雨霽れて曇。朝刊の社會面で古今亭右朝の訃報に接し驚愕す。享年五十二は餘りにも若すぎる。死因は肺癌といふ。これから一花も二花も咲かせる逸材なりき。大學時代高田文夫と倶に落語硏究會に所屬し若き頃から噺家として頭角を現しぬ。余は右朝の高座を一度も聽いたことなし。返す/\も無念なり。
曇りて昏暮より細雨霏々たり。午後六時。名驛松坂屋で今春卒業せし元女子學生五名と落ち合ひ、驛近鄰の居酒屋で大いに歡談す。テレビ番組制作會社勤務のF孃、辯舌巧みにて話題陸續と提供し雰圍氣を盛上げるに大いに貢獻す。高島屋内東急ハンズ勤務のM孃、春の歐州旅行の土產話を披露。銀行勤務のW孃は世渡り上手と見ゆ。郵舩航空のK孃、天然ボケ甚だしく〈つがひ〉といふ言葉を知らずして鳥の種類と盲信するに及び一座の爆笑を誘ふ。勤務先は自宅から自轉車で五分と交通至便といふ。東京の通勤族がこれを聞きしなば羨望で切齒扼腕すること火を見るより明らかなり。木村ユニティーのS孃は聰明にして聞き上手なり。氷河期と呼ばれし就職難のこの時代に立派に職を得活躍する彼女らを見るに賴もしく誇らしく思ひぬ。F孃を除いて殘りの四名は余のゼミ生にあらざれど、かうして同窓會に誘はれしは望外の喜びなり。敎師冥利に盡きる思ひ萬感なり。
曇りて暖なり。ゴールデン・ウィーク初日。〈ゴールデン・ウィーク〉が映畫業界の用語なりしことを知る者多からずと思ひぬ。大辭林に據ると「1951年(昭和26)から,日本の映畫界で,連休で特に入場者が多かつたゝめに言ひはじめた語」といふ。何故この年に入場者多かりしか。余が私淑せし評論家K氏說くに、1951年に爆發的にヒットした洋畫なく、人氣を博したのは邦畫は松竹・東寶・大映・東映・新東寶の五社なり。日活は未だなき時代なり。東寶の作品は弱く、東映は片岡千惠藏、市川右太衞門の共演だがともに盛りを過ぎてをり客は呼べぬ。衆目を集めしは5月5日に封切られし松竹・大映競作の『自由學校』なり。原作は前年朝日新聞に揭載されし獅子文六の連載小說なり。映畫の競作は戰後初。ラジオもNHKしかなき時代故、小說『自由學校』は小學生の間でも話題になりしといふ。これを二大映畫會社が競作せんとなれば話題にならぬ筈なし。東京が舞臺の都會喜劇で、脚本は松竹が齊藤良輔、大映はあの新藤兼人。配役は五百助役が松竹は佐分利信、大映は素人の小野文春。駒子役は松竹が高峰美枝子、大映は木暮實千代。アプレゲール男女コンビは松竹が淡島千景と佐田啓二、大映は京マチ子と大泉滉。附言すれば、往時〈〈シルバー・ウィーク〉なるものもあり。映畫會社は、正月、ゴールデン・ウィーク、お盆では物足りず、勤勞感謝の日前後に娯樂映畫或は藝術祭參加作品を封切りたり。成瀨巳喜男の『流れる』が1956年11月20日に封切られしはさうした背景に由來す。晝過ぎ、車で定光寺の勞働者硏修センターへ徃く。途次、坂道を汗みづくで登つてゐる西班牙人女性同僚二名と邂逅、車に乘せて案内す。けふから一泊二日で新入生歡迎オリエンテーション。敎員自己紹介。余は西班牙語で挨拶す。新入生諸氏に自己分析の隨想を執筆させ、西班牙學科を選びし理由に就いて數名ごとのグループに別れて討論させり。夕食後は每年恆例のサルサ講習會なり。キューバで生まれし輕快なステツプの舞踊なりしが、見るは易し行なふは難しで、一時間踊ると全身に汗が流れること瀧の如し。余の體調さへ良好ならば一泊して夜更けまで學生諸氏と語り合はんと欲すれど、病み上がり故、十時前に辭去し歸宅す。疲勞困憊せしが氣分惡しからず。
三時、余の卒論ゼミに登錄してゐないが余の指導の下で卒論を書かんと欲す學生Kさん硏究室に來たる。西班牙留學から歸國して間もなく、九月卒業を目指してゐる。卒論提出期限は七月十日なりといふ。題材はサルバドール・ダリに定めしが、具體的に何を書くべきか惱み盡きぬ樣子なり。助言を授けるに、「これで書けさうな氣がしてきました」と瞳を輝かす。余もほつと安堵の吐息をつきぬ。西班牙の喫煙事情や將來の職業選擇など世間話を交はす。かうして學生と森羅萬象に就いて語らふ時が大學敎員としての余の最大の愉悅なり。基礎演習の學生諸氏に余のホームページを閱覽してもらひ、感想を揭示板に書かしむ。槪ね好評で安堵せり。毀譽襃貶樣々ならんと思ひし「微笑問題」が特に好評なりしは望外の喜びなり。午前十時半から午後七時半まで都合三つの講義をせり。生來喉が丈夫ならざる故(丈夫ならざるは喉に限らざるが)、三つ目の夜間の講義で聲嗄れ喉痛し。空氣が乾燥してゐる所爲かも知れぬ。疲勞困憊す。倂し決して不快な疲勞ならず、むしろ心地よい充實感を覺ゆ。
曇りて風なく暖なり。花見月咲き誇る。昨夜は立寄りし實家より歸宅するに十一時を過ぎぬ。寢に就く前に湯に滲かり體を暖める。かうすると寢附きがよくなることを發見せり。午前主治醫の診察を乞ふ。應用を要する思考の鈍きこと鬱病の症狀なりといふ。また、睡眠時に服用せし藥の效き目が强すぎる所爲もあるといふ。精神安定劑を輕いものに變へてもらふ。病院へ徃く途次、交叉點で信號を待つ間、猛スピードで通過せし車が他の車を避けんと急ブレーキを踏みハンドルを切り損ね、車の後部が中央分離帶に激突す。余の知るかぎり、日本で愛知縣ほど自働車の運轉の荒き處なし。愛知縣以上に亂暴な運轉橫行する國はたとへば西班牙なり。馬德里の狂暴な交通狀況は地獄繪さながらなり。無謀なスピードで事故を起こせば車の修理に時間と金がとられしことを思へば、畢竟、貴重な時と金を失ふことになる。愛知縣は自働車の生產に於ては日本屈指の縣なりしが、運轉技術に於ては雜駁かつ奇險この上なし。午後、小泉純一郎首相が第八十七代總理大臣に就任す。小泉が首相に選ばれしは田中眞紀子の人氣に負ふところ大なる故、眞紀子の入閣は豫想通りなり。倂し外務大臣とは意外なり。自治省或るいは厚生勞働省やと思ひぬ。
曇りて寒く暗き日なり。朝方小雨しとしと降る。睡眠導入劑の所爲か、昨今は脉絡なき夢を間斷なく見續ける事多し。一例を舉ぐるに、東京の目白通りを逍遙せしが何時の間にか紐育の下町を彷徨してゐると云ふ工合なり。道端に風變はりな日本風屋臺を見ゆ。地元の亞米利加人たちが屋臺を圍んで立つたまゝ揚げ物のやうなものを食してをる。步みを止めて看板を眺めるに何故か縱書きの漢字で「穴子」と大書されてゐて面食らふ。亞米利加人たちが頬張りしものは穴子の揚げ物なり。眞に奇妙な光景なり。睡眠導入劑がサイレースとハルシオンの二種類になりし以來、連日このやうな不可思議な夢を見ゆ。本日は實質的に今年度初の作文の授業なり。學生諸氏に接極的に質問するやうさそひしに、學生諸氏余の期待に應へて活溌な議論を展開す。眞に賴もしい限りなり。歸宅後、浅田彰・田中康夫の對談集『新・憂國放談 神戶から長野へ』を讀む。政治家でもなくいはゆるタレントでもない田中康夫といふ一文筆家が縣知事に當選せしは戰後初の快舉なり。田中氏本人もその點に充分自覺的なり。本書を讀む限り、田中氏は石原慎太郎都知事とは異なる方策により地方自治を拔本的に變革せしむ力量ありと見ゆ。浅田氏によると、カントは、一個人が國家機構の中で官僚として考へてゐるときは公的だと一般には思はれしが實は私的であり、一市民として自由に議論を交はしてゐるときこそが公的であると述べてゐるといふ。この指摘に余は蒙を啓かれり。たゞし、大島渚の『御法度』を完膚なきまでに蔑むのには同意できぬ。壬生の屯所の見事な舞臺裝置と松田龍平の美しい唇を映像化しえたゞけで大島は襃め稱へられるべし。腦出血で死生の間をさまよひし大島が現場に復歸したゞけでも奇蹟となすべきことなれば、あれほど美しい映畫を撮り得たのはさらなる奇蹟なり。浅田氏はこの「美しさ」を奇險視してゐるが、優れた映畫には忘れんと欲すれど忘れ難き瞬間といふものあり。『御法度』では松田龍平の唇がさうである。
曇りて晝過ぎより驟雨屡々來る。昨夜も幸ひにして熟睡す。今年度初めての基礎演習を講ず。余の一方的な講義ではなく學生たちの自主的な硏究活動を尊重せんと欲するが故、來週迄の課題として、余のホームページを隅々まで讀み感想を揭示板に書かしむことゝする。果して誰がこの「抑鬱亭日乘」に最初に辿り着くであらうか。 午後、今年度初めて名古屋學院大學に出講す。シラバスに揭載されし敎科書と生協書籍部に屆きし敎科書が余の過ちにより異なつてしまひ、學生數名を困惑せしむ。このやうに昨今ます/\物忘れがひどくなりぬ。致命的な過ちといふよりは瑕瑾となすべきこと故、かへつて苛立ちつのりぬ。
曇。遂に快眠を得る。先週末主治醫に新たな睡眠導入劑を處方してもらひしより初めての快眠なり。氣分惡しからざりしも睡眠導入劑の助けを乞はねば眠れぬ體に變はりなき故、出勤は見送り、自宅でロルカの講演の飜譯を進める。題名は「ドゥエンデのからくりと理論」なり。講演原稾故聽衆に向けて語られし言葉の連なりなれど、ロルカ獨特の詩的表現橫溢し、一朝一夕に飜譯出來る代物にあらず至難の業なり。倂しこの飜譯が六月の小島章司氏の公演『黑い音』の土臺なればこの困難は快樂と紙一重なり。無心に飜譯に沒頭す。睡眠導入劑が效ありと認められし故母上に泊まり込みの世話は無用なりと申せしが、もう一日樣子を見たいといふ。能ふかぎり一日も早く獨居生活に戾り度き氣分なりしが諦める。
一睡だに出來ぬまゝ夜明けを迎へる。一昨日は效果ありし二錠の睡眠導入劑は二日目にして早くも余の不眠症に敗北を喫す。眠られぬことに如く辛さなし。すつかり白んだ窗外北風烈しく新綠の榎の枝が大きく搖れる。何故か一時も氣の休まらぬ余の穩やかざる心の反映と見ゆ。午前七時頃卒爾に睡魔に訪はれ、居間のソファに橫臥。此の調子なら眠れるやも知れぬと寢室に移り蒲團に潛り込むが、やはり眠れぬ。九時起牀。實家で父上母上と時を過ごすに寬げず。來し方を振り返るに獨身生活を行なひしこと人生の過半に及べば當然の理なり。朝食後自宅に歸る。獨り暮らしの再開を欲すれど、余の身を案じる母上が同行し數日泊まり込む運びとなる。余の目下の惱みの種は不眠なりしが、眠られぬこと必ずしも惡しきことにあらず。短時間でも熟睡出來れば氣分爽快なるが故なり。厄介なりしは睡眠恐怖症なり。これは實際には眠つてゐるにもかゝはらず眠つた氣がしない疾病の謂なり。今朝は殆ど一睡だにせず曉を覺えしが、氣分は決して惡しからず。今夜樣子を伺ひ、再び眠れず心身の倦怠感甚だしければ明朝主治醫の診察を乞ふ所存なり。
抑欝亭日乘はこれまで譯の分からぬ犬どもの發話形式の體裁だつたが、どうも文體と犬のアイコンが馴染まず隔靴掻痒の感あり。余の希望は猫なのだが、得心の行くアイコンが見當たらぬ。そこで心機一轉アイコンは一掃し、抑欝亭日乘のサイト自體を別のものに變更す。「えんぴつ」といふ名のサイトなり。内容は今までと變はらぬ。變更はデザインのみなり。晡時、エストゥディオ・コジマから宅配便で六月の公演『黑い音』のチラシ屆く。踊つてゐる小島章司氏の肖像冩眞の顏の橫に、赤い薔薇を咥へた髑髏の繪が添へてある。生と死の寓意なり。舞臺公演のチラシには勿體無いほどの出來榮えなり。
目下の余の不滿の第一は捗々しい睡眠を得られぬことに盡きる。就寢時には睡眠導入劑と坑欝劑と精神安定劑を服用するのが慣はしだが、昨今は豪も眠れぬ。頭がぼんやりし、餘りにも體調がすぐれず、學生諸氏には申し譯ないと胸の裡で手を合はせ斷腸の思ひで授業を休講にし、午前主治醫の診斷を乞ふ。晝間頭がぼんやりし判斷力が低下せしは食後に服用してゐる三種類の向精神藥の副作用の所以と云はれ安堵の溜息をつきぬ。原因は余の精神や人格ではなく藥にあると知ればこそなり。不眠の苦しみを訴へ、睡眠導入劑を二種類に增やしてもらふ。休める仕事は極力休み、のんびり過ごすやう助言を賜る。母上來宅。余の身の上を案じて實家に寄寓するやう諭される。詮方なく唯々諾々と從ふ。
曇。欝々として日を樂しめぬ病を患へば己の無能さを思ひ知らされること頻なり。先週水曜日、心身共に衰へ講義が出來る狀態にあらざれば學生諸氏に心で詫びつゝ休講屆も出さぬまゝ蟄居し輾轉反側せしが、けふの授業で或る女子學生に先週の始業日は木曜だと敎はり憫笑を買ふ。病が昂ずると此のやうな單純な判斷さへ覺束なくなり恥を天下に晒すのが慣しなり。體調良好ならば一笑に附して事足りるものゝ鬱の谷底に在る今は迚も笑ふ氣になれず。早々に歸宅して鸚哥に泣き言を述べる。兩方とも雄だと思ひしに、片方の蠟膜が薄い靑から小豆色に變色してゐる。或るいは雌かも知れぬ。
晴また曇。南風烈しく砂塵雲の如し。朝來體調すぐれず授業を休講にする。身體衰弱し活力殆消磨したる狀態なり。午後九時に睡眠藥を服用して寢に就きしものゝ一向に眠氣を催さず輾轉反側す。睡魔何處を逍遙するや。氣隨氣侭に心安らかに眠る鸚哥に奪はれしか。心身消磨せしが熟睡能はざるに如く不快はなかりけり。書を繙くに懶く筆を執るに感興來らず。春草茸々たる此の季節は余の尤も苦手とする時期なり。個人電算機ならば記憶を凡て抹消し作動體系を再導入すれば事足りれども、人間はさう單純には行かず隔靴掻痒の感あり。
昨日佛蘭西航空で歸國しS氏邸に寄寓す。藥の御蔭で機内で泥のやうに眠り、時差による體調の異變なし。東京は無風で暖かく葉櫻。S氏夫人に據れば先月末日に滿開の櫻に牡丹雪が霏々と降りしといふ。今朝新幹線で名古屋の自宅に歸參す。東京が葉櫻なら名古屋はとうの昔に散りぬと思へど、折り良くけふが滿開で藤が丘驛前は櫻祭の初日で出店が軒を竝べ殷賑を極めてゐる。實家に立寄り歸朝報告。春風嫋々。兩親と花見に出掛け龜屋芳廣で善哉を飰す。體調頗る良好。