晏起十時、くもりて風烈し、午後に至り黑雲次第に空を覆ひ大雨沛然として濺ぎ來る、日暮れて後雲猶散ぜず、微雨降來ること數次なり、物のしける事甚しく、肌に鱗の生えもやせむかと思はるゝばかりなり、
雲氣欝勃、溽暑甚し、雜誌の稾をつぐ、この頃折々落語臺本に筆とりて見たきやうなる心地す、第一囘全國落語臺本コンクール來月晦日が締切なり、若し筆を執ることを得なば幸なり、去二十八日喋々夫人初演百周年紀念公演トーレ・デル・ラゴにて開幕す、
くもりて雨來らむとして來らず、蒸暑し、原稾三枚ほど書き得たり、YOSHIHIKO さんに勸められければ初めてYAHOO!メッセンジャーを試む、諸井誠彩の國さいたま藝術劇塲聰監督辤任す、
晏起十時半、晴れて暑し、筆秉るも一枚をも書き得ずして已む、仰臥終日、先週ラヂオビバリー晝ズ十五周年なり、
曇りて暑し、筆全く動かず、悲しむべきなり、ル・テアトル銀座にて松本幸四郎アマデウス千秋樂、公演四百囘に達す、〔28日記す〕
薄晴、輕風爽にして心地好き日なり、鼻風邪ひきしにや腹具合よろしからず、筆持つに懶し、ロス・アンデスG氏の書に接す、來月四日墨西哥にて公演行ふ由なり、ドミニカとハイチにて洪水あり、野村萬之丞の千夜一夜物語公演中止さる、體調不良のためといふ、
好晴、クリニックに徃き主治醫の診察を受く、先生の話に二十五年ぶりに舊友に電話かけ、もし/\と挨拶するやご友人忽ち先生と心附きたる由なり、余も似たる經驗あり、まことに不思議なりと倶に感心す、十一時半富が丘雅ピロに會食の約に赴く、S先生の奧樣ターコさん旣に來りて在り、S先生の奧樣と初めて相識りたり、三月下旬チリより歸朝されたる由、チリの本を贈らる、御禮に昨日屆きし北海道產アスパラガスを贈る、食後木曜日に一茶す、チリに在る人に網絡にて知遇を蒙り藤が丘にて面晤するを得る、緣は不思議といふべし、二時驛に別る、理髮舖に寄りてかへる、
疲勞に堪へず、寐つ起きつして日を暮らす、去二十二日フェリーペ皇太子レティシア・オルティスの婚儀アルムデーナ大聖堂にて催さる、馬德里は雨なり、マイケル・ムーア華氏911パルムドールを受賞す、〔25日記す〕
晏起旣に午なり、ふたゝび曇りて蒸暑し、何の故とも知らず身體の疲勞を覺ること甚しく、机上の草稾に筆を秉らむと欲せしが感興消失せたれば、そのまゝになし置きぬ、競賣にて贖ひしDVD吾輩はカモである屆く、墨西哥のマリアより來書あり、晚食にレバー、小松菜と油揚のお浸し、玉子豆腐を食す、イチロー二千本安打、昨日裁判員法可決、思想信條による辭退認めらるゝといふ、三菱ふそうの網站に不祥事の會見槪要をよむ、組織的、體系的な變革は、社内の新たな取り組み姿勢を伴ひ始めました、2003年からの新經營體制の下で、最近の變化を含め、社内にはこれまでとは違つた新しい空氣や態度が生まれてきています、本日發表しました新事實の判明にいたるプロセスこそ、その最良の證明です云々、新しい空氣とは何ぞや、最良の證明とは何ぞや、社長は以下の點について言及したなどゝといふ文もあり、飜譯調の文面より察するに便覽の原文は英文なり、ダイムラー社のものなるべし、
空始めて晴れ渡りぬ、森林公園に往く、鳥語欣々、遊步の者尠し、聯日の雨にて大道平池はいつもより水嵩まさりて濁浪岸を撲つ、輕鴨の子一羽あり、札の辻池に眞鴨の番をみる、去年首夏の頃より公園をあゆみはじめて一年とはなれり、光陰は矢の如し、長患ひのわが身今は生きてゐたりとて何のかひも無き事なるにさてさて命は惜しきものと見えよくも一年あまり散策に通ひたるものなり、F君に推薦書を送る、DVDにて山田洋次たそがれ淸兵衞をみる、田中泯他を壓倒す、宮沢りえ好演なり、その笑顏原節子に髣髴たり、中岡源權の室内照明さながらテレビドラマの如し、佳作と謂ふべし、近年御法度たそがれ淸兵衞ラストサムライなど幕末物多し、新聞紙をみるに日本橋丸善本店九月に丸の内に移轉するといふ記事あり、
雨歇まず、事務處の需により新聞廣告文をつくる、シティボーイズ公演だめな人の前をメザシを持つて移動中の日なれど、疲勞甚しければ徃かず、
朝食の後疲勞を覺え再び臥す、心附けば早や燈刻なり、烟雨空濛恰梅雨の如し、颱風接近中の由、事務處プログラム初稿を送來る、マイケル・ムーア華氏911カンヌ映畫祭にて上映さる、拍手喝采二十五分に及びぬ、金田一春彦死去、享年九十一、余は新明解古語辭典、學硏國語大辭典を愛する者なり、
雲氣鬱勃たり、森林公園を一周するに橫腹痛みだしてあゆみがたし、久しく散策せざりしがためなるべし、原稾四五葉書き得たり、H先生新著を寄贈せらる、直に書を裁して厚意を謝す、新聞紙をみるに新國立劇塲こんにちは母さんの舞臺裝置石川縣中島町に保存さるゝといふ、ベランダの欄干に雀七八羽とまりて雲行を窺ふさま愛すべし、燕の飛交ふこと地を掃ふが如し、今日も雨來らむとして來らず、
睡よりさむれば朝の六時なり、暗雲散ぜず雨ならむとして雨來らず、蒸暑きこと甚し、終日机に憑る、下痢の氣味痊ゆ、
夜來の雨歇まず、讀書、午下橫臥しNHK笑ひがいちばんに林家正樂の紙切をみる、小正樂時代は瘦せ細りゐたりしに大名跡を繼ぎて風格あり、いつしか華胥に遊ぶ、〔十七日記す〕
今日も空晴れしが夕刻に至り雲出づ、終日讀書記すべきことなし、音樂關係者著作權法改正案反對聲明を出す、坂本龍一大貫妙子サエキけんぞう鈴木慶一青山真治阿部和重東浩紀桑原茂一小倉エージ佐藤良明中村とうよう萩原健太など五百六十六名に及びぬ、近年CDの賣ざるは携帶電話の出費がためなり、然れど業界は安價なる輸入版を目の仇となす、木を見て森を見ずとはこのことなり、去十三日新國立劇塲にて野田秀樹演出歌劇マクベス開幕す、過日英國デイリーミラー紙の揭げたる英兵虐待寫眞は捏造の由、
雨霽れて快晴の空拭ふが如く風爽かなり、終日家を出でず机に凭る、午後ターコさん來駕、岐阜たねやの本生水羊羹を贈らる、余は京都の水出し赤ちゃん番茶を供するのみ、笑語一時間ばかりなり、夕食にと酢豚杏仁豆腐も頂戴す、綾翠さんより預りし珈琲豆を受取て歸り去らる、深切謝するに辭なし、脫稾すれば日旣に暮る、墨西哥のマリア、プエルトリコのラモス=ペレア書を送來る、
風雨終日歇まず、飜譯料を得る、還付金を除けば今年始めての收入なり、國際演劇協會O氏より電話あり、R氏S氏の原稾料につき相談せらる、草稾を改むる氣力なし、夕刻手紙したゝむ、晚間除濕をなす、
晴、暑きこと七月の如し、市立圖書館に往き資料を閱す、原稾を整理し印刷處に送る、ベアトリーチエの書を得て喜び限りなし、廣島F君速達郵便にて推薦狀用紙を送らる、合格を願ふばかりなり、日の暮れてより空俄にかきくもり風濕氣を含みて冷なり、團十郎海老藏襲名興行を休演す、急性骨髓性白血病の由なり、
晏起八時、薄く晴れて風靜なり、旣に溽暑を催す、主治醫に藥を請ふ、歸途交差點に妙齡の印度人の乳母車を押來るに逢ふ、薄紅色のサリー艷やかにて華美ならず、口元に婉然たる笑みを浮べゐたり、斯の如き氣品久しく目にせざりき、家にかへるに自民黨某議員後援會を名乘る男より電話あり、余は如何なる政治家とも關らぬ者なれど、これからもご支援宜しくお願ひしますなど口早にまくしたてゝ切るなり、是恰土足にて勝手口に來るに異ならず、余は人一倍これ等のことを嫌ふものなり、午後執筆、小島氏韓國より歸朝、電話にて通知せらる、立夏を過て日いよ/\長くなりぬ、是日ダリ生誕百周年、市川團十郎入院、
今日もまた雨なり、午前草稾七八葉つくり得たり、國民年金一年分を支拂ふ、民主黨菅直人代表年金未拂ひ發覺し引責辭任す、未拂ひの議員陸續たり、高額の議員年金を思へば驚かず、終日雀鵯ベランダに來りて雨を避く、
睡よりさむ、時計を見るに午前零時なり、四更ふたゝび寐に就く、八時起出づ、烟雨輕寒を催す、ソニー製防水ラヂオのスヰツチ陷沒す、九年使ひて耐用年數に達したるべし、以前はナショナル製防水ラヂオを十年愛用したりき、量販店Gに往くにソニーの同型ラヂオあり、人氣衰へざるものと見ゆ、K社の廉價ラヂオを贖ふ、机に凭るも感興來らず、終日何事もせず、日暮て猶雨歇まず、晚間ラヂオ名人寄席にて柳家金語樓我が生ひ立ちの記前半を聽く、グロズヌイ對獨戰勝紀念式典にて爆發あり、カデイロフ大統領死去、
薰風颯々たり、森林公園をあゆむ、兒童遊園の東屋にフルート男在り、土曜の朝は必來りて練習するものと見ゆ、立夏を過て聯日蒸暑し、歸途ラヂオを聽くに氣溫旣に二十度に達したる由、福田官房長官辭任、蘆野宏佛蘭西藝術文化勳章オフイシエ受章、松本智津夫の三女文敎大學入學許可さる、午下臥床に伏す、忽ち華胥に遊ぶ、〔九日記す〕
暑きこと六月の如し、森林公園一周、四十雀の聲さわがし、大道平池に白鷺見ゆ、午前机に對す、午下三好に往き名探偵コナン銀翼の奇術師を看る、策畧頗る巧妙なれば見破ること能はず、山塲の室蘭港人の意表に出で、覺えず感心せしむ、江戶川コナン、阿笠、小五郞など登塲人物の名に古今東西の推理小說に想を得、見せ塲は聖林のダイハード三部作に髣髴たり、大人の鑑賞に堪へる作と謂ふ可し、午後家に在りて手紙など書き日を暮らす、
晴れて暑し、午前草稾五六葉をつくり得たり、四年生Aさん封書にてクセツクACTドン・ペルリンプリンの戀の感想を送來る、午後風邪の心地にて伏す、卒業生KさんMさんIさんとジャズ演奏會の約あれど辭す、薄暮ターコさん上高地小布施竹風堂のくりざゝを贈らる、奈良岡正夫歿、去朔市川新之助十一代目海老藏を襲名す、
五時起床日課の如し、七時半新幹線のぞみ號にて東上、九時半上野驛にホルヘさん來らる、構内伊太利料理屋にて款語二時間半ばかり、正午別る、雨降りてはまた歇む、銀座線に乘り表參道下車、舊みゆき通り現フロムフアースト通りを拔け西麻布の事務處に往く、舞踊團の稽古を見學す、第一部總浚ひの後團員と牀に坐して舞踊と舞臺藝術につきて意見交換す、夕刻小島氏と西麻布交差點の伊太利料理屋に往きピザサラド抔つまみながらプログラムにつきて商議す、雨霽る、六時五十八分新幹線のぞみ號にて品川を發つ、二更歸宅、
風雨蕭々、朝食の後筆を秉らむと几に倚るも懶く、床に入りて伏す、覺むれば午後二時なり、ベランダに雀ら雨を避く、その數十羽ほどなり、夕刻ふたゝび橫臥して讀書昏黑に至る、ニユーヨーカー紙の網站に米兵のイラク人虐待寫眞數葉をみる、イラク人捕虜を裸にし頭巾を被せて積重ねたるもの、或は男色の恰好をさせたるものゝ寫眞あり、傍らに米兵男女ふたり醜惡なる笑みを浮て佇むなり、鬼畜とはこのことなり、初更小島氏より電話あり、七日の東上するつもりなりしかど明日に繰上る、新幹線豫約、朝八時以降全車滿席、七時半に豫約を得たり、
五時惡夢より寤む、心地爽ならず、雨來らむとして來らず、八時ふたゝび睡眠を催し、被を擁して臥す、日も亭午のころ起出で、藤が丘驛に綾翠さんを迎ふ、大須の樂器店、名古屋市美術館を見物したる由なり、雅ピロにて晝餐をなす、例の如くタンシチューを食す、一時を過たれど食客雜沓頗好況なり、レモンの墓を拜したしとて市内の寺に立寄りし後森林公園を案内す、綾翠さんレモンの墓前に瞑目し弔はる、抑鬱亭にて小憩す、ビーズにて作られし鳥篭の鳥を贈らる、喫茶木曜日に往きて一茶、綾翠さんは夏季限定タピオカ入パフエ、余はレアチーズケーキを注文す、ヸオロンの話を聞くに生演奏を聽きたしと切に思ふなり、店を出でるに雲間に日の光雲間を漏れゐたり、わたし晴れ女なんですと云、燈刻空港に送りて別る、晚食に虎さんの土產茜屋明太子を食す、味頗る佳なり、
三更地震あり、五時起床、隂、九時名古屋空港に綾翠さんを迎ふ、高速道路に車を馳せ伊勢に徃く、四日市龜山伊勢の料金處にて澁滯甚し、おかげ橫丁すし久に着きしは午後二時なり、駐車塲滿車、案内の男に命ぜられるがまゝ川岸に徃くに堤防沿ひ見渡すかぎり車なり、その數を知らず、店の前は待合の客輻湊し店内を窺ひみること能はざりしほどなり、卆業生Kさん婚約者K氏と倶に店に來りて卓を豫約して在り、久闊を詫び會食す、てこね壽司味甚佳し、Kさん一年前に見し時よりも瘦せ細りたるも元氣好く安堵す、K氏とは初て相識りたり、頗る好靑年なり、三月に入籍し新居完成を待つばかりなりとぞ、晡下店先に別れ綾翠さんと内宮を參拜す、細雨霏々、五時半外宮に賽す、伊勢インターより歸路につくもふたゝび澁滯、途次驟雨沛然たり、潅ぎ熱田神宮南門蓬莱軒に着きたるは午後九時半なり、店旣に暖簾を下ろしゐたり、詮方なく榮の山本屋本店に徃くに門前客行列をなす、十時半夕餉に味噌煮込みうどんを食す、十一時半市内のホテルに綾翠さんを送る、三更歸宅、
陰曆三月十三日、五時雀の聲に睡を破らること日課の如し、晴れて暑し、森林公園をあゆむ、風さはやかなり、鶫の子夥し、市中漸く田植ゑ始まる、午前草稾をつくる、晝飯の後輕き眩暈を覺え睡を貪りて薄暮に至る、N子の來書に接す、實家に來りて在る由、歐洲聯合にエストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、スロヹニア、洪牙利、キプロス、マルタの十ヶ國加盟す、計二十五ヶ國、人口四億五千萬に及びぬ、次は土耳古なるべし、歐洲はすでに合洲國なり、その中心は敗戰國獨逸なり、米國の孤立いよ/\明なり、