38歳のフリオ・ボッカ。40歳になる二年後の引退をすでに表明していますが、「さっさと引退したい。レッスンにリハーサルに本番といったルーティンワークをこなすのがキツくなってきた。悦びを感じるのはお客さんがいる舞台に立っているときだけ」と、すっかり引退モードになっているようです。
アルゼンチンのコルドバとロサリオでエレオノーラ・カサーノと共演する新作の準備中。その後はベネズエラとパラグアイを巡演。
簡単な略歴が載っています。
1967年3月6日ブエノス・アイレス生まれ。母ナンシー・ボッカの指導の下で踊り始めたのは4歳の時。
1975年ブエノス・アイレスのコロン劇場芸術高等学院に入学。1980年劇場専属バレエ団入団。翌年オランダ人振付家フレミング・フリントがコロン劇場で二作品発表、初めてソリストとして踊る。
国外では1982年にベネズエラ・カラカスのテレサ・カレーニョ劇場とリオ・デ・ジャネイロの市立劇場でプリンシパルとして踊る。
1985年コロン劇場で『コッペリア』のプリシパルを務め、同年モスクワ国際バレエコンクールで金メダルを獲得。ミハイル・バリシニコフに誘われ1986年からアメリカン・バレエ・シアターに所属。1990年に念願の自身のバレエ団、バレエ・アルヘンティーノを結成。
スペイン国立古典劇団がこの秋創立二十周年を迎えます。本拠地コメディア劇場は改修・拡張工事中。暫定的にパボン劇場で活動中。三つのグループに分かれて七作品を全国で公演。プログラムはロペ・デ・ベガなどの黄金世紀を中心に、これまで等閑に付されてきたルネサンスと18世紀の戯曲も。
芸術監督のエドゥアルド・バスコが就任二期目の2005-2006年プログラムを発表。オープニングはもちろん国立古典劇団、と思いきや、なぜかカタルーニャ国立劇場のロペ・デ・ベガ作、ラモン・シモ演出『フエンテ・オベフーナ』。9月15日からパボン劇場で。国立古典劇団は9月28日から10月23日までルペ・デ・ベガの『復讐なき罰』。その後はサモーラ、アリカンテ、トレド、サラマンカ、セビーリャ、ブエノスアイレスを巡演。
パボン劇場では初演作品が三つ。カルデロン作、ヨランダ・パリン脚色、エドゥアルド・バスコ演出の『死してのち愛す』。10月21日から11月11日まで。2006年4月にブエノスアイレスでも上演。二十年前の4月にもブエノスアイレスでこの作品を上演した経緯があります。
2月9日から4月2日までジル・ヴィセンテの傑作『ドン・ドゥアルドの悲喜劇』。脚色・演出はアナ・サモーラ。
4月16日から6月11日までエルネスト・カバリェーロが『サイネーテス』を脚色・演出。シーズン最終作。ラモン・デ・ラ・クルスの18世紀風俗劇傑作選。
ティルソ・デ・モリーナ作『緑の靴下のドン・ヒル』は来年のアルマグロ古典演劇祭で初演。脚色・演出はエドゥアルド・バスコ。
劇団のレパートリーの中ではセルバンテスの『パルナソ山への旅』を再演。12月16日から1月22日まで。脚色はイグナシオ・ガルシーア・マイ。演出はエドゥアルド・バスコ。9月8日[2月の間違いでは?]からスペイン国内巡演、12月にはリスボン、2月はグアナフアト(メキシコ)で公演。
スイスインフォが伝えるロイター通信の記事。下の記事と微妙に違います。
上演中に蝋燭が一本倒れ緞帳に引火し舞台に火の手が回ったとMENA通信が伝えた、とのこと。
火災発生時刻は午後10時30分前後(グリニッジ標準時18時30分)で、演目は『ハムレット』。カイロの南約100kmのベニ・スエフ市の実験演劇フェスティバルでのこと。
プロデューサーのアデル・ハサンによると観客は約百人で、劇場は出入り口がひとつしかない小劇場。「全員が我先にと出口に殺到したが、火の手は早く、外に出るのに間に合わなかった人が多かった」とのこと。病院でコメントしたハサン自身顔や腕に火傷を負った。負傷者のうち16人は全身の六割以上が火傷。
劇場は一階建てで市の文化センターに隣接。一時間で全焼。
出演者のひとり、マグディ・ウィサ Magdy Wisa の証言によると、火の手が上がったのは二幕の最後。
エジプト史上最悪の火災は2002年の列車火災で少なくとも350人が死亡。
5日(月)、カイロの南125km、ナイル河上流にあるベニ・スエフ市の劇場で火災発生、少なくとも32人が死亡。37人が負傷、うち12人が重態。
火災が発生したのは午後9時30分頃(18時30分・グリニッジ標準時)。エジプト南部地方公演の初日を見に来た約150人の観客で劇場ホールは溢れ返っていた。アナス・ヤファール州知事によると、劇団は蝋燭をたくさん使っていた、それが火災の原因とのこと。「何本か床に倒れ紙切れに引火。炎で観客がパニックに陥りどっと逃げ出した。その最中に命を落とした人が何人かいる」と州知事。人為的なものではなく、あくまでも事故らしいです。劇場は文化庁直轄。
日本は消防法がやかましくて、というか、ものすごく厳しくて、舞台関係者はいつも泣かされるのですが、やはり火事は怖い。蝋燭をたくさん使って大丈夫なのかと思って最後の段落を読むと、「文化庁主催の催しなのでこの手の公演での舞台装置や小道具類は通常はもっと少ない」そうです。
なぜ今回に限って許されたのか。そもそも、何の芝居をやっていたのか。
コロン劇場バレエ団創立80周年記念式典の一環として、今月18日(日)17時からコロン劇場バレエ団メインホールでガラ公演を開催。
同バレエ団出身のフリオ・ボッカやパロマ・エレーラ、マキシミリアーノ・ゲラ、エレオノーラ・カサーノ、セシリア・フィゲレード、マリアネーラ・ヌニェス、エルナン・ピンキン、ルイス・オルティゴサ、マルセラ・ゴイコチェアがゲスト参加、クラシックからコンテンポラリーのデュオやソロ、パ・ド・ドゥを踊る予定。
ガラ公演はまずバレエ団の歴史を12分にまとめた短編ビデオの上映でスタート。オスカー・アライスが芸術監督を務めるバレエ団はホルヘ・アマランテの新作のワールドプレミアと、レパートリーであるチャイコフスキー作曲、プティパ原振付『眠れる森の美女』の第三幕を、元バレエ団の芸術監督でダンサー・振付師のマリオ・ガリッツィの振付で披露。
バレエ団名誉ダンサーのフリオ・ボッカはセシリア・フィゲレードとデュオでアナ・マリーア・スケテルマン振付、アストール・ピアソラの演奏による「ウルティモ・カフェ」(カスティージョ作詞・スタンピーノ作曲)と「悪魔のロマンセ」を踊ります。どちらも音楽はオクタンゴの特別録音。
同じく名誉ダンサーのマキシミリアーノ・ゲラはバレエ団所属のマリセル・ディ・ミトリと「アダジェット」を、オスカル・アライスの振付とマーラーの音楽で。
アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、パロマ・エレーラは「ライモンダ」のソロを、マリウス・プティパ振付、アレクサンドル・グラズノフの音楽で。
オレノーラ・カサーノとバレエ団ダンサーのフアン・パブロ・レドは「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」。振付はジョルジュ・バランシン、音楽はチャイコフスキー。
プティパ原振付、ヌレーエフ振付、リカルド・ドリゴ音楽の『海賊』のパ・ド・ドゥを踊るのはロンドン・ロイヤル・バレエ団プリンシパルのマリアネーラ・ヌニェスとアルゼンチン・バレエ団のエルナン・ピキン。
式典の最後にはバレエ団在籍卒業を問わずダンサー全員に記念メダルが授与されます。メダルはコロン劇場修復工事の際に取り除いた天井の亜鉛を使って制作。
で、フリオ・ボッカですが、コロン劇場とは2002年に絶縁宣言をしていました。「もううんざりだ、コロンで踊るといつも足を引っ張られる、それもこれも無能な経営陣のせいだ。疲れた、もう二度とコロンでは踊らない」と捨て台詞を吐いたのでした。当時の芸術監督はエミリオ・バサルドゥア。カルロス・サウラの映画『タンゴ』の美術監督です。
ではなぜボッカが招待されたのか、そしてボッカが受けたのか。ブエノスアイレス市文化部のグスタボ・ロペスによると、ダンサーとしてのボッカのコロン劇場引退の場にしたいからだそうです。2007年に予定されてはいるのですがその頃はちょうど劇場が改修工事中、とプロデューサーのリノ・パタラーノ。
去年の夏死亡したアントニオ・ガデスに捧げるガラ公演『スペイン舞踊の五十年』が今日マドリードのサルスエラ劇場で開催。新生アントニオ・ガデス舞踊団が『カルメン』『血の婚礼』『フエンテ・オベフーナ』のいくつかの場面を踊ります。サラ・バラス、マノレーテ、アイーダ・ゴメス、エリ・レブリハーノ、パコ・イバニェスもそれぞれオマージュを捧げます。開会の挨拶はガデスの若き日の師だったピラール・ロペス。
『スペイン舞踊の五十年』は最近出版されたガデス追悼の本と同名で、主催は作家編集者協会とアントニオ・ガデス財団。マドリード市とマドリード自治州が後援。
アントニオ・ガデス舞踊団は来年の一月か二月に活動再開の予定。まず『カルメン』、その後は1983年以来踊っていない『フラメンコ組曲』などで各地方を巡演する予定。