フェデリコ・ガルシーア・ロルカが暗殺されたのは従兄弟のロルダン家の手引きによるもの―――九月末に公開されるドキュメンタリー映画『ロルカ、海は止まる』 Lorca, el mar deja de moverse の主張です。監督はエミリオ・ルイス・バラチーナ。処刑された理由は諸説紛々でしたが、この映画によると、政治的理由と同性愛であったことに加えて、ガルシーア・ロルカ家とロルダン家の確執があったとのこと。
調査に当たったミゲル・カバリェーロとピラール・ゴンゴラによると、ロルカをピストルで射殺したホセ・ルイス・トレスカストロはロルカの父と親族関係にあるそうです。評伝『ロルカ』の著者でこのテーマの権威であるイアン・ギブソンは、ホセ・ルイス・トレスカストロが「オカマのロルカの尻に二発お見舞いしてやった」と放言して歩いたことは突き止めていたものの、彼がロルカと親戚関係にあることは知らなかったと認めています。トレスカストロの妻はロルカの父の遠い従妹に当たるというのがカバリェーロとゴンゴラの説。
ロルカ家とロルダン家は「政治的、経済的、イデオロギー的」理由で反目し合っており、その様子は『ベルナルダ・アルバの家』に描かれているとおりとのこと。
二年半に及ぶ調査期間と35万1千ユーロをつぎ込んで制作。上演時間は百分で、ロルカ家の歴史を18世紀からたどり、ロルカがマドリードで過ごした最後の日から列車でグラナダに向かうさま、そして処刑されるまでの数時間を再現。
マドリードの文化センター、ラ・カサ・エンセンディーダでビクトル・エリセとアッバス・キアロスタミの映像書簡が公開中です。
アラン・ベルガラ Alain Bergala とジョルディ・バリョ Jordí Balló が企画、バルセローナの現代文化センターで始まり、マドリードの後はパリのポンピドゥーセンターを回る予定。エリセとキアロスタミがビデオやDVD、35ミリフィルムなどの媒体で撮影した映像の往復書簡集。キアロスタミのインスタレーション「葉のない森」も展示中。
さらに二人の作品から12本を選んでのレトロスペクティヴ上映。エリセ作品は『決闘』(1969年)と『ミツバチのささやき』―――記事には1979年とありますが正しくは1973年―――、『エル・スール』(1983年)、『マルメロの陽光』(1992年)。キアロスタミは『クローズ・アップ』(1990年)、『そして人生はつづく』(1991年)、『オリーブの林を抜けて』(1994年)、『桜桃の味』(1997年)、『風の吹くまま』(1999年)、『10話』(2002年)など。
7月3日(月)には若い監督たちのためにワークショップを開催し、今日5日(水)は午後8時から円卓会議があります。
多作のキアロスタミに寡作のエリセでずか、共通点も多く、誕生日は8日しか離れていません。エリセがビスカヤで生まれたのが1940年6月22日、キアロスタミはテヘラン生まれで同年6月30日。二人がこうして顔を合わせることについてエリセは「二人の映画作家がミュージアムで出会うのは、美術館や博物館がますます重要になってきているからであり、現代の映画が変革の時期にさしかかっている兆候だ」と述べています。エリセにとってキアロスタミは「彼のように重要な映画作家のそばにいられるのは光栄なこと。本物のマエストロで、その作品は独特の視線で世界を見ている。彼がこの企画に関わっていなければ私は話を受けなかっただろう。過去20年から25年のあいだ私がもっとも心動かされた映画のいくつかはキアロスタミの作品」で、具体的には『パンと通り』『クローズ・アップ』『友だちのうちはどこ?』。
キアロスタミは「ビクトルによる賛辞はもったいなくて言葉もない。彼との出会いはある彼の作品がきっかけで、私の進むべき道を決定づけた。友人との会話のテーマがその作品だけだった時期がしばらく続いたほどだ。実際に彼と知り合って、彼の人となりは作品以上に深いことがわかった。
二人の共通点についてエリセはこう述べています。「もちろん違った文化に属しているけれど、私たちの作品には幼年期を主人公としてとらえるものがいくつかあるという点で似ている。でも個別の特徴云々よりはもしろ映画に対してとる姿勢ではないだろうか。映画に向き合うときの基本的な態度、それを私は抵抗と呼びたい」。
今回上映される作品のなかには未公開のエリセ作品、32分の中編映画 La morte rouge もあります。「劇場公開すれば赤字は必至。公開する勇気がある映画館はこの国にはないと思う」とエリセ。スペインではエリセの「ライフライン」が収められたオムニバス映画『テン・ミニッツ・オールダー』が未公開です。「今回の企画にあたって、映画化向けに撮影したけれどお蔵入りになっていた作品をいくつか持ってきた。作品を公開してくれる映画館に恵まれない私たちのような映画作家にとってミュージアムは庇護者になり得る」。
「内緒話ができる観客、君とぼくの関係で話ができる観客をずっと求めてきた。そういういものは映画産業では無理。ここのようなパブリックなスペースでなら可能だ」とエリセ。