舞台通信

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2010年6月27日(日)

ナチョ・ドゥアトの二十年よさらば
Adiós a 20 años de Nacho Duato

二十年間スペイン国立舞踊団(Compañía Nacional de Danza)の芸術監督を務めてきたナチョ・ドゥアトが退任。着任は1990年。当時のスペイン国立リリコ舞踊団(Ballet Lírico Nacional)をマイヤ・プリセツカヤから引継ぎました。最初に発表したの作品は『アレナル』 Arenal 。そして昨夜マドリードのサルスエラ劇場で『アレナル』の最終公演が行われ、引退に花を添えました。二十年間で仕えた文化大臣は九名。よく続いたものです。

2010年6月21日(月)

ペネロペ・クルス、ハリウッド〈名声の歩道〉に星
Penélope Cruz, una española con estrella

日刊セビーリャの記事。ハリウッドの〈名声の歩道〉、ウォーク・オブ・フェームに来年ペネロペ・クルスの星が加わるそうです。時期は未定。もちろんスペイン人女優としては初の快挙。他にティグレス・デル・ノルテ(メキシコの大衆音楽ノルテーニョのグループ)、グウィネス・パルトロウ、リース・ウィザースプーン、エド・ハリス、シシー・スペイセク、ドナルド・サザーランドの名前も挙がっています。

ウォーク・オブ・フェームに初めて星と名前が刻まれたスペイン人はアントニオ・モレーノ(1887-1967)。サイレント時代に活躍したマドリード生まれの俳優で、代表作はグレタ・ガルボと共演した『明眸罪あり』 The Temptress (1926年)。アントニオ・バンデラスも星を手に入れました。スペイン語圏の人ではやはりサイレント時代に活躍したメキシコ人俳優ラモン・ノバーロ Ramón Novarro とドローレス・デル・リオ、〈カンティンフラス〉の愛称で親しまれたマリオ・モレーノ、プエルトリコのホセ・フェレールとリタ・モレーノ、アンディ・ガルシアなどがいます。リタ・モレーノはエミー賞とアカデミー賞、グラミー賞、トニー賞をすべて獲得した唯一のスペイン系俳優。

で、ペネロペですが、もうすぐハワイで『パイレーツ・オブ・カリビアン4』の撮影が始まります。監督は『シカゴ』『ナイン』のロブ・マーシャル。ペネロペはラース・フォン・トリアーが彼女主演で撮るはずだった『メランコリア』 Melancholia のオファーを斥けて『パイレーツ~』を選んだそうな。

2010年6月15日(火)

七月に改修工事
アリアーガ劇場
El Teatro Arriaga renovará el foso, suelo e iluminación durante julio

ビルバオのアリアーガ劇場が7月のバカンスを利用して改修工事を行います。オーケストラボックス、舞台床面、緞帳のモーターと照明が対象。最後に改修したのは1986年。7月29日にリニューアルオープン。

アリアーガ劇場は19世紀末に建築家ホアキン・デ・ルコーバが設計したネオバロック様式の劇場。ルコーバはビルバオ市庁舎の建築も手がけました。名称は〈スペインのモーツァルト〉として知られる作曲家フアン・クリソストモ・アリアーガに因んでつけられたもので、開場は1890年。キャパは1260人。

2010年6月8日(火)

『血の婚礼』コメディー版
Una versión cómica de 'Bodas de sangre'

世界中で星の数ほど上演されてきたロルカの『血の婚礼』。1974年にアントニオ・ガデスがフラメンコ・バレエ版を作り、カルロス・サウラが1981年に映画化し、近年ではサラ・バラスやクリスティーナ・オヨスのフラメンコ版など、枚挙に遑がありませんが、コメディーとして上演するのは前代未聞。

1976年マラガに創立したパントマイム劇団の演出家アンヘル・バエナがコメディー版『血の婚礼』を創案。「いろんなバージョンを見てきて、それらがどんな風に舞台化されてきたか、その過程をパロディーにしようと決めた」バエナにとって、ロルカ作品の上演は「どれも民俗的な臭気を引きずっている。フォークロアを黙って受け容れなくてはならない理由が僕には理解できない」のだそうです。「悲劇を冗談にできるのはアンダルシア人しかいない」と豪語するバエサのコメディー版、タイトルも Bodas de sangre ではなく Bodas de Zanngre と訛ってます。マラガ公演のあとはフエンヒローラとロンダを巡演、コルドバのパルマ・デル・リオ演劇祭に参加します。