第62回サン・セバスティアン国際映画祭が閉幕。カルロス・ベルムー監督の『マジカル・ガール』が最高賞の金貝賞と最優秀監督賞に輝きました。
第62回サン・セバスティアン国際映画祭
部門 |
受賞者/作品 |
監督 |
製作国 |
金貝賞(最優秀作品賞) |
『マジカル・ガール』 Magical Girl |
カルロス・ベルムー |
スペイン |
審査員特別賞 |
『ワイルド・ライフ』 Vie sauvage |
セドリック・カーン |
フランス |
最優秀監督賞 |
カルロス・ベルムー(『マジカル・ガール』) |
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スペイン |
銀貝賞(最優秀女優賞) |
パプリカ・ステーン (『静かな心』 Stille hjerte) |
ビレ・アウグスト |
デンマーク |
銀貝賞(最優秀男優賞) |
ハビエル・グティエレス (『小さな島』 La isla mínima) |
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スペイン |
最優秀脚本賞 |
デニス・ルヘイン (『ザ・ドロップ』 The Drop) |
ミヒャエル・R・ロスカム |
アメリカ |
最優秀撮影賞 |
アレックス・カタラン(『小さな島』) |
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スペイン |
エル・ブルーホ(魔術師)の異名で知られるスペインの俳優ラファエル・アルバレスがエル・ムンド紙の取材に応じたインタビュー記事です。アルバレスはマドリードのコフィディス・アルカサール劇場で9月9日から21日まで『信仰の暗い光』を上演中。さらに10月13日と20日、11月3日と7日には同劇場で『ラサリーリョ・デ・トルメス』を上演。
- ―――三十五年に及ぶ舞台生活で今ほど仕事が困難な時代は見たことがないとお書きになりました。前に進み続ける原動力は演劇への愛ですか?
- 私には特権があります、本当に好きなことだけをやっているので。容易なことではありませんよ。しかも時流に逆らってやっているんです。
- ―――ユーモア以外に、この困難な時代に対してどんな武器で立ち向かいますか?
- 私の舞台ではユーモアは重要です。でもそれはもっと先の方へ導く動機づけの導線にすぎない、観客の最も洗練された感受性へと導く糸です。醜さが嫌い。醜さというのは、衣裳とか舞台美術のことではなく、概念としての醜さです。美は内側にあるもの、精神のバイブレーションです。
- ―――とてもシンプルな舞台美術を使うことが多いですね。見た目より中身が重要なのだと伝えたいから?
- 何よりも大事なのは言葉だからね。限られた要素だけを使う基本的な表現方法を選んだ。バイオリンと美しい照明、あとはテキストだけという具合に。あとで観客が予想もしないことをするけどね、たとえば詩を朗唱するとか。
- ―――無遠慮な、あるいは失礼な観客に出くわしたことは?
- 今はないね、昔はあったよ、ある町で酔っ払った客がいた。今はそんなことはない。今問題なのは観客が無関心であることだ、演劇に対する感受性を備えていない。演劇は消滅してしまった。
- ―――なぜでしょう? 演劇に何が起きたのでしょう?
- 演劇はメンテナンスしなくてはならない、何のために役立つのかを知らなくてはならない。演劇の有用性への理解も体験もないと、演劇は姿を消して死んでしまう。最近は「あはは」「めっちゃおもろい」みたいな芝居ばかり。昔居酒屋で酔っ払いが二人座興でやっていたみたいに。それが今では劇場の舞台で行われる。しかも人々はもっとやれと要求する。知らないからね、それ以上のものを理解できないから。
- ―――本当に観客はよい演技と平凡な演技を区別できないのでしょうか?
- 今インタビューを受けているまさにこの劇場で、偉大な俳優ジュゼップ・マリーア・フルタッツの素晴らしい舞台を見たことがあるよ、でも受けなかった。きわめて洗練されたコメディーでした。人々は偉大な演劇と陳腐な演技の区別がつかないんだ。今もちょうどバーガーキングみたいなファーストフード的な芝居をやってるよ、小さいものをいっぱい詰めこんだ、モノローグっぽいものをちりばめた、メディアに振り回される人々向けの芝居をね。興行主は不景気だから困り果てて、適当なことをやってお茶を濁してる。そのうち舞台でクリスティアーノ・ロナウドが恋人とトークして大成功するよ、きっと。ギャラもずっと高くてね。でもそんなのは演劇じゃない。エンターテインメントだけでは駄目なんだ。私だってお客さんに笑ってもらおうとはするけど、笑いには何か目的がなくては駄目。演劇の詩的な領域を形成する高尚さがないと。演劇は芸術です、でも今の人たちは芸術を享受しない。芸術は副産物に取って代わられてしまった。
- ―――もし文化活動に対する付加価値税が21パーセントでなかったとしても、やはり同じく否定的な意見ですか?
- 21パーセントなんて桁外れだけれど、問題は21パーセントであることではなく、サッカーが10パーセントであることだ。その関係性の中に問題の本質がある。もはや演劇を破壊するだけでなく、大衆が好むものだけを援助するというわざとらしい意図がある。演劇は別の方向を目指す芸術です、右翼とも左翼とも対峙する、価値基準からの独立を要求する芸術です。自分自身を問題視するということも含めて。
- ―――メディアは演劇を、芸術を、もっとサポートするべきでしょうか?
- 毎日午後三時間にもわたってテレビに誰かを登場させて他の人の悪口を言わせるなんて下品だよ。ニュースの50パーセントがサッカー関連だなんて無茶苦茶、俗悪。芸術は4パーセントか5パーセント、大衆から離れた人たちに向けられたもの。すでに詩人が言ったよ、「常に少数派へ、膨大な少数派へ」ってね。(フアン・ラモン・ヒメネスの言葉)
- ―――あなたが演じる役はたいてい倫理やモラルのジレンマを抱えます。実生活でも体験しますか?
- 道徳性は私にとっては重要ではない。それは社会が定めたルールです。道徳的な正しさとは道具です、歯を磨くとか、上手に車を駐車するのと同じ。生きていく上での共生や方向づけに関するガイドですよ、でも重要なのは、道徳性以上に、愛と美です。自然発生するものです、人に教わったからしかたなくやることではなく。
- ―――今回『信仰の暗い光』(La luz oscura de la fe)を上演するにあたってサン・フアン・デ・ラ・クラスの著作を深く掘り下げました。神秘主義者たちから学んだことは?
- 彼らは偉大なる未知の人々です。お客さんは司祭の話だと信じこんでいる。でも神秘主義には単なる信仰の宗教的領域を超える芸術的かつ審美的な力がある。生きることに対する総合的な態度、本質的な自由の探求なんです。たとえば聖テレサやサン・フアン・デ・ラ・クラスといった十六世紀のこれらの人間の生涯は、一見すると中庸と恭順に彩られているけれど、並外れた豊かさと本物の反逆の人生です。現代社会は正反対。外見は反逆だけど、心の底では完全に屈服している。
- ―――あなたはある場所で生まれたけれど人生のほとんど全てを別の場所で過ごしてきました。カタルーニャの独立運動についてはどう思いますか?
- いや、もうまったく関心がない。先日バルセロナに行ったけど、人々は不満のやり場に困って独立運動で発散していることがわかった。ここ[訳者註:マドリード]ではサッカーだし、アンダルシアではPSOE[訳者註:社会主義労働者党]の行方で、ほかの地域では新政党ポデモスの動向。人々はフラストレーションがたまっていて、人生を生き生きと過ごしたがっている。なのに人生は貧しく醜悪で、仕事がある多くの人は税金を払うためだけに働き、気晴らしする暇さえない。とにかく彼らは腰を下ろして話し合うべきだよ。話し合いましょう。