スペイン文学国家賞の劇文学部門でホセ・ラモン・フェルナンデスが受賞。受賞作は昨年上演された『科学の巣箱とネグリンのカフェ』 La colmena científica y el café de Negrín。ロルカ、ダリ、ブニュエルが一時期共に暮らしたことで有名なマドリードの〈学生館〉 Residencia de Estudiantes が昨年創設百周年を迎えたのを記念する作品。今から百年前、スペインにおける科学の発展をめざしてサンティアゴ・ラモン・イ・カハルと館長のアルベルト・ヒメネス・フラウが〈学生館〉に研究所を開設。のちにノーベル賞を受賞するセベロ・オチョアを輩出した生理学研究所の所長はフアン・ネグリンで、彼のもとには教育学者のアンヘル・リョルカや画家で詩人のホセ・モレーノ・ビリャなどが集まり、コーヒーを飲みながら談論風発しました。当時の人間模様を描いた作品です。
スペインは財政難に金融危機で失業率が22%を超え、11月20日の総選挙では与党の社会労働党が大敗、野党の国民党が圧勝しました。経済危機が劇作家に及ぼす影響についてフェルナンデスは「創作には何の問題もない。唯一の問題は不払い」と答えます。全国各地で公演しても自治政府が財政難のためスタッフや出演者のギャラが不払いになることしばしば。
女優マリア・ヘスス・バルデスが先週11日、マドリードで死去。享年八十二。
スペイン演劇界のビッグネームである彼女は常々「わたしは三つの人生を歩んだ」と口にしました。第一の人生は四十年代から五十年代にかけて。シェイクスピア、ロペ・デ・ベガ、カルデロン、ソポクレスといった古典からエムリン・ウィリアムズ、グラハム・グリーン、J・B・プリーストリー、ハイメ・サロム、アルフレード・マニャス、ジャン・アヌイ、ピーター・ユスティノフなど現代作家の作品まで幅広く出演。マドリードのエスパニョール劇場初の専属女優となり、その資質を高く評価した劇作家ブエロ・バリェーホは彼女のために戯曲『夢を織る女』 La tejedora de sueños(1952年初演)を書下ろしました。この頃から彼女は名字に定冠詞をつけて〈ラ・バルデス〉 La Valdés と呼ばれるようになります。1953年、マリア・ゲレーロ劇場初の専属女優になり、その数ヶ月後、長年の夢だった自身の劇団を創立。創立メンバーは演出家ホセ・ルイス・アロンソと俳優のヘスス・プエンテ、アリシア・エルミーダ、マリア・ルイサ・ポンテ、フリエタ・セラーノ、アグスティン・ゴンサレス、フランシスコ・バリャダレス。
第二の人生が始まったのは五十年代末。女優としての名声が絶頂に達した時期にフランコ将軍の主治医ビセンテ・ヒルと結婚。夫が他界するまで三十年以上苦楽をともにしました。この時期のことは親しい友人にさえ一切口にしませんでした。
未亡人となった八十年代に、俳優で演出家のアドルフォ・マルシリャックに声をかけられ古典劇学校で教鞭を執り始め、ひっそりと演劇活動を再開。1991年に出演したアレハンドロ・カソーナ作『暁の婦人』 La dama del alba もほとんど話題になりませんでした。彼女自身が認めた本格的な舞台復帰第一作は以後親友になったヌリア・エスペルと1994年3月に共演したホセ・サンチス・シニステーラ作・演出の『レニングラード包囲戦』 El cerco de Leningrado。その後はデュレンマット作『老婦人の訪問』、『セールスマンの死』、アラバール作『恋文』 Carta de amor などに出演。カリスト・ビエイト演出による『ベルナルダ・アルバの家』では女性的で官能的なベルナルダを演じました。
訃報に接した親友のヌリア・エスペルはインタビューに応じてこう述べています。共演を果たした『レニングラード包囲戦』を述懐して、「彼女は天才的としか言いようがなかった。自分の劇団を創立してスペイン演劇界で重要な仕事をした時期の彼女は見ていなかったので、私にとっては喜びであり驚きでもあった。本当に彼女の仕事をはっきり見たのは『レニングラード包囲戦』で、桁外れの人でした。あれほどモダンで賢くてクレイジーなユーモアの持主を舞台で見たことはなかった。毎回の上演がひとつのレッスンでした」。「若くして演劇界の大人物になり、長いあいだ舞台から姿を消しスペイン演劇界に大きな空白を残した。でもカムバックを果たした時、彼女の椅子は空席のままだったの。その席に坐れる人はいなかったのよ」。
四十年間にわたって劇団ラ・クアドラを主宰してきたサルバドール・タボラ。今日アリカンテで開催される第19回現代作家スペイン演劇フェア(XIX Muestra de Teatro Español de Autores Contemporáneos)で長年の功労を顕彰されます。同時に同市のプリンシパル劇場で『ラフェアル・アルベルティ』を上演。
フェリーぺ五世がフランスから持ち帰った六千冊の本の維持管理を「王国の煙草とトランプへの課税」でまかなうことが決まったのが1711年末。スペイン国立図書館が今年開館三百年を迎えました。
今後の課題は書籍のデジタル化と予算。予算は4270万ユーロ(約46億円)で、アメリカ議会図書館の四分の一。さらに財政危機のため、これまで文化省直轄だったのが下位機関の管轄にワンランクダウン。
10月9日の記事なので旧聞に属しますが、スペインを代表する映画撮影監督のひとり、ハビエル・アギレサローベがアメリカで活躍中。モントリオールに滞在中のアギレサローベに電話取材した記事です。
トム・ホランド監督・脚本のホラー映画『フライトナイト』(1985年)のリメーク『フライトナイト/恐怖の夜』(2011年)3D版が先月スペインで公開されたばかりのアギレサローベ。3Dもデジタル撮影も初めてで「面白かった」けれど「人々は3Dにそろそろ飽き始めてると思う」。近年は『ニュームーン/トワイライト・サーガ』(200年)と『エクリプス/トワイライト・サーガ』(2010年)のヒット作を担当。コーマック・マッカーシーの小説を映画化した『ザ・ロード』(2009年)も。
『それでも恋するバルセロナ』(2008年)以来、故郷スペインでは仕事をしておらず、記者が理由を訊ねると「こっち(=アメリカ)では仕事の依頼が引く手あまたなのに、そっち(=スペイン)からは全然お呼びがかからないんだ」とのこと。2008年にロベルト・スネイデル監督のメキシコ映画『命を燃やして』 Arráncame la vida の撮影で大西洋を渡って以来、スペイン映画界とは縁が切れてしまったようです。
以下は余談ですが、Javier Aguirresarobe の名字のカタカナ表記について。日本では〈アギーレサロベ〉という表記をよく見かけますが、「アクセントのある音節を音引きで示す」という原則に従うなら〈アギレサローベ〉とすべきでしょう。彼が担当した『アザーズ』『海を飛ぶ夢』の監督 Alejandro Amenábar も日本ではなぜか〈アメナバール〉という表記が一般的ですが、これも原音に忠実に書くなら〈アメナーバル〉。ただしペドロ・アルモドーバルを〈アルモドバル〉と書く習慣に従えば音引きなしで〈アメナバル〉としたほうが無難。こう書けばたいていの日本人は「メ」と「ナ」にピッチアクセントを置いて発音するでしょうから。
スペインの小説家ハビエル・マリアスがペンギン・モダン・クラシックスに加わります。10月20日フランクフルト国際ブックフェアでペンギン社が発表しました。2012年8月刊行予定で、収録作品は『すべての魂』 Todas las almas, 『白い心臓』 Corazón tan blanco, 『あした戦場では私のことを思え』 Mañana en la batalla piensa en mí, 『時の黒い背』 Negra espalda del tiempo, 『私が死すべき存在だった時』 Cuando fui mortal, 『感傷的な男』 El hombre sentimental、『書かれた人生』 Vidas escritas の七篇。
同シリーズのラインナップにはスペイン語圏の作家が乏しく、ロルカ、ボルヘス、ネルーダ、オクタビオ・パス、ガルシア・マルケスのみ。この度晴れてマリアスの名がプルーストやナボコフ、フィッツジェラルド、カポーテ、ヴァージニア・ウルフ、ジョイスと並ぶことになります。