今日は晴れたり。森林公園散策例の如し。午下父上母上迎へに來らる。レモンを托しき二時五十一分新幹線にて名古屋驛を發し東京へ向ふ。乘客幸にして輻湊せず。五時半森下のホテルに到着す。受附の中年男物腰柔らかにて相貌北野大と瓜二つなり。部屋に荷を解きオリジン辨當に夕食を購ひ宿に戾るに、ロビーの應接セツトに妙齡の美女あり。部屋に上り夕餉をなさんとせしが、扉を叩き余の名を呼ぶ女の聲あり。開くに先刻の美女現れて阿部と名乘り、傍らに西班牙人男女同伴し居たり。此時始めてアンドレウとファラの余と同宿するを知り一驚を喫す。演出家協會S氏の余に事前聯絡なさゞるは如何なる所以なるや。町内の囘轉壽司屋にて晚餐をなさむと欲する由なれば同道す。アンドレウは余と同年なり。四十年前父君母君東京に在り、姉の生まれたるも東京においてなりといふ。苗字ゴッシェウスキーの由來を問ふに波蘭系の由、母君は獨逸人なりとぞ。今宵の收獲はファラのテトゥアン生れなるを知り得たることなり。余がテトゥアンを旅せし時十歲の少女なりといふ。モロッコの羊の祭儀、壯大なる婚儀の習慣など話題盡ず。初更喫茶店に河岸を變へ明日の豫定を確認す。直に阿部氏歸り去り、アンドレウとファラを伴ひホテルにかへる。晚涼心地よし。
今日もまた雨なり。午前端書を投函せむと雨の小止みを幸に郵便局に向ふに大雨沛然として濺ぎ來る。やまとの湯に浴してかへる。飜譯添削例の如し。演出者協會S氏より來書あり。梅が丘の講習會についての用談なり。セゾン財團F氏の書に接す。ラモス=ペレア氏原藁執筆快諾せられし由なり。晡時空漸く晴渡りたれば森林公園を逍遙す。大道平池の水さらに增し池邊の小道を將に浸食せむとす。歸途ござらつせに立寄り揉み療治をなす。旅裝を整ふ。夜に入りて纔に涼風を得たり。イチロー大リーグ通算六百本安打を達成す。僅か三年の間を思へば壯擧といふべし。
天候尙恢復せず。時々雨あり。午下藤が丘にて新幹線の切符を購ひ、大學に赴く。矢田川沿ひの道傍の草背丈大に伸び茫々たり。構内に入るは三月末以來なり。學科共同硏究室に徃くにF氏旣に來りて在り。前任S氏より讓受けし『悲劇喜劇』旣刊號を筐に收む。F氏に招がれ硏究室にて小一時間雜談す。敎員センターにて職員に挨拶、S氏H氏に逢ふ。木曜まで前期試驗の由なり。二時半歸宅。飜譯二枚かき得たり。ボブ・ホープ歿す。享年百の大徃生なり。
雲重く時々雨ふる。朝餉をなし書簡をしたゝめ、嗜讀の書をよむほどもなく、いつか午に至れり。『トーク・トゥ・ハー』の初囘をみむとて三好に徃くに旣に入塲を締切り居たり。昨夜映畫舘の網站を調べるに一時半上映とありしは如何なるにやと受附孃に問ふに、管理者の誤りなるべしとのことなり。無駄足にするのも悔しとて『ターミネーター3』を看る。退屈甚し。晡時歸宅。レモンの羽生變らむとす。
晏眠十時に及ぶ。晴れたる空には雲多く浮びて折々曇る。机に凭るに政治家の廣報車の聲四鄰に興り喧囂極りなし。聞くとはなしに聞くに自民黨と共產黨なり。自民黨は市議にて尾張旭の發展に全力を盡くす所存なりと叫び續けたり。共產黨員は過日未明可決されしイラク復興支援特別措置法案と政府不信任案の否決されたるに就てなにやら喋々と辯じ立てり。イラク戰爭の大義名分は大量破壞兵器の殲滅なりしかどいまだ兵器發見されざるに、過日米軍サダム・フセインの息子二名を殺害しぬ。兵器あらば二名其の在處を知るべし。生かして捕へ裁くべしといふ者イラク國民にもあり。米國の野蠻こゝに極まれり。午下岩屋堂國定公園に赴くに雜沓甚しく駐車塲に近づくことさへ能はざりき。靑少年公園の閉鎖されたるが故なるべし。觀念してかへる。昨日宮城縣に大地震三度あり、速度阪神大地震を凌ぐといふ。今夕ふたゝび大地鳴動せし由なり。午睡。燈刻實家に徃き晚餐をなす。獻立は炭火燒の鰻、寄せ豆腐、糠漬、蜆の味噌汁なり。初更歸宅す。晚涼心地よし。
空晴渡りて涼風颯々たり。書齋寢室の塵を掃ひ洗濯をなしレモンの籠を掃除す。飜譯二三枚をなし得たり。午後橫臥し讀書數册、シティボーイズ・レトロスペクティヴのDVDを看る。『鍵のないトイレ』より『NOT FOUND ~非常識な靑空』に到る六枚組なればいづれもビデオにて繰返し鑑賞したれど、仔細に看るに編輯カット割微妙に異なれり。燈刻祭囃子の響、本地ヶ原公園より興る。來月九日稻葉町にて第二十五囘納涼花火大會の催さるゝ豫定なれど、沿道の田圃を潰し萬國博覽會の駐車塲を建設する計畫あり、ほかに適當な土地のなき故今年が最後の大會なりといふ。若き女の浴衣を著るもの折々見かけたり。洋服より形稍好けれど、著替へ人形の如きありさまなれば貧しげに見えて氣の毒なるさまなり。晚間の風、淸涼水の如し。
午睡より寤むれば朝の五時なり。退職の後始めて惡夢に苛る。風ありて暑氣稍忍やすし。暑中見舞をしたゝめしのちクリニックに徃き診察を請ふ。來週の上京に備へ睡眠藥の處方を乞ふに快諾せらる。歸途森林公園逍遙、やまとの湯露天風呂に浴す。模擬試驗作成添削例の如し。レモン掌に餌を啄む。カイ/\と囁けば必頭を伸ばして余の聲に應じ痒き處を示す。指先にて掻くに瞳を閉ぢ恍惚とするなり。侯孝賢の『咖啡時光』製作發表記者會見あり。小津の百囘忌に完成披露する由なり。夜に入りて涼風颯々たり。
朝來微雨、十時頃霽ゝるに蟬一齋に啼く。星が丘三越に趣きソフトキャリーケースを購ひ、歸途ござらつせに立寄り揉み治療をなす。いつの頃より工事を起したるにや、グリーンロード一帶の道幅を擴げんとて、高速入口の邊より脇交叉點へかけて地面を掘り下げたり。杁ヶ池交叉點にリニアモーターカーの高架將に繫らむとす。經費は夥しきものなるべし。午下添削日課の如し。演出家協會O氏より來書あり、國際部長に就任したる由なり。新聞紙米陸軍第百一空挺師團や特種部隊抔のイラク北部モスルにて地元部族の幹部宅を取圍み集中砲火を浴びせること六時間、フセインの息子ウダイ、クサイ兩氏を殺害せりと報ず。いづれの新聞にも暗殺の二字のなきは如何なる故歟。桂三枝上方落語協會々長に選ばる。二時睡魔に襲はれ臥牀、忽華胥に遊ぶ。
朝來淫雨濛々。暑中見舞屆く。大暑なれど涼味秋の如し。書簡數通したゝむ。添削日課の如し。昨夜深更ビデオに錄りしNHK「たゞ一擊にかける」を看る。世界劍道大會十二連霸を達成せし主將栄花直輝氏のドキユメンタリーなり。北海道警察機動隊員の由、予の劍道に勵みたりしは三十年前大麻に在りし時なり、擔任富樫先生を始め中年の師範數人の中に栄花といふ老齡の師範あり、背丈百五十センチほどの小兵なれど純白の胴着袴に赤胴姿にて立居振舞ひ凜として嚴なりき、北海道に知らぬ者なき大師範なり。直輝氏は孫或は親族なるべし。午後やまとの湯露天風呂に浴す。七時半實家に徃き穗別產メロンを食す。夕張メロンに較ぶるに遜色なし。初更家にかへる。雨歇まず。
雲氣鬱勃、風絕えて蒸暑し。今夏始めて森林公園に蟬の聲を聞く。添削例の如し。新國立劇塲H氏より秋のナチョ・ドゥアト公演プログラム飜譯の依賴あり。二十日神田の明治古典會古書大入札會にて荷風先生の『墨東綺譚』自筆淨書原藁出品されしかど、入札者あらざれば取引成立せざり。入札最低價格は三千萬圓なり。晚間實家に徃き夕張メロンを食す。初更歸宅。
昧爽風雨音に眠を破らる。風雨沛然たり。大暑を迎へんとするに黴雨猶去らず。九時父上と地下鐵にて八事に徃き、中京大學にて田中宇(さかい)氏の講演を聽く。聽衆は百名程なり。予の始めて田中氏の郵件雜誌を講讀したりしは三年前の頃ならんや、イラクやアフガニスタン抔世界各地の見聞頗る新鮮にして各國の報道への目配り周密なること新聞紙雜誌等紙媒體の及ばざるところなり。辯舌巧みならざれど、パキスタンとサウジアラビアのタリバンを支援せし經緯や米國報道機關の組織的宣傳ぶりなど面白し。田中氏は曾て共同通信社に勤めし時某大新聞のワシントン支局長と會談したる由、支局は窗よりホワイトハウスを望む處にあり、支局長の身ならば當然官邸に日參し取材したるべしと田中氏の思ひたるところ、支局長の官邸に赴きたること一度もあらざる由にて、晝夜をとはず米國報道の飜譯に勤しみ居たれりといふ。わが現時の報道界は米國植民地時代を未だ脫せざるものと謂ふべし。今日の講演は中京大學サマーセミナーの一環にて、午後より養老孟司の講演あり、明日は伊達公子も來る由なり。正午驛にて父上と別れ榮に出で、藝術文化センターにて日本水彩畫展を看る。Koji 氏の靜物畫は背景の雅趣いはく言ひ難し。ロビーに邊り憚らず大聲にて雜談に興ずる中年四人あり。名古屋人の聲の大なるには最早驚かざれど美術舘にて喧騷を催すをみるに至りては野蠻といふほかなし。名古屋ボストン美術舘の閉鎖惜しむに足らず。三時實家に寄りメロンを食す。晡時歸宅。燈刻散髮。
午睡より寤むれば朝の五時なり。空どんよりとくもりて風絕えたり。午後微雨。九州は豪雨なり。予が三十八年の誕辰なり。晡時四軒家の北に烟濛々たり。失火なるべし。胃痛を忍びて當世學生氣質をよむ。
晴雨定まりなし。やまとの湯露天風呂に浴し、市立圖書舘に立寄り數册借り、ござらつせにて揉み療治をなす。Sさん熊本土產を送らる。困憊甚し。橫臥するに忽華胥に遊べり。
くもりて風寒し。午後微雨降來ること數次なり。阿武松部屋の朝稽古を窺見て後、公園をあゆむに人尠し。早起散步をして半年なれど、かくも疎なるは今日がはじめてなり。手紙數通したゝむ。添削。H先生書を寄せらる。大リーグは後半戰なり。松井サヨナラ本壘打を放ち、イチロー打率三割五分四厘にて首位に立ち、野茂は三年聯續二桁勝利を擧ぐるのみならず本壘打も放ちたりとぞ。新聞紙に見ゆ。前原のI氏、愛鳥ぶーちやん手當の甲斐なく三更息をひきとりたりとのことなり。僅か一箇月の命なりき。
晴れたる空には雲多く浮びて折々曇る。公園をあゆむこと昨日の如し。陽射日ごとに强まればキャップを求めんと近鄰の運動用品店を巡るも目星きものなし、三好に出でたりしかど甲斐なし。ござらつせに浴し家にかへる。模擬試驗作成例の如し。ナフコ新裝開店せり。名古屋ボストン美術舘財政難にて閉舘するとのことなり。朝刊の讀賣新聞に見ゆ。晚間札幌のO氏夫妻より長女Kちやんの内祝屆く。獨逸サンフォード社ロトリングなり。手紙にて厚意を謝す。昨夜深更前原のI氏電話にて、セキセイ鸚哥の雛ぶーちやん病魔に襲はれ明日をも知れぬ命なりといふ。直後西班牙ギター輸入商F氏より電話あり。
涼風颯々たり。森林公園に向ふに田の茂みより珍なる鳥一羽道端に出づ。速度をゆるめ車窗より眺むれば雉の雌なり。園内札の辻池モー/\ゴー/\と喧騷甚し。ウシガエルなり。川にハクセキレイの子の水浴びするさまに暫し見蕩れぬ。歸途セブンイレブンに立寄るに偶然店内にて大島もえ市議に逢ふ。三年ぶりの再會なり。近況を問ふに每朝驛前に立ち市民に挨拶し日中は面會に追はれゝば勉强は夜間に限られ睡眠不足氣味なりといふ。顏色好く向日葵の如き笑顏の昔日と變らざるは目出度きことなり。縣立大にて事務をせられし折大に世話になりぬ。退職後母君の衆議院議員大島令子氏の祕書をなし、今春最年少二十六歲にて市議に選出されり。議員は肉體勞働でせうと問ふに頷くこと數度に及ぶ。歸宅するに熊本G氏より電話かゝりたり。共に入院せし海の病棟を退院して後一昨年福岡にて再會したるはやはり三年前なり。先年一箇月再入院し今は無職の由にて、東京に職を求むる算段なりといふ。用談は岐阜の友人の病につきてなり。名古屋市内の精神科を紹介す。添削例の如し。晡下オイルを交換せむと角のエッソに徃くに廢業したる樣子なり。給油機を掩ひたる布にモービルのロゴあり。日暮に至つて風聲秋を報ずるが如し、近國に風雨あるが故なるべし。
雨後涼風秋の如し。早起阿武松部屋の稽古を見學し、森林公園内を二周す。ツグミ芝に夥し。模擬試驗作成、添削。パリのSさんより來書あり。シャンゼリゼにて巴里祭のパレードを見物せし由なり。革命記念日の呼稱一般なるや否やを訊ねるに、手許の曆には Fete National とのみのありと荅ふ。女性名詞なれば Fête Nationale なるべし。葡萄酒に醉ひたる由、それゆゑにや、シラクを首相と呼びトゥールを Tous と綴らる。粗忽の女神は巴里の空にも艷然と微笑むと覺ゆ。S子書を寄す。結婚十周年を期に今夏ハワイ島を訪ふといふ。新聞紙コンパイ・セグンドの逝去を報ず。享年九十五。
終日雨。父上を伴ひ三好にて『スパイ・ゾルゲ』を看る。脚本演出いづれも噴飯物なり。開卷劈頭、本木雅弘の朝日新聞記者とイアン・グレンのゾルゲ特高に捕へらるゝ塲面に緊張感毫なし、二名別個に取調べを受け事の顚末を囘想するが物語の骨格なるべきところなりしかど、囘想と敍述の聯關一本調子にて語り手をふたり設けし必然性なし。さる人物に日本の戰艦は盆栽と變らざるべしと言はしむるや壁の盆栽をクローズアップにて映し戰艦をフェイドインさせるなどは、臺詞の力を信じざるを監督自ら認むるに等しき愚行なり、或は映像にて凡てを語らしむる技なきを世間に公表するに等し。自らの作物によりて往時を再現すること能はざるは、事變勃發のたびに記錄映畫を插入するをみれば明らかなり。二二六事件ならびに眞珠灣攻擊の際、少年の朝日新聞號外を配りて聲高に事件を告ぐ姿にいち/\「二二六事件」「眞珠灣攻擊」の字幕を出せり。餘程觀客も莫迦にされたるものなりといふべし。號外の紙の純白なること當節の上質コピー用紙の如し。二二六事件の將校ら霏々たる雪を步めど衣裳に一片の雪も積もらず、雪の中ゾルゲの家を出でて建物の角を曲るに、次のカツトにて雪忽然と空より消えたるは何事なるや。戰車の隊列をなして町を進むに地響かず砂塵も舞はざるは笑止千萬なり。餘十歲の頃、北海道は惠庭の自衞隊演習塲にて戰車のデモンストレーシヨンを見物したることあり。數百メートルの隔たりありしかど、轟音耳を劈き濛々たる砂塵に耳も目も機能不全に陷りき。ゾルゲのみならず獨逸人露西亞人の終始英語で會話をなすは荒唐無稽も甚し。淺草の雜踏、CG にて再現せし銀座の俯瞰映像のみ迫力あり、然れど迫力は畫面の質に據らず、スクリーンの大きさに據るところ大なり。斯くも粗末な作物に十年を費やし二十億圓を投じたる由なり。過日勸賞せし『WATARIDORI』は記錄映畫なれど制作に同額を要したり。『スパイ・ゾルゲ』は黑澤明の晚年の如きプライヴエート・フイルムなるべし。『夢』『まあだゞよ』に及ばざる所以は、偏に忘るゝを得ざる塲面ひとつもあらざる點に於てなり。二時實家にかへるにN子のデザインせしコロンバンのパイ屆き居たり。N子の作物が商品となるは始めてのことなれば直に書を送り祝福す。晡下歸宅。演出者協會封書にて來月の豫定表を寄す。
晝の中雨歇みしが夕刻よりまた降り出しぬ、書窗冥々。心身疲勞を覺え、終日睡眠を催す。讀書に堪へされば志ん朝「火事息子」「厩火事」「寐牀」「酢豆腐」を聽き、被を擁して伏す。鄰家の人傘さしかけ、雨ふる窗邊に雀の一羽しばし憩ふ。情緖卻つて晴夜にまさるものあり。衞星第二「ふたりはふたご」の過日放映終了したるを知る。サリー・ヰーラーにふたゝび謁るは何時ならんや。
曇りて風凉し。森林公園漫步。大芝生を步む。傍らに虻とおぼしき蟲の飛ぶを認むるや燕一條の黑き光の如くあらはれ捕へたり。大道平池積雨ゆゑ增水す。今年の黴雨ほど雨多きは罕なり。三郷やまとの湯露天風呂に浴し歸宅す。郵便受に守山警察署のチラシあり、讀むに昨今名古屋市内のマンションの鍵を抉開けるこそ泥の多き由にて、容疑者の服裝を素描したる畫あり。片言の靑年、スーツ姿の中年男、自動車運轉手の三人組にて、いづれも黑き鞄を襷掛けにし携帶電話を携へるが特徵なり、怪しき人物を目擊せらゝば通報されたしといふ。余は旣に若からざれど、公園に徃く際、必雙眼鏡を黑き鞄に收め襷掛けにするが慣はしなれば、不審者と疑ふ者あらはれても不思儀ならざらんや。午睡。黃昏實家にて夕餉を飯す。父上午下文化の家にて香港映畫『宋家の三姉妹』を看たりし由にて、吉永小百合の如き美少女の出演し居たりといふ。戰爭歷史映畫を好みたれば『スパイ・ゾルゲ』に誘ひたるに二つ返事で應ぜらる。紫蘇ジユースを頂戴し初更家に歸る。土屋義彦埼玉縣知事、長女市川桃子の政治資金規正法違反の責を認め漸く辭任す。過日鴻池祥肇防災擔當大臣長崎の事件に觸れて、容疑者の少年の親は市中引囘しのうえ打首にすべしと發言せり。テレビドラマ水戶黃門の流行衰へざるは勸善懲惡の思想のゆゑなり、戰後敎育に缺落せしは信賞必罰の思想なりと得意顏で辯じたり。世に政治家ほど信賞必罰の思想に緣遠き者あらむや。親を罰するは子に罪なきを認むることなり。子の罪と親の罪の別なるは論ずるまでもなし。一國の大臣にしてかくも法の觀念に乏しきは奇々怪々なり。近代法と村の掟の區別もつかぬ精神の野蠻人なり。漱石の模倣と獨立再讀す。小松方正沒す。靑年座の忘年會に同席したりしは十餘年前なり。享年七十六。
午前曇りゐたりしが午に到りて風雨瀧の如し。ヒヨドリ窗邊に來ること頻なり。S氏より電話あり、新國立劇塲にヌリア來りたるといふことなり。役塲福祉課に赴き精神病通院治療費公費負擔更新を申請す。模試作成添削書狀數通したゝむれば日は忽ち沒しぬ。瀨戶 PET FOREST に徃きレモンの餌を求め、長久手に出でナイキのサンダルを購ふ。新聞紙長崎の中學一年生小兒殺害を報ず。昨日橫綱朝靑龍、旭鷲山の髷を摑みて反則負けせし由なり。夜に入つて雲散じ月出づ。
昨日深更地震あり。くもりて風なく溽暑甚し。早朝瀧野川M氏より訃報屆き一驚を喫す。埼玉のAさん先月三十日に他界したる由なり。余が面會したるは一昨年正月、池袋に於てが最初にして最後になりぬ。同病を患ふ若き戰友を喪ふは二人目なり。演出者協會S氏より來書あり、用談は來月のスペイン特集につきてなり。原藁執筆、模擬試驗添削、例の如し。ラモス=ペレア氏の求めに應じ『サンチョ・パンサ』臺本を郵送す。晡下主治醫を訪ふ。通院治療費公費負擔の期限切れ間近にして、余の申し出を待たず診斷書を用意せらる。T先生ふたゝび靜岡茶を送らる。晚間雷雨殷々。
曉明風雨烈し、午後歇みてはまた降る。鷗外の忌日なり。筆執るも懶く、長久手溫泉に浴す。歸途信號待ちの傍ら窗の外を窺ふに、民家の塀に幼なき燕の二羽舞ひ戲れること黑き花瓣の如し、須臾にして塀の側面にとまれるをみるに一羽嘴に蝶を插み居たり。花の如く舞ひ居たりしは此の蝶を捕へんとせんがためなりき。一驚を覺えふたゞび見惚れ居たりしかば信號は旣に靑になりぬ、然れど前後の車いづれも動かず、運轉手みな燕に心奪はれたる樣子なりき。午後も興來らず、蒲團に橫臥し CLIE にて漱石の『文學と道德』『文學の哲學的基礎』、太宰『トカトントン』『新ハムレット』、三遊亭圓朝『文七元結』など讀む。晚間本郷亭にて白湯拉麵を食す。K先生繪端書を送らる。先週身體に痛みを覺えたり、原因は不明なりとのことなり。名古屋大學出版會より封書屆く、封を解くに立林良一氏の週刊讀書人 11日號に寄られし書評の複寫あり。佛蘭西政府の保險制度改正に俳優組合ストライキにて是を拒絕し、アヴィニョン演劇祭初日につゞきて今日も中止さる。
曉明淫雨濛々、夕刻晴れわたりて日の色黃ばみたり。レモンばた/\と枕元に飛來りて囀る。午前連載の藁を脫す。早大I先生より來書あり。模擬試驗添削。新聞紙いづれも阪神のマジツク四十九點燈するを報ず。過日共產黨の筆坂秀世前參院議員酒席にてセクシュアル・ハラスメントに及び議員辭職せり、志位書記長記者會見にて國會議員と黨本部職員は自宅外では酒を飮まないといふ内部規定があると辯じたりしかど、後日かゝる内部規定は存在せず、勘違ひなりと前言を飜せり、されど今日に至りて黨廣報部は自宅外飮酒の原則禁止を定めし内部文書の存在するを發表せり。文書の題は「党防衛にたいする自覚をたかめ 敵のいかなる攻擊をも粉砕するために」とのことなり。朝日新聞を讀むに、「飲酒は原則として家でおこない、帰宅途中や面識のないものとは飲酒しない。とくに重要なものを持っている時には外では絶対に飲まない」の文言のある由なり。あまりに滑稽なればこゝに記す。テイボー先生「モノディアロゴス」一周年を期に連載を打切らる。
驟雨屡來る。小暑。溽暑甚し。早起藁を草す。三好にて『マトリックス・リローデッド』を看る。脚本は粗雜にして編輯の稚拙なること目を蔽はんばかりなり。ウォシャウスキー兄弟の手になるものとは到底思はれず、幾度も舩を漕ぎぬ。晡時歸宅。IさんOさんH先生の書に接す。コンパイ・セグンドの病重篤なれば年内の歐洲公演すべて中止さる。今冬エリック・クラプトンの來日公演あるといふことなり。カルロス・サンタナの來日とほゞ同時期なり。今宵は七夕なれど空暗雲垂込め宵月さへ見えず。
空どんよりとくもりて風絕えたり。驟雨兩三囘に及ぶ。S氏の模擬試驗囘答を添削し送返せば直に電話あり。長女令季ちやん手足口病なる病に罹り保育園を休み一週間自宅療養せりといふ。神崎音樂事務所解散の報を告げるに暫し絕句さる。午後靑空文庫よりダウンロードせし小說隨筆を CLIE に取込みて蒲團に橫臥し濫讀す。三遊亭圓朝『文七元結』、漱石『坊つちやん』『三四郞』『吾輩は猫である』『私の個人主義』『文藝の哲學的基礎』『敎育と文藝』『學者と名譽』『手紙』、太宰治『グッドバイ』『トカトントン』『お伽草子』『新ハムレット』『ア、秋』、中原中也『在りし日の歌』『山羊の歌』、二葉亭四迷『浮雲』『余が飜譯の標準』なり。容量は文庫本百册を收むに足り、縱書きはいふに及ばずルビも表示さるゝは眞に重寶なり。余が始めて太宰の戲作者ぶりに感服したりしは高校在學時に讀みし『お伽草子』に於てなり。其のヒューモアいまだ色褪せず。レモン書筐に戲れ本の帶背表紙を片つ端から喰ひ千切ること聯日の如し。新聞紙にて世界保健機構の重症急性呼吸器症候群(SARS)感染終息を宣言したるを讀む。今年に入りて寫眞機附携帶電話の性能一段と增したれば普及著しく、書店の雜誌記事を密に撮影する者後を絕たざるに及びたる由なり。不屆き千萬といふべし。是を稱してデジタル萬引といふことなり。世はあげてデジタルなり。滿員電車に携帶電話を持込みてペースメーカーを亂すはデジタル殺人ならんや。
朝の中より薄く曇りて風凉し。午前手紙數通したゝむ。演出者協會W氏より電話あり、八月初旬に若きフラメンコのバイラオールの來日する由、御附合ひ願へませんかとのことなり。快諾す。午後午睡、寤むれば日は旣に沒したり。「名譽の醫師」の感想方々より寄らる。Tさん音讀を樂しめりと書を送來るゝを讀むに三年前の春を思はざること能はず。三月二十五日の亊なり、飜譯の殘り僅かになるにつれ病昂じ、每夜の如くサイレース、ベゲタミン、トフラニールを服用し眠り居たりしかば、深更胃に激痛走りたり。睡眠藥の效果大なりたれば目を開くこと能はざるはいふまでもなし、意識朦朧、只救急車、救急車と叫びぬ。母上の泊り來り居たるは不幸中の幸なり、ミンヤク飮んでる、ミンヤク飮んでるといふ男、立てますかと尋ねる女、其の聲のみ聞えたり。レントゲンや血液檢査など受たりしやうなれど一切記憶になし、明朝抑鬱亭にて覺醒し始めて母上に病院での顚末を聞かされ、母上のはなしに、急性胃炎の診斷を受けたる由なりき。其の日の中に休職入院を決意し、編譯者に詫び狀をしたゝめ事の次第を書き送るに三十日に返事屆きたり、讀むに「返事なしで濟ませたかつた」「何も申し上げられません」「悲しいです」などの文言ばかりにて身體を案ずる言葉のひとこともあらざるをみて緣を絕ちたり。此度出版されたるは目出度きことに相違なかれど、胸中さまざまなる思ひ去來し、筐に手を伸ばすこと能はず、未に讀むを得ず。バリー・ホワイトの訃報に接す。
くもりて風凉し。終日雨滴を聞かず。近鄰の紫陽花枯れ果てぬ。早朝Oさんより電話あり、主治醫に說伏せられ退院を一月延したりといふ。昏倒未に日常茶飯事の由なり。模擬試驗問題作成。午後雜文を草す。日も哺ならむとする頃家電量販店 G にてソニーの CLIE を購ふ。ウベダとバエサ世界遺產に登錄さる。西班牙の世界遺產三十八に及びぬ。新聞を讀むにイラクにて米兵襲擊相次ぎたり、米大統領記者會見に臨みて「かゝつてこい、といふのが私の荅へだ。米國には對應できる十分な兵力がある」と言ひ放ちたる由なり。莫迦につける藥なし。
レモン飛び來りて額に着地す。時計をみるに午前五時半なり。昨日午後一時より泥の如く眠りぬ。薄く曇りて風凉し、午後雨瀟々たり。森林公園をあゆむこと昨日の如し。兒童遊園の芝生に椋鳥の三十餘羽土中の蟲を漁るをみる。北の大芝生に大の字になりて暫し憩ふ。午後机に凭りて執筆、三時脫藁。父を伴ひ長久手溫泉ござらつせに浴す。S氏S先生より神吉先生次男Y氏の鬼籍に入りたるを知る。享年四十。雨歇まず、夜に入りて涼味襲ふが如し。是日アルマグロ古典演劇祭初日なり。每日新聞主頁「今週の本棚」に丸谷才一氏の書評揭載さる。
快晴の空拭ふが如く風凉し。午前森林公園漫步。半月ぶりならんや、木々綠を增し目に眩し。メジロ眼前の枝葉に遊び池に小龜遊弋す。郵便局にて縣民稅市民稅を納む。無職なれど昨年の所得に基き課稅されたれば出費甚大なり。煙草增稅。マルボーロ二十圓上がり三百圓になりぬ。午下睡魔襲來り午睡。ブロードウェイの二十三劇塲キャサリン・ヘプバーンの遺德を偲びて午後八時より數分間消燈す。
くもりて暗し。朝來霖雨泱濛、午後大雨沛然たり。あたり靜にして窗より吹入る風心地あしきまで濕りたり。ラモス=ペレア氏より返書あり。讀むに腰痛猶よろしからず、過日の講演原藁と隨想數篇を出版せむと藁を淨書して居る由なり。『サンチョ・パンサ』をプエルトリコに招聘せんと欲すれば西班牙語臺本を送られたしと求めらる。直に書を裁して厚意を謝し臺本を送る。プエルトリコ招聘に向て算段をつけたる最中とのことなり。先週末飯塚W南山大學S兩氏より每日新聞書評欄にて丸谷才一の拙譯を評せし記事揭載されたりと傳へ聞きたりしかば、雨の中車を飛ばし尾張旭圖書館に赴くに館内整理日とやらにて確認すること能はざりき。理髮舖に立寄りて散髮すれば忽ち燈刻となれり。歸宅するに名古屋大學出版會封書を送來る。封を解くに折りよく書評記事の複寫一枚あり、讀むに丸谷氏は比較文學の觀點にて讀みはじめたりしかど『オルメードの騎士』と『名譽の醫師』に至りて餘りの面白さに我を忘れ讀み耽りたりと云ひて、拙譯の一節を引用さる。望外の歡びといふべきなれど畏れ多し。余が歌舞伎の源流をスペインバロック演劇に探るは丸谷氏の隨想集『男もの女もの』の假說に鼓舞されたりしが故なれば、是以上の評はなかるべし。岸田理生の訃報に接す。享年五十七。