2011年7月、ペルー国立大劇場(GTN = Gran Teatro Nacional)が開場します。そのオープニング式典にプラシド・ドミンゴの出演が決まったと、アラン・ガルシーア大統領が発表しました。「先日本人と話し、オープニング・リサイタルに必ず出席しますと確約してくれた。企画段階から感銘を受け、音響模型を眺めていくつかアドバイスもくれた。ワシントンのケネディー・センターの指揮者だからね。彼を迎えて国立大劇場がオープンできるのは贅沢なこと」と、すっかりご機嫌。「世界中のあらゆる劇場を参考にして多様性を追求した。世界一モダンな劇場になる」。得意満面です。
キャパは1500人。建築の様子と内部のデザイン(CG)がこちらの動画で見られます。
一ヶ月前のニュースですが、今月渡辺守章訳によるジャン・ジュネ『女中たち/バルコン』(岩波文庫)が出版されたので、そういえば、と思い出した次第。
演出家ミゲル・ナロスは今年82歳。1970年にジュネの『黒ん坊たち』 Los negros を上演しようと、オーディションで13人の黒人を選び一ヶ月稽古したものの、全員俳優としての素養がなく、やむなく計画は中止。四十年後の今年プロの黒人俳優をキャスティングして、ようやく念願が叶ったのでした。スペインでの上演史はカタルーニャ州マレズマ地方の黒人移民による実験上演のみ。
日本ではどうかしらと、上述の岩波文庫に渡辺守章が記した「年譜2 ジャン・ジュネ戯曲主要上演史」を見ると、1963年に文学座アトリエで実験上演があり、草月ホールで劇団NLTが再演。1967年に俳優小劇場で早野寿郎が演出、翻訳は篠沢秀夫、出演は小沢昭一。これくらいのようです。
劇作家サンチス・シニステーラが演劇研究の場としてバルセロナに「辺境劇場」 Teatro Fronterizo を開設したのが1977年。実験は功を奏し、官民の支援を得て、1981年に小劇場「ベケット座」 Sala Beckett を設立、カタルーニャの小劇場運動を牽引してきたのはご存じの通り。
あれから二十年以上経った今月22日(火)、サンチス・シニステーラが再び原点に立ち戻り内省するために新たな研究場所「新辺境劇場」 Nuevo Teatro Fronterizo を設立しました。当面の所在地はマドリードの下町ラバピエスにあるコルセット店 Corsetería。彼の言葉によると「スペイン全体とりわけマドリードでは演劇の研究がない。私が見る限り、社会で何かが変わったかどうかを問題として扱う舞台作品はなく、たぶんほとんど何も変わっていないのだろうと思う」「昨今の劇場はカップルの話ばかり。消費されるものしか創られない。歴史的記憶や世俗性、移民といったテーマは排除される」。
1977年当時と異なるのは、今回は官民からの援助が一切ないこと。「この三年間、公共と民間の機関にこのプロジェクトを持ちかけたが、どこに行ってもアイデアは素晴らしいが緊縮財政の今はどうすることもできないと言われた。制度も市場ももはや信頼できるパトロンではない以上、ほかの形態を模索するしかない。来年もここで活動しているか、あるいはコルセットを売ってるかも」と冗談を飛ばすサンチス・シニステーラ。筋金入りの演劇人。
ラ・リオハ州ログローニョ市のブレトン劇場が来年前半のプログラムを発表。演劇、舞踊、コンサート、映画のどれもが充実したラインナップ。
演劇ではヌリア・エスペル主演『ルークリースの陵辱』 La violación de Lucrecia (5月14日)、ルメア劇場制作、トーマス・ベルンハルト作、カルメン・マチ主演『ヴィトゲンシュタインの甥』 Almuerzo en casa de los Wittgenstein (2月19日)、劇団アニマラリオ『薄明』 Penumbra (5月7日)、フランシス・ヴェベール作『おばかさんの夕食会』 La cena de los idiotas (6月12日)。音楽ではシンガー・ソングライター、ルイス・エドゥアルド・アウテがニューアルバム『悪天候』 Intemperie のライブ。映画ではアピチャッポン・ウィーラセクタン監督『ブンミおじさん』。
先週木曜バルセロナのジョルディ・エレウ市長が発表したところによると、バルセロナ演劇学校 Institut de Teatre が二年後に創立百周年を迎えるにあたって2013年を「演劇年」に制定するそうです。その頃までにはパラレル劇場(旧エスパニョール劇場)がリニューアルオープンの予定。
劇団コルサリオの主宰者・俳優・演出家として十六世紀から十七世紀にかけてのいわゆる〈黄金世紀〉のスペイン演劇を上演し続けたフェルナンド・ウルディアレスが死去しました。享年五十九。
1951年バリャドリード生まれ。医学で学士号を取得し、七十年代からバリャドリード大学の古典劇団 TEU (Teatro Español Universitario) やコラル・デ・コメディアス、劇団テロンシーリョ(=小さな緞帳)などで活躍。1982年劇団コルサリオ Teatro Corsario を創立。1986年以降は医業をやめ演劇活動に専念、ロペ・デ・ルエダのパソス(笑劇)をベースにした『車に乗って/ルエダについて』 Sobre Ruedas ―― スペイン語で rueda は「車」「車輪」の意――や、バロック劇『パシオン』を発表。
近年は自身が発起人であり運営委員を務めたオルメド古典演劇祭に心血を注ぎ、僅か五年でスペインを代表する古典演劇祭の一つに育て上げました。最後の演出作品となったのは昨年の同演劇祭で上演したロペ・デ・ベガ作『オルメドの騎士』。数百年ものあいだ忘れ去られていたこの作品を発掘したのはフェデリコ・ガルシーア・ロルカで。『血の婚礼』は『オルメドの騎士』の翻案であり、ロルカの劇作法にはロペが開拓した悲劇のかたちが溢れ、ロルカこそスペイン最後の悲劇作家、彼の悲劇には民間伝承や民謡、舞踊といったロペ的な要素が豊富で、ロペとカルデロンから一挙にロルカに跳躍することができる、というのがウルディアレスの持論でした。
スペイン語圏22ヶ国の言語アカデミーが編纂した『スペイン語新正書法』 Ortografía de la Lengua Española がグアダラハーラ(メキシコ)のブックフェアに登場しました。
今回の改定でいちばん議論を呼んだのがアルファベットの呼称と書き方、特に y の呼び方です。スペインでは「イ・グリエガ i griega」、中南米では「ジェ ye」と呼ばれてきましたが、新正書法は「ジェ(イェ)」を推奨。ただし「イ・グリエガと呼んでも構いませんよ。長い伝統があるし」と、結局折衷案に終わりました。"z" の読み(セタ)の表記は zeta から ceta に改定。"b" はスペインでは「ベ be 」、中南米では「ベ・ラルガ be larga」とまちまちだったのを「ベ」に統一。"v" は「ウベ uve」。"w" は「ドブレ・ウ doble u」。"ch" と "ll" は正式にアルファベットから排除され、文字数は27に。
そのほか副詞の sólo や指示代名詞 éste, ésa などのアクセント記号は廃止。二重母音から成る単音節の単語もアクセント記号は廃止し、guión→guion、truhán→truhan、Sión→Sionに。元大統領や前夫など〈元・前〉を表す接頭辞 ex- はあとに続く単語がひとつの場合ハイフン廃止(ex-marido → exmarido)。二つの数のあいだに用いる「または ó」もアクセントが廃止されました。5 ó 6 → 5 o 6。従来はゼロ(0)との混同を避けるためアクセントを付しましたが、コンピューターで筆記するのが当たり前になったので不要と判断。地名に用いる q は c と k に変更、カタール Qatar → Catar、イラク Iraq → Irak。