の火曜日 Martes literarios〉というイベントで映画監督マヌエル・グティエレス・アラゴンが映画における作者をテーマに講演会を開きます。これに先立ちアラゴンが記者会見で述べたところによると、映画の作者は脚本家であるというのがアラゴンの立場であり、原作者と脚本家のあいだには常に「ある種の緊張関係」が生じ、その一例として『自転車は夏のために』を挙げました。映画に登場する路面電車の色が青で、原作者であるフェルナンド・フェルナン・ゴメスは不平を鳴らしたそうです。フェルナン・ゴメスが幼い頃に過ごしたマドリードの路面電車の色は赤だったからです。
9月18日に開幕する第63回サン・セバスティアン映画祭のオープニング作品はアレハンドロ・アメナーバル監督の『リグレッション』 Regresión に決まりました。公式招待作品ですがコンペティション部門の対象からは外されました。イーサン・ホーク、エマ・ワトソン、デヴィッド・シューリス、デヴィッド・デンシックが出演する本作は『アザーズ』以来のスラリー。スペインでの劇場公開は10月2日の予定。日本公開が待ち遠しいよ。
ABC紙のアルフォンソ・アルマーダ記者によるホセ・ルイス・ゲリン監督の長文インタビュー記事です。バルセロナの自宅で行ない、今月3日に記事になりました。今週土曜日ロカルノ映画祭で新作『ミューズの学士院』 La academia de las musas が上映されます。
なにしろ長文のインタビューなので内容をくまなく紹介するのはやめておきますが、記事のタイトルを正確に翻訳すると、「僕はアイデンティティーの危機に見舞われて自分の正体がわからなくなると自分にこう言い聞かせるんだ。『僕はチャップリンの映画を見て育った子どもだ』と」です。敬愛するロベール・ブレッソン監督とは直接会ったことがあり、ゲリンが処女作の制作を始めた21歳か22歳の頃パリに出かけ、友人のつてでブレッソンの電話番号を入手し、電話をかけたところ快く自宅に招いてくれて、都合四回自宅を訪問したそうです。
ゲリンにとって映画は「人生を直接見るもの(una vista de la vida directamente)」であり「窓(una ventana)」だそうです。この点に関して映画(cinematógrafo)の語源に触れ、エジソンとリュミエール兄弟が映画の特許取得を争いリュミエール兄弟が勝ったけれど、もしエジソンが勝訴していれば映画はヴァイタスコープ(Vitascope)、すなわち〈人生を見る装置〉と呼ばれたはずで、この呼称は「とてもアメリカ的」だとゲリンは述べ、イタリアの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティが絵画を定義して述べた «finestra aperta sul mondo»(世界に向かって開かれた窓)というフレーズを想起します。実際にはリュミエール兄弟が勝訴し、映画はシネマトグラフ(cinematógrafo)と呼ばれるようになったわけですが、シネマはギリシャ語のキネマ(動く)に由来し、グラフも同じくギリシャ語のグラフ(書かれたもの、描かれたもの)に由来するので、シネマトグラフとは「図像による表象、または動きのエクリチュール」を意味し、この概念は「とてもヨーロッパ的」だとゲリンは言います。
今年6月5日にオープンする予定だったグラナダのフェデリコ・ガルシーア・ロルカ・センターが7月29日にようやく開館しました。ところが建物の建設を請け負ったフェロビアル社がロルカ財団に対して1200万ユーロの不払いを申し立て、さらに文化省も敷地の一部であるロマニーリャ広場の使用料として1700万ユーロを財団に請求中。財団は事務員フアン・トマス・マルティンを文書偽造と横領の疑いで告訴。すったもんだの真っ最中で、肝腎のロルカの遺品はまだマドリードの学生館(Residencia de Estudiantes)に保管されたままです。