ウディ・アレンの次回作にはアントニオ・バンデラス、ジョシュ・ブローリン、アンソニー・ホプキンス、ナオミ・ワッツ、『スラムドッグ$ミリオネア』のフレイダ・ピントがキャスティング済みですが、ニコール・キッドマンの参加が決定と、米バラエティ誌が伝えています。
タイトルはいつものことながら未定。製作は『それでも恋するバルセロナ』と同じスペインのメディアプロ。
完成済みの新作 "Whatever Works" はソニー・ピクチャーズが配給、6月19日公開。
4月29日に初日を迎える『ベルナルダ・アルバの家』で、ヌリア・エスペル Núria Espert と ロサ・マリア・サルダー Rosa Maria Sardà が初共演。カタルーニャの、というよりスペインの二大女優が初めて同じ舞台に立ちます。ベルナルダ役がエスペル、女中ポンシアがサルダー。演出はリュイス・パスクアル Lluís Pasqual。会場はカタルーニャ国立劇場(TNC: Teatre Nacional de Catalunya)の小劇場 Sala Petita。
二人の初顔合わせを実現したのはリュイス・パスクアル。
当初はふたりとも興味を示さず、特にロルカ作品と縁が深いエスペルはベルナルダ家の閉所恐怖症的な世界に戻る気は「さらさらなかった」そうです。エスペルは約20年前にロンドンでグレンダ・ジャクソン(ベルナルダ)とジョーン・プローライト(ポンシア)版――記事中の Plowrigth は Plowright の誤り――の演出を既に手がけたせいもあります。〔註: 記事では無視されてますが、1990年に銀座セゾン劇場でも『ベルナルダ・アルバの家』日本語版を演出しています。ベルナルダは乙羽信子、ポンシアは渡辺美佐子〕
しかしリュイス・パスクアルは諦めず説得。パスクアルはアントニオ・カナーレスのフラメンコ版『ベルナルダ・アルバの家』の演出を近年行ったものの、オリジナル戯曲の演出は未体験。「歴史的記憶が社会に滲透し始めてからずっと演出したいと思っていた。過去を知らずに未来と現在に向き合うことはできない」。
出演者は40名以上。五人娘を演じるのはロサ・ビラ、マルタ・マルコ、ノラ・ナバス、レベカ・バルス、アルムデーナ・ロンバ。ベルナルダの母マリア・ホセーファ役はテレサ・ロサーノ。その他、ティルダ・エハプルーガ(女中)、マルタ・マルトレル(プルデンシア)、モンツェ・モリーリョ(乞食)、バルバラ・メスタンサ(少女)など。残り約30人は近所の人たちを演じます。
パスクアルによると、上演に際して最大の問題となるのはテキストが完全無欠であること。意味のないフレーズはひとつとしてなく、どのト書きも省略できない。だから上演が許されるのは公共劇場に限られるとのこと。今回は TNC とマドリードのエスパニョール劇場 Teatro Español との共同制作。TNC は4月29日から6月28日まで、エスパニョール劇場は9月の新シーズンから。
サン・クレメンテ賞を受賞した村上春樹のニュース、続報です。エル・パイス紙のヘスス・ルイス・マンテイーリャ記者。
12日(木)、高校生審査員10人と夕食を共にしました。スペイン訪問は初めて。公の席には滅多に顔を出さない村上春樹にわざわざスペインにまで足を運ばせたのは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ市の高校生。高校生が審査員を務めるサン・クレメンテ賞の今年の受賞者は村上のほかにビセンテ・モリーナ・フォイシュ、ルイス・ランデーロ、ジュリアン・バーンズ、マリーア・レイモンデスとアンショス・スマイ(ガリシア生まれの翻訳家・作家)。
サン・クレメンテ賞は14年前にサンティアゴ・デ・コンポステーラ市のロサリーア・デ・カストロ高校の学生が創設。授章式の議長を務めた女子高生エレーナ・フォルハンによると、創設の目的は「大好きな作家たちに人生の一日を私たちと一緒に過ごしてほしいから」だそうです。で、実際に作家たちがちゃんと来てるんです。ジョゼ・サラマーゴにマルオ・バルガス・ジョサ、カルロス・フエンテス、ポール・オースター、アメリー・ノートン、タリク・アリ、ヨースタイン・ゴルデル、アントニオ・タブッキ、アレッサンドロ・バリッコ、アルムデーナ・グランデス、ハビエル・セルカス、アルバロ・ポンポ、ハビエル・マリアス…。すごいね。
「村上春樹に来てもらうのは難しいよ」と出版社に言われた高校生たち。でも彼らはひるみません。「とにかくやってみよう」と、日本に関する資料を調べて、トヨタの販売特約店に駆け込みました。で、みごと村上春樹と連絡をとり、賞の説明をして説得。11日(水)に村上春樹ははるばるイベリア半島西北端の町にやって来て賞金3000ユーロ(約38万円)を受け取ったってんだから、やるなあ、高校生。
ガリシア名物のタコを食べ、ワインを飲んで、本にサイン。「ブリックパックの牛乳やリンゴやツナサンドを好む登場人物とは違うようだ」って、そりゃそうだよね。ガリシアはタコでしょう、やっぱり。
で、村上はこんな話をしたそうです。
「日本人は電車で本を読みます。毎日通勤に三時間もかかる人が大勢いるからできる。地下鉄で手すりにつかまって立ったまま読める短編を書いてくれないかって頼まれるんだけど、僕には無理。どうしても長くなってしまう。止まれないんです。ランナーなんです」
実際、これまでで最長の小説を書き終えたばかりで、「スペインに来る直前に編集者に渡しました。出来には満足しています」と、いいタイムでマラソンを走り終えたランナーのように述べたそうです。
会食のテーブルで村上の左右に坐ったのはアナ・セラーダさんとハビエル・セレイホ君。そのほかアルバ・サレータさん、ノエリア・ソウトさん、マルタ・クルセスさん、ルベン・フェルナンデス君などが作家を囲み、いろんな質問に答えてもらっただけでなく、逆にいろいろ質問を受けて感激したそうです。
「スペインで話される言語や、内戦、食事について質問されました。バルガス・ジョサとガルシア・マルケスを称賛しているとも話してくれた。ガリシア地方やスペイン語圏の作家でほかにどんな人を読むべきかアドバイスしてほしいとも頼まれました」
しかも最後にはみんなで記念撮影までしちゃった。繰り返すようだが、すごいよ、ガリシアの高校生は。
20世紀スペインの知的巨人フランシスコ・アヤーラ、今月16日に103歳になります。マドリードの自宅でEFE通信が取材。
時代の最先端テクノロジーに抵抗せず素直に順応するのがアヤーラ。
「時代の進歩には適応するよう心がけている。顔を背けて世界から孤立する人を大勢見てきたからね。でも私はそれ以外の人たちが暮らす今日の世界にいたい。30年前や50年前の世界ではなくね」
コンピューターについても「我がコンピューターと私」というエッセイを1985年に書いているし、国立図書館の勧めで Facebook にも自分のページを設けたほど(このエッセイも公開しているそうです)。
人に愛され尊敬される秘訣は、「何事も押しつけないこと。生きる、そして人を生かす、それだけ」。奥さんのキャロライン・リッチモンドについては「私の命。彼女がいなくなったら、私も姿を消すよ」。
頭脳明晰は衰えず。しかし寄る年波で視力と聴覚は弱まっているようで、特に目はかなり弱く、新聞は妻が読み上げてくれるそうです。
数年前から国立図書館財団の理事長を務めており、誕生日の16日には国立図書館でセサル・アントニオ・モリーナ文化相が記念式典を開く予定。モリーナとは旧知の仲。「素晴らしい文化大臣。スペイン文化をスペイン語で世界に広めた」と称賛。
「人は今まで生きてきた人生の責任を負わなくてはならないが、自分ひとりの作品として背任を負うのは無理。ちょっと顔を出した見世物(スペクタクル)としてみるんだ」
カタルーニャの新聞エル・ペリオディコの記事。予告編が見られます。
昨13日(金)、アルモドバルの17作目となる新作『崩れた抱擁』 Los abrazos rotos の完成披露試写会が行われました。会場はマドリードのキネポリス(エル・パイス紙によるとヨーロッパ最大のスクリーンがあるそうです)。約400人の報道関係者がつめかけたとか。会見に臨んだのはアルモドバルのほか、出演者りブランカ・ポルティーリョ、ホセ・ルイス・ゴメス、リュイス・オマール、ルベン・オチャンディアーノ、タマール・ノバス、そしてロサンゼルスから帰国したばかりのペネロペ・クルス。
映画への愛をこめたオマージュといえる作品だそうで、参照したのはロッセリーニ監督、イングリッド・バーグマン主演の『不安』(1954年)とアルモドバル自身の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』。映画女優をめざす幸薄いレナ(ペネロペ・クルス)が映画界の大物(ホセ・ルイス・ゴメス)と関係をもち、盲目の映画監督(リュイス・オマール)の新作に出演が決まるというストーリー。劇中の映画は『神経衰弱ぎりぎりの女たち』の別バージョンといった趣きのものでタイトルは『女とスーツケース』 Chicas y maletas。劇中ではもうひとつ、カルメン・マチ主演の『人肉食の女性市議』 La concejala antropófaga という短編映画も。
笑いの要素は少ない、「スラリーとフィルム・ノワール」をめざしたそうです。
気になるのは邦題。
『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥ・ハー』みたいに、英語読みの『ブロークン・ハグス』になるんでしょうか。だとしたら残念。アメナーバルの『海を飛ぶ夢』 Mar adentro みたいに気の利いた日本語を考えてほしいなあ。その点、前作『ボルベール 〈帰郷〉』 Volver はよかった。スペインの動詞 volver が生かされてるし、タンゴの曲名だってこともわかるし、帰郷がテーマだということも一目瞭然。今回のは直訳すると「壊れた抱擁」「引き裂かれた抱擁」。
どうしてヨーロッパの映画が英語風のカタカナタイトルばかりになるかというと、まず製作段階で英語のタイトルとシノプシス、脚本が世界中に配られ、配給会社や批評家やライターがそれを読み、この時点で英語タイトルが世界中に広まっており、マスコミもそれをそのまま流布するから、〈新作イコール英語タイトル〉というイメージが規定概念になり、そのイメージを壊すのは賢明な策とは思えないからだと、某配給会社の人に説明を受けたことがあります。
エルサレム賞を受賞したばかりの村上春樹、今度はスペインでちょっとおもしろい賞を受賞しました。記事はエル・パイス紙のイグレシアス記者。
11日、ロサリーア・デ・カストロ高校(ガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラ市)の学生が選ぶ第13回フアン・デ・サン・クレメンテ大司教文学賞(外国語部門) Premio Literario Arcebispo Juan de San Clemente を受賞。対象となった作品は『海辺のカフカ』 Kafka en la orilla。カステーリャ語(標準スペイン語)部門はカタルーニャの小説家ビセンテ・モリーナ・フォイシュ Vicente Molina Foix の『ペーパーナイフ』 El abrecartas が選ばれました。発表は2007年だったのですが、村上春樹を始め受賞者の都合がなかなかつかず、第13回と去年の第14回の受賞者をまとめて招いて授章する運びとなったそうです。
マスコミに滅多に顔を出さない村上春樹がはるばるスペインの西北端の町にやって来た理由は、「誰が選んでくれたのか、その人に会ってみたいという好奇心から。会ってみたい、ただそれだけです」。
エルサレム賞の受賞スピーチでは父親について語って世界を驚かせましたが、今回も。「一年前に父が亡くなりました。父は1940年に戦争に行き、戦争の話をいろいろしてくれました。でも僕は父の物語と僕自身の物語とのあいだでバランスをとっています。執筆する時は何のプランも立てずに書きます。場面をひとつ、あとはいくつかの言葉だけです」。
記事ではカーヴァーやフィッツジェラルドやアーヴィングの翻訳者としての顔も紹介。「翻訳するのは大好き…。それと谷崎が好き、でも三島と川端は好きじゃない。日本には作家が大勢います。ローカルな作家」。
最後の質問は彼の作品に顕著な西欧の影響、とりわけ音楽について。ガラクシア社のガリシア語版『アフターダーク』 Tras do solpor や『走ることについて語るときに僕の語ること』 Do que estou a falar cando falo de correr にノスタルジーが濃厚ではとの質問に、あるとしてもグローバルな意味だと答えたそうです。「一人っ子なんです。小さい頃は三つのものに助けられて生きました。本と猫と音楽です」。
スペイン演劇界のお騒がせ男、俳優・演出家のペペ・ルビアネスが1日午前、バルセロナの自宅で死去。61歳。死因は肺癌。生まれは1947年、ガリシア地方のビリャガルシーア・デ・アロウサ(ポンテベドラ)。
去年の4月、バルセロナのクルブ・カピトル劇場第一ホールで『エチオピアの微笑み』 La sonrisa etíope 公演中に病気が判明、公演は中止。当初は半年休めば恢復するものとみられていたものの病状は好転しなかったようです。
最後になった仕事は去年の6月、トリシクラ Tricicle のミュージカル公演『モンティ・パイソンのスパマロット』 Monty Python's Spamalot で神の声として録音参加したこと。
近年の騒ぎといえば2006年9月8日にここでお伝えしたとおり、統一国家スペイン支持者をケツだのクソだのと下卑た言葉で罵倒した結果、彼の演出・出演作『みんなロルカだった』 Lorca eran todos 公演がマドリードのアルベルト・ルイス・ガリャルドン市長により中止されたことでした。