マドリードの演劇祭フェスティバル・デ・オトーニョ・ア・プリマベーラ(秋から春の演劇祭)新ディレクターにテアトロ・デ・アバディーアの演出助手カルロス・アラードロが選ばれました。前任者のアリエル・ゴルデンベルグは十五年間ディレクターを務めて退任。最後の作品はピーター・ブルックの『バトルフィールド』。選考委員会のメンバーはフアン・マヨルガ(劇作家)、ジュアン・マタボスク(王立劇場芸術監督)、アイーダ・ゴメス(振付家)、スシ・サンチェス(俳優)、ルイス・アルベルト・デ・クエンカ(詩人)、カルロタ・フェレール(俳優、演出家)の六人。
カルロス・アラードロは王立劇芸術高等学院(RESAD: Real Escuela Superior de Arte Dramático)で学び、2001年からテアトロ・デ・アバディーアの演出部に所属しホセ・ルイス・ゴメスの右腕として経験を積みました。2009年からアルカラ・デ・エナーレスのコラル・デ・コメディアスの芸術監督を務めてきました。
今月14日、マドリードのフィルモテカでブニュエルが監修した映画『ベルナルダ・アルバの家』が上映されます。上映は一回限り。「1982年にメキシコで撮影された」と記事にありますが、フィルモテカの資料によると製作は1980年。ロルカの遺族と結んだ契約ではブニュエルが監督することが明記されていたにもかかわらず、健康状態がすぐれなかったせいか、あるいはやる気を失ったのか、ブニュエルはメガホンをグスタボ・アラトリステに譲り、契約違反のため公開は不許可になりました。ブニュエルは撮影現場にはしばしば足を運んだそうです。その後フィルムは散逸しましたがコピーが発見され、今回の上映に至りました。ベルナルダを演じるアンパロ・リベリェスとアデーラ役のラウラ・セペーダはスペイン人。その他のキャストはメキシコ人。
昨日マドリードのテアトロ・デル・カナルで『バトルフィールド』を上演したピーター・ブルックのインタビュー記事です。インタビュアーはエル・パイス紙のアウロラ・インツァウスティ記者。
- ――二十世紀最高の演出家とみなされていますが。
- 若い人たちに助言を求められるたびにいつも、人の言うことは信用するなと言います。わたしも自分が最高の演出家だとは思いません。いまの時代はあらゆるものが商品として売るための値札を貼られる。最高の演出家というのは値札です、重要なことではありませんし、わたしには何の助けにもならない。人が何かを見たいと思うのはそれに興味があるからで、それを共有するのです。香水や女性の服はもっと売れるようにスローガンが付与される。わたしの唯一の興味は自分の仕事を他人と共有することです。
- ――人間は絶えず争い続ける動物です。『バトルフィールド』のテーマはまさにそれで、舞台で表現されました。
- 人間とは何者か、どんな可能性を秘めているのかは誰にもわかりません。我々はみんな子ども向けのパズルのような断片です。それぞれのピースはユニークですが、重要なのは全体へと至ることです。現在の我々が抱えている深い問題はすべて人類が最初に抱えた問題と同じです、何百年も昔に。世界の主要な作品、『マハーバーラタ』やクルアーン、聖書は世界のさまざまな国々におけるさまざまな文化に属しており、かなり似た物語を異なるやりかたで語っています。
- ――三十年以上も前に大成功をおさめながら再び『マハーバーラタ』に戻った理由は?
- のちに書かれたあらゆるものよりも豊かな作品というものがごく少数ですが存在するのです。インドでは、この叙事詩に書かれていないものはどこにも存在しないと言われています。同じことをキリスト教徒もイスラム教徒も口にする。永遠と現在が出会う地点が存在するのです。スペイン人とイギリス人はカルデロンとロペ・デ・ベガ、セルバンテス、シェイクスピアを読む機会に恵まれたので出会えました、これらの作品は一見すると異なるように見えますが中身は等しい。
- ――演劇において魔法の瞬間はいつ生まれるのですか。
- 演劇は何ヶ月も、あるいは何年もかけて準備を行なった大勢の人たちと、何かを受けとりたいと願う観客の出会いの場ですから、物語と人物が観客の心に届いたときにその特別な瞬間が訪れます。レストランが提供してくれるものと比較してもいいでしょう。テーブルについた客は料理が運ばれてくるとそれがおいしい料理かそうでないかを見分けることができます。製品が上等かそうでないかを完璧に見分ける。神秘は仕事の生命です。
- ――九十一歳になり、人生のほとんどを舞台で過ごしてこられましたが、どうしてあちこちの国で公演をするのですか。
- 恵みの瞬間を生きるためです。
- ――よい作品が生まれるのは平和よりも戦争ですか。
- 演劇にはモノローグがありますが、わたしは興味がありません。二人の人間が出会って困難が生まれる、お互いに理解し合いたいという気持ちはあるのに二人を対立へと向かわせる無数の理由が隠されている。わたしにとってこれが演劇の存在理由です。人物たちが仲よくやっている芝居を見るとそこで終わってしまう。
- ――人間を理解するための基本的な作品として聖書とクルアーン、『マハーバーラタ』を挙げられましたが、これらの書物に書かれたことを極端に解釈する人たちがいます。
- 原理主義はキリスト教で始まりました、それは人間の歴史の一部分をなすプロセスです。人生の動きに逆らうものだということを我々は知っていますし、我々も異端審問で同じ経験をしました。