舞台芸術は大勢の観客が一堂に会して俳優やパフォーマーの演技を集団で鑑賞するものであり、そうあるべきだという固定観念を排して、たった一人の観客のために上演を行なったらどんな体験が得られるだろうか。アルゼンチンのマティーアス・ウンピエレスが提起するテアトロソロ(TeatroSOLO)は、たった一人の観客のために上演を行なう実験劇です。すでにブエノスアイレス、ニューヨーク、グラウス(スペインのウエスカ県の町)、サン・セバスティアンとサンパウロで公演を行ない、いよいよマドリードにやって来ました。スペイン国立演劇センターがソフィア王妃芸術センター美術館の協賛を得て、〈世界へのまなざし Una mirada al mundo〉という企画の一環として行ないます。来年1月24日まで。
五つの作品が市内五ヶ所で上演され、それぞれ観客は一人だけ。タイトルと上演場所は『記憶喪失 Amnesia』(マリーア・ゲレーロ劇場)、『肖像 Retrato』(ソフィア王妃美術館)、『遠く Lejos』(ラバピエス広場)、『エクソダス Éxodo』(市役所)、『証人 Testigo』(地下鉄のベントゥーラ・ロドリゲス駅とデリシアス駅)。俳優はファビア・カストロ、サウセ・エナ、イサベル・ガルベス、オラリャ・エルナンデス、マリーア・エルバースとチェマ・テナ。
1960年代にガルシア・マルケスやマリオ・バルガス・リョサなどの中南米文学ブームに火をつけた編集者カルメン・バルセイスが9月20日に亡くなりました。享年85。
1930年、カタルーニャ州リェイダ県サンタ・フェ・デ・セガーラ生まれ。慎ましい家庭の四人兄弟の長女として育ち、一家が食い扶持に困らないよう母親に命じられて商業学校に通い、1949年に優等生として卒業し、テラッサの繊維組合の秘書になりました。
ある日、ポルトガル語の編集者を知らないかと訪ねてきたブラジル人経営者を通じてルーマニアの小説家ヴィンテラ・ホリアの知遇を得ます。ホリアには当時マドリードのACERという代理店があり、バルセイスはバルセロナでの代理業を引き受けました。1960年にホリアがゴンクール賞を受賞してパリに居を定めたとき、バルセイスは彼が所有していた作家のリストを譲り受け、詩人ジャウマ・フェランと知り合い、その後はカルロス・バラル、ジュゼップ・マリア・カステリェット、ハイメ・サリーナス、ジュアン・ペティットなど、次々に人脈を広げます。
英語がからきし苦手だったバルセイスはスペイン語で読める作品を片っ端から読み、まだ誰も注目しなかった中南米文学が宝の山であるのを発見。ロンドンにバルガス・リョサを訪ねてポケットマネーの500ドルを渡して執筆に専念するよう説得した結果生まれたのが『ラ・カテドラルでの対話』でした。