2004年7月31日(土)
ナチョ・ドゥアト率いるスペイン国立舞踊団の新作『錆』。グアンタナモ収容所など連日マスコミで報じられている拷問がテーマだそうです。美術はイラク人建築家のジャファル・チャラビ。塀をしつらえ、ダンサーが次第にそれを拷問室に変えていくとのこと。
8月2日からバルセローナのリセウ劇場で。
ロベール・ルパージュ演出、ヌリア・エスペル主演の『ラ・セレスティーナ』。4月17日にお伝えしたとおり、9月にバルセローナ・フォーラム2004で上演されますが、10月13日から23日までバレンシアの
ナベ・デ・サグントでも上演されます。ただし改装工事中で、公演中は工事を中止、その後再開するとか。スペインではよくある話です。
そんな話はどうでもよくて、きのうのヌリアの記者会見。フェルナンド・デ・ローハスの原作は「ぞっとするほど美しい」けれど「対話形式の小説」なので舞台化は骨が折れた、カナダ人ミシェル・ガルノーの脚本は見事な出来、とのこと。
2004年7月30日(金)
グラナダ郊外フエンテ・バケーロスのガルシーア・ロルカ生家博物館が設立されて昨日で18年目。記念の催しが行われました。来館者にはロルカが夏好んで飲んだ香草入りレモネードでおもてなし。
『ドン・クリストバルの祭壇劇』初演時の衣装や幕、美術を公開。ギター・ドゥオ、アルヒーベによるファリャとマヌエル・カノの曲のコンサートも。カノはロルカが採譜した民謡を初めてギター用にアレンジした人。
ロルカの父が1880年に建てた家で、六年住んでいました。いまやグラナダではアルハンブラとシエンシアス公園に次いで三番目に人気が高いスポット。
ガルシア・マルケス『コレラの時代の恋』続報。
プロデューサーのスコット・スタインドーフはメキシコにある作家の自宅に毎日電話をかけて映画化権の獲得にこぎつけたそうですが、他にも大勢のプロデューサーがコンタントを取っていたらしく、出し抜かれるのではないか、小説の主人公のように53年と7ヶ月11日待たされるのではないかと危惧していたとか。
監督も脚本家もキャストもまだ発表されていないのに、もうすぐハリウッドで撮影が始まるというのですが、本当にトントンと話が進んでいるのだろうか。
アレハンドロ・アメナーバルの新作『沖へ』 Mar adentro がベネチア映画祭コンペティション部門に出品。スペイン語圏では唯一。アメリカとその他英語圈での配給はファイン・ライン。
2004年7月29日(木)
スペインの映画監督はCMをかなり撮ってるよというニュース。金のため、と同時に、映像実験の場。
たとえば―――
- フリオ・メデム バライ(家庭電化製品:写真上)
- イザベル・クシェット イケア(家具)
- ホセ・ルイス・ボラウ フンダドール(?)
- ビガス・ルナ フレイシェネット
- フェルナンド・アラゴン アウディ
- アレハンドロ・アメナーバル エル・コルテ・イングレス
- ビクトル・エリセ ネスカフェ、フォンテセルタ
- ゴンサロ・スアレス トリ・ナランフス
- ルイス・ベルランガ レプソル
- ダビド・トゥルエバ エバクス
- フェルナンド・コロモ ボノスIOC
- ベニート・サンブラーノ アトレティコ・デ・マドリー
- チュス・グティエレス アウソニア
- マリーア・リポイ ドド
- アレハンドロ・アメナーバル エル・コルテ・イングレス(ニコール・キッドマン主演!)
イザベル・クシェットが手がけたのはブリティッシュ・テレコムにダノン、BMW、ルノー、プジョー、ウィンストン、ケロッグなど。最新作はバルセローナのフォーラム2004。ゴンサロ・スアレスは80年代前半、5年間で300本撮っているとか。
ビリー・ワイルダーいわく、「一秒たりとも無駄にはできない。わずかな時間で多くのことを語るのだから」。
ウディ・アレンも90年代初めに Coop のCMを5本撮ったそうで、マーティン・スコセッシ(アルマーニ)、デヴィッド・リンチ(オピウム)、コッポラ(富士フィルム)、フェリーニ(ローマ銀行)、ポランスキー(ヴァニティー・フェア)など他にも大勢。リドリー・スコットやデヴィッド・フィンチャーはCM出身。
第25回バレンシア映画祭でローラ・カルドーナが功労賞を受賞。
ビクトル・エリセの『エル・スール』で少女エストレーリャの母、自殺するアグスティンの妻フリアを演じた女優です。、もともと舞台の人で出演作はアントニオ・ブエロ・バリェーホの『採光窓』や『バルミー先生の二重の物語』など50作以上。アルモドバルの『アタメ』にも出てるのよ。
バレンボイム・サイード基金のきのうセビーリャで正式に設立。調印したのはサイードの妻マリアムとアンダルシーア評議会会長マヌエル・チャベス・、ダニエル・バレンボイム、アンダルシーア州政府文化担当官ロサ・トーレス。
予算三百万ユーロ(約4億円)は今のところすべてアンダルシーア評議会持ち。スポンサーが現れたらいずれ50%まで削減するという、あやうい船出。
2004年7月28日(水)
ワンマンライブ「ウナ・ノチェ・コン・ガビーノ」が1年8ヶ月続いているガビーノ・ディエゴのインタビュー。共演したい女優はただひとり、エンマ・スアレスだというから嬉しい。ぜひ実現させてくれ。もちろんコメディーで。以下は抜粋。
- ―デビュー作の『自転車は夏のために』、あれは偶然ですか?それとも俳優になりたいと?
- 学生だったんだ。16歳で、何がしたいのかまだ自分でもよくわからない歳だよね。運じゃないかな。クラスに脚本家の息子がいて、男の子を探してるって。応募したら採用してくれた。
- ―最高の人たちと共演してきましたね。まだの人で共演したい人は?
- いつかするとは思うんだけど言いたくないんだよね、言うと運が逃げるから。女優で共演したいのはひとりだけ、エンマ・スアレス。
- ―音楽マニアだけじゃなくて今度はプロデューサーになりましたが……
- レコードを二枚プロデュースはしたけれどタイミングは最悪でね。デビュー直後のロケ・バニョスを手伝えたのはとても誇りに思ってるよ。フミーリャから出てきた男が今じゃスペインのサントラをみんな手掛けてるんだからね。すばらしいミュージシャン、いい友だちだよ。
- ―これからもプロデューサー業を?
- いや(即答)。まあ、するかも。もっと後でね。プロデュースが好きなのは、音楽からいろんなものをもらった、その恩返しができるからなんだ。でもまだ投資を回収していないし、もう海賊版が出回ってるんだからたまらないよ。
- ―ハリウッドに進出したいとは思いませんか?
- スペインで充分。ハリウッドなんてラクショーだろって人は思ってるけど、向こうで仕事をするのは大変だよ。甘えが許されない。ペネロペ・クルスのことをあれこれ言うのには頭にくるね。すごいよ、彼女のキャリアは。
- ―舞台と映画ではどちらがお好きですか?
- 舞台。お客さんとのコンタクトが好きなんだ。
ロバート・ウィルソン演出『プロセルピナ』に出演した我が愛しのエンマ・スアレスのインタビュー。以下は抜粋。
- ―キャスティングが発表されたのはついこの間でしたね。短期間の役作りは疲れませんか?
- ええ。決まったのがいつだったのか、はっきりとは知らないんです。先月かそこらね。たしかにきつかったわ。
- ―ボブ・ウィルソンと仕事をすると知ったときはきっとご褒美のようなものだったのでは……
- 本当のことを言うとご褒美はメリダで演技できることでした。ボブ・ウィルソンと仕事をするということは、ここの舞台に立つということですから。ウィルソンとの仕事は私にとってまったく新しいこと。彼の舞台は一度も見たことがなくて。最初に見たのは『ガリーゴ』で、マドリードの楽日だったんですけど、そこで知り合ったんです。舞台装置にとても惹かれました。
- ―舞台を離れて何年になりますか?
- 実はね、あまり経ってないんです。去年『女中たち』をやって今年がこれ。舞台は楽しいわ。
- ―この作品に参加したいと思った一番の理由は?
- 『ペルセフォネ』の企画は女優として最初からずっと冒険でした。冒険というのは、とても斬新な舞台、今まで私がしてきたのとはかなりちがう舞台に立つという意味で。メリダも初めてですし。全員外国人のカンパニーも初めて。インドネシアにイタリア、フランス、アメリカ……。スペイン人は私だけなの。だから仕事のリズムもずいぶん違います。しかもこの作品は音楽とダンスと演劇がミックスされた絵のようなものなので。
- ―女優としての責任も重くなりますね。
- 責任はいつも感じますよ、役作りの時間とは関係なく。運がよかったと思うのは今回のカンパニーのやり方が特殊だったことです。毎日何時間もの稽古が二、三ヶ月続くなんて、ふつうはないですからね。今までとはまったく違いました。決まったパターンを何度も練習して、そこから俳優が自分なりに組み立てていくんです。そうやって残りのメンバーとの調和と均衡をはかっていく。でも俳優の自由と即興は完全に尊重されていました。
- ―ペルセフォネの神話を語る詩人という、不思議な人物を演じていますね。演じていちばん魅力的だったことはなんですか?
- 声の存在感が大きいこと、テキストより大事と言っていいくらい。細かいニュアンスや声色がなにより重要なんです。演技についてはまったく自由にやりました。決められた規則に従う必要もなくて。こうしようと自分が思ったときにする、その連続でしたね。
『コレラの時代の恋』続報。
プロデューサーのスコット・スタインドーフがメキシコ「ラ・クロニカ」紙のインタビューに応えて、キャストは決定済み、脚本はガルシア=マルケス本人が書く可能性ありとのこと。
2004年7月24日(土)
メリダ古典演劇祭の目玉、22日のロバート・ウィルソン演出『プロセルピナ』。エストレマドーラのエル・ペリオディコ紙記者ハビエル・アルバレス・アマーロの評によると、絶えず変化する照明の妙はいいが後半になるとドラマのリズムが失われた、なんとか観るに堪えたのはエンマ・スアレスの多彩な声のおかげとのこと。
第52回サン・セバスティアン映画祭。オープニングはウディ・アレンの "Melinda and Melinda"。アレン映画全作のレトロスペクティヴで特別表彰する予定。9月17日から26日まで。
2004年7月23日(金)
ボリビアの劇団ロス・アンデスの新作『アイキレ地震』。22日から25日まで、ラパスのアルベルト・サアベドラ・ペレス劇場で。一幕劇。1998年5月22日にアイキレとトトラ、ミスケ近郊を襲った大地震の様子と、三千万ドルの義援金を着服した行政の腐敗を描く作品。
出演はルーカス・アチリコ、ダニエル・アギーレ、ゴンサーロ・カジェーハ、アリス・ギマラエス。作・演出はサセル・ブリエ。九月にはバイヨンヌ国際演劇祭、十月にはカディスの中南米演劇祭に参加。
ガルシア・マルケスの小説『コレラの時代の恋』が映画化されるようです。プロデューサー、スコット・スタインドーフが作家の代理人カルメン・バルセルスから映画化権を獲得。推定三百万ドル。
スコット・スタインドーフの製作会社ストーン・ヴィレッジは今後トム・ハンクス主演 "The risk pool"、同じくトム・ハンクス主演で黒澤明の『生きる』をリメイク(!)、ケヴィン・コスナー監督・主演の "Modoc" を製作する予定。
2004年7月22日(木)
きのう荼毘に伏されたガデス。キューバで散骨されます。
「臨終後は誰の目にも触れさせないように」という遺言に従って、遺体はきのうマドリードのアルムデーナ大聖堂に運ばれ、立ち合ったのはキューバの外交官二名のみ。
生地エルダ市は9月11日のカステラール劇場百周年記念とあわせて追悼行事をおこなう予定。
マドリードの映画館グランビーア劇場 Cine Gran Vía がストレートプレイと舞踊の劇場に生まれ変わります。もともと劇場だったので元に戻るということ。夏に改修工事を済ませ秋にリニューアルオープンの予定。
2004年7月21日(水)
エル・ムンド紙が集めたガデス語録。
- 政治
- 「イラクのクエート侵攻は結果的に国家間の秩序を崩壊させた。キューバが迫害を受けているのもやはり侵攻への口実かも知れない。こうした事態にわれわれは国家主権という普遍的な原則、国家が正しく共存するのに不可欠な領土保全と自治権の尊重という普遍的な原則をもって対抗する」
- フィデル・カストロとの友情
- 「わたしが革命の理想とするものはわれらが総司令官のおかげで再確認された。『われらが』というのは、フィデルは特定の誰かのものでもなく、人類の遺産だからである」
- 「自分を芸術家だと感じたことは一度もない。オリーブグリーンの軍服を着てライフルを握りいつも彼の命令に従う一介の軍人でしかない。
- 死
- 「死について考えたところで命を奪われるわけではない」
- 舞踊
- 「舞踊の才能に衝き動かされたことは一度もない。飢えだ」
- 「わたしは舞踊を表現手段として使っている演劇人である」
- 「自分は労働者だと思っている。芸術家でもなければ誰かの師匠でもない」
- 「舞踊家は足で踊るのではなく頭で踊る。そして知識はどんなにあっても足りない」
- スペイン国立バレエ団
- 「とてもいい経験をした。ゼロからのスタートだったけれど、首になったからそれ以上のことはできなかった」
- 病気
- 「死んでつらいのはただひとつ、踊れないことではなく、もう二度と船を操縦できないことだ」
- 「行きつく先はオリンポス山ではなく刑務所だと、生まれてからずっと思ってきた。生まれる許可を求められたことはないから、死ぬ許可を求めるがいい」〔下線部はちょっと意味がわからない。わかり次第修正します〕
- 金
- 「金に興味があるのは自由な時間が買える時だけ。航海と旅だ」
アントニオ・ガデスがマドリードのグレゴリオ・マラニョン病院で逝去。享年67。「キューバの朋友だった」とこの記事は伝えています。
先月キューバ政府最高の栄誉であるホセ・マルティ勲章を受章したばかりで、受章後ガデスはカストロを「人類の遺産」と称えました。
2004年7月12日(月)
エウセビオ・ポンセラが九年ぶりに舞台に復帰。アルモドバル監督の『欲望の法則』の主人公、『マタドール』で刑事を演じたあの俳優です。アルマグロ古典演劇祭の『マクベス』。21日から25日まで。演出のマリーア・ルイスは二年かけて彼を説得したそうです。
舞台デビューは『マダム/サド』とありますが、バイオグラフィーによっては『マリアナ・ピネーダ』だったとも。1970年に『ロミオとジュリエット』に主演。ここには書かれていませんがパブロ・ネルーダ版だったそうで、酷評だったようです。
九年前の舞台はアントニオ・ガラ作、ミゲル・ナロス演出の『眠れる森の美青年』。
2004年7月9日(金)
1月18日に紹介したデヴィッド・ヘア作 "The Breath of Life"。
昨夜のリスボン公演終了後の記者会見でアンパロ・リベルが現役引退を表明。「"The Breath of Life" は私へのプレゼント。毎晩が楽しみ、何度演じても飽きない。でもこの作品で演劇とはお別れです」。
「長年女優をやってきたけれど、この歳になるとふさわしい役はそうそう見つかるものじゃない」「わくわくするような役に出会えたら、演じる力が残っていればやるかも知れない。そうでなければ今回できっぱり辞めます」
「完全に引退するのは無理」と共演者のヌリア・エスペル。「舞台に立っても立たなくても舞台女優は死ぬまで女優。生き方なんです」。
本名アンパロ・リベル・ラドロン・デ・ゲバラ。父は俳優のラファエル・リベル、母は女優のマリーア・フェルナンダ・ラドロン・デ・ゲバラ。
2004年7月8日(木)
5月21日にお伝えしたマラガの演劇学校「みなと劇場」。アントニオ・バンデーラスはニューヨークのアクターズ・スタジオの参加を希望、共同設立者の劇作家ミゲル・ガリェーゴによるとスタジオも「関心が高い」とのこと。アクターズ・スタジオのヨーロッパ進出がマラガ経由で実現するかもしれません。
3日の続報。マドリード王立劇場で再演される『トスカ』のメンバーがきのう臨んだ記者会見での写真。
トスカはアフリカ生まれのベルギー人イザベル・カバトゥ(前列右)と、カリフォルニア・サンディエゴ生まれのキャロル・ヴァネス(前列左)のダブルキャスト。中央は演出のヌリア・エスペル。
マリオはフランコ・ファリーナとニコラ・ロッシ・ジョルダーノ。スカルピア男爵はイタリア人レナート・ブルソンとアメリカ人ジェイムズ・モリスのダブルキャスト。
2004年7月6日(火)
アンヘル・フェルナンデス・サントス逝去。スペインでただひとり信頼できる映画批評家でした。『ミツバチのささやき』のシナリオも素晴らしかった。
スペイン映画アカデミーがアントニオ・バンデーラスに金章(功労賞)授与を決定。「国際的なキャリアを通じてスペイン文化の普及に貢献した」のが理由。1986年に始まった章で、これまでの受賞者はビセンテ・カサノバ、フェルナンド・レイ、カルロス・サウラ、フランシスコ・ラバル、アルフレード・マタス、アナ・ベレン、サラ・モンティエル、エリーアス・ケレヘータ、ヒル・パロンド、ホセ・ルイス・ボラウ、フェルナンド・フェルナン=ゴメス、カルメーロ・ベルナオーラ。去年はコンチャ・ベラスコ。
一段落目の冒頭にあるとおり、本名はホセ・アントニオ・ドミンゲス・バンデーラス José Antonio Domínguez Banderas。
2004年7月3日(土)
第50回メリダ古典演劇祭が一日開幕。オープニングはロバート・グレーヴズ原作、ホセ・ルイス・アロンソ・デ・サントス翻案の『この私、クラウディウス』。主演の名優エクトール・アルテリオの演技に共演者は霞んだそうです。
マドリード王立劇場で1月に上演された『トスカ』が再演。今月10日と12日-16日。指揮マルコ・アルミリアート、演出ヌリア・エスペル、美術エツィオ・フリジェリオ、衣裳フランカ・スカルチアピーノ。『エリザベス』のスタッフです。ライモンディは出ないようで、料金もぐっと抑えて6.5ユーロ(約867円)から60ユーロ(約8,000円)。