執筆半日。拙劣我ながら見るを厭ふ。唯責を塞ぐのみ。先週來室内禁煙になりしかば北のヴェランダに出でゝ吸ひ空を仰ぐ。空暗く今にも降出さんばかりの天氣なり。シヾミの成長著しくアサリより大きく育ちたるやうに見ゆ。囀る聲も大人びて聞ゆ。二更雷雨。
晴れて風强し。白雲搖曳。瀧野川のM氏飛鳥山の櫻の寫眞を送らる。滿開なり。日暮れて尙風息まず。數日前S先生より九條の會アピールへの誘ひ狀頂戴したりしを思ひ出し、署名しファックスにて事務局に送る。呼掛け人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、沢地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の九人なり。高齡者ばかりにて若年の一人も居らぬは寂しい限りなり。。五十年後百年後の世界に對して日本が誇り得る理念は戰爭放棄を措いて他になし。
くもりて後に晴る。風なく暖なり。階前の夏椿新芽日に/\舒び行けり。Ian Gibson の Cuatro poetas en guerra を讀む。アサリとシヾミは匙で給餌しなくとも自ら餌を啄むやうになりぬ。菜箸の止り木に竝びて憩ふさま寔に愛すべし。初更 radio-i の Evening i を聽く。七年續きたりし Colin と Cocoro の司會今夜が最終なり。最後の曲は井上陽水、奧田民生のありがたうなりき。
うらゝかに晴れて暖氣五月の如し。國民年金壹萬參千八百六拾圓をコンビニに納め、主治醫に藥を乞ふ。來週より精神分析療法を始めることゝなせり。立石池の櫻咲き初めたり。今年初て燕の飛ぶを見る。理髮舖に立寄り髮を刈らしむ。アサリとシヾミに匙で餌をやること日課の如し。シヾミ先週に比して稍太りたり。細かりし首筋太くなり、乾いた餌も啄むやうになれり。二羽余の首筋に竝びて居眠りす。愛らしきこと限りなし。朝日新聞をみるに來月より大學の助敎授は准敎授と改稱され、助手は助敎と助手の二種に分れるといふ。助敎とは抑も舊制の代用敎員の呼稱なり。何故に今更古稱を用ゐるや。島尾ミホ歿享年八十七。
くもりて瞑き日なれど雨にもならずして暮れたり。風寒し。今日も終日眠を貪る。文化廳長官の後任に青木保任命さる。米寫眞誌ライフ四月二十日號にて廢刊さるゝといふ。晚間植木等の訃に接す。行年八十。
晴天暖風初夏の如し。倦怠感甚しく眠を貪ること終日。靑鸚哥アサリ今日も頗る元氣なり。白鸚哥シヾミ初めて啼く。啼きながら羽ばたきヴェランダの硝子窗に頭を打附けぬ。愛玩動物を忌避する父上不機嫌極まりなし。
未明に火災報知器のサイレンに眠をさまさる。時計をみるに午前五時前なり。父上母上旣に起きて在り。「火災が發生しました。安全な塲所に避難して下さい」と繰返す警報の音喧し。雨降りゐたれば傘を持ち玄關を出でゝ四鄰を見渡すに火も煙もなし。裏のC棟も警報鳴りしとおぼしく殆どの家に燈火點じヴェランダに出づる者多し。一階に降りるに近鄰住人三々五々集り來るも、火の氣なければ別段騷がず。警備會社の男來りて後消防車來りしが、管理人室の計器類を眺むるばかりで警備も消防も一言も發せず。火災を探知したるはF棟四階なりとて階段にて四階に上がるに何ら異常なし。報知器の誤作動なるべし。安全の最終確認を告げる者一人もをらず。是頗る現代的なりと父上云はる。家にかへりふたゝび寢に就く。十時前大地震ふ。能登で震度六强。午眠に半日を消す。今宵Fさんと會食の約ありしかど體調不良により徃かず。無念。母上靑鸚哥をアサリ、白鸚哥をシジミと命名さる。
曇りて午後より雨となる。午眠燈刻に寤む。白鸚哥今日も鳴かず。食細く瘦せつぽちなり。靑鸚哥は嬉々として鳴きながら餌を啄む。
晴。春風嫋々たり。旣に薄暑を催す。雀の聲もたのし氣なり。手紙執筆に半日を費す。夕餉を食べ畢るに背後の鳥籠よりピリ/\と愛らしい鳴聲聞ゆ。覗き見るにセキセイ鸚哥の子二羽片隅に重なるやうにして在り。母上に問ふに、カーマホームセンターに徃きて二羽購ひ、余の籠を借りて飼ふことにしたと云はる。一羽は靑、一羽は白に處々薄紫色の模樣あり。靑は餌を求めて鳴くこと頻なり。白はうんともすんともピーとも鳴かず。母上は靑に、余は白に餌をやる。掌中に蠢く小禽の感觸何とも云はれず愛らし。
曇りて風寒からず。洗濯し、三郷やまとの湯露天風呂に浴す。ホームセンターナカイの跡地を通るにダイハツ出店を知らせる看板あり。午後胃痛を覺ゆ。城山三郎歿。享年七十九。
終日困臥。夕餉に彼岸の牡丹餠を食ふ。
快晴。寒氣凜冽たること旬日なり。氣鬱ぎて終日困臥。牧阿佐美新國立劇塲舞踊部門藝術監督再任さる。任期三年。
快晴。今日も西北の風吹きて寒し。正午ケリの啼くを聞く。午下メディカルクリニックに徃きカウンセリングを中止したき旨を告ぐ。カウンセリング料五千圓は今の余にとりてはあまりにも高額なればなり。十萬圓を費やし一年間通ひしかどさしたる成果なく、卻て徒に混亂するばかりなりき。赤萩交叉點の白木蓮大方散り盡したり。家にかへり被を擁して臥す。食慾なく夕飯は食べず。船越英二歿享年八十四。
疲勞瘉えず、終日困臥。
陰。風吹きすさみて寒きこと嚴冬の如し。十時宿を出でゝ丸ノ内線と東西線を乘繼ぎ高田馬塲に徃く。H氏と落合ひ早稻田通りの神戶燒肉丼店たどんに晝餉をなす。サンマルクにて笑語。晡下別れ、早稻田通りを東進、早稻田大學小野梓記念館に徃き劇團らせん舘公演粉文字ベルリンを看る。入塲無料の硏究發表公演なり。終演直後地下鐵道東西線に乘り大手町より東京驛に出づ。十一時歸宅。
陰。春寒料峭たり。夕方新幹線のぞみ號にて東上。品川下車、山手線に乘り池袋に出で有樂町線に乘換へ氷川臺下車。汎マイム工房公演いつか來た道を看る。ベアトリーチェの空中ブランコに息を呑む。その美しさに壓倒され疲勞を覺ゆるほどなり。二更赤坂の木賃宿に泊る。
陰りて風寒し。月曜來冬に逆戾りしたるやうな心地す。確定申告還付金入金さる。鶴首して待望みし臨時收入なり。ミゲル・エルナンデスの畧譜をつくる。三時疲勞して午眠、寤むれば六時なり。疲勞瘉えず。
薄く晴れたり。風寒し。八時半宿を出づ。地下鐵道千代田線にて國會議事堂前に出で丸ノ内線に乘換へ東京驛に徃く。JR東海エクスプレスカードの發券機を求めて右往左往すれど見當らず、驛員に訊ねるに八重洲口にありといふ。九時五十分新幹線のぞみ號にて名古屋に向ふ。正午歸宅。門前父上の來るに逢ふ。白木蓮を見に散步に出掛けらるゝ由。執筆二三枚。書齋の窗邊に鵯來る。蜜柑網のピーナッツに心附きたるにやと觀察せしかど素振りは見せず須臾にして飛去れり。朝日新聞をみるにイラクとアフガニスタンの米國歸還兵十萬人の中PTSDの治療を受くる者四分の一に上るといふ。イラク國民、アフガニスタン國民の罹病者果して何人なるや。新聞紙は米兵死者數は報ずれど兩國民の死者數は報じず。ベティ・ハットン歿享年八十六。鈴木ヒロミツ歿享年六十。エバミール 2mgを飮み寢に就く。
陰。今日も西北の風吹きすさみて寒きこと冬の如し。上京に備へ午眠を貪る。三時五十三分新幹線のぞみ號にて東上す。品川驛下車、山手線にて澀谷に出で文化村通りを步みドトールに小憩し、Bunkamura オーチャードホール玄關にて小島氏と落合ふ。アントニオ・ガデス舞踊團七時開演。第一部血の婚禮四十分。第二部フラメンコ組曲六十分。フラメンコといふよりは純然たるバレエに近く、舞踊手、演奏者、歌ひ手いづれも特筆に値する者なし。ガデスとオヨスの振付を後世に傳へる使命の重みに壓せられるが如し。余はたゞ二十年前新宿文化センターにて見たりしガデスとオヨスを懷かしく思ひ出すのみ。九時二十分終演。小島氏、浜田滋郎先生ご夫妻、娘の吾愛氏と倶に樂屋にギタリスト、アントニオ・ソレーラを訪ね、過日火事現塲にて婦人の命を救助せられし功績を稱へフラメンコ協會の表彰狀を授與す。萠Tシャツを着るアーティスト數名あり。今宵は小島氏と何處かで晚餐を倶にしながら秋の公演につきて商議する豫定なりしかど、ステラ・アラウソも加はり一同圓山町の洋風居酒屋トリビーに徃きて晚餐をなす。商議は延期、余は烏龍茶を飮みながら醉客の相手をなすなり。浜田先生アントニオのギターを借りタレガがアルハンブラの想ひ出を奏でらる。アントニオ麦酒とヰスキを立續けに飮み足腰立たぬほどになりぬ。心附けば一時半なり。余は別れタキシを倩ひ赤坂の木賃宿に投宿す。二時過ぎエバミール1mgを飮みしが眠れず、三時もう一錠飮む。
西北の風激しく寒嚴冬の如し。時々小雨。やがて雪にやならむかと思はるゝ空模樣なり。午後三郷やまとの湯に徃き一浴す。平日なれど存外客多し。霙あり。
六時起き出づ。晴れたる空午頃より曇る。四鄰靜閑。子供の騷ぐ聲も聞えず。終日臥褥に在り。久振りに干し芋を食す。
晴。今日も眠りつゞけて昏暮に寤む。この日オサマ・ビンラディン五十歲の誕辰なりといふ。
晴れて風なし。終日困臥。昭和天皇侍從小倉庫次の日記發見さる。
支那ガ案外ニ强ク、事變ノ見通シハ皆ガアヤマリ、特に專門ノ陸軍スラ觀測ヲ誤レリ
日本ハ支那ヲ見クビリタリ。早ク戰爭ヲ止メテ、十年バカリ國力ノ充實ヲ計ルガ尤モ賢明ナルベキ
(戰爭ハ)一旦始メレバ、中々中途デ押ヘラレルモノデハナイ。滿州事變デ苦イ經驗ヲ舐メテ居ル。(畧)戰爭ハドコデ止メルカガ大事ナコトダ
支那事變ハヤリ度クナカツタ。ソレハ、ソヴィエトガコワイカラデアル 戰爭ハヤル迄ハ深重ニ、始メタラ徹底シテヤラネバナラヌ
自分ノ花ハ歐洲訪問ノ時ダツタト思フ。相當、朝鮮人問題ノイヤナコトモアツタガ、自由デモアリ、花デアツタ
皇族ハ責任ナシニ色々ナコトヲ言フカラ困ル
曇りて風またさむし。倦怠感甚しく午眠忽にして日暮る。河野多惠子芥川賞選考委員退任。命日を豫測する Death Clock といふ網站を發見す。入力事項は生年月日と性別、性格、BMI、喫煙の有無なり。性格は pessimistic、BMI は22として測定するに余が命日は平成二十五年四月四日木曜日、余命僅か六年なり。
晴天。餘寒料峭たり。昨年三月七日余はラスベガスに赴きはりねずみさんの結婚式に參列せり。早や一年は過ぎぬ。朝食の後主治醫に診察を請ひカウンセラーA氏のことにつきて相談するに、主治醫自らカウンセリングを行ふに吝ならざりと云はる。箱庭療法と夢判斷が主體なりとぞ。採血をし三週間分の藥を携へ家にかへる。Casa del Libro より DHL にて書籍屆く。晡時アルファロフトに徃きK氏に車體の傷を見せ、一兩日中の見積を請ふ。虎屋の梅ヶ香を食す。來週の上京に備へ新幹線とホテルの豫約をなす。アサヒコムにアントニオ・ガデス舞踊團のギタリスト、アントニオ・ソレーラ氏の記事あり。四日未明澀谷區圓山町のマンションにて失火、二階のヴェランダより飛降りたる女性を偶々通りがゝりしソレーラ氏が無事受止めたりといふ。西班牙のエル・パイス紙上にも「東京の西班牙人スーパーマン」と題して記事揭載さる。ボードリヤール歿行年七十七。
晴れたる空に白雲多し。啓蟄なれど西北の風吹き出でゝ寒し。九時起き出でるに父上いつの間にか東京より歸宅せらる。手紙二通したゝめ忽ち半日は過ぎぬ。虎屋の彌榮と殘月を食す。株式會社パルコ今月よりル テアトル銀座を運營す。ル テアトル銀座は舊セゾン劇塲を改稱せしものにして「ル」と「テ」の間に半角空白を書かしむ。是頗奇怪なり。何故中黑を用ゐて「ル・テアトル銀座」と書かざるにや。日本語及文字の行末はいかになり行くにや。
朝來暴風雨。午に至りて小止みとなる。東南の風吹きすさみて烟塵濛々たり。一時メディカルクリニックに徃きカウンセリングを受く。今の病院にてカウンセリングを受け早や一年は過ぎたれど今だに自由闊達に話すこと能はず。昨日福岡のI君に電話をかけし時相談するにカウンセラーの技倆不足の故なるべしと云はれたり。余も薄々同感なり。含笑長屋の豫定を調べむとクリニック鄰の含笑寺に立寄るも貼紙一つなし。櫻通白木蓮の花的歷たり。
晴。溫暖五月の如し。テニス敎室本年初日なれど氣鬱ぎて終日門を出ず。福岡のI君に電話かけ近況を問ふに、お嫁さんが來ますと云はれ一驚を喫す。十月入籍、十一月擧式の豫定なりとぞ。
陰。六時過ぎ玄關扉の開閉する音に眠を破らる。父上T家一周忌に出掛けられしとおぼし。何の故にや引越しの夢をみること聯日の如し。舊居にて荷造り或は新居にて荷解きし、いづれの塲合も母上又は親族が手傳ふなり。手傳ふといふより命令を下すといふべし。余は云はれるがまゝ手足を動かすのみ。何を暗示するにや。原稾三枚執筆。四十雀來らず。去月二十五日餌のピーナッツを蜜柑の網に詰めヴェランダの手摺に吊下げしかど、その日以來姿を見ず、鳴聲も聞えず。
快晴。溫暖例ならざること例の如し。夕方アサヒコムに池田晶子の訃報あり。腎臟癌を患ひ去月二十三日病歿行年四十六なりと云ふ。余が氏の著作を耽讀せしは十數年前のことなり。平成十年一月四日讀賣新聞朝刊紙上に混迷の時代と題する隨筆を讀みたりしは今に忘れず。生存そのものではなく善く生きることこそ人生の價値なりと說くを讀み、カルデロン人生は夢の主題と通ずるを喜び快哉を叫びたりき。
感興なけれど勉强して草稾三枚書き得たり。YouTube にエレン・デジェネレス・ショウを看る。シャーリーズ・セロンの Theron はトロン、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの Zeta はズィータと發音するが正しきを知る。ロビン・ウィリアムスの囘抱腹絕倒なり。