昨夜は十一時に寢に就きしが、一時半に目覺め三時半に覺醒し、遂に堪忍して五時過ぎに起牀。曇天霧雨路地を濡らす。眩暈相變はらずで時として千鳥足になり、體を四方の壁にぶつける事あり。さながら時化に遭ひし小舩の如し。されども睡眠時は快眠熟睡してをり、氣分は頗る愉快なり。母上は氣が氣でない樣子だが、心配は無用なり。朝日新聞の朝刊一面記事に、愛知萬博の博覽會協會最高顧問堺屋太一が「百萬人收容の野外劇塲」建設せんと欲すとありしを讀み、呆れ果てぬ。百萬人を集めて何を鑑賞させんといふのか。「自然との共生」を謳ふ博覽會を海上の森を切り拓いて行なふのが抑も蠻行の極みなり。昨夜電話機故障す。暫らくは手機(携帶電話)か電子郵件が聯絡手段なり。晝前實家に赴き、母上に筆記本電腦の字處理器の操作法を指南す。夕餉に牛丼を馳走になる。食後、親子三人で衝浪。室蘭ガスの蹴球球を象りしガスタンクや、北海道と靑森限定販賣の雪印社製乳製品「カツゲン」の寫眞を拜みて、在道時代の思ひ出話に花咲きたり。九時辭去、自宅に歸る。朝降りし霧雨は夕刻に霽れ、空には群雲のみなり。風つめたし。
六時半起牀。薄曇。夕刻より隂雨潸々。午前、『名譽の醫師』の「解說」脫稾。四年に及びし責苦から解放された心地す。この數年心身は消磨し日々の暮らしにさへ困る有樣で筆を進めし苦行の產物なれば、瑕瑾では濟まされぬ誤謬散見されるも、推敲改訂する餘力遂に盡きぬ。監修者に反故にされること明らかなり。故あつて余も今般の仕事にはこれ以上關はる積り毛頭なし。譯者名解說者名から余の名前を削除されゝば本望なり。原稾料の固辭も決意す。午下、飜譯と解說の原稾を監修者に郵送せんと郵便局へ徃く。家の階段を降りざま卒爾に烈しい眩暈に襲はれ辛うじて顚倒を免れき。郵便局からの歸途、往來の雜鬧、徃き交ふ自働車を眺めるに、四年前この町に初めて居を遷せし頃の思ひ出叢雲の如く胸中に湧き出でり。鬱病の原因たる東京から一刻も早く逃避せんと欲して落城の思ひで參りしに、黑々とした思ひ腦裡を離れし事なく、鬱々として日を樂しまづ、學者として、大學敎員として、然るべき業績を遺す自信毫もなく、苦しみ拔いた四年間なりぬ。けふの門前の街道の佇まひは何故か往時の思ひ出を甦らせ、措く能はざる感慨に耽り。人事盡くしたれば後は天命を待つのみなり。同病を患ふA孃から隱し揭示板に投稾あり。福岡縣M市市役所勤務の共通の友人I君の消息に就いて語り合ふ。齡三十四を數へるI君は輕からざる鬱病を患ひ乍ら役所勤めの傍ら大學院進學の爲受驗勉强に沒頭してゐる。余が彼と最後に言葉を交はせしは三月五日なり。爾來消息を斷ちて三箇月近くが過ぎぬ。電話をかければ應答せず、電子郵件を送れば梨の礫、端書を送れば返書來らず。只一人偶に彼と聯絡が通じるのは同じ福岡縣I市在住のW君のみなり。昨夜W君が携帶電話で電子郵件を送りしに偶々聯絡がつき、I君息も絕え絕えに「死ぬかも知れぬ」と呟けりと云ふ。斯樣な話を聞かされてはこちらは居ても立つても居られぬ。たゞ安否を祈るばかりで誠に不甲斐ない。法政大學のY君からも揭示板に投稾あり。拙譯脫稾を壽がれる。有難い。先般Y君が上梓せりカルペンティエールの『春の祭典』は勞作にして神品なり。晡下演出家S氏より電子郵件屆く。中斷してゐた「往復書翰」の再開で意氣投合す。時を置かず作業にかゝり、筆記本電腦に憑る。S氏の原稾は頗る浩瀚なり。余は今朝脫稾したばかりの『名譽の醫師』の「解說」を投稾す。筆記本電腦で主頁の管理をすること昏暮に及ぶ。夕餉に鷄とトマトを和へたサラダと酢豚を飯す。
六時半起牀。隂。夕刻卒爾に雷鳴轟き篠つく雨家々の軒を打つも須臾にして歇む。午前、主治醫の診察を乞ふ。尋常ならざる眩暈は藥の副作用の由。堪へて下さいと云はれる。烈しい眩暈なれど氣分惡しからず。むしろ酩酊氣分を味はへて愉快なり。もつとも余は生來下戶なれば、酩酊が如何なる肉體的狀態かは想像するほかなし。休職の身とはいへ俗務多端にして大學に徃く。構内で學生二名、H孃とY孃と邂逅。快瘉を祈られる。有難い。學生課で入試謝禮金受領す。硏究室にて飜譯の調べ事。歸途、超級市塲内の麥當勞で雙層吉士漢堡包を贖ふ。午下机に憑りてカルデロン「名譽の醫師」飜譯。晡時一服し、岩波書店のS氏に小島章司氏の『一九二九』と『黑い音』のチラシ郵送す。六時遂に飜譯脫稾。卽印刷機で印刷す。病身故これ以上の出來は無理と觀念す。兔も角譯了し安堵の溜め息を漏らす。思ひ返すにこの戲曲を初めて讀みしは九四年九月なり。名古屋大學出版會から飜譯を勸められしは九七年一月。その後は云ふ迄もなく重篤な鬱病で半死半生の日を鬱々と過ごし、飜譯からは遠ざかりき。それが今宵漸く完成した喜悅の大きさを余す處なく傳へること能はず。とても滿足のゆく出來榮えにあらざるが、推敲改稾は先方に任せる所存なり。事情詳らかにすること能はざりければ讀者はさぞ訝しいことだらうが、故あつてこの飜譯の仕事とはこれで緣を切ることに腹を決めぬ。夕餉に飯を炊き肉ぢやがを飰し一服。霽れた空の涼風窗のカーテンを搖する。「名譽の醫師」の「解說」の草稾をつくる。疲勞甚だし。
五時前起牀。途中何度か目覺める。インスミンを服用してからの慣しなり。晴。日差し涼風初夏の如し。眩暈治らず。故あつて一念發起し、盡日カルデロンの「名譽の醫師」飜譯に沒頭す。筆大いに進む。明朝脫稿豫定。余の身を案じた東京在住の下の妹から電子書翰屆く。大學の同僚Y氏からも一通屆く。非常勤での出講控へられたしといふ助言拜聽す。余も異存なし。他大學で講義出來る程の體力今の余にはなき故なり。岩波書店の編輯者S氏からも屆く。大勢の知人友人に勵まされ、有難くも面目ない心地す。夕餉を食さんとするに母上から傳眞屆く。余が贈りし筆記本電腦が死機してしまつた由。自働車で實家に馳せ參じる。ヘルプを參照しても事情が呑み込めない母上狼狽し右顧左眄す。失禮ながら滑稽で思はず笑ひさうになる。マイクロソフト社の「視窓」の初心者が必ず出くはす事態なり。笑ひを噛み殺して强制終了の仕方と畫面の大きさの變更方法を傳授す。夕餉のおかずに豚の冷しやぶを吳れる。因に「傳眞」「視窓」「筆記本電腦」「死機」いづれも正しい中國語表記なり。
四時過ぎ起牀。微雨そぼ降りき。昨日より風さむし。午下霽れる。眩暈相變はらず。盡日小舩で沖を遊弋せしが如き心地す。午前稻武町の溫泉どんぐりの湯で湯治す。日曜日故雜鬧するからさぞ煩からうと思へば豈圖らんや、浴塲は空いてゐる。市塲と食堂を兼ねる附屬施設「どんぐり橫丁」で晝餉に豚汁定食を飯す。浴塲とは一變して此處は殷賑を極め、兒童ども飮食物を手に持ち邊り憚りなく聲を上げては走り囘ること野猿の如し。親は親で兒童の亂暴狼藉どこ吹く風とばかりに雜談に耽る。惡しき行儀作法に未來を憂ふが、飮食店に於ける小市民の無政府ぶりに就いては永井荷風先生が旣に『斷腸亭日乘』で大いに歎きたりければ、未來を憂ふこの身が莫迦に見える。外をキヽヽヽーと奇麗な聲で啼く鳥が山毛欅や橡の梢を徃き來する。浴塲の受附孃に近鄰の野鳥の種類を訊ねたれば、さあ見當がつきませんといふ返事。シロハラかも知れぬと思ふ。午下歸宅。車から降りた途端に步行思ふ儘にならず千鳥足になりぬ。眩暈愈々烈しくなりき。「ドゥエンデのからくりと理論」を推敲し、「解說」を脫稾。遂に六月の小島章司氏公演の仕事片附けり。時を置かずS氏に電子書翰で送信。卽了承の返書がフアツクスで屆く。快哉を叫ぶ。敎へ子の岐阜のO孃と廣島のF君から身を案じる電子書翰屆く。有難い。電子書翰といへば、昨今殆ど文通と云ふべき交はりあり。東京在住のアパート計營者M氏。ジャズ狂で、その巧まざるユーモアに余は相好を崩すのが慣しなり。大阪の製藥會社勤務のH氏は大阪と東京と松本を徃き來する繁忙極まる生活をなせり。鷹揚にして悠揚迫らず、歲の離れた兄のごとく余が畏敬せし人物なり。いづれも余と同病を患ひながら、絕望せず、ユーモアを忘れず、孜々たる營爲で日を過ごすなり。余が彼らから學びし事少なからず。飯を炊き、夕餉を飰す。
五時起牀。晴れて愈々暑くなりぬ。家の周りは風なく寂々たり。窗を開けるに國道を往來せし自働車の喧燥のみ聞こえぬ。相變はらず眩暈甚だし。睡眠藥の副作用かはたまた鬱の症狀か、如何なるわけにあるにや。微恙を顧ず廚房に立ち飯を炊く。盡日困臥してゐる譯にも參らず、偶にかうして料理をすると氣持が晴れる思ひす。料理と云つても飯を炊くだけで惣菜は惣菜屋で贖ひしものなり。今般の惣菜屋は獨居生活者にとつて至れり盡くせりの品揃へを誇つてゐる。関川夏央氏曰く「獨身は生活の癖」。余もこの「癖」と附合ふこと十七年の歲月が流れたり。午下三郷やまとの湯で湯治す。けふは二十六日、則ち「フロの日」なれば入浴料安し。好日に誘はれし男女雜沓す。日傘の婦人、白帽子を目深に被りし老人、半袖姿の靑少年闊步す。本年四月初旬の頃より氣分次第によろしからず。終日唯仰臥して書を讀むのみ。さりとて今の處鬱を除けば別にどこがわるいといふべき所もなし。唯精力日に從つて消滅し行くが如き心地す。深更寢に就き橫臥して「ゴールデン洋畫劇塲」で『インディ・ジョーンズ 最後の聖戰』を觀る。高校時代に觀た第一作目には大いに亢奮した覺えあれど、二作、三作と續くたびに脚本が愚にもつかぬ代物に成り下がりぬ。ショーン・コネリーとハリソン・フォードの父子の珍道中は、往年の『珍道中』シリーズを少しは見習ふべし。
五時起牀。三時過ぎ覺醒す。インスミンは三時間毎に覺醒を促すと見ゆ。輕い眩暈を覺ゆ。晴のち隂。風穩やかなり。けふも再び坐右の書篋をさぐりて、大學生協贖買部で贖ひし高橋源一郎の『もつとも奇險な讀書』を讀む。殆どが『週刊朝日』連載時に讀みたりしものなれば新味あらず。然れども當代一流の書淫たる源一郎、洋の東西文學非文學を問はず、熊が水を飮むが如く大書奇書の山を登攀する足竝みは衰へを知らず、論理明晰なこと餘人の及ばざる處なり。源一郎の書評は讀む度に讀書欲が沸々と體内から煮え滾り毛穴と云ふ毛穴から噴煙となつて立上るのを止めざること能はず。余は鬱故にこの鯨書家の如き讀書力には遠く及ばず、精々蜻蛉が湖水を嘗める程度なり。午前法政大學のY君から電子書翰屆く。病缺した一箇月をカルペンティエールの巨編『春の祭典』の飜譯に沒頭し「リハビリになつた」といふ。大人物なり。「ドゥエンデのからくりと理論」の解說をS氏にファックスで送る。午下凾館のN氏から電子書翰屆く。彼の地でフラメンコを指南してゐる。精神的に辛き日々在りし事知らされる。晝下がり、東海銀行出張所に徃き家賃を振込み、兩親を誘つて五合池の咖啡農園で咖啡を喫す。薰風好し。聖德太子の十七條憲法が和を以つて貴しとなすならば、余は喫茶を以つて和解となす。
晏起。眩暈と頭痛甚だし。隂晴定まらず。驟雨霏々。晡時霽れる。午前主治醫の診察を乞ひ休職屆けのための診斷書を書いてもらふ。午下大學の事務長に診察書を提出。これで休職の手續が濟みぬ。硏究室に一年生の女子學生二名來室。フラメンコのサークルを發足せんと欲するに、講師は誰がお勸めか、カスタネツトや靴は幾らかなどと訊ねる。東京在住の小島章司氏と岡本倫子氏の他に知人をらず、急塲凌ぎに三年生のM孃が通ひしフラメンコ舞踊團を紹介す。湯治せんとて、時に烈しく降り注ぐ驟雨をついて稻武町の溫泉に徃く。雨で綠の色濃くなりし山毛欅や楓や樅の木に圍まれし駐車塲常ならず森閑たり。間が惡いことに定休日なり。踵を返し歸宅す。主治醫の診察を待つ間の唯一の愉しみは待合室の書棚にある『週刊朝日』の高橋源一郎の書評「退屈な讀書」を讀むことなり。これが單行本化された『退屈な讀書』を坐右の書篋を悉くさぐりて讀む。卒爾雷雨、窗外軒を雨粒が音を立てる。霹靂すること鼓の如し。讀了。名言多し。
「小説」にはこの世界にはルールがある、けれどもその根據は誰も知らない―――と云ふことが書かれてゐる。カフカの『變身』には、朝起きるとたゞの人が蟲に變はると云ふルールがある世界のことが書かれてゐる。そして、これがもつとも單純かつ純粹な「小説」の形なのである。
「極限體驗」を作品にし、他人に屆けるために必要なのは愚直さ・知性・ユーモアの三つである。それはモダニズムの最良の資質に等しい。
讀後雨霽れる。深更大學のN氏より電話あり。休職を知り身を案じ、氣晴らしを欲せしときは聲をかけられたしと云ふ。有難みが骨身に染む思ひす。
隂のち霧雨烟の如し。朝食後、閉所恐怖症に似た閉塞感に苛まれ、荷物を纏めて自宅へ向かふべく玄關に赴いたところで母上に押しとゞめられる。余が「放せ」と訴へしに母上「絕對駄目だよ」の一點張りで押し問答になれり。母上が余の身を案じて實家で靜養させんと欲する氣持ちは重々承知すれど、余はかやうな氣遣ひが却つて氣疲れの種故、我慢の限界に達すると居ても立つてもゐられず、たゞひとり自宅でのんびりと過ごさぬ限り心の平靜は得られぬこと火を見るより明らかなり。午前は余が折れて寢室で不貞寢する。昏暮隙を窺ひ脫出を試みるに一再ならず母上と父上に押しとゞめられ、玄關先で取つ組合ひの喧嘩となる。「氣が變になりさうだ」「助けたいのなら放つておいてくれ」と四鄰憚りなく絕叫し親を尻込みさす。親と取つ組合ひの喧嘩をするのは余の記憶する限り初めてのことなり。父上と母上が同行すると云ふ條件を澁々容れて二日ぶりに自宅に戾る。再び不貞寢。九時頃起上がると父上の姿見られず。母上には何も申さず、傘を持ち、雨をついて車で彷徨す。霏々たる雨の中、今春の思ひ出の場所なりし定光寺を拜み、「やまとの湯」で湯治す。頭を去來するのは昨年の今頃、丁度「海の病棟」に入院してゐた頃のことなり。あれから一年が經ちしが、病快癒するどころか一進一退、或は惡化の一途を辿れば、授業の準備は手につかず學内業務には頭が働かず。このまゝ廢人になるやも知れぬと思ふと意識が遠のく思ひす。十一時過ぎ歸宅す。母上も父上も辭去した樣子。枕の上に母上の置き手紙あり。これで漸く自宅での獨居生活に戾り、人心地つきぬ。
細雨烟の如し。休職を決めた昨夜から實家に奇遇。サイレース2mgとベゲタミンAとインスミン 15mgのお蔭で漸く熟睡す。早朝四時覺醒し、再び寢に就く。ベランダに紫陽花が咲く。名古屋學院大學に電話し休職の手續きを行ふ。廣島のF君から電子書翰屆く。每日この抑鬱亭日乘を讀んでゐる由。
隂。睡眠導入劑と安定劑を服用せしも午前四時まで眠れず、再び睡眠導入劑と安定劑を飮む。午前九時覺醒。藥の所爲で足許が覺束ぬ。午前主治醫の診察を乞ふ。不眠の苦しみを訴へるに、サイレース2mgとベゲタミンAとインスミン15mgを處方さる。大學に出勤し四年生の卒業論文假題目提出屆に捺印す。四、五名の學生と話をしたゞけで心身消磨し、簡易寢臺に橫臥す。とても明日からの講義を行なふ氣力體力ともになきを知る。最早限界なり。學科主任宛に休職願ひを電話で屆け出る。
暑きこと夏の如し。晴れて晝の中は暖なれど、日の暮れてより俄に寒くなる事、この頃の空癖なり。昏暮ひとりで飯を炊き夕餉を飯す。前後してまたしても母上來宅。獨り身で病魔と戰ひし余の生活が氣が氣ではない樣子。こちらは蟲の居所が惡く、心の中で手を合はせて體よく追ひ拂ふ。
雲氣鬱勃。溽暑蒸々たり。終日困臥。心配性の母上けふも來宅。語るべきことなく無爲に沈默が流れる。昏暮母上を歸參さしむる。
薄曇。心身消磨し何事にも手がつかず。晡時主治醫を訪ひ診察を乞ふ。食後の藥がすべて變はる。ノリトレン10mg、テルシプール10mg、セパゾン2mgなり。昨今は熟睡を覺えず睡眠藥を變へて欲しけりに、處方は今までと變はらず、余事の意外なるに一驚して荅ふる所を知らず。身を案じた母上と父上來宅。余が問ひもせぬに病根細々語り續けし末、氣を病まれるとかへつて氣疲れする故暇乞されたき趣言出したれば、その場は體よく歸せしなり。
隂晴定まらず。日愈々長くなりぬ。風暖にして頭痛岑々然たり。終日病牀にあり。枕上高橋源一郎の書評集『もつとも奇險な讀書』を繙くも感興來らず。夕刊で團伊玖磨の訃報に接す。訪問先の中國で客死せり。高等學校合唱部に在籍せし折り、氏の『筑後川』を好んで歌ひけり。
隂。二週間ぶりに本務校で講義す。小聲にも拘らず聲嗄れたり。講義を終へると心身消磨し早々に歸宅し午睡を貪る。
隂晴定まらず。早朝、矢田川の川岸に昨夜急逝した鸚哥の墓を掘り亡骸を埋める。亡骸は在りし日の體躯からは想像がつかぬほど細き體にて驚愕す。鸚哥は體に變調をきたせば羽根を膨らませぢつと蟠踞するものなれば、丸々と肥えてゐたかに見えし生前の姿は何らかの病の兆候故なりしか。遺された雌が不憫でならぬ。皇太子妃殿下雅子樣御懷姙の報あり。法政大學の友人Y君よりカルペンティエールの小說『春の祭典』の譯書屆く。
薰風習々たり。夕餉の後、書齋の鳥籠を覗き見るに、普段は止まり木に止まつてゐるのが習はしの雄の鸚哥が籠の片隅に蹲つてゐる。部屋の明かりを燈してよく見るに、目を開いた儘ぢつと橫たはり、ぴくりとも動かぬ。雌は異常を察してか、舉動不審で右顧左眄す。まさかと思ひきや、確かに死せり。鸚哥とは別種の生き物の如く太りたりければ、肥滿が原因の頓死と見ゆ。半年の餘りに短き生涯なり。
晴れて俄に暑し。雲氣鬱勃。溽暑蒸々たり。金曜早朝に實家から戾りしより橫臥の日續く。目下の惱みは熟睡能はざることなり。睡眠藥の相性惡しき故なるや、或は效能が强すぎるためなるや。午後近所の溫泉に徃き療養す。晡刻一睡。昏暮余の病輕からざるを知り父上と母上夕餉を持參し來宅。
隂雲散じて快晴の天氣となる。火曜日に實家に蟄居してより筆意の如くならず、無聊甚だし。會議あれど微恙あり、徃かず。心の風邪痊えざりしにや頭痛みて心地すぐれず。夕暮窗に倚りて路地を見下ろすに、兒童らの聲さわがしく、初夏の光景いぶせき路地裏にてもおのづから清新の趣あり。病身この景物に對すればかへつて一層の悲哀を催す。
隂晴定まらず。心身消磨昨日と變はらずけふも休講。一日何を爲すでもなく悶々と過ごす。
心身消磨し縣立大と學院大を休講にす。正午に近き頃父上と母上訪はる。陋屋一椀の粗茶をすゝむる。父上茶を啜りて間もなく圖書館へ徃く。夕刻主治醫の診察を乞ふ。ゆつくり休むやういはれるのみで藥は變はらず。隂々滅々たる天氣余の體調の反映と見ゆ。母上を自働車に乘せて實家を訪ふ。暫く實家に寄寓することにする。
曇。余が私淑する永井荷風は『西遊日誌』にてテーブルを「卓子」、トランクを「行李」、シャンパンを「三鞭酒」、フラツトを「貸間」、ハンケチを「手巾」、ルーフガーデンを「屋上園」と記すを拜讀するにはたと思ひつき、インターネツトやパソコン用語の中國語表記を調べる。余の「個人計算机」は二臺とも「筆記本電腦」で「鼠標」はなく、接續は「綜合業務數字網」の「撥號上網」なり。この抑鬱亭日乘を記載せしは余の「主頁」で、「國際互連網地址」は「首頁」の上に表示さる通りなり。「網絡服務商」は@niftyなり。余はいはゆる「網蟲」だらう。古い「筆記本電腦」は未だに「視窓95」故「死機」し「重新起動」せざるを得ぬこと屡なり。酷使すること襤褸雜巾の如く、「鍵盤」の文字盤擦れし箇所多し。
隂。雲氣鬱勃たるさま初夏の如し。飜譯の仕事七顚八倒の末漸く一段落す。得心のゆく出來にあらず。余が畏敬せし西班牙詩人一流の詩的隱喩充ち溢るゝ講演原稾なれば余が如き詩才と無緣の一學徒が惡戰苦鬪したところで齒が立つ道理はなく、精神を病み肉體貧弱たる余の手に餘る代物なり。晝前惣菜を求めむとて近所の超級市塲に徃く。黃金週間の最終日故にや人出夥しく遊步の人織るが如し。店内の麥當勞で雙層吉士漢堡包と薯條と冷咖啡の晝餉を飰し小憩して歸る。
曇りて風なく暖なり。重い腰を上げて飜譯に沒頭す。數日來捗らず隔靴掻痒の感ありしが漸く一條の光射し筆が進みぬ。五時半漸くとり敢へず終ひまで飜譯す。讀み返すにとても人樣の高覽に供するに値はぬと痛感せり。直ちに推敲せんと欲せしが頭が芯まで草臥れ果てぬ。昨日眞に奇矯な事件報ぜられる。北朝鮮の金成日書記長の長男金正男がドミニカ共和國の僞造旅劵で日本に入國す。新聞は「金正男と思しき人物」と奧齒に物の挾まつたやうな物言ひせり。不法入國者なれば徹底的に身元調査し本國に送還するが筋なれど、身元を確認せぬまゝ中國への渡航を許可せし法務省の無能ぶりは笑止千萬といはざるをえず。彼の國との國交問題紛糾を恐れての事だらうが、少なからぬ國民が拉致されてゐる事實を顧れば、身元確保し來日目的を判然とさせるのが外交の要諦ならざるや。「拉致問題埒開かず」などと詰まらぬ洒落の一つも零したくなる。七時より久方振りにテレビでプロレスを觀戰す。アントニオ豬木が代表を務めしUFOの小川直也と新日本の長州力の一騎打ちなれど、長州が盛りをとうに過ぎた老いらく故、試合にならず唯の喧嘩に終始することは赤子の目にも明らかなり。昨今はこのやうに團體の枠を超えた挌鬪一世を風靡し、歡迎せざることにあらずも、實態は子供の喧嘩に等しいもの多く、挌鬪の名を借りた論ずるに足らぬ兒戲に等しい喧嘩猖獗を極めつ。眞のプロレスファンにとつては憂ふべき事態なり。
晴また隂。太陽を拜むは久方ぶりなり。數日前に株式會社イベリアから屆きし『アンダルシア時代』第五號に目を通す。余の連載が二篇揭載さる。一篇は「ロルカ、その生涯」、もう一篇は「ザツヽ・スパニッシュ・エンターテインメント」なり。飜譯遲々として進まず。詩神ミューズ訪れず隔靴掻痒の感あり。氣分轉換のために近所の溫泉に徃く。露天風呂心地好し。去れども詩神ミューズ降臨する氣配なし。飜譯捗らず、鈍間なこと龜の如し。
雨やみしが空晴れず曇。昨今は隂々滅々たる天氣續く。淺草驛近邊で縫ひぐるみの帽子を被つた不審な男が女子短大生を路地で殺傷せしといふ事件あり。亞米利加の職業野球ではボストン・レッドソックスの野茂英雄とシアトル・マリナーズのイチローの夢の對決あり。結果は二打席無安打と一四球なり。野茂は亞米利加に渡りしが九十五年。今年で六年目なり。イチローは今年移籍したばかりなれど、活躍目覺しく、先日は十五試合連續安打のチーム記錄を樹立し、目下八試合連續安打を放つ。一年目にして早くもリーグを代表する强打者になりぬ。日本は尤も人氣が高い巨人軍の視聽率益々低下す。大選手が陸續と亞米利加に渡れば當然なり。松井がこれに續けば日本の野球は危殆に瀕すこと火を見るより明らかなり。大相撲の人氣も凋落してゐるらしく、昨日日本相撲敎會は收益の惡化を理由に地方巡業の休止を檢討せりと報じらる。橫綱の名に相應しい逸材なかりせば、むべなるかな。
曇りて晝過ぎより細雨糠の如し。午前中作文の講義す。これで漸く連休になるが、飜譯の仕事があり、とても黃金週間の氣分にあらず。黃金にあらずして亞鉛なり。夕刻實家に寄り夕餉をご馳走になる。父上と母上に個人電算機の使ひ方を指南す。父上には電子書翰の住所の登錄の仕方を傳授し、母上にはトランプゲームの立上げ方を敎へる。二人とも每日個人電算機を利用し、樣々な新聞社や余のホームページを閱覽し、日記や家計簿にも活用してゐる。
豫報は晴天なりしが曇。雲のゆきゝ穩ならず。昨夜は蒲團に橫臥し滅多に見ぬテレビを見けり。世界に六千萬とも七千萬とも言はれる數に及ぶ地雷の撤去に携はる民間の非營利組織の運動を支援せんとする坂本龍一が作曲せし『ZERO LANDMINE』と題する十八分の樂曲の生演奏を聽く。譯詞は村上龍。韓國や印度、葡萄牙、西藏、モザンビークなど世界各國の多士濟々たる音樂家が揃ひけり。細野晴臣と高橋幸宏の共演を眺むるに感興催さずにおかず。CDの賣上げと印稅は全額地雷撤去活動資金に充てられるといふ。このやうな非營利運動が昨今若者に着實に滲透せり。眞に結構なことゝいふべし。地雷で右脚の膝から下を失ひしカンボジア王國の少女の現地報告あり。地雷は兵士の補講能力を奪はんとして開發されし兵器なれど、現實に犧牲になつてゐるのは殆どが民間人、とりわけ極貧の生活を强いられし民ばかりなり。昨今は義足の技術發達せしが、年端もゆかぬ少年少女は肉體の成長期故殘つた脚の骨は伸び續け、これを半年每に削らねばならぬといふ。現今は地雷を一つひとつ手作業で爆破し撤去せざるを得ず、凡ての地雷を撤去し終へるには三十世紀迄かゝらんといふ。人間の殘酷さ凡人の想像を遙かに超ゆ。