舞台通信

 help

2010年11月25日(木)

ビクトル・エリセ「美しい映像ではなく必要な映像を撮ることが大事だと映画は教えてくれた」
Erice: «El cine me enseñó que no es clave hacer imágenes bellas, sino necesarias»

アストゥリアスの地元紙ラ・ヌエバ・エスパーニャの記事。今月19日から27日まで開催されたヒホン国際映画祭。23日の深夜、ビクトル・エリセを扱ったドキュメンタリー『ビクトル・エリセ パリ-マドリード ラウンドトリップ』 Víctor Erice París-Madrid, allers-retours が上演され、上演後エリセ本人が観客を交えてアフタートークを行いました。『ビクトル・エリセ パリ-マドリード ラウンドトリップ』はフランス人批評家アラン・ベルガラが制作したエリセ回顧のドキュメンタリー。エリセは今年70歳。

ヒホンの映画館シネス・セントロの5番館で上演され、上演中エリセはメインホールで映画祭ディレクターらと歓談して時間をつぶし、終演後5番館に登場。スクリーンの前に坐りアフタートークに臨みました。

彼が映画から教わったのは「美しい映像ではなく必要な映像を撮るのが大事だということ」。映像が反乱する現在については「テレビや新たなテクノロジーによってひとりの人間が一日に受取る映像の量は信じがたいほど多い。そのせいで私たちの習慣のいくつかが失われ、よりグローバルな習慣に変わってしまった」。その例として『テン・ミニッツ・オールダー』の撮影秘話を紹介。「『テン・ミニッツ・オールダー』では私が子供の頃に見た伝統的な畑の刈入れ方法を撮影するのにリャネスの村に行かなくてはならなかった。一種の考古学だ。時間をカメラで捕えるために映画は考古学を利用する」。

「芸術としての映画は産業とみなされると矛盾に陥る、しかし産業は映画のバイタリティーの源泉でもある」。文学や絵画、音楽に較べて「映画はそれらより遅れてやって来た分野であり、それらを利用する分野」。エリセの世代――1940年生まれ――は「映画史の重みに立ち向かう最初の世代であるという重圧があった。偉大な作家たち、現在用いられる用語の多くを発明した先人たちを意識しなくてはならなかった。新人作家にはもうそういうプレッシャーはない」。

2010年11月17日(水)

フラメンコと「人間の塔」、ユネスコ無形文化遺産に認定
El flamenco y los 'castells', Patrimonio de la Humanidad de la UNESCO

ナイロビで開催中のユネスコの委員会で新たな世界文化遺産が決まりました。スペインは五つの候補すべてが登録。一つ目はフラメンコ。二つ目はマリョルカ島の典礼劇「シビラの歌」 Cant de la Sibil·la / Canto de la Sibila。中世のヨーロッパに広く行われた宗教劇で、マリョルカ島に伝わったのはキリスト教徒による征服が完了した1229年。毎年12月24日の夜、島のすべての教会で上演されます。シビラ sibila は「巫女」「女預言者」のこと。三つ目はカタルーニャの伝統行事「人間の塔」(カステイス castells)。

残りの二つは他国との共同立候補で、まず四つ目が地中海料理 Dieta mediterránea。スペインとギリシア、イタリア、モロッコが推しました。五つ目は鷹狩り。こちらはスペインのほかにアラブ首長国連邦、ベルギー、チェコ共和国、フランス、韓国、モンゴル、モロッコ、カタール、サウジアラビア、シリアが申請しました。

2010年11月16日(火)

イタリアの劇場、アルモドバルの虜に
El teatro italiano se rinde a Almodóvar

今月初日を迎えたブロードウェイ版『神経衰弱ぎりぎりの女たち』は酷評の嵐、でもアルモドバル本人は企画そのものにほとんどノータッチなので機嫌は損ねていないようです。で、この記事はイタリアで始まった舞台版『オール・アバウト・マイ・マザー』。ヴェルディのオペラ上演で有名なパルマ市のレジオ劇場。三時間に及ぶ長い芝居にもかかわらず客席は若者と女性で満席。出来もすばらしいそうです。

初めて舞台化されたのはケヴィン・スペイシーが芸術監督を務めるロンドンのオールド・ヴィック劇場で、サミュエル・アダムソンがシナリオに忠実な台本を手がけました。今回のイタリア語版はヴェネツィアのゴルドーニ劇場で初日の幕を開けました。発案者は女優エリザベッタ・ポッツィ。映画でセシリア・ロスが演じたマヌエラ役に扮します。Teatro DUE 財団とカルロ・ゴルドーニ・ヴェネツィア市立劇場の共同制作で、パルマ公演のあとは今日からローマのエリゼオ劇場、その後イタリア国内を巡演。映画でマリサ・パレーデスが演じたウマ・ロホ役にはアルヴィア・レアーレ、アントニオ・サン・フアンが名演技を見せたアグラード役には性転換者のエヴァ・ロビンス、ペネロペ・クルスが演じた尼僧ロサ役にはシルヴィア・ジュリア・アメンドーラ。

2010年11月13日(土)

【訃報】映画監督ルイス・ガルシア・ベルランガ、89歳
Luis García Berlanga fallece a los 89 años

エル・パイスの速報。『ようこそ、マーシャルさん』 Bienvenido Mister Marshal(1953年)、『死刑執行人』 Verdugo(1963年)、『プラシド』 Plácido(1961年)で知られる映画監督ルイス・ガルシア・ベルランガが今朝午前5時、マドリードの自宅で永眠しました。享年89。晩年はアルツハイマー病を患っていたそうです。

記事中の受賞歴に「19890年国民映画賞」とありますが、「1980年」の誤りです。

2010年11月4日(木)

映画史上初のトーキーはスペイン語だった
La primera película sonora era española

EFE通信社配信によるエル・パイス紙の記事。

史上初のトーキー映画は『ジャズ・シンガー』(1927年)というのが定説ですが、その四年前に撮影されたトーキーのフィルムがアメリカ議会図書館で発見されました。〈コプラの女王〉と呼ばれたスペイン人歌手コンチャ・ピケール Concha Piquer の歌と踊りを記録した11分間の短篇。当時17歳のコンチャがアンダルシアのクプレやアラゴンのホタ、ポルトガルのファド(Ainda mais)などを披露しているそうです。監督は発明家リー・ド・フォレスト Lee De Forest。今夜10時スペイン国営放送第2チャンネルの番組「必見」 Imprescindibles でドキュメンタリー「コンチータ・ピケール」が放送され、そのなかで実際のフィルムが紹介されるようです。

初公開は1923年ニューヨークのリヴォリ劇場。ただし従来のピケール評伝ではド・フォレストが自身の発明〈フォノフィルム〉をスペインに売り込みに来た1927年を製作年とみなしてきました。

フィルムの発見者は今夜のドキュメンタリー番組の脚本を手がけたアグスティン・テナ。テナはたまたま Internet Mobie Database(IMDb)でこの映画を調べたところフィルムの版権が1923年であることに気づき、八十代のアメリカ人蒐集家――プブリコ紙の記事によると Alexander Zouhary という人物――がかつて所有し、後にアメリカ議会図書館に寄贈したことを突きとめ、今年の初めに実物を発見。議会図書館は今夜のドキュメンタリー番組の制作会社に版権を譲り、フィルムのコピーを一部スペインのフィルモテカ(フィルムセンター)に送るとのこと。

同じくプブリコ紙によると、ド・フォレストは1927年にスペインで国王アルフォンソ13世とビクトリア・ウエヘニア王妃のための特別上映会を催し、同年バルセロナの映画館で二三日一般公開したそうです。

2010年11月3日(水)

「21世紀のメデイア」ブランカ・ポルティーリョ、メリダ古典演劇祭ディレクター就任へ
Blanca Portillo, la Medea del siglo XXI, dirigirá el Festival de Teatro de Mérida

女優、演出家、プロデューサーとして大活躍のブランカ・ポルティーリョ。きのう紹介した記事で〈ヌリア・エスペルの後継者〉としばしば呼ばれる彼女の話題がありましたが、そのポリテーリョが制作者チュサ・マルティンとともにメリダ国際演劇祭の共同ディレクターに就任します。きょう正式発表の予定。前任者のフランシスコ・スアレスはきのう付で退任。ポルティーリョは去年の第55回メリダ国際演劇祭に『メデイア』(演出 Tomaz Pandur トマシュ・パンデュール)で初参加。記事タイトルの「21世紀のメデイア」は、このフェスティバルが1933年にマルガリータ・シルグが『メデイア』を演じて開幕したことを踏まえています。

記事の後半は彼女のプロフィール。1963年マドリード生まれ。王立演劇大学(RESAD=Real Escuela Superior de Arte Dramático)で学び、1999年に演劇集団アバンセ(Avance Producciones Teatrales)を設立、多くの作品で制作・演出・出演を担当。

仕事を共にした演出家はホセ・ルイス・ゴメス(ロルカ作『血の婚礼』、ホセ・サンチス・シニステーラ作『裏切り者、ロペ・デ・アギーレ』)、ホセ・パスクアル(デヴィッド・マメット作『オレアナ』、ブレヒト作『第三帝国の恐怖と悲惨』、マメット作『ボストン結婚』 Boston marriage、アルバロ・デル・アモ作『スモ』 Zumo)、ミゲル・ナロス(ペーター・ヴァイス作『マラー/サド』)、デニス・ラフター(カルデロン作『戯れに恋はすまじ』)、セルヒ・ベルベル(エンリケ・ハルディエル・ポンセラ作『父なるドラマ、母』)、マネル・ドゥエソ(アニエス・ジャウィ&ジャン=ピエール・バクリ作『家族の気分』)、アンドレス・リマ(フアン・マヨルガ作、劇団アニマラリオ『ハーメルン』)、ホルヘ・ラベーリ(トニー・クシュナー作『スラブ人』、カルデロン作『風の娘』、スティーヴン・バーコフ作『デカダンス』)、ホセ・カルロス・プラサ(ブライアン・フリール作『アフタープレイ』)、トマシュ・パンデュール(『バロック』『ハムレット』『メデイア』)など。

映画ではハビエル・バラゲール、ホセ・マリア・ゴエナガ、マヌエル・ゴメス・ペレイラ、ピラール・ミロー、フェルナンド・コロモ、マリオ・カムス、ペドロ・アルモドバル、マルコス・カルネバーレ、ディアス・ヤネス、グラシア・ケレヘータ、ミロシュ・フォアマンなどの監督作品に出演。

これらの作品での出演料の大半はメディアがあまり取り上げないマイナーな若手演劇人の舞台制作に出資。アルモドバル監督『ボルベール〈帰郷〉』でサン・セバスティアン映画祭優秀女優賞〈銀の貝殻〉とカンヌ映画祭最優秀女優賞(六人全員共同)など受賞歴多数。

2010年11月2日(火)

ヌリア・エスペル「引退を決めるのは記憶」
'Nos jubila la memoria'

エル・ムンド紙によるヌリア・エスペルのインタビュー記事。話題は公演中の『ルークリースの陵辱』から将来の夢へ。

――長年温めてきたプロジェクトですね。
ええ、まだ若かったころに読んでとても感銘を受けて、[頭を指し]このコンピューターのどこかの区画に残ってたんです。その三十年後に、すばらしい朗読会ができそうだと思いついて、そして今、朗読ではなく本物の芝居にすることができたの。若い人たちの協力が得られて本当にありがたいです。
――演出には昨シーズン『上演前の作品』で大成功を収めたミゲル・デル・アルコを抜擢しました。あの作品での成功がきっかけ?
あの舞台は堪能しました、でも契約はその前に済ませていたんです(笑)。友人の女性があの作品の稽古を見て、俳優との接し方がよかった、感情の扱い方がとても深かったと褒めていたので、それで電話したの……。お定まりではない芝居にぴったりな人だと思いました、新しい道を拓いてくれる人だと。
――新しいスタッフに囲まれるのは良いこと?
ええ、今までずっとそうしてきたし、最後までこのまま行くでしょうね。才能と人間性です、大事なのは……。
――『ルークリースの陵辱』は複数の登場人物がいる劇詩で、全ての人物を演じ分けますが。
ええ、大変な心理的努力を必要とします。凌辱する男、ルクレティア(ルークリース)、その夫というふうに、一人ひとりの感情に全身をひたすことになるので。腹話術みたいに声を変えて演じるのではなく、それぞれ異なる心を理解するんです。
――これほど過酷な稽古は『女中たち』以来と伺いましたが……
四五時間続けるのは慣れていますが、頭にとっては大変な作業で、体はそうでもないの。今は二時間半稽古してもうヘトヘト。家に帰ればバタンキューで翌日まで眠ります。
――長いキャリアで今さら何かを証明する必要がない中での新たな挑戦です。俳優を続ける原動力は?
同じような質問をプラシド・ドミンゴにしたことがあるわ。気持の高揚が原動力ですって。いい答えね。私にとっては狂おしい熱情が生理的欲求と関係しています。
――政府が退職年齢を引上げてもエスペルさんには関係なさそうですね……
そんなことないわよ。きつい仕事や堪え難いほど単調な仕事をする人たちにとってどんなに大事な問題か分かってますから。俳優が引退するのは記憶がそうさせるとき。しっかりしていれば、どんな年齢でもそれにふさわしい役はあるわ。
――ロルカ抜きのキャリアは想像つきますか?
いいえ。本当にロルカのおかげでここまで来たので……。『イェルマ』が私に世界への扉を開けてくれました。演出家としてお呼びがかかったのは私をいい演出家だと思ったからじゃなくて、私ならロルカを理解していると思ってくれたからなんです。
――今の年齢に達して、まだ他にやりたい役は?
いえ、特に『ルークリースの陵辱』の後はもう……。昔からやりたいことは全部やってきました。マクベス夫人とかヘッダ・ガブラーとか、すばらしい役をいくつかやり残したけど、全てを手に入れるのは無理よね。
――ハビエル・カマラはキャリアを選ぶのではなく、キャリアが人を選ぶのだと言います。賛成ですか?
ええ、二十歳のときにはもう舞台経験が豊富だったし、映画もたくさん撮りました。でも両腕をすぐに広げてとても寛大に私を包んでくれたのは舞台でした。あっという間の出来事だったの。『ジジ』(『恋のてほどき』)をやったかと思うと次の日は『メデイア』……。ほかのやり方を選んでいたら映画の仕事も平行してできたかも知れないけど。
――もっと映画に出演できなかったのは後悔している?
とんでもない。お話はたくさん頂いて全部断ったんです。映画は好きじゃないの、スクリーンに映る自分を見たくない、没頭できないの……。舞台では知性と愛情をフルに生かして仕事ができる。映画の中の私はただ仕事をする一人の人間に過ぎないの。
――撮影カメラは女性に対して不公平?
ええ、グレンダ・ジャクソンも言ってました。カメラは男を好むのよね、年をとっても。
――それで整形手術を?
ええ、まあ。鼻とか整形したところはあります。たいていの人は隠しますけどね、偏見とマスコミを恐れて。でも利点ですよ、自分自身に対してよい精神状態を長く保てる。お酒やセックスと同じで、ほどよく使えばすばらしい(笑)。
――後継者としてブランカ・ポルテーリョの名前がよく挙げられます。同感ですか?
ブランカはすばらしい女優。でも、この国にとってラッキーなことに、彼女だけではありません。ビッキー・ペニャやグロリア・ムニョスにもいつも感心させられるの。スペインにはすぐれた女優が大勢います。男優もいますが数は劣る。男より我々女のほうがいい俳優になりやすい。そういう性質があらかじめ備わっているのでしょうね。

ヌリア・エスペル「やり残した課題はマクベス夫人」
Nuria Espert: "Mi asignatura pendiente es Lady Macbeth"

今月もヌリア・エスペルの記事でスタート。EUROPA PRESS 配信によるガリシア民報 Correo Gallego の記事です。

明後日4日からエスパニョール劇場(マドリード)で『ルークリースの陵辱』公演が始まります。今年75歳のエスペルにとっての「未履修科目」はマクベス夫人。「私に打ってつけの役」。共演者と演出の希望も具体的で、共演者はジョゼップ・マリア・フロタッツかジョゼップ・マリア・ポウ、またはホセ・ルイス・ゴメス。演出はロベール・ルパージュ。いつか観てみたい。