降りみ降らずみの定らぬ天氣なり。午後主治醫に診察を乞ふ。終日手紙を書く。O氏新著原稾を送らる。米軍イラク都市部より撤退す。占領六年に及べり。十時半エル・パイスを讀みピナ・バウシュ急逝の報に接す。ル・モンド、ズードドイチェ・ツァイトゥング、フランクフルター・アルゲマイネなどで確認。五日前に癌を宣告され、火曜の朝急死したりと云ふ。程なくヴッパタール舞踊團のサイトに公式發表揭載せらる。享年六十八。
晴のち陰。鄰家の凌霄花(ノウゼンカズラ)(リュウゼンカズラ)滿開なり。母上と倶にグッドウィルに赴き、有線ルーターを購はむとして不覺にもハブを購ひぬ。午後返品してバッファロー社のルーター BBR-4MG に買換へる。二九八十圓也。ホームセンター園藝舘に立寄り、日々草、鷄頭などの鉢植を買ふ。午前歸宅して母上自らルーターの設定作業をなし、父上母上の電腦めでたく同時にネットに接續せしめられたり。夕刻雨降り初む。直に鳧の聲遠近に反響す。夜に入りて雨降りまされり。
陰晴不定。濕度低く風あり。暑氣忍び易し。S子の誕辰なり。山下達郎サンデー・ソングブックにモータウン・アーカイブス第二囘を聽く。十三年前放送の再編輯版なり。モータウン黃金期の掉尾を飾る樂曲としてジャクソン5の歸つてほしいの I Want You Back をかけたり。マイケル・ジャクソン死去したりしは一昨日なれば、この日の收錄は昨日と見ゆ。モータウン特輯を企畫せしは數週間前なり。歷史的とはこの事なり。紀念に今日の樂曲を記し置く。
WHERE DID OUR LOVE GO | The Supremes (1964) |
I CAN'T HELP MYSELF | The Four Tops (1964) |
MY GIRL | The Temptations (1965) |
HOW SWEET IT IS | Marvin Gaye (1965) |
UPTIGHT | Stevie Wonder (1965) |
OOO BABY BABY | Smokey Robinson and The Miracles (1965) |
SHOTGUN | Jr. Walker & the All Stars (1965) |
I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE | Gradys Knight & the Pips (1967) |
I HEARD IT THROUGH THE GRAVEVINE | Marvin Gaye (1968) |
MY CHERIE AMOUR | Stevie Wonder (1969) |
CLOUD NINE | The Temptations (1968) |
I WANT YOU BACK | The Jackson 5 (1969) |
晴れて溽暑堪へがたし。初めて YouTube に英文コメントを寄稾す。マイケル・ジャクソンの Off The Wall なり。直にプラス2の評價を得たり。
蚤起日課の如し。睡眠劑の副作用なし。不可思議なり。けふも晴れて暑し。ファラ・フォーセットの訃報に接す。肛門癌の治療中にてライアン・オニールとの婚約を公表したりしは數日前なりき。ある愛の詩そのものなり。2300年未來への旅、サン・バーン、スペース・サタン等ファラの主演映畫を思ひ出す。余中學生の時ファラに魂を奪はれ、生徒手帳に寫眞を收め携帶したりき。享年六十二。つゞけざまにマイケル・ジャクソンの訃に接せり。我が目を疑ひ、各國新聞サイトを閱す。ロサンゼルス・タイムズ紙 "Michael Jackson dead"、ニューヨーク・タイムズ紙 "Michael Jackson - Pop Icon - Is Dead at 50"、ワシントン・ポスト紙 "'King of Pop' Michael Jackson Dies at 50"、ル・モンド紙 "Le roi de la pop - Michael Jackson - est mort"、エル・パイス紙 "Fallece Michael Jackson"。マイケルのオフ・ザ・ウォール Off The Wall 今聽きても全く色褪せず。クインシー・ジョーンズの胸中察するに餘りあり。享年五十。連載の稾を脫し編輯長に送る。午後疲勞を覺え橫臥して讀書忽ち華胥に遊ぶ。日暮札幌のTさんより朗報あり。
薄曇りの空次第に晴る。授業一限目を始むや、學生課職員來りて余に耳打ちし、某學生來りて在るやと問ふ。今日はまだ來らずと荅ふるに、昨日來親が電話かけしも繫がらず行方不明なりと云ふ。二コマを畢りて構内の喫煙所に一服するに、件の學生來りて、缺席してすみませんでしたと詫びを陳ぶ。普段と變らぬ樣子を見て余は先づ安堵せり。事情を聞くに、目覺時計代りの携帶電話が電池切れとなり、心附かぬまゝ眠りゐたりしと云ふ。親から電話ありしことも當然知らず。大學職員がアパートに驅附け、無事を確認せしとのこと。當今の世はケータイの電池が切れゝば行方不明者となる時代なり。呵々。午後雜文執筆餘事なし。窗より熱風吹き入る。攝氏三十二度に達す。エバミール1mgを二錠飮むも何故か眠れず、曉明に至る。
朝來の雨午に至りて霽る。氣溫三十度に達せしが風爽やかなれば心地よし。終日眠氣を催して堪難し。新日本現代演劇史第二卷屆く。
薄く曇りて蒸暑し。日中の暑さを畏れて朝の中買物をなす。北海道產米なゝつぼし五キロ千六百八十圓也。攝氏三十二度に達す。疲勞じわ/\と滲み出づ。依賴の雜筆を草す。
朝來雨滂沱。時々雷聲を聞く。むしあつきこと熱帶雨林に在るが如し。首にタオルを卷き流るゝ汗を食ひ止む。今夏初めてアイスクリームを食す。中村俊輔のエスパニョール移籍決る。アリ・アクバル・カーン歿。享年八十七。YouTube に演奏を聽く。
細雨降りてはまた霽る。風絕えてむしあつし。疲れとれず、唯寐つ起きつして日をくらす。サンデー・ソングブックにモータウン・アーカイブスを中途まで聽く。この日夏至。
陰晴不定。氣溫攝氏二十八度に達すれど濕氣少なく風爽やかなり。先週來の疲れ稍あり。午眠燈刻に寤む。日本テレビ系土曜プレミアムにトランスフォーマーを看る。脚本の筋立といひ演出といひ、いづれも愚劣極まりなし。途中にて已め、口直しにシティボーイズ丈夫な足塲を見る。
蚤起日課の如し。晴。開店と同時に太田商店に赴きファックス送信シートを購ふ。四百二十圓也。歸宅して禮狀をしたゝむ。午前K氏來りて山桃を餽らる。午後連載原藁執筆二更に至る。西班牙の書店に辭書類を注文す。この日獄中のアウン・サン・スー・チー六十三歲の誕辰なり。
薄く晴れて蒸暑し。傘を持つ學童多し。先週にひきつゞき學生と倶に活動寫眞パンズ・ラビリンス後半を看る。殘酷描寫に目を蔽ふ者尠からず。感想を書かしむ。歸途カーマホームセンターに立寄りセキセイ鸚哥の好物オーツ麦を購ふ。二百組五箱入ボックスティッシュ二百九十八圓。鄰のアオキスーパーにては二百四十八圓也。四箱購ふ。給油。三圓引の割引券を用ひてレギュラー百十五圓。家にかへりて晝飯を食ひ終るや驟雨沛然として濺ぎ來る。霰ふる。雷鳴轟々たり。禮狀執筆すれば日は忽ち暮れぬ。
快晴。朝飯の後母上を伴ひ車で地物市塲あぐりん村に赴き買物をなす。駐車塲の脇に兒童が植ゑし鉢植の野菜あり。茄子、蕃茄、オクラ。オクラの花を初めて見る。薄黃色の可憐な花なり。梅、茄子、西瓜を買ふ。ラムネの甁目にとまり、懷かしさのあまり一本購ふ。百八拾圓也。ラムネを飮むは數十年振りなり。午後禮狀執筆餘事なし。NHK總合テレビためしてガッテンに鬱病特輯を見る。
蚤起。今にも大雨降來らむかと思はれながら、暗く曇りし空よりは怪し氣なる風の折々吹くのみ。アサリ余の指にとまり、飽かずして鼻唇髮などつゝく。公演に用ひし篝火ガス代などの請求に應ず。三時病院に行き主治醫の診察を請ふ。歸途役塲に赴き自立支援醫療受給者證の更新手續をなす。六時前雨濯ぎ來りて直に土砂降りとなる。夕餉にマダカの潮汁と螺灣蕗の煮物を食す。
五時半起き出づ。六時勤行。參加者多し。七時大廣間にて朝食。九輕トラックを拜借し関君と倶に伽藍に赴く。手動式變速裝置の車を運轉するは二十年振りくらゐなれば途中エンストすること數次なり。金堂より椅子七脚を運び出し宿坊に戾りて村田氏と三人で梱包す。宅配業者との連絡至難を極む。十一時過ぎ作業終了。十一時半上段の間にて小島氏と四人で晝餐。若奧樣來室、挨拶せらる。宿坊を出でゝ門前のバス停留塲に佇むに、若き僧侶走り來りて、紀念品でございますと腕念珠を贈らる。十二時過ぎ山内バスに乘り高野山驛に徃き、喫茶店に小憩。村田氏窓邊の小さき馬の置物を見て、八馬なり、緣起ものなりとあり。十二時五十一分ケーブルカーにて下山。車窓に顏をよせて山法師の花の白く輝くを見る。一時一分特急こうやに乘る。直に一同眠り入りたり。二時二十二分なんば着。御堂筋線にて新大阪に出で、三時十七分新幹線のぞみ號にて大阪を發つ。車内にて柿の葉ずしと若竹の水羊羹を食しながら款語。四時過名古屋着。小島氏村田氏関君の三氏に別れを告げ地下鐡に乘る。五時歸家。母上札幌より歸宅せられて在り。叔父Sの容態を聞く。夕餉に元同僚 K氏の釣られしマダカの刺身を食す。テレビのニュースに天臺宗半田孝淳座主の高野山金剛峯寺訪問を見る。空海最澄決裂以來、千二百年の歷史上初めてのことなり。母上の札幌土產とうまんを食す。
五時半起床。氣分爽やかなり。六時勤行。小島氏の供花飾られる。七時朝食。八時部屋に戾りテレビをつけるに三沢光晴試合中に死亡せりとの報道あり。我が目を疑ふ。九時宿坊の輕自動車を拜借し、寺島咲子先生を奧之院に案内す。參拜者多し。休憩所に一茶、小島氏の高校生時代の話など伺ふ。燈籠堂と弘法大師御廟を參拜す。ふたゞび輕自動車を運轉し宿坊に戾れば十一時なり。正午上段の間にて小島氏寺島先生村田氏西脇美絵子氏関晴光君と晝餐をなす。一時過ぎ輕自動車を運轉し小島氏西脇氏を金堂に案内す。早くも見學者大勢集まる。日の光照り輝き日傘をさす女性多し。佐藤浩希氏ら職衆役四人到着。藤原栄善氏來らる。舞臺前に飛鷹全隆氏揮毫の遍照金剛と書きし白き布を飾る。三時最終稽古開始。舞臺前に用意せし椅子百五十脚早くもほゞ滿席となりぬ。四時稽古終了。德島新聞と讀賣新聞の取材に應ず。四國放送撮影準備。五時小島氏と倶に御供所に赴き庄野光照氏に謁見す。德島立江寺の住職にして金剛峯寺宗務總長なり。五時十五分篝火に點火。庄野氏を始め飛鷹全隆氏岡部兼海氏ら重役揃ひて上手前の座席に坐らる。五時半小島章司フラメンコ奉納公演聖なるいのち空海に捧ぐ開演。余は椅子席の後方に立ち堀越千秋氏と倶に鑑賞す。觀客みる/\うちに增ゆ。ざつと見積もつて四百人は下らず。大塔の通路にも大勢の見物人坐る。マルティネーテの最中大塔の鐘六時を告ぐ。小鳥の聲響き渡り、自然の音渾然一體となる。歡喜のアレグリアス淚を催さしむ。終幕の五體投地を始むるや觀客拍手。喝采のなか出演者一人づゝ中央階段をのぼりて舞臺奧に退塲。小島氏と藤原栄善氏再登塲、拍手鳴りやまず。老若男女舞臺に驅寄り握手攻めとなる。余は村田氏と倶に御供所に赴き、飛鷹全隆氏岡部兼海氏に禮を述ぶ。飛鷹氏素晴らしい奉納を有難う御座いましたと叩頭せらるゝこと幾囘なるを知らず。岡部氏の瞳やゝ潤みたり。舞臺上にて小島氏宗務總長に奉納金を納む。拍手萬雷。撤收作業開始。余境内を驅囘る。蓮華定院に拜借せし輕自動車を運轉して寫眞家山廣泰夫氏を宿坊に案内せむとするに、靑葉まつり前夜祭のねぶた行列にぶつかり中央通り封鎖、暫し立徃生す。宿坊に着けば八時にならむとす。出演者關係者一同大廣間に集ひて打上の晚餐をなす。十時半入浴。
六時起床。勤行には參加せず疲勞を休む。七時上段の間にて朝食。村田氏昨夜の寒氣に風邪をひき鼻聲なり。住職來室、いよ/\ですなと挨拶せらる。村田氏奧之院に詣でる。部屋に戾りて電腦を取出し、西班牙人出演者用の豫定表を作成。たつた舞臺株式會社の社員二名四トントラックにて宿坊に來りて椅子七脚を搬出す。十時半村田氏歸院。正午前十二時蓮華定院の日產モコを拜借し、小島氏と倶に金剛峯寺壇上伽藍金堂に赴く。假設舞臺旣に完成。見事な出來映えなり。小島氏靴を履き替へコンパネの具合を調ぶ。小島氏村田氏と金堂向かひの食事處步ん步こに晝餉をなし、喫茶店木の實に立寄り珈琲を喫す。裏庭に雪の下花咲くを見る。二時境内に戾る。衣裳擔當山田尙希氏を先頭に出演者全員珠數屋四郞兵衞のマイクロバスにて無事到着。飛鷹全隆氏わざ/\境内に白布を持參せらる。阿吽の梵語二字を一續きに書かれ圓環をなす。もう一枚には遍照金剛と揮毫せらる。余の感激と感謝言はむとすれどその辭なきをいかにせむ。小島氏生涯の寶物なりますと言ふ。時を移さず遍照金剛の布を舞臺中央前より下に埀らす。二時四十五分リハーサル開始。聲明の僧侶は四時より二三名參加の豫定なりしが、薮邦彦氏亀位卓阿氏を始め、早くも五人參加せらる。薮氏藤原栄善氏の代役をつとめらる。余は懷中時計片手に各塲の深更時間を記錄す。いづれの塲も豫定と一分たりとも違はず進行せり。日鷹氏客席前に屹立して微動だにせず最後まで見學、聲明の最中は瞑目して聽入られたり。亀位氏に踊りの感想を訊くに、凄すぎますと唯一言述べて緘默せらる。伽藍主任井上聖憲氏來りて立看板の用意を致しますと氣遣はる。謝するに辭なし。赤毛氈も卽座に準備せらる。リハーサルは六時半終了の豫定なりしが、寺職員の機轉と出演者の努力のおかげで四時半には全ての段取りを確認し得たり。五時過ぎ稽古終了。蓮華定院の計らひにより再び珠數屋四郞兵衞のマイクロバスに乘りて宿坊に歸る。一番風呂に入り、七時四十五分大廣間に全員揃ひて夕餉をなす。小島氏の高校時代の恩師寺島咲子先生の知遇を得る。五號室前に每日新聞朝刊の記事揭げらる。小島氏村田氏と打合はせ。九時前自室に戾り日錄を書く。テレビをつけるにTBS系世界!ふしぎ發見偶然にも西班牙特集なり。二更エバミール1mgを二錠飮み寢に就く。
晴。アサリ余の箸に乘りてレタスと玉葱のサラドをつゝく。午に握飯を食ひ假眠小一時間。二時十五分新幹線のぞみ號にて名古屋を發つ。車中小島氏村田氏と合流。銀座中條本店の大あくびを頂戴し、一息に九個平らげぬ。三時六分新大阪着。御堂筋線にてなんばに向ふ。吊革につかまり小島氏と笑語しゐたるに車掌來りて、こゝは女性專用車兩なりと云はる。乘客尠く、老婦人別に構ひませんよと云はれしが、已むを得ず鄰の車兩に移動す。四時南海高野線特急りんかんに乘りなんばを發つ。日の光照り渡れり。四時四十七分橋本着、各驛停車に乘換ふ。極樂橋驛よりケーブルカーにて高野山驛に着けば六時にならむとす。辻自働車を倩はむとタキシ乘塲に向ふに一臺もなし。女性驛員來りていはく、五時で營業終了なりとぞ。一刻も早く白布を屆けむために山内バスに乘り三寶院に赴く。住職飛鷹全隆氏偶然駐車塲に在り。庭に薄紫の可憐な花あり。姬射干(ひめしゃが)なりといふ。寺内にてお茶と六方燒を馳走せらる。白布二枚をお渡しゝて阿吽二文字の揮毫を需む。阿吽なら梵字が良いでせうと云はれ、余の喜び限りなし。若奧樣自動車を運轉して蓮華定院に送られる。七時前到着。部屋に荷を置き、上段の間にて夕餉。胡麻豆腐絕品なり。若奧樣と相談、明日以降の討合はせなす。金剛峯寺の藪氏より電話あり。PHSは圈外。立田社長に電話をかけ普賢院の件を確認す。三更入浴、直に寢に就けり。
蚤起。晴雨定らず溽暑甚し。通常授業を休憩し學生諸氏と倶にパンズ・ラビリンス前半を觀る。反應頗る良し。感想を書かしむ。午後金剛峯寺と交涉すること幾囘なるを知らず。三寶院飛鷹全隆氏の需に應じて、厚かましくも揮毫の文字を考へる。頭痛岑々。陰雲散じて空靑々と晴渡れり。
五時半起き出でゝ窓を開くに風寒し。執筆してレストランに下り朝餉をなす。七時半ホテルを出で、千代田線銀座線山手線を乘繼ぎ東京驛に行く。八時五十分新幹線のぞみ號にて東京を發つ。JRエクスプレス會員グリーン特典を利用しグリーン車に乘る。乘客十名足らずで頗る快適なり。執筆一時間、假睡より寤むればいつか名古屋に着きたり。十一時半歸家。三日間心身ともによく持ちこたへしものよと我ながら驚くの外なし。二時過雨降り來る。東海地方昨日入梅、關東も今日梅雨入りといふ。金剛峯寺と相談忽ち日は晡なり。
曇天。十時半過ホテル前にてタキシを倩ひ事務所に赴き、當日配布のプログラム作りを始む。高野山金剛峯寺西宮鷲林寺と電話及び電子郵件でやりとりすること幾囘なるを知らず。一時小島氏と南靑山やんもに赴き晝餐を馳走せらる。鰆の柚香燒、鯛鮪蛸の刺身に舌鼓を打つ。三時スタジオに歌手ギター奏者チェロ奏者全員集ひて最終稽古始まる。余は見學する遑あらず、事務所に籠りてプログラム作成餘事なし。高野山の本番を見られぬ客十名ほど來りて觀覽す。春子さん古賀さんに久闊を陳ぶ。有馬氏にパロマ・ピカソとの面談報告を聞く。東京新聞社のカメラマン來りて寫眞撮影を行ふ。六時稽古終了。仕事を畢れば七時半なり。辻自働車を倩ひて赤坂のホテルに歸る。晚間鷲林寺住職藤原栄善氏より電話あり、聲明の僧侶十名の氏名を確認す。睡眠劑エバミール1mg二錠を飮み寢に就けり。
蚤起。薄く晴れて暑し。旅裝をとゞのへ、十一時過半袖シャツ一枚で出發。地下鐵道驛に至る僅か十五分ばかりで額に汗にじみ出る暖かさなり。手巾手放せず。十二時十分の新幹線のぞみ號にて名古屋驛を發す。ネットブック IdeaPad s10e を取出し溜りに溜りし手紙の草案を書く。東京驛下車。寒氣甚しく一驚を喫す。山手線にて新橋に戾り地下鐵道銀座線の乘換へ表參道に出づ。步みてスタジオ事務所へ行く。寫眞家山廣康夫氏來りて在り。須臾にして西宮鷲林寺住職藤原栄善氏來らる。腰低き慇懃なる好人物なり。三時よりスタジオにて小島氏と三人で打合はせを始む。栄善氏聲明のシキと稱名禮を披露さる。太く輪郭の明確なる聲に聽惚れる。公演段取りイメージ遂に三人が共有するに至る。栄善氏も本公演に興味津々たり。余は奉納公演の全貌やうやく明かになり喜悅と安堵限りなし。話し合ひは一時間强で畢り、住職の持參されしチーズケーキを茶請に珈琲を喫して款語小一時間。五時前スタジオ前にてお見送りする。小島氏は日課の稽古、余は事務所にて當日配布のプログラム作成作業を始む。七時辭去、赤坂のホテルに投宿して荷を解き、ベッドに橫臥して假眠を休む。九時半タキシを倩ひ南麻布CICADAに徃き小島氏と會ひ晚餐をなしつゝ商議すること閉店時刻の十一時半に及べり。三更タキシを倩ひホテルにかへる。睡眠劑エバミール2mgとレンドルミン0.5mgで纔に眠るを得たり。
快晴。代理店業務を畢れば日は旣に午なり。YOSAKOI ソーラン祭りなる行事は何が故に斯くの如く人氣を博するや。午後襍稾少し書繼ぐ。日曜洋畫劇塲にターミネーター3を觀る。六年前劇塲に觀て退屈し今宵もまた退屈す。クレーン車の追擊以外記憶すべき塲面なし。
蚤起。曇りて後に晴る。襍稾のつゞきを書く。夕食後札幌より思ひがけぬ報せあり。事情を聞くにつれ胃痛み出す。理不盡この上なく、落膽虛脫甚し。然れど最も辛きは當人と叔母なり。表の空氣を吸ひがてら藥局に赴き目藥を購ふ。紅き月東天低く雲間に浮ぶを見る。
雨沛然たり。鳧の聲響き渡るを聞く。文化廰に提出せし書類に不備あり、直に書き直して送る。午下空調業者來りて洗淨作業をなす。襍稾を書く。デヴィッド・キャラダインの訃に接す。バンコクのホテルにて縊死せりといふ。享年七十二。
陰。階前の夏椿の花將に開かむとす。授業。S君に再履修の顚末を聞く。病快瘉したる由。喜ぶべし。歸途理髮舖に立寄る。足利事件の容疑者菅谷利和氏十七年振りに釋放せらる。あまりにも氣の毒なり。ふたゝび胃痛。この日天安門事件二十周年。
輕陰。腹痛下痢。公演準備の雜事に追はる。黒田恭一歿。享年七十一。平成十七年四月NHKラヂオ第一放送ほつとたいむを聞きゐたりしに、ミュージックボックスなるコーナーにて昭和二十年放送されし交響曲の時間といふ番組の主題曲を聽きたしとのリクエストあり。ルビンシュタイン作曲天使の夢といふ曲なり。黒田氏自宅のレコード棚を探すこと一週間、カーメン・ドラゴン指揮ハリウッドボウル交響樂團演奏による錄音を放送前日に發見し、この日リクエストに應じたり。滅多に演奏されざる曲なりと云。FM番組二十世紀の名演奏や著作など黒田氏の仕事に親しみたれど、余はこの日の放送を今も想ふなり。
晴れて暑きこと昨の如し。金剛峯寺と電話電子郵件にて打合せを行ふ。連載の稾を一篇書き得たり。食事中アサリ例の如く籠の屋根に上り來りて余の目を凝視す。互に言葉は解さゞれど、かうしてぢつと見つめ合ふ時間何物にも代へ難し。指に乘り、箸の先を突き、ティッシュペーパーを千切りては口内にて厭かず丸めるさま宛然猫の如し。愛知縣内大口町蒲郡市日進市にて新型インフルエンザ感染者三名。兵庫は終熄せり。
晴れて暑し。アサリの籠に拔毛多し。生え替り時節なるべし。金剛峯寺との交涉に半日を費やす。藥事法改正され便利店での醫藥品終日販賣始まる。米ゼネラルモーターズ經營破綻申請、事實上國有化せらる。