幸に雨なかりしが空模樣穩ならず、風また腥し。氣候例ならず暖なれば十一月晦日とも思はれず。ラパスのM氏明日來日の由、書にて通知し來れり。演出者協會W理事より電話あり。名古屋會塲漸く決りたるとぞ。演劇交流のあり得べき形につきて雜談す。NHK-FM日曜喫茶室、FM愛知サンデー・ソングブックを聽くこと例の如し。山下達郎何とはなく細腕繁盛記遲かりし由良之介恐れ入谷の鬼子母神など口にするくせあり。いかなる意味なるやと若き聽取者投書にて問ふに苦笑し、昔から年寄り臭いと言はれてゐます、平安時代の梅干のやうなものですと荅ふ。呵呵。近年都下高層ビル建築夥しくFM電波の受信狀態頗わろしといふ。雜誌の稾をつくらむとすれど感興來らず、寐つ起きつして日を暮らす。イラクにて奧克彦在英國大使舘參事官、井ノ上正盛イラク大使舘書記官、イラク人運轉手殺害さる。相川浩歿。享年七十。
風雨瀟々たり。午前雨の小止みを幸に地下鐵にて名古屋市民ギヤラリー榮に徃き、市民美術展にて Koji さんの「たゝずむ空間」を賞す。余氏の畫幅をみて最興味を覺えたるは優雅なる餘白に富みたるを以てなり。洋畫にては須本えりか氏の檻、版畫にては藤沢昭三氏の下鴨神社冬景色、書にては中島江梨香氏の瞬に趣致あり。午下歸宅。レモンと午睡燈刻に及ぶ。一瞬と永遠初日なれど徵恙あり、徃かず。
隂、ベランダに尉鶲來りて囀る、目白に似たる眼愛すべし、森林公園漫步、大道平池に中鷺例の如く小魚を狙ふなり、川鵜の飛翔水面を嘗めるがごとく眞鴨輕鴨の泳ぐさまいかにも長閑なり、鹿小屋に至るに運動着姿の靑年陸續と現れ中央廣塲芝生に整列す、その數百人ほどなり、何處の大學生ならむやと駐車塲を見るに枯草色の輸送車四臺あり、自衞隊なる歟、歸途市立圖書舘に立寄るに入口にマギー司郎の貼紙あり、正月市民會舘にて一門會を催すなりとぞ、マギー審司は來ざるやうなれど昭和のいるこいるの客演あれば徃くべし、午後聯戴原稾を執筆しゐたるに編輯F氏突然書を以て來週の日替原藁の徵集をなす、此頃依賴をなすこと頗急なり、病中執筆に堪ざれば最低一週間は必要なり、その由書にしたゝめて送り直に執筆、圖らず忙殺せらる、畢れば日は旣に沒したり、龍月に徃き中華そばを食す、雨灌ぎ來る、演出者協會速達郵便を以てワークシヨツプ槪要チラシを送り來れり、名古屋は來週水曜なれど會塲未だ定らず、手續聯絡の緩慢呆れ返るばかりなり、P氏書を寄らる、來月の會食を約す、是日ブッシュ某イラクに飛び米兵を激勵す、米國大統領初の訪問なれどイラク國民之を事前に知らず、滯在纔二時間なり、大統領專用機は色を塗替へたりといふ、平成の說敎强盜といふべし、
薄く晴れたり、viewpoint 校正閱了、セゾン文化財團に送る、森林公園を逍遙し三郷やまとの湯露天風呂に浴してかへる、風なく靜なる午後を幸に小幡綠地に徃く、展望臺の上に立ちて眺望するに山林重々として眼下に起伏し、鵯の聲遠近に反響す、南に東山公園の塔あり展望臺と相對す、臺を下り峰を越えれば兒童遊園なり、少女三人柿の木に棒切れを投げ實を採らんとす、右方に池あり、迂囘して山を登ること數十步、芝生廣塲に出でたり、道程僅に二十分に過ぎず、晡時歸宅、小林千登勢歿、多發性骨髓腫のためなる由、享年六十六、是日レモン再び產卵す、
快晴、風なく暖なり、ベランダに四十雀來れり、森林公園をあゆむ、大道平池の鴨日ごとその數を增しゆくなり、市中道路工事多し、豫算消化のためならむ歟、午前舊稾整理讀書、午睡の後燈刻實家に徃き夕餉をなす、壽都町產烏賊の一夜干し味佳なり、初更歸宅、S子十年振りに看護婦の職に就く、熊本大學に轉任せしN氏に長男誕生したる由、端書にて通知し來れり、高田文夫の長男先週末女兒を授かる、ギョロメも遂に祖父になりぬ、アスナール首相イラク戰後復興の誤りを認めたり、民主黨管直人の國會論戰兒戲に等し、セゾン文化財團より初稾ゲラ屆く、團令子沒、享年六十八、昨曉鈴本演藝塲より失火、當面休業の由なり、
朝來大雨沛然、日暮に至り空霽れ星出でたり、終日讀書、レモン產卵、サラ・バラスとナチョ・ドゥアト國民舞踊賞受賞、
くもりて午後より雨となる、終日家に在り、墨東綺譚ふらんす物語など讀む、トヽサンクにバゲットを購ふ、此頃餘が店に入るや店員直にバゲツトを包むやうになりぬ、馬德里に在りし時のことを思出さしめたり、新月雲に蔽はれて見えず、
睡より寤むれば朝の六時なり、十五時間昏々と眠りたれど睡魔猶去らず、碧空拭ふが如く晴れ渡り風なし、午下父上母上と色金山を散策す、本年初秋より暖なりし故紅葉美ならず、山茶花も亦華やかならず、されど此日たま/\快晴の天氣に遇ひ、園内を逍遙すれば、一木一草愛憐の情を牽かざるはなし、山頂に床机石なる巨石あり、家康が小牧長久手の戰の折りに坐りたりと碑に讀めり、父上直に腰掛け滿悅の體なり、茶室に立寄り栗大福を茶請けに抹茶を喫す、二時歸宅、是日小雪、
北風吹きて寒氣甚し、午前アルファロフトに車を預け車檢を請ひ代車マーチにてかへる、午後疲勞を覺え被を擁して臥す、忽華胥に遊ぶ、〔23日記す〕
朝雨の晴れたるをみて公園をあゆむ、午後微雨降りてはまた歇む、夜に入るも霽れず、終日讀書記すべきことなし、
朝來淫雨濛々、空暗きこと黃昏の如し、午前咖啡豆を購はんと明が丘コモンに車を馳せるに、車内ラヂオよりカヴァレリア・ルスチカーナ間奏曲流れ來れり、何とも知れず淚澎湃と沸き出で如何ともすること能はず、富が丘路傍に車を停め暫し聽く、マスカーニは若き頃よりヴェルガが原作を舞臺化せむと欲せしに懸賞ありて應募し賞金を得て之を舞臺化せり、午後家に在り、讀書、
終日時雨晴れず暗き日なり、睡眠藥を飮まず睡り得たり、寐つ起きつして日を暮らす、讀書わづかに無聊を慰む、前原I氏に書を送り誕辰を賀す、新聞紙をみるに日本テレビ氏家斉一郎會長萩原敏雄社長降格人事への抗議電子郵件局に殺到したりし由、余竊に思ふに、局に抗議する者は餘程の閑人なり、唯番組を見ず廣告主の製品を買はざれば事足れり、
輕隂、深更レモン余のスヱターに潛り込みて左腕に眠りぬ、產卵の兆なればそのまゝ余も伏せ倶に寐に就く、腕枕ならぬ腕ベッドなり、六時レモン首元より出で來れり、疲勞少しく和らぎたり、午前机上の草稾を整理しゐたるに舊友の來書に接す、一讀して直に電話を掛け樣子を窺ふに心身消磨甚しく淚聲なり、仔細を聞くに同情禁じ得ず、慰めむと欲したれど如何ともすること能はず、たゞ胸中の吐露に耳を傾くのみ、言葉の時として凶器となるを知らざる者多し、世のありさまの變るにつれて、日に/\あれすさみ行く人の心の末は果していかになり行くやと思へば、誰かをのゝき恐れざらむや、されど元よりひろき世の中には推してはかりがたき事の數多ければ、かくれて顯れざる德行の士も亦無きにはあらざるべし、晡時クリニックに徃き主治醫の診察を請ふ、頓服睡眠藥を處方さる、朝晚の藥例の如し、車中ラヂオにてNHK-FMミュージックプラザのコンパイ・セグンド生日特集を聽く、歸宅するにレモン旣に產卵しゐたり、從弟K君の書に接す、
快晴、北風吹き狂ひて寒し、買物をせむとドラツグストアに徃き、電子按摩器の安價なるをみて購ふ、オムロン社の低周波治療機エレパルスなり、濕布の如き薄い當物を肩に貼りて作動させるに、揉みは云ふを俟たず叩きもなし、意想外に心地よし、臥牀し憩ふ、レモン飛來りて額に佇み倶に居眠りす、先月來一たびも父上母上の安否を問はざれば燈刻赴きて慈顏を拜し夕餉をなす、獻立は名古屋コーチンの水炊きなり、初更歸宅、是日元ちとせ奄美群島日本復歸五十周年紀念式典にて天皇皇后に島唄を歌へり、
隂、今月に入りて始て電話かゝり來らず平穩なる日なり、去月來某氏余が文を採錄したればとて、余が寫眞及隨筆等を需む、迷惑なること甚し、病を冒して責を塞ぎたるさへ甚心地よからぬ事なるに、更に寫眞隨筆など徵發せらるゝは煩累に堪へず、抑文人の詩文をつくりて世に公にするは其の折々の興に乘じてなすことなり、文字の責は固より永く之を負ふべしと雖山師が營業を助くる義務は更にある可き筈なし、人をして結局いや應言はさず先方の計畫通りにさせてしまふ手段まことに巧みなるものなり、是芝居道に關係する者の常に用る手段なり、政界には政治家の常用する好策あり、書肆雜誌杜には亦この仲間の常用手段あり、いづれも利のために信義を輕んずること糞土の如し、余はこの度始めて之を心づきたるにはあらず、電話も然り、當世電話ほど煩はしきもの他になし、不惑を前に大學を辤したるは療養硏究に專心せんがためなり、抑鬱亭に隱れ莊然として日を送る時、さしたる要件もなき者の電話を受くるはまことに苦痛のかぎりなり、硏究の事業は直接世間には關係なきものなりしが、今は然らず、硏究者は恰政治家辮護士などゝ同じく每日見も知らぬ人々と電話會談せねば事がすまぬやうになりたり、是余の如何にするとも堪へ得ざる處なり、斯くの如き煩累を避けむと、予め其の趣は書にて方々に傳へ置きしなり、然るにそんな事は知らぬ顏にて余が時間を奪ひ、萬事先方の都合好きやうに取り計らふなり、兎に角日本現代の生活にては隱居行ひがたし、
深更に至れど睡ること能はず、頓服のマイスリー10mg盡きたれば、副作用の虞ありしが已むことを得ず一年ぶりにサイレース1mgを飮む、黎明に至りて纔に眠るを得たり、眩暈心地わろく頭痛猶痊えず、通院日の火曜を待たずクリニックに赴き主治醫の診察を受く、不眠は疲勞のためならむ、疲勞更に增さば病勢昂進するやも知れずとてマイスリー10mgを處方さる、市中處々道路工事あり、去月來某氏に對する憤懣押へ難し、彼多年の醜行を省ず傍若無人の振舞をなすは娼女の貞操を論ずるに似たり、なにより小島氏が氣の毒なり、余の忍耐も限界に達したるを機會として書を裁し暫く交際を斷つことゝす、三時ござらつせに沐浴し今日も揉み療治をなす、首の張り尋常ならずといふ、
快晴、風の音冬らしくなりぬ、先週來一たびも公園を步まざれば赴きて例の如く二周す、園内寂然として遊步の人尠く唯鳥語欣々たるを聞くのみ、中央廣塲に到るに大の字に胸反らし朝陽に咆哮する男あり、大道平池邉に若い夫婦魚に麵麭屑を投げゐたり、いつしか背後に足音近づき余を追越し、おはやうございますと會釋するなり、みれば先刻の男なり、午前雜誌の草稾をつくる、午下頭痛岑々執筆しがたき故、埓もなき事書きて纔に責を塞ぐ、四時ござらつさに揉み療治をなす、肩凝りふたゝび甚し、畢りし時は短日旣に暮れかゝりて、西の空に漂ひたる淡き晚霞の色は冬を報じたり、野鳥の會よりCD二枚屆く、山野水邊の鳥の聲を錄音したるものなり、松田輝雄のナレーション佳し、
晴れて好き日なり、朝陽赫々たり、朝食の後校正日課の如し、午前ござらつせに浴し今日も四十五分揉み療治をなす、首筋肩の凝り少しく痊えたり、午後校正畢れば夜は早くも二更に近し、
昧爽に起き出で竟日執筆、忽初更とはなりぬ、晝餉の後首筋の凝り堪へがたく今日もござらつせに揉み療治をなす、四十五分揉ませて纔に和らぐのみ、懲り方が異常ですねと按摩に云はる、半日電腦に向ひたるがためなるべしと荅ふるに、それはいけません、最近は多いんです、頭痛を催す人もいますといふ、頭痛を覺えざるは不幸中の幸なり、兩三日新聞を見ざれば世間の事全く分らず、近年稀なる繁忙も今週が山ならむや、
今日も雨なり、几邊の書類草稾を整理すれば忽午なり、三時五分の新幹線のぞみ號にて名古屋驛を發し東上す、新橋停車塲にて地下鐵銀座線に乘り表參道に下車、雨の小止みを幸にフロムファースト通りを步みて舞踊團稽古塲に徃く、公演第二部の稽古中なり、イズラエル・ガルバンの知遇を得る、ギターのチクエロとは一昨年バルセローナにて相識りたり、小島氏と相對して椅子に腰掛けプログラム用の寫眞を撮影し、事務處にて一時間ほど商議す、八時五十分の新幹線のぞみ號にて東京を發つ、今宵も指定席滿席を以て已むを得ずグリーン車に乘る、二更歸宅す、雨霽れ一天拭ふが如く星光燦然たり、
寤めて心づけば朝の六時なり、睡眠世界選手權催さば必入賞すべし、終日雨霏々風冷なり、雜誌の稾をつくる、書齋の寒暑計十九度に下りたれば此秋始て空調にて暖を取る、たゞレモンのためなり、夕刻ござらつせに沐浴し按摩に肩揉ませて一睡す、燈刻家にかへる、
微雨薄寒、公園をあゆまんと欲せしが雨歇まざるを以て徃かず、午下睡魔に襲はる、終日臥牀に在り昏々として睡る、〔十日記す〕
午睡より寤むれば朝の五時なり、日々天氣牢晴、暖氣十月小春の日の如し、窗外白鶺鴒幾羽とも知れず電線に戲る、公園逍遙、植物園東門に至るにフルートの音聞ゆ、東屋をみるに白髮交りの中年男譜面臺を置きて吹きゐたり、門前畫材道具を携へし老人數組あり、週末の例會なるべし、大道平池に今朝も中鷺に逢ふ、五間程迄近づけど逃げず唯虎視眈々と小魚を狙ふのみ、橋にてふたゝび翡翠を見る、明が丘コモンに咖啡豆を購ひトヽサンクにバゲットを買ふ、疲勞に堪へず臥牀に橫りてジャン・クロード・カリエールの珍說愚說事典を讀むにいつしか華胥に遊ぶ、眠より覺むれば日旣に晡なり、枕邊にレモン來りて在り、此日立冬、
碧空澄渡りて微風春の如し、森林公園をあゆむ、紅葉の中楓の葉緣茶黃に染まりて最うつくしく見ゆ、札の辻川の橋を渡るに橋脚より翡翠飛立ちて鹿小屋裏の土手に去れり、過日と同じ翡翠なるべし、大道平池邉に中鷺佇む、遊步の女小狗を携へて邉に來るに、狗走りて鷺を追ひ、鷺ひらりと身を交はし流木に留れり、犬も鷺も白きこと雪の如し、純白が舞ひ純白が驅けるといふべし、歸宅後筆をとらむとせしが興味來らず、疲勞を覺え臥牀に伏す、〔八日記す〕
朝の中くもりしが午に至りて雲散ず、薄暑九月の如し、朝餉の後雜誌の草稾をつくらむとせしが興味湧き來らず、空の晴るゝを見て數碼寫眞機を携へ森林公園をあゆむ、園内寂然として遊步の人尠く、芝生に辨當をひろげ憩ふ家族數組を見るのみ、兒童遊園より中央廣塲を望めば楓の大樹古竹宛然一幅の畫圖をなす、低木の枝に四十雀の芋蟲を啄むを見る、三郷やまとの湯露天風呂に一浴し、舘内にて全身揉み療治をなす、按摩は中年の女にて余が寢臺に俯せになり居眠りせんとするたび、キモチイヽカ、ツヨイカと尋ねるなり、支那人なるべし、忽三十分は過ぬ、歸宅後執筆、國際演劇交流ボリビア特集の日程漸くにして決定せり、
くもりて後淫雨空濛、晴るべき望もなし、森林公園をあゆむに札の辻川に濃靑色の鳥飛び立ち鹿小屋裏の杭に留れり、忍足に近寄り眺むれば翡翠なり、羽はコバルトブルーにして腹は橙色なり、色彩の妙いはく言ひ難し、對岸に白鶺鴒雉鳩などあり、眞鴨の番水面をゆくなり、大道平池邉に中鷺を見る、魚を獲らむと試みるも敏捷ならず僅に數次に一度得るのみ、幼鳥ならんや、三好MOVIX十番にてタランティーノのキル・ビルを看る、B級活動寫眞の幕の内辨當なり、百十一分の前篇なれど二時間以上に感じたり、ウーピンのワイヤーアクション千葉眞一出演倶に中途半端なり、唯ジュリー・ドレフュスのファム・ファタルぶりを樂しむのみ、興行豫測四十億には遠く及ばざるべし、過日ギャガのKさんの話に此の活動寫眞舘の賣上全國上位二十位以内とのことなり、午後歸宅、原稾校正半日を消す、先週より傳眞にて送受せし枚數旣に百枚を越ゆ、
晴れて暖なり、鳥語欣々たり、朝目覺めてバゲットとメープルシロップを食し直に書齋に出勤す、通勤時間三秒なり、此の頃鍵盤を聯打するにレモン來りて右手の甲に留り毛繕ひをなすこと頻なり、小さき嘴と爪先にて腹から尾の先まで隈なく手入をなすさまゝことに巧みなるものなり、然れども頭には屆かざれば餘が親指の先に頭頂を押附け掻痒を冀ふなり、親指にて頭瞼頬などぽり/\掻きつゝ、殘りの指にて鍵盤を叩くに右小指痙攣しぬ、已むを得ず左掌に乘せ右人差指にて掻くなり、稾三四枚を書き得たり、クリニックに徃き主治醫の診察を請ふ、睡眠藥を絕ち一年は過ぬ、歸途三郷やまとの湯に立寄り露天風呂に一浴す、家にかへるに玄關前に白鶺鴒一羽來り、嬉しき心地にて打眺めたり、午睡し疲勞を休めむと橫臥するに電話かゝり來ること數次にて睡ること能はざりき、窗外衆議院選擧立候補者の聲喧し、餘竊に思ふに、今囘の選擧は昭和十一年(西曆一九三六)の衆議院選擧の時、西園寺公望が元老を廢止せしめんとし廣田弘毅内閣を成立せしめたるに似たり、廣田内閣はその半ばにして挫折したり、今囘民主黨の爲すところ果たして能く成功すべきや否や、昭和十一年は外務省が國名を大日本帝國に統一したる年にして、西安事件の起りたる年なり、
晏起八時、終日雨霏々たり、午前來春卆業豫定の元ゼミ生Sさんに誘はれ第六囘縣大祭に赴く、惡天なれど意想外に客多し、第一囘の寂蓼を思へば好況を呈したりといふべし、同好會PeZの料理店に立寄り元ゼミ生Oさんに逢ふ、チリコンカン味あしからず、Sさんの話に雨天のため客四散せず案外いそがしかりしとの事なり、同僚L氏S氏倶に來りて在るに逢ふ、午後一時より講堂にて北陽のライブあれど用事多かれば午下歸宅す、正門を出で車を馳せるに狹霧立ち迷ひて雲海の如し、瀨戶の街も見えぬほどなり、中央分離帶に橫轉せしワンボツクスカーあり、晚間執筆三更に至る、
晏起旣に午に近し、天氣牢晴薄暑を催す、元ゼミ生の約あるを以て正午藤が丘驛に赴く、KさんFさん旣に來りて在り、珈琲農園に晝餉をなす、是日聯連休の中日なれば藤が丘邊の飮食店雜沓甚しからむと思ひたればなり、ギャガ勤務のKさんキル・ビルの鑑賞劵を贈らる、タランティーノの編輯遲れに遲れたりしかば宣傳困難を極めたる由なり、Fさん名古屋市内の番組制作會社に勤めて早や三年なり、經營思はしからずと云ふ、款晤三時間、縣大祭に約ありとのことなれば車にて送り正門に別れ家にかへる、退職の後卆業生に誘はる、心中喜びに堪へざるものあり、其の深切大に謝すべし、新聞紙小島氏の紫綬襃章受賞を報ず、
乍晴乍隂、竟日執筆餘事なし、