惡夢をみる。目覺めてなほ生きた心地せず。書窗黯澹、折〻霧雨ふる。燈ともし頃表通りに車の徃來繁くなれり。路傍に右折を禁じる看板立ち、誘導員ひとり佇立す。昨日開店したる大型市塲の繁華殷昌の故なり。今曉錄畫し置きたるEテレ(舊敎育テレビ)てれび繪本のえほん寄席に芋俵を聽く。切繪風の繪に畫趣あり。演者は柳家喬之助なり。
晴れて俄に暑し。學生諸氏帳面を團扇代はりにして顏に風を送る。一限の學生私語やかましく度々授業を中斷するを餘儀なくされぬ。かゝる折に余は一切默して語らず、敎壇上に直立不動して學生を睨みつけるなり。學氣配を察して室内靜まりかへるに、余が講義を再開するや忽私語澎湃として沸き起こり制すること能はず。恰も動物に相對するが如き心地するなり。東浩紀の著書に動物化するポストモダンといふ本あるを思出しぬ。廊下側最後列の男子三人とりわけ喧しく、退室を促すも聞き入れず。火曜日擔當のF氏は受講者を學籍番號順に坐らせて講義を行ふ由。已むを得ず來週よりF氏に倣ひて余も同じ措置をとることゝす。大學生を小學生扱ひするは固より余の望むところにあらざれど詮方なし。一時半歸宅。近所に大型市塲開店す。冷やかしに徃きたしと思へど買物客雜遝するを虞れて徃かず。
晴。氣分頗わろし。Firefox 7 公開され、早速更新するに、十分每に應答なしとなり畫面白濁し使ひものにならず。卸載し、プロファイルを作り直す。二更CBCテレビに北野演藝館~たけしが本氣で選んだ藝人大集結SP!を看る。一番手の漫才師ナイツ安定感拔群なり。インパルスのコントいつ見てもよし。ダイノジの漫才を見るはこの日が初めてなり。口調立て板に水の如く、また緩急自在の妙ありて大に感服す。中川家友近見事なり。
快晴。昨來心欝〻として樂しまず。たゞ寐つ起きつして日を暮らすのみ。
細雨折〻降る。無風。書窗黯澹薄暮に似たり。氣分すぐれず終日臥牀にあり。
輕陰。曉明錄畫し置きたるNHK總合テレビ桂文珍の演藝圖鑒といふ番組を看る。生活笑百科と同じと思しきスタジオセットにてU字工事の漫才と笑福亭三喬の落語おごろもち盜人を聽く。番組構成頗奇妙なり。司會者文珍の役目は無きに等しく、文珍本人も當惑を隱さず。文珍への同情禁じ得ず。番組後半は別のスタジオに拵へたる和室セットに客を迎へ、この日は鳥越俊太郞來りて駄辯を弄す。構成の粗笨甚しく笑ひがいちばんに酷似するを以て、互聯網を閱するに案の定笑ひがいちばんの後繼番組なり。大相撲秋塲所千龝樂、大關昇進確定したる關脇琴奬菊大關把瑠都に轉がされ三敗。橫綱白鵬大關日馬富士を上手投げにて破り二十囘目の優勝を果せり。琴奬菊稀勢の里豪榮道豐眞將など日本人力士漸く擡頭す。
心氣欝々何事をもなす氣力なし。上野本牧亭閉塲す。一龍齋貞赤穗義士本傳を演じたる由。開塲は安政四年なり。余遂に一度も足を運ばざりしは痛恨の極みなり。東京かわら版十月號によれば今後は塲所を轉々として講談會を繼續し、十月は九日卅日に兩國のちぎらといふ店にて行ふといふ。勤めを果せし大氣觀測衞星UARS午後大氣圈に突入せり。大部分は燒滅すれど部品二十六個地表に達する見込にて、人間に落下する確率三千二百分の一なる由。加奈陀西方の洋上に落下したるやうなり。初更BS11に柳家喬太郎の粹ダネ!といふ番組あるを知り、八時半過テレビをつけるに、柳亭市馬が俵屋玄番を朗々たる聲にて歌ひ上げたり。二つ目時代の出囃子は二代目柳家三龜松の作曲したるものなりし由。曲名はなく、數曲つくりたる中より三番目を選びしが故、便宜上三番目と呼びゐたりしに、何といふ曲名なるやと問ふ者增え、三龜松に相談せしところ、三味線三挺にて演奏するを以て三枚彈きと名づけたる由なり。アキコ・カンダ死去享年七十四。
朝風の冷なるに眠より覺めたり。快晴の空拭ふが如し。秋分の日。未明に錄畫し置きたるNHK總合笑神降臨に立川談笑の改作落語薄型テレビ算と蝦蟇の油を聽く。余が初て談笑の蝦蟇の油を聽きしは平成九年七月東京大田區民プラザの下丸子らくご倶樂部においてなり。指を屈すれば十四年前なり。當時は談生といふ藝名なりき。この日久振りにて西班牙語による香具師の口上を聞き、その發音一層明瞭となり口舌流麗たるに感服せり。夕刻自働車にてヤマト運輸に赴き牡丹餠無花果など詰めたる小包をN子に送る。車中ラヂオのNHK-FMに濱松支局所藏のSP盤を聽く。古今亭志ん生元帳、あきれたぼういずハワイ珍道中、聲帶模寫木下華聲のエノケンロッパの聲眞似などなり。元帳は替り目なれど、しまつた元帳を見られたといふサゲにて終るが故元帳といふ題にて錄音したるものなり。市立圖書館に立寄りてかへる。素粒子ニュートリノの速度光速を超ゆるといふ報道あり。名古屋大宇都宮大神戶大東邦大などが參加する硏究によるに、瑞西の歐州合同原子核硏究機關の加速器より七百三十粁離れたる伊太利グランサッソ國立硏究所に向けて發射したるミュー型ニュートリノ、光に較べて六十ナノ秒早く到達したる由なり。實驗囘數三年間にて一萬五千囘に及びたり。未來より過去に時間を遡及したる可能性もありといふ。杉浦直樹歿行年七十九。
颱風は旣に去りしに、空どんよりと曇りて、朝の中霧雨ふりしが須臾にして歇む。後期授業初囘なり。前期試驗の答案を返卻し、復習して後語根母音變化動詞の活用を說明す。正午過外に出づれば靑空廣がり秋風爽なり。一時半歸宅。秋冷肌を侵す。月曜に錄畫し置きたる三重テレビ淺草お茶の間寄席を見る。古今亭寿輔の地獄巡り名調子なり。余が初めて寿輔の高座を見たりしは昭和六二年頃と記憶す。S子を伴ひ新宿末廣亭に赴きたり。何曜日なりしや忘れしが、入塲するや塲内ほゞ滿席にて、案内係の女に誘はるゝまゝ坐りしは最前列中央、演者の目の前なりき。出囃子に合はせて登塲したるは古今亭寿輔、滿艦飾の着物に自ら紙吹雪を頭上にまき散らして現れ塲内爆笑の渦と化しぬ。座布團に腰かけるや、S子口に手を當て肩をわな/\と震はせつながら必死に哄笑を堪へゐたるを、寿輔高座よりぢつと凝視し、看客またしても爆笑せり。笑ひの鎭まるを待ち、寿輔余とS子の顏を交互に見て、皇室の方ですかと問ひ、滿座ふたゝび爆笑しぬ。S子は寄席見物が初てにて、寿輔の高座は終始笑ひを堪へて身悶えしゐたりき。
午後より暴風雨襲來。三時半風雨忽然として歇み、西の空明るくなり始む。颱風の目濱松より甲府に移動し關東地方暴風圈に入る。過日錄畫し置きたるBS朝日の落語者といふ番組に桂吉彌の蛇含草を聽く。口跡よし。人物造形の對比鮮やかになれば更によし。また日本の話藝セレクションに三笑亭夢丸の出世夜鷹を聽く。枕にて曰く、この噺ができるのは私だけで御座います、と申しますのもあまり面白くない、けふは珍しい噺を聽いたといふ土產をお持ち歸り頂きたいと。果して落語といふより講談といふべし。靑蛙房刊東大落語會編『增補落語事典』を繙くに記載なし。白山雅一死去。行年八十七。
彼岸の入。朝來豪雨嘈として窗を撲つ。朝餉の後風雨を衝いて車を運轉しござらっせ溫泉に徃く。暴雨恰も瀧壺に在るが如く、雨刷を最速にして囘すも殆咫尺を辨せず。町内交叉點ところ/″\冠水す。午後主治醫を訪ひ診察を乞ふ。鬱を發症する者は屡自らすゝんで葛藤に身を置くものなりと。葛藤を避く方途思ひ浮ばず懊惱甚し。夕刻名古屋市内十二區四十六萬世帶百餘萬人に避難勸告。西枇杷島を水沒せしめたる平成十二年の大雨を思はしむ。
晴れてはまた曇る。夕刻黑雲天を覆ひ夜に入りて雨來る。新宿明治公園にて「さようなら原發五萬人集會」といふパレード開催せらる。主宰者發表によれば六萬人集ひしよしなり。さようなら原發一千萬人署名市民の會、發起人内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本竜一、沢地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の各氏なり。
晴れたる空に白雲多し。南の空より北に雲の流れゆくさま颱風十五號の近きを知らしむ。けふも市立圖書舘に徃く。JR北海道社長中島尙俊氏の遺體小樽沖にて發見せらる。
黑雲南の空より北にひろがり、雨もよひの空晴れやらず。幸水梨を購はむとてあぐりん村に赴くに、梨の時節は旣に去りしと見え、陳列臺には林檎と柿多し。豐水梨一袋を買ふ。市立圖書舘に立寄りて家にかへる。正午過雨降り來たりしが須臾にして歇む。晡下疲勞してベッドに橫はり三木助の味噌藏を聽く中いつか華胥に遊べり。Ustream に第四囘下町コメディ映畫祭 in 臺東の伊東四朗特集トークショーを視聽す。小松政夫來りて「あんたはエライ!」とコメディ榮譽賞の表彰狀を贈呈す。司會の高田文夫いとうせいこうに促され、早稻田大學文學部地下生活協同組合にて牛乳甁の蓋を開けるアルバイト、淺草フランス座、石井均、雷門の辻斬り香具師のことなど昔日の話を語ること一時間に及ぶ。ツンツクツクツクツン♪、ズンズンズンズンズンズンズンスン小松の親分さん、どーかしとつなど、小松惜しみもなくギャグを繰出す。小松古稀、伊東七十四歲。鑒賞して後講談社文庫の井上ひさし笑劇全集を讀む。井上がてんぷくトリオに書き下ろしたるコント集なり。
乍晴乍隂。氣溫攝氏三十二度に昇りしが風濕氣を帶びず心地よし。カーマホームセンターに徃きセキセイ鸚哥の混合餌を購ふ。店舖いつか一新し、高かりし陳列棚低くなり店内を一望出來るやうになりぬ。愛玩動物店も改裝して明朝開店する由。若き店員の女匙にてセキセイ鸚哥の雛五六羽に粟玉をやりゐたり。我先にと啼き呌ぶ雛の聲耳を聾せんばかりなり。市が洞にスーパービバホームとやらいふ埼玉の大型小賣店普請中なり。市立圖書舘に立寄り、セブンイレブンにハルキ文庫版古典落語⑤お店ばなしを買ふ。三遊亭圓窓かつぎ屋、蝶花樓馬樂猿後家、三遊亭圓彌質屋藏、柳家小三治錦明竹、桂三木助味噌藏、柳家小さん悋氣のこま、入船亭扇橋あんまのこたつを讀む。
蚤起。曇天。氣溫高からざるに濕氣あり。バイキングの朝食をなす。外國人觀光客殆なし。福島第一原子力發電所の放射能汚染事故のためなるべし。九時過快速エアポートに乘り札幌驛停車塲を發す。乘客滿載空席なし。九時過快速エアポートに乘り札幌驛停車塲を發す。車内混雜、終始立ち通しなり。小一時間にて新千歲空港到着。チトセといふ地名はアイヌ語の si(大きな)と kot(窪み・澤)に由來するなれど、死骨に通じるなどゝいふ下らぬ理由にて箱舘奉行が勝手に千歲の當字を考案せしなり。愚の骨頂といふべし。五番搭乘口に赴き待合の椅子に坐るに、眞正面最前列にO君の姿あり。移動電話にて何やら商議中なり。昨夜の豫感的中せり。余と同じ搭乘口より一足先に東京行の便に乘る由。離陸最終案内の放送始まりしかばO君駈け足にて搭乘口に急ぐを見送る。十一時二十分全日空七〇六便にて千歲を發す。乘客は僅に三割程度なり。母上土產屋にて佐藤水產の銀鮭握飯を購はれ、機内にて晝餉をなす。味頗る佳し。一時過中部國際空港着陸。溽蒸甚しく發汗忽にして襯衣を霑す。高速バスに乘り家路に就く。土產のわかさいもを茶請に一服し、市立圖書舘に徃く。T氏釣果の魬二尾を餽らる。
八時過眠りより覺む。快晴。昨夕來心氣欝々、顏をもたぐることさへ難し。ホテル一階食堂にバイキングの朝餉をなす。今朝は客數ふるばかりなり。修學旅行生の團體も旣に出發したるやうなり。本日は墓參の日なれば食事の後一服する間もなく步みて札幌驛に徃き、地下鐵道東豐線に乘り終着驛の福住にて下車、中央バスに乘換へて美しが丘三條九丁目にて降りる。炎天眞夏のごとし。沿道に向日葵の花今もなほ盛なるに一驚を喫す。予が小學生の頃は旣に冬支度を始むる時節なりき。ある統計によれば、過去百年間の全國平均氣溫最も上がりしは札幌市にて、年平均六・五度も上がりたる由。バス停より坂道を登り、ほどなくして里塚靈園に抵る。祖父母の墓を拜し、佐々木松崎兩家の墓も展す。七竈の實赤く色づきたるものあり。十一時半ふたゝび乘合自働車に乘り、新榮團地を經由して福住に出で、地下鐵道東豐線にて大通に行き、南北線に乘換へて南平岸に出づ。東出口より外に出でゝ最初の交叉點を右折すれば右手に札幌齋塲あり。祖母の葬儀を執り行ひし葬儀塲なり。向ひの平岸靈園に我家の墓所を訪ふ。予が此處を訪れるはけふが初めてなり。白樺の幹强き陽光を受けて白く映ゆ。地下鐵道にて大通に戾れば一時半なり。地下街の喫茶店に慈君と輕食をなす。今井百貨店入口に慈君と別る。オーロラタウンに小鳥の廣塲といふ大きなる硝子凾あり。中にセキセイ鸚哥二十羽ほど元氣に飛囘るを見る。余はホテルにかへりぬ。燈刻O君今夜の先約急に取消しとなりたりとてホテルに來る。ラウンジにて笑語。北高合唱部同期會の近況を語らる。閉店して河岸を變へ款語夜半に及ぶ。明日は午後東京にて會議あるを以て日歸り出張するなりとぞ。午前中新千歲空港にて鉢合はせするやも知れず。睡眠劑エバミール二錠服して寢に就く。
晴。ホテル一階の食堂にバイキングの朝食をなす。親子連れの宿泊客大勢あり、混雜甚し。新聞帋の見出しを一瞥するにJR北海道の社長自宅に遺書を殘して行方知らず、石狩の海邊に自家用車のみ發見されたる由。去五月の石勝線死亡事故の處理に心勞つのりゐたりと云ふ。晝前慈君と倶に札幌驛よりJR函館本線に乘り琴似に向ふ。桑園驛前に札幌市立病院あり。三十年前の桑園はプラトフホーム一つきりの驛舍頗陰氣なりしが、いつかプラトフホーム增え、驛舍も立派になりぬ。琴似驛下車、驛前の VILLAGE といふカフェに小憇して後伯母Kを見舞ふ。伯母個室に在り、頗元氣に入院生活を滿喫せらるゝを見て安堵せり。今年七十九歲の伯母先日乳房の下にしこりのやうなものゝあるを察知し、癌に相違なかるべしと思ひて卽座に檢査を受け、果して癌と判明し、電光石火の如く手術を受けしなり。醫師の見立てに、恐らく十年ほど昔に發病したるやうにて、全身の臟器と骨を隈なく磁氣共鳴斷層寫眞に撮影せしに幸にして何處にも轉移の跡はなし。予その話を聞きて、大家思ひの癌だねと呟けり。伯母の身體を長屋の大家、癌を店子に見立てゝのことなり。さういふ考へ方もあるかと伯母呵々大笑せらる。話頭昨今の天候不順のことに移る。先週の豪雨は豐平川氾濫寸前なりし由。戰後間もなき頃、まだコンクリートの護岸工事されゞる前、豐平川の土手決壞せしことありし由なり。慈君も當時の災害を記憶するといふ。三十數年前、予が中學生の頃は、八月のお盆を過れば秋風骨に徹しストーブを用ひ、九月末に初雪の降りしこともありき。當今は九月も中旬氏に抵れど溽蒸眞夏のごとく、徃來の男女半袖と長袖の者相半ばするほどなり。慈君伯母に白きショールを贈らる。二時辭去。地下鐵道東西線琴似驛より西十八丁目に出で、叔父Sを見舞ふ。時恰も看護師三四人集ひて去痰作業の最中なりき。作業終りて入浴の順番を待つ間叔母Sが叔父の體溫を計るに三十八度あり。主治醫來りて診察するに、喉元穿ちし通氣孔の切開部分化膿したる虞れありとて、卽座に消毒せらる。體溫高く、入浴後風邪をひきて前囘のやうに肺炎に罹るを虞れて入浴は中止となす。リハビリも本日は中止せらる。窗外を見やるにいつか雨ふり始む。晡下叔母に別れ、慈君と倶に市電に乘り四丁目に出で、櫂梯樓に夕餉をなす。雨ふりまさる。初更寢に就く。
晴。旅裝をとゞのふ。驛前ドトールに赴きカフェラテを飮みつゝ二階喫烟席にて身邊雜記を書く。母上と合流し高速バスにて中部國際空港に行く。先月運行ダイヤ改正され直行便となり、所要時間七十二分が五十五分に短縮せらる。車内珍しく觀光客大勢、ほゞ滿席なり。十二時十分全日空七〇九便離陸。滿席なり。翼の王國に大阪寄席特集の記事を讀む。堀越千秋氏の表帋繪は葡萄畑のマラソンなり。一時五十五分新千歲空港到着。小雨。JR驛に赴くに、二番線停車中の電車は十二時四十九分發札幌行き快速エアポートなりと構内アナウンスの告ぐること幾囘なるを知らず。新千歲空港札幌間の何處かにて人身事故ありたる由。幸にして十分ほどして發車したり。三時札幌驛着。雨はやみしかど風濕氣多し。ホテルの部屋に行李を置き、小憇して後步みて三越に赴き地下食品店街になだ萬の總菜、サザエの舞茸おにぎりを三人前求め、市電に乘りN病院に徃き叔父Sを見舞ふ。六人部屋の窓際なり。この日透析を受けたる直後にて疲勞したるにや瞼は開かず、兩手を腹の上に重ね、仰臥して微塵も動かず。喉元に穿たれし通氣孔見るに忍びなし。母上耳元に口を寄せ、會ひに來たよ、よく頑張つてるねと聲をかけらるゝや叔父の瞼より淚つゝと流れ頬に傳はり落ちたり。先月二十日三度目の腦出血に倒れ緊急手術を受けたり。幸にして容態は安定し、術語四日目にリハビリ始まりたる由叔母Sの話なり。叔父痰の喉に詰まりたるを苦に時折咳き込み、看護婦聞きつけて通氣孔にチューブを射込み痰を除去せらる。鼻孔にもチューブを射込み、叔父苦痛に顏を歪めらる。六時頃叔父Y仕事を終りて見舞に來らる。七時叔父Sに別れを告げ、一行四人叔母Sの家に行き晚餐を食す。八時半叔父Y買替へしばかりの輕自動車を運轉して母上と予をホテルに送らる。叔父の話に、札幌驛前の五番館社屋取壞してヨドバシカメラ出店する由。これにて驛南口の風景のうち三十年前を忍ばしむはセンチュリーロイヤルホテルと京王プラザホテルのみとなれり。部屋にかへれば二更なり。互聯網のニュースを閱するに本日の人身事故は十二時五分頃惠み野驛にてあり、列車は一時間四十分遲れて運行再開せられたる由。折好く我々の千歲に到着せし頃運轉再開したるやうなり。疲勞甚しく睡眠劑エバミール1mgを服して寐に就けど眠ること能はず、更に一錠飮む。
好く晴れて日の光燬くがごとし。町内の洗濯屋に赴くに流汗忽襯衣を潤す。ドラッグストアに立寄りて家にかへれば全身汗みどろなり。三時過溽蒸堪へがたきを以て今月初て空調にて除濕を行ふ。鉢呂吉雄經濟產業大臣辭任。視察に訪れし福島原發周邊地域を死の町と評し、作業着を新聞記者に近づけ、放射能をうつしてやるなど發言したる由。然れど事の顚末を仔細に追へば、鉢呂氏の言動は不穩當といふにはあたらず。大震災後半年經ちてなほ放射性物質の流出を止める方策なく、まさに死神に取り憑かれし町となりぬ。福島縣民のうち山口縣九州沖繩に移住したる者三千人に及ぶなり。またマスコミ各社が引用する鉢呂氏の發言一つとして同じものなきは不可解千萬なり。後考のためこゝに記し置く。
朝日新聞 放射能をつけちゃうぞ 讀賣新聞 ほら、放射能 每日新聞 「放射能をつけたぞ」といふ趣旨の發言 日本經濟新聞 放射能をつけてやろうか 產經新聞 放射能をうつしてやる 時事通信 放射能をつけたぞ スポーツ報知 「放射能をうつす」趣旨の發言 フジテレビ 放射能を分けてやる
予は固より事の眞相を知らず。たゞ傳聞を記すのみ。然りとて僅ひとことの發言にかくも異同の多き所以は、畢竟いづれも氏の發言を正確に報道せざるが故なるべし。鉢呂氏は脫原發を持論とする人なれば、推進派の操觚者連中官僚の高笑ひ聞ゆるが如し。二更高校の級友H君より電子郵件あり。昨夜の高校生クイズに札幌北高校は出塲せざりし由。互聯網にて競技の結果を調ぶる、札幌南高校準決勝に進出したりといふ。優勝校は開成高校なり。I君の早とちりと判明せり。
薄く晴れて風靜なれど蒸暑し。每日新聞の寫眞記事を見るに、那智の瀧先週の豪雨により岩崩落し、瀧壺前の齋塲流失、瀧見臺奧の朱色の九天門は倒壞したる由。余がY氏と倶に那智を訪れしは平成十一年七月なりき。熊野本宮大社にて催されし劇團維新派の公演ヂャンヂャン神樂麦藁少年を看むがためなり。自動車を運轉して名古屋を發し四時間かゝりしと記憶するなり。久振りにて木村屋の餡麵麭を食す。夕刻ござらっせ溫泉に徃く。二更福岡のI君より電子郵件あり。高校生クイズ、母校すごいぢやないですかとあり。何事なるやと思ひてATOKにて高校生クイズを入力するに、はてなダイアリーキーワード及びニコニコ大百科に該當項目あり。一讀するに、アメリカ橫斷ウルトラクイズの高校生版にて昭和五十八年より續く長壽番組なる由。參加人數最多のクイズ番組としてかのギネスブックにも揭載されたるといふ。今宵の放送にて札幌北高校優勝を果たしたるやうなり。
天氣連日限りなく佳し。西班牙アストゥリアス皇太子賞平和部門に福島原發の作業員選ばる。事故發生當初は八百人の作業員ゐたりしが、冷卻に失敗して百八十人に減り、數日後五十人に減りたり。一從業員の話に、彼等は東京電力より業務委託せられし下請會社に雇はれたる者にて、中には無賴漢に手配され、仕事の内容も知らされず、保險にも入らず、契約書も交はさず、低賃金に甘んじて命を賭す者尠からざる由なり。晡下NHK總合テレビに女子蹴球倫敦五輪亞細亞豫選日本對北朝鮮戰を看る。終始劣勢、後半三十七分北朝鮮の自殺點にて一點先取せしが、終了間際鮮やかなるシュートを食らひて引分け。負け試合なり。ベンチの壁面に「日本女足國家队」と讀めり。队は隊の簡體なるべし。今夕錄畫し置きたりし三重テレビ淺草お茶の間寄席に昔昔亭桃太郎のぜんざい交社、桂平治の酢豆腐を聽く。
朝風いよ/\冷なり。快晴の空雲翳なし。書齋ベランダの竹製緣臺に腰かけ一服するに、虻一匹來ること日課のごとし。同じ虻なるにや、去年の夏も一匹來りて節の切口に穴を穿ちて巢をつくりたりき。今年も余のまはりを姑く飛囘りて、切口に留りて節の中心の薄きところを丹念に食破りて中に巢をつくるなり。一心不亂に作業を行ふさまを見るにつけ、余は只感心するなり。地球は昆蟲の惑星なりとは養老孟司の言ふ所なり。午後三郷ことぶきの湯に徃く。枕頭ハルキ文庫版古典落語③長屋ばなし㊤に柳家小さんの粗忽長屋と志ん生の火焰太鼓を讀む。つゞけて古典落語③長屋ばなし㊦に古今亭圓菊のまんじゅうこわい、三遊亭小圓朝あくび指南、春風亭柳枝の野晒しを讀む。柳枝野晒しのサゲを事前に解說す。ハルキ文庫版の底本は昭和四十九年刊の角川文庫版にて、當時旣に寄席の客は太鼓の皮が馬の革なるを知らざりしと見ゆ。三遊亭圓生らくだを讀む中いつか眠りに落ちたり。
開け放ちし窗より吹入る風の冷なるにいつよりも蚤く眠より寤めたり。案頭の時計六時半を示す。快晴の空拭ふが如し。午後病院に徃き藥を乞ふ。主治醫の瘦せこけたるに一驚を喫す。顏は土氣色をなし、二週間前とは別人の如し。凉味襲ふが如し。秋立ちてより初て汗をかゝずに日を暮らしたり。夕餉の後ベッドに橫り、ハルキ文庫版古典落語③長屋ばなし㊤に三遊亭圓彌初天神、三遊亭金馬蟇の油孝行糖、柳家小さん三軒長屋、入船亭扇橋長屋の花見、桂三木助時そばを讀む。三更BSプレミアムに男子蹴球世界選手權豫選日本對ウズベキスタン戰を見る。タシケントのスタジアム看客は男ばかりにてむさくるし。前半一點先取されしが、後半二十分岡崎が滑りこみて頭で押込み同點となす。殘り時間二十分となりし頃睡眠を催し如何ともすること能はず、消燈す。
ふりつゞきし雨晝前に晴れて時々靑空を見る。午後何となく氣分すぐれず臥牀に橫りて志ん生のお直し風呂敷を聽く。夕餉を食しながらNHK總合テレビに女子蹴球倫敦五輪亞細亞最終豫選日本對濠太剌利戰を見る。日本選拔チーム充實の試合運び、一對零にて快勝す。三連勝なり。日の暮るゝや蟲聲雨のごとし。半月あきらかなり。
惡夢を見る。朝來大風雨。豫約し置きたる志ん生のCD二枚確保せし由市立圖書館より電話あり。十時過雨小止みしたれば圖書館に赴かんと駐車塲に赴くに、突然大雨車軸の如し。紀伊半島は總雨量千五百ミリを超ゆる所もある由なり。今年の日本は災害の當たり年といふべし。歸途舊抑欝亭前の市塲Tに立寄り夕飯の食材を購ふ。薄暮雨やみて涼風殘暑を洗去る。電腦の全文檢索ソフトを新調す。余本年二月より探三郎といふ軟件を用ゆ。至極便利なれど、唯一の瑕瑾はユニコードに對應せざる事なり。余はあらゆるテキスト文書を UTF-8 にて保存するを常とするなれば、是非にもユニコード對應の無料軟件を使ひたしと思ひしに、先日 butterfly_search なる軟件あるを發見し、この日試みたり。對象となす文書七九七九本、容量一・五ギガバイト分の索引二時間ほどして完成す。
朝來欅の幹も折れんばかりの大風牖戶を撲つ。颱風十二號室戶岬に上陸して四國を北上するも速度わづか時速十キロメートルにて遲々として進まず、さながら牛步の如し。雜誌の稾五枚つくり編輯長に送る。初更NHK衞星第一放送に女子蹴球倫敦五輪亞細亞最終豫選、日本對韓國戰を見る。前半好調なりしが後半疲れの出でしにや終始攻め込まれ苦戰、然れど二對一にて勝利す。沢穂希安定感拔群なり。枕上桂米朝の本能寺を聽く。
空黯澹たり。中庭に市塲か便利店のプラスチック袋東南の風に煽られてくる/\と天に卷き上げらるゝさま愈〻颱風の近きを知らしむ。馬德里の書肆 Casa del Libro よりセルバンテス全集及び El Pequeño Larousse Ilustrado 2011 屆く。梱包の頗粗末なるを見て慈君呵々大笑せらる。群像九月號に揭載せらるゝ豫定なりし高橋源一郎の新作小說戀する原發、揭載中止となりたる由。目下高橋氏編輯部講談社の三者協議中の由。日も亭午の頃雨降り初む。黃昏風雨襲來。今宵は某劇團の芝居に招待せられしかど持病ある身なれば辤して東上せず。グーグル株式會社 Chrome 公開三周年を紀念して過去二十年に及ぶウェブ發展史の槪念圖を發表す。余が初めてパソコン通信を行ひしは一九九五年七月の事にて、Nifty-serve を使ひたりき。翌年日本IBM の People といふサービスに加入し、九六年二月インターネットに接續したりき。ブラウザは WorldTalk といふものなり。同年十月 Netscape Navigator 4 を用ひ始め、翌九七年二月 Internet Explorer 3 に乘換へたり。二〇〇三年 Sleipnir と Opera を使ひ分け、二〇〇四年四月 Firefox を知りて現在に至るなり。
舊八月四日。二百十日の厄日にて空けふもどんよりと曇りて時〻小雨あり。東南の風烈しく颱風の近きを知らしむ。追試驗の當日なれば九時豐田學舍に赴く。つく/\法師の啼きしきる聲せはしなく、蒸暑くして行水つかひたきほどなり。一限Y君、二限はF君なり。F君去月の定期試驗はスポーツクライミング亞細亞ユース選手權大會の日程と重なり缺席を餘儀なくされたり。今朝一箇月ぶりに會ひて大會の成果を問ふに見事優勝を果たせりといふ。殊勳を祝福して後試驗を行ふ。Francisco Ayala の隨筆集 El tiempo y yo, o El mundo a la espalda を讀みつゝ監督を行ふ。十一時半終了。ブックオフに赴きDVD及びCD三十四枚を賣拂ふ。査定に小一時間かゝる由なれば、いなやに赴ききしころを食す。正午過のことゝて店内滿席、壁際の椅子に腰かけ、ふと壁を見やるに、〈食べログ Best Restaurant 2009〉と書きし金色の證書、小さなる額にしてかけたり。余十三年前尾張の地に來りて適この店を知り、きしころを好みて食しぬ。けふ重ねて是を口にするに、その味十三年前と更に異なる所なし。時分時には食客陸續として絕えざるも宜なる哉。何年たちても店の品物を粗惡になさゞるは當今の如き世にありては寔に感ずべきことなり。當世の日本人初めて商舖を開くや初めの中は勉强して精出すと雖も、少しく繁盛すると見れば忽品質をわろくして不正の利を貪るものなり。啻に商人のみならず是日本人一般の通獘なり。余常にこれを憎むが故に、たま/\いなやのきしころを食して、その味の依然として醇美なるを知るや、喜びのあまり大に主人の德義を稱揚せずんばあらず。再びブックオフに赴くに、買取り價格二萬三千五拾圓を得たり。理髮舖に立寄り、一時家にかへる。曾田純氏作成のFTP軟件FFFTP去月末を以て開發終了せらる。余は十年ばかり愛用して今に至るなり。今後もオープンソースの軟件として公開せらるゝ由。NHKラヂオ第一第二FM放送インターネットにて同時配信開始。
黒沢清 DVD-BOX PULSE | 五千圓 |
ウディ・アレン コレクション DVD-BOX | 千三百圓 |
笑う犬の生活三枚 | 各九百圓 |
笑う犬の冒険七枚 | 各九百圓 |
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