陰晴定らず。風寒し。胃痛痊えず朝飯夕飯は食はず。午下飜譯を畢りて半日臥褥に在り。晚間母上と諧語、胃痛少しく痊ゆ。
胃痛を冒して飜譯三分の二を畢る。食慾進まざれど夕飯を少し食ふ。
快晴。小試驗の採點をなす。午後家庭内に椿事あり。上京の豫定取消す。急性胃炎に似た痛みを感じ、被を擁して臥す。
雨やみてはまた降ること梅雨の如し。西班牙の新聞にFCバルセロナ二對零にてマンチェスター・ユナイテッドを下し歐州チャンピオンズリーグ優勝の記事あり。授業を始むるや忽ち汗流れ出でハンケチもて終始額を拭ひたり。今學期最初の小試驗を行ふ。右足首を骨折せしS 君授業に復歸せり。履修者はほゞ全員體育學部なれば每年この時期は骨折や捻挫で松葉杖を用ゆる學生一人二人あり。一時過家に歸り食事をなすに、待ちくたびれしにや、アサリ鳥籠の屋根をトコ/\步み來りて余の箸に乘り戲る。食事を濟ませたくとも箸に乘りしまゝ離れず、余の鼻先や眉毛など嘴にて輕く突きて遊ぶさま愛すべし。航空券ホテルの豫約など公演關聨の雜事を畢れば日は旣に沒したり。
陰。Vista Service Pack 2 を安裝するあひだ、宅急便配送センターに赴き用事を辨ず。秋公演の準備始まり、報道機關各社宛の資料や航空券の手配など雜務餘事なし。日暮れて暗雲次第に天を蔽ふ。明日は雨なるべし。春以來新聞紙にパキシルなど四種類のSSRIに他人への攻擊性や激昂を催す副作用ありとの記事度々あり。我が身を振返るに、平成十六年春より秋にかけて父上母上に激昂し暴言を吐きしこと幾囘なるを知らず。喉も嗄れんばかりに怒號し、余自身も驚きたり。當時は一日三囘パキシルを常用したりき。今日に至りてよく/\思へば副作用の所爲なるやも知れず。
薄く晴れて風なく蒸暑し。プレスリヽースを作成す。午後超級市塲Sに赴き北海道產の米なゝつぼしを購ひ、病院に徃き主治醫に診察を請ふ。調子惡しからず仕事順調、然ればこそ荷下ろし鬱に注意されたし、無理な仕事を斷るも大事なりと助言せらる。皮膚科に立寄る。受附開始まで十五分ほどあり、後山公園の東屋に小憩す。五時家にかへりプレスリヽース作成のつゞきをなす。
晴れて風爽なり。奉納公演に關する雜亊に追はる。無料の本地軟件檢索ソフト Everything を安裝す。起動後僅一二秒にしてインデックス作成され檢索は待ち時間なし。驚くの外なし。Vista 標準裝備の檢索機能は無用の長物となれり。北朝鮮地下核實驗と同時にロケット發射實驗の報あり。春以來金正日の老弱と軌を一にするやうに見ゆ。
陰晴定らず。理趣經を讀む。大相撲千龝樂中繼を見る。勝敗によりては四人による優勝決定戰の可能性あり。二敗の稀勢の里鶴龍を寄切りて二敗を守るも、一敗の日馬富士琴歐洲を首投げにて土俵に轉がし稀勢の里の優勝はなし。同じく一敗の白鵬朝靑龍を寄切り、日馬富士と白鵬の優勝決定戰となれり。日馬富士白鵬の右脚を右手で押へて下手投げで破り、大關三塲所目にして初優勝を果す。序二段優勝の天綠、インタビューに應じて喜びを素直に語るさま頗る愉快なり。若き力士に珍しく辯舌淀みなく、さりとて技巧に走らず、聞く者をして覺えず耳を傾け微笑ましむるなり。性格の良さ言葉の隅々に明かなり。解說者北の富士も舌を卷き藤井康生アナウンサーも感心するほどなり。この日ジェシーこと元高見山東關親方角界引退。余が名古屋塲所に赴き、入口にて親方のもぎりをなすを見て驚きたりしは平成十二年なり。
半陰半晴。西北の風强し。河原鶸ピリヽ/\と囀りながら中庭を飛び行く。下痢頭痛痊ゆ。午下買物。晴丘交叉點のデニーズ店舖跡に丸源といふラーメン屋出店し、元氣壽司は酒のすぎたといふ大型酒類販賣店となる。盧武鉉前韓國大統領自宅裏山より身を投げ自殺せり。日馬富士朝靑龍を外掛けでひつくり返し一敗を守る。八年前に購ひし ThinkPad iSeries 1800 のハードディスクを CrystalDiskInfo で點檢、何ら異常なし。
細雨烟の如し。終日門を出でず。草藁を添刪す。金剛峯寺に提出すべき書類一點失念し、直に作成して送る。大相撲夏塲所全勝對決白鵬對日馬富士を看る。日馬富士頭をつけ腰を引き、前塲所敗れし時と同じ體勢なり。健鬪するも裾拂ひを食らひ一敗を喫す。
曇りて蒸暑し。平常授業。學生と倶にベネズエラのエンジェルフォール、ペルーのマチュピチュ、バルセロナのサクラダファミリア等のビデオを觀る。郵便局圖書館に立寄り歸宅。階下のK家轉宅の最中なり。執筆六時間、懸案の草藁十八枚漸く脫藁するを得たり。休む間もなく昨日につゞきて西班牙の旅行代理店A社に徃復渡航券豫約の手續をなす。タバコを購はむとて便利店に赴くに帳塲にマスク品切の貼紙あり。豚インフルエンザ流行の故なり。金剛峯寺にての將棋名人戰第四番、郷田九段勝ちて二勝二敗とす。この日裁判員制度始まる。
晴れて溽暑甚し。西班牙の旅行代理店A社と電子郵件を遣り取りして交涉、便の取消手續に丸一日を費やす。合間に執筆一二枚。金剛峯寺奧殿にて羽生善治と郷田真隆の名人戰七番勝負第四局始まる。
朝の中曇りしが午後に及びて晴渡れり。日脚突然長くなりたる心地せり。日脚助成金申請書を作成し連載の藁を脫す。二時過ぎ疲勞し、一睡を試みむとて橫臥忽ち華胥に遊ぶ。夕食の後懸案の草藁をつくること漸く十枚なり。西班牙の旅行代理店A社より電子郵件にてエールフランス便航空會社の都合により取消されし由通知あり。春以來便の變更取消は三度目なり。頼近美津子の訃に接す。享年五十三。テレビファソラシドにて永六輔タモリ加賀美幸子と共演せし頼近が先に他界するとは夢にも思はざりき。昨日ミャンマーにてアウン・サン・スー・チーの極祕審理始まる。湖を泳ぎて來宅した米國人の憔悴を憐れみ招き入れたるをミャンマー軍事政權は國家轉覆容疑となす。
快晴の空拭ふが如し。午下三好に赴きクリント・イーストウッドの最新作グラン・トリノを看る。演出物語演技唯只驚くより外はなし。俳優イーストウッドに壓倒さる。モン族の子役佳し。監督イーストウッドは老成せず、巨匠といふ稱號も似つかはしからず。怪物なり。公開一ヶ月にならむとするに中高年の客多し。アメリカにてはイーストウッド監督作品最高の興行成績を收めたる由。家に歸るに緊急の執筆依賴あり。大阪兵庫にて新型インフルエンザ罹患者百三十五人に及べり。殆十代ばかりなり。老人には旣に抗體ありとの說あり。マリオ・ベネデッティ歿。享年八十八。
雨歇まず。梅雨の如し。低き雲の南から北に流れ行くさま何やら薄氣味惡し。河原鶸三羽空地に戲るゝを見る。新聞紙テレビ連日大阪兵庫の新型インフルエンザ流行を報道す。我家の郵便受にも役塲發行の豫防策ビラ投込まる。文言次の如し。
外出時にはマスク(不織布製)をつける
手洗いやうがいを積極的に行う
咳やくしゃみのときは、ティッシュ等で口と鼻をおさえ、他の人から顔をそらす
アルコール消毒薬で手指の消毒をする
栄養や休養を十分にとって、抵抗力を高める
朝來雨蕭條たり。久しく日照りつゞきの後なれば淋鈴の聲亦興あり。五枚ほど書きしまゝ頓挫せし草稾早く完成したきものなれど着想浮ばず。煙草を購はむと傘を携へ階段を下りるに學童四人玄關ホールに雨を避けてベイブレードに興じ叫聲笑聲相交りて喧噪かぎりなし。近鄰に遊び塲なければ同情に堪へざるなり。宇宙人こと鳩山由紀夫民主黨代表に選出さる。初更東海テレビにロン・ハワードの活動寫眞ダ・ヴィンチ・コードを看る。凡作。トム・ハンクス最終塲に至るまで着替へざるにも關らずシャツもスーツも皺一つなし。呵々。女主人公放映中渡航歷なき神戶の高校生八人新型インフルエンザ感染の臨時ニュース二度流る。新聞紙に文化審議會國語分科會の漢字小委員會なる組織に新常用漢字表試案に對する世間の意見報告されしとの記事あり。追加希望多き字に鷹碍睦柿迂哺など。碍の採用を望む。不可解なるは鬱を除外したき聲多きことなり。定めしうつ病などと交ぜ書きするを好む者なるべし。彼らは鬱屈を平氣でうっ屈と書くものと見ゆ。うっ憤うっ屈うっ血など見苦しきこと甚し。抑も政府が漢字使用の制限を行ふは愚の骨頂なり。漢字廢止論者の亡靈今も成佛せず。
九時過ぎ起き出でゝ日課の如くサイトを閱覽するに、語尾取りとりかえつ語の文字情報跡形もなく消え去りゐたり。金剛峯寺より送られしメールも屆かず、然れど幸にして豫備轉送先の Gmail には屆きゐたりて事なきを得る。サーバーを點檢して、舊意味なし揭示板に迷惑投稾殺到したるが原因と判明せり。その數厖大、容量にして悠に四百メガバイトを超ゆ。ディレクトリごと削除し、昨夜保存せし語尾取りとりかえつ語の文字情報を上載して平生に復す。當今標的のサイトを無作爲に選びて意味不明の文字列を自動的に書き込むプログラム互聯網に橫行す。午後商業文執筆。一睡の後執筆の興を催し、連載の稾を脫したり。初更寢に就き、フジテレビ系列東海テレビに金曜プレステージ・森光子獨占密着五三三日放浪記二千囘(祕)舞臺裏といふ特別番組の後半三十分を見る。
快晴。西北の風吹きすさみたり。通常授業を行ふ。二限の學生に履修者名簿にその名の記載されざる者あり。授業後倶に敎務課に赴き確認するに、余の授業をK先生の授業と勘違ひして今日まで出席しゐたると判明せり。件の學生汗顏の至りで平身低頭す。余はしつかりしたまえと笑ひて別れしが、思ふに余も粗忽天皇、學生時代は斯くの如き粗忽日常茶飯事なりき。午後歸宅するに漸く執筆の興を催し連載の稾を脫し得たり。
心倦み疲れて草稾をつくる氣力なし。終日眠りつゞけて日暮に起きたり。
薄く晴れて溽暑甚し。今夏三伏の苦熱思ふ可きなり。母上を伴ひあぐりん村に赴きジャム用苺を購ふ。午後疲勞して一睡、主治醫に診察を請ふ。筆とる氣力なし。夕餉に鷄魚の刺身と潮汁を食す。味佳し。アントニオ・ベガの訃報に接す。享年五十一。夜に入りて雨ふる。
朝おそく起出で顏を洗ひ飯を食ひ煙草を一服すれば忽午なり。薄く晴れて風靜なり。暑氣甚しく今日も攝氏三十度に及ぶ。机に凭りしが筆進まず懊惱甚しければ已む。雜誌一册購ひ理髮舖に立寄る。叔父Y家系圖ファイルを送らる。初更舊同僚T氏來りて、今朝大王崎にて釣りし鷄魚(イサキ)五尾を餽らる。大魚驚くの外なし。森光子現役俳優初の國民榮譽賞。小沢一郎民主黨代表辭任。鳩山由紀夫幹事長も辭任表明す。今夜もNHK總合テレビに忌野清志郎追悼番組第二囘 SONGS 忌野清志郎ライブ完全版を看る。曲目を爰に記す。
惡夢より寤むれば十時過ぎなり。風絕えて暑きこと三伏の如し。居間の寒暑計二十五度を示す。外は三十度なり。半袖シャツで過す。終日電腦の鍵盤を打ち英文脫稾。千三百語に丸一日を費やしたり。途中珈琲を淹れがてら居間のテレビを見やるに、BSハイビジョンにてジョン・フォード搜索者放映されゐたり。スピルバーグ宇宙戰爭の幕切は搜索者そのものなり。夜に入りても氣溫下がらず、風呂より出づるや汗居ながらにして湧きたり。深夜NHK總合テレビに忌野清志郎追悼番組愛し合つてるかい?~キング・オブ・ロック忌野清志郎を途中より見る。昭和五十八年元日放送されし敎育テレビYOU特番のライブなり。觀覽の男女みな黑髮。曲目を茲に記す。
晏起午に近し。晴れて風さはやかなり。朝餉のサラドを食ふにアサリ俄に興味を示し、食卓に降り來りて鹽揉みのキャベツをつゝくこと頻なり。然れどつゝくばかりにて咀嚼するには至らず。午後久振りに英文執筆。八百語に半日を費やしぬ。S子母上にカーネーションを餽らる。明日母の日なればなり。森光子八十九歲の誕辰にして帝國劇塲の放浪記通算二千囘公演に達せり。余が觀たりしは平成八年なり。森の若さ際立ちたりき。小鹿番の旣に鬼籍に入りしは痛恨の極みなり。靑山葬儀所にて忌野清志郎の葬儀あり。清志郎さん今日晴れたよに始まる大竹しのぶの弔辭を新聞紙上に讀み暗淚を催す。
雨漸く霽るも陰晴定らず。風濕氣を帶びて蒸暑し。午後草稾一二枚かきて後、母上花粉症の治療のため車に乘せ耳鼻科に赴く。川沿の民家に黃色い薔薇の花今を盛りと咲き亂れ、老人一人望遠レンズ附きの寫眞機を構へ撮影しゐたり。美容院軒先の親燕電線に憩ふ。燕の子まだ巢立ちせぬやうなり。途次古戰塲公園の郷土資料室を訪ね、開館時間を調ぶるついでに小牧長久手合戰繪圖を眺む。二階に姉妹都市ワーテルローの展示室あり。長久手と白耳義王國ワーテルローはともに歷史的合戰の地として平成四年に姉妹都市の提携を結びたり。Waterloo の語源は小川の水が流れ込む低い草原にして、長湫の語源も細長い濕地帶なるは頗る興味深し。耳鼻科は患者尠く、週刊文春ゴールデンウィーク特大號小林信彦のコラム本音を申せばに天皇皇后のバンザイ・クリフ探訪を讀めば直に母上の診察畢りぬ。ホームセンターに赴きセキセイ鸚哥の混合餌とオーツ麦を買ひ、アオキスーパーに刺身等を求め、藥局に花粉症の藥を貰ひ、田圃を拔けてバローに赴く。插秧早くも終りて水田一望靑綠染むるが如し。園藝店くすの木に中型植木鉢一個を買ふ。常滑產にして六百圓と廉價なり。アミカに足を伸ばして菓子類を購ひ、農協に立寄りて野菜を求め家にかへれば五時にならむとす。雲いつか散じて一天拭ふが如し。アサリとシジミに夕食のオーツ麦をやる。今年始めて蕨餠賣の聲を聞く。
霖雨霽れず。中庭に燕の子雨を衝いてぎごちなく飛ぶを見る。澁滯を虞れていつもより早めに出發す。交通量存外少なし。豐田校舍のヒトツバタゴ通稱ナンジャモンジャの木今年も花咲きたれど、盛は過ぎしにや半ば葉に蔽はれゐたり。鶯の聲頻なり。通常授業を行ふ。敎室内溽蒸甚しく、立ち續けて話せば汗流るゝばかりなり。一時歸宅。昨日アマゾンに注文せしトモエ算盤社製ブックストッパー早くも屆き一驚を喫す。小賣店の競爭熾烈を極むるべし。舞臺制作の雜務に追はれ、合間に草稾をつくらむとせしが今日も感興來らず。書くべき草稾山積、暫し途方に暮れ、日もまた暮れぬ。夕餉にたらの芽鮎の子の天麩羅を食す。
雨やまず。母上を耳鼻科に送らむとして休みなりと告げられ、初て振替休日なるに心づきたり。筆秉るも感興來らず。懊惱甚し。夕餉に蜆飯たらの芽の味噌燒芹と三つ葉のお浸しを食す。三越池袋店閉店。
終日雨歇まず。十時NHK-FMに女東海林太郞こと大貫妙子の懷かしい未來初囘再放送を聽く。第一囘出演者山下達郎。頃日疲勞を覺ゆる事甚しく今日も午睡半日に及ぶ。夕餉に芹のお浸しと獨活の酢味噌和へを食す。端午の佳節なれど特に記すべきことなし。
陰晴定りなく風ありて雲行穩かならず。昨夜便祕に藥效ありとてN子の勸むるがまゝアロエを葡萄汁に混ぜて飮みしが一向に效目無し。余が便祕は數十年に及び難攻不落の要塞の如し。これまで最も效果ありしは南京豆なり。電線に河原鶸二羽來り、その向ふに燕四羽飛交ふ。本年は燕の姿頓に減り、稀に飛ぶを見るのみなり。室内にてはシジミがストーカーの如く籠の外よりアサリにつきまとふこと日課の如し。龜屋芳廣の柏餠と井筒生八ッ橋を食ふ。六時半N子を驛に送る。この日みどりの日。
拂曉目覺めて思ひがけず忌野清志郎の訃報に接す。享年五十八。執筆忽ち日は午なり。二時過ぎ疲勞して午睡を試む。夕刻北海道より伯母K從兄S來宅。伯母と逢ふは一箇月半振り、從兄は一年振りなり。N子が伯母と逢ふは二十五六年振りなり。伯母は母上より十歲年長なれど實年齡より七八歲は若く見ゆ。母上と竝べば背格好容姿瓜二つでN子も余も一瞬見まごふほどなり。丸井今井の支援企業三越伊勢丹ホールディングスに決りたる件につきて一同異口同音に疑義を呈す。コーヒーを喫して小憩し、五時半梅の花に赴き、爽といふ季節料理懷石コースの晚餐をなす。昭和三十年代の札幌の思ひ出話、歡樂街すゝきの全盛時代の話など興味盡きず。諧語に時の移るを忘る。初更驛に送りて別る。札幌土產の月寒あんぱん山親爺を食す。この日憲法紀念日。
晴。終日家に在り。N子朝食を濟ませるや直に寢に就けり。午後執筆少々、疲勞を覺え午睡を貪り、寤むれば日は暮れむとす。
陰曆四月七日。晴。雜文執筆に追はる。貞房先生私家版新著を贈らる。題名に心打たれ、獻辭胸に響き、一讀感に堪へず。初更驛に赴きN子を 迎ふ。上弦の月明なり。