陰。七月晦日になりても梅雨あけず。宣傳廣告文の妙案浮ばず。二時過ぎ倦怠甚しく橫臥、忽ち華胥に遊ぶ。覺むれば六時なり。
早起筆を秉る。六時半ごろ雨降出し忽ち瀧の如し。小一時間ばかりにて霽る。朝食後みる/\うちに暗雲散じて靑空現るゝを幸に洗濯をなす。八年振りに眼科に赴き檢査を請ふ。過日の健康診斷にて眼底乳頭變化の疑ひを指摘されしが故なり。綠内障の前期症狀に似たれど生來の特徵と判明し正常と判斷せらる。擔當醫の苗字極めて珍しく、家に歸りて調ぶるに、世帶數僅十九を數ふるばかりの稀少苗字といふ。
五時半起床。霧雨直に霽る。鈴木完一郎氏告別式の日なれば七時半新幹線のぞみ號にて東上す。陰晴定らず蒸暑し。品川より原宿に出で、千代田線に乘換へ代々木上原下車、北口より住宅街を步みて代々八幡齋塲に赴く。劇團靑年座の看板役者陣の姿見えず。十時告別式。水谷内氏の手になる鈴木完一郎全仕事といふパンフレットを頂戴す。平成三年六月三日雨の增上寺に於ける八百比丘尼公演など思ひ出盡きず。遺影の表情穩やかにして嚴かなり。昭和六十二年マドリードで倶に過ごせし數ヶ月、歸朝後の飜譯協力のことなど思起して悵然たり。祭壇には氏名附の供花一つとしてなく、誠につゞまやかなり。別れの儀にて花を供ふ。棺の完一郎さん三年前の面影なく、大病の凄まじさを思はしむ。十一時半出棺。日の光雲間を漏れ、ミンミン蟬の聲俄にしげくなりぬ。品川より新幹線に乘り、三時歸宅。
淫雨歇まず。土用を過ぎて猶梅雨明けず。福岡大雨。Oさん宅避難を勸告されしが家にとゞまり、幸にして被害なかりしとの事なり。赤坂のホテル今朝早々にPHSを送來る。買物をなし、理髮舖に立寄り散髮。午後病院に赴き主治醫に診察を請ふ。調子惡しからず。藥變らず。マース・カニングハム歿。大瀧詠一六十一歲の誕辰なり。
五時覺む。暑氣昨日に比して稍忍びやすし。ホテルのレストランに朝餉をなし、地下鐵道に乘るや、PHSを部屋に置き忘れたり。引返す時間なく、已むを得ず東京驛のプラフトホームに公衆電話を探す。幸にして辨當屋の脇に綠の公衆電話あり。然れどかゝる時に限りて嚢中に十圓玉一つもなし。詮方なく百圓玉を投入しホテルに電話をかけ事情を說明、着拂ひの宅配便にて家に送らしむ。老耄を嘆くは易かれど、こゝは粗忽天皇の面目躍如と一人胸を張れり。公衆電話を使ひしは何年ぶりなるや。八時半新幹線のぞみ號にて發つ。名古屋に着けば雨なり。傘を持たざれば地下鐵道驛より乘合自働車に乘り雨を避く。十一時前歸家。アサリ嬉嬉として余を迎ふ。山田辰夫歿。今年正月見たりし映畫おくりびとの固陋なる喪主役頗る妙味ありき。享年五十三。
蚤起旅裝をとゞのふ。曇天。八時二十分新幹線のぞみ號にて名古屋を發す。車中ネットブックで襍稾執筆。心附けば旣に東京驛に到着せり。新橋驛より地下鐵道銀座線に乘換へ表參道下車、步みて西麻布の稽古塲に赴く。改裝中の根津美術舘十月七日開舘の揭示あり。蒼天纖雲なく熱暑甚し。稽古塲に着けば早くも全身汗みどろなり。舞踊團員二十數名集まり、十一時より勉强會を始む。時代背景、宗敎問題、作者と書名、作品内容につきて語れば早や一時間半經てり。ピカソの石版畫數十枚を配布して小憩の後、ペネロペ・クルス主演活動寫眞のさはりをDVDで鑑賞しながら作品解說し二時に至る。二時間の心づもりなりしが今年も三時間かゝりぬ。町内の伊太利料理屋に移動し全員で遲き午餐をなす。三時半解散、辻自働車を倩ひて赤坂の定宿に荷を解けば四時なり。疲勞しベッドに橫たはりて體を休め、三菱社製液晶テレビ REAL で大相撲名古屋塲所千龝樂を觀る。琴歐洲日馬富士を斥け一敗を守る。白鵬對朝靑龍戰好一番。朝靑龍意地を見せて果敢に攻めるも白鵬動じず、土俵際で逆轉の下手投げにて十一囘目の優勝を果す。今塲所は大關琴光喜の活躍喜ぶべし。九時半南麻布CICADAにて小島氏と會食、款語閉店時刻に至る。三更ホテルにかへる。睡眠劑エバミール1mgを三錠飮む。
陰晴定らず。東南の風終日吹きつゞき、正坐讀書すれば汗出でず。蟬聲雨の如し。勉强會の準備餘事なし。晡下一睡。資料を作成すれば早や初更とはなれり。明日に備へて睡眠劑を二錠飮みしが眠るを得ず、更に一錠飮む。
陰。蚤起して執筆。勉强會準備連日の如し。午後俄に疲勞を覺えて橫臥するや忽華胥に遊べり。朝靑龍やぐら投げにて日馬富士を破る。この技昭和五十年以來なりといふ。初更突然鈴木完一郎氏の訃に接せり。痛歎の情遣る方なし。昭和六十二年マドリードのプエルタ・デル・ソル廣塲にて初めて相識りし日の事今に忘れず。享年六十一。
薄く曇りて風絕ゆ。春學期試驗を行ふ。答案とは別に授業の感想を書かしむ。開始直前に學生Y君講師控室に來りて質問をなす。勉强熱心なり。歸途カーマホームセンターに立寄りセキセイ鸚哥の餌と夕餉の食材を購ふ。ジットダイレクト社よりエプソン社製印刷機對應のリサイクルインク早くも屆く。注文したるは昨日の午後なり。勉强會準備。琴光喜朝靑龍に上手をとられ二敗目を喫す。深更に至るも眠ること能はず、睡眠劑を三錠飮む。この日大暑。
暗雲天を蔽ひて暑からず。懸案の稾を脫するや別件にて執筆依賴あり。これもまた直に書上げる。是朝日蝕なりといへど曇天日を遮り、名古屋は十一時四分に蝕甚を迎へしも何ら變化なし。奄美大島惡石島など南方諸島は四十六年ぶりの皆旣日蝕なりとて觀測者大勢詰めかけたるやうなれど、何處も雨または雲に阻まれたりと云ふ。午後勉强會の準備に日を暮らす。初更繪畫資料をクロネコメール便の速達にて發送す。
霧雨折々降り來りて歇まず。勉强會の準備をなせば忽午なり。疲勞して橫臥小一時半。大相撲名古屋塲所十日目觀戰の日なれば、二時過ぎ父上母上N子と倶に乘合自働車にて驛に行き、地下鐵道を乘繼ぎ市役所前下車、愛知縣體育館に赴く。幸にして雨に値はず、氣溫も高からず。客席七割程度の入りなり。正面升席九列十九番に坐る。土俵間近なり。後方にNHK放送席あり、解說者北の富士の姿見ゆ。十兩海鵬對若天狼の取組中なりき。北勝力大翔湖を突出す。土佐ノ海白馬に寄切られて七敗目を喫す。若の里玉春日を寄切り安泰。幕の内土俵入り華やかなり。西は高見盛と琴光喜に拍手喝采。東は山本山の巨躯に館内どよめく。巨躯といふより肉團子といふべし。向ふ上面四列目あたりにオリンピックをぢさんこと山田直稔氏いつか來りて在り。金色のシルクハットに日の丸を描きし金色の扇子例の如し。西の橫綱朝靑龍につゞきて東の橫綱白鵬土俵入り。貫祿あり。今塲所は何故か仕切線を西寄りに跨ぎて立つなり。幕内力士は半數近くが外國人なり。客席もまた外國人多し。鄰席より朝鮮語聞ゆ。相撲辨當を食ひながら觀戰を始む。山本山棒立ちにて爲す術もなく玉乃島に叩き込まる。高見盛も岩木山に兩上手で雁字搦めとなりそのまゝ寄り切らる。琴奬菊上手投げで阿覽を轉がし小氣味よし。琴光喜萬雷の聲援を受け把瑠都と對戰、押し込まるゝも堪へて身を飜し寄切りたり。日馬富士得意の下手投げで魁皇を轉がす。白鵬掬ひ投げで千代大海を破り十勝零敗、朝靑龍鶴龍を送り倒して二敗を守りたり。六時閉幕。第三十五代木村庄之助の幟に宮崎縣知事東國原英夫の名あり。N子はこの日初の相撲觀戰なり。余が前囘觀たりしは平成十二年名古屋塲所なりき。當時の橫綱は曙と武藏丸、目當は寺尾なりき。地下鐵道にて名古屋驛に赴き、髙島屋内の喫茶店に小憩し、N子を見送る。八時歸家。困憊し、九時前寢に就けり。
曇りて折々小雨ふる。梅雨の明ける氣配なし。朝飯の後母上を伴ひ買出しをなす。店頭にて炭火で燒きし一色町產鰻の蒲燒を買ふ。水饅頭を求めて和菓子屋卯月堂に寄るも商はず、店内にて宇治金時を食す。かき氷を食すは何年ぶりなるや。店の奧に古き掛時計あり。帳塲にも大正か昭和初期のものらしき金錢登錄機あり。あぐりん村に向ふに交通事故現塲を通る。トラック正面衝突せしと見え、前面大破しゐたり。海の日の祝日にて野菜賣塲の混雜甚し。龜屋芳廣に赴き水饅頭を購ひて歸り來れば日は午にならむとす。初更N子を驛に迎ふ。余が四十四囘の誕辰なり。
曇りて時々驟雨あり。倦怠甚しく殆支ふること能はず。終日眠を貪る。燈刻市立圖書舘に本を返卻す。稻塲町の水田に小鷺二羽すつくと立つを見る。
陰。雨を虞れて早々に洗濯をなす。九州南部關東甲信今週早々に梅雨あけしが他の地域は未だあけず。怪しむべし。窗外より小鳥のギィギイ鳴く聲聞ゆ。電線に椋鳥數羽來りてとまり、直に一羽、さらに一羽と增ゆ。ヒッチコックの鳥を思はしむ。幼少の頃テレビで見たりし活動寫眞の怖ろしさ今に忘れじ。ハワード・ホークスのピラミッドにも戰慄を覺えたりき。勉强會の準備捗らず。母上のブラウザ Sleipnir を v.1.66 より v.2.8.5 に昇級す。夕餉に烏賊のさしみを食ふ。
雨車軸を流すがごとし。涼味を覺えて人心地つけり。十時半雨やむ。昨日大學より誤りて家に持歸りし書類を屆けむと今日も大學に赴く。國道一部冠水し澀滯す。給油。レギュラー一リットル百二十圓也。午下歸宅し、晝餉の後母上を伴ひ車にて近所の超級市塲に徃き白米三五八漬の素など購ふ。民家の庭先に百日紅の爛漫たるを見る。今月分の連載書終へて編輯長に送る。晡下疲勞し一睡を試む。夜に入りて雨ふたゝび濺ぎ來りて篠つくがごとし。
酷熱益甚し。いつもより早く出發して澀滯を避く。大學構内に鶯と蟬の聲入交じる。前期最終授業を行ふ。先週につゞきて一課より四課までの復習をなし、estar と hay を用ゐし會話文を二名一組にして暗誦せしむ。敎室溽蒸忍ぶべからず。手巾片時も手放せず。二コマ終へて疲勞常ならず。午下歸り來りて原稾校正。公演準備のため西班牙にメールを送ること數次なり。幸にして直に返信を得る。日馬富士不覺をとり阿覽にはたき込まれて二敗目を喫す。
快晴。蟬の聲機能に比すれば更に多し。米大リーグのオールスター戰一囘表裏を觀る。シェリル・クロウ國歌を歌ひ、オバマ大統領始球式を行ふ。ホワイトソックスのジャムパーを纏ひ下はジーンズ姿なり。イチロー一番右翼、第一打席リンスカム投手より右翼前安打を放つ。九年連續球宴出塲快擧と云ふ外なし。一囘表裏を見て役塲に赴き用事を辨ず。歸り來りて階前の夏椿に橙色に黑緣の蝶の戲るゝを見る。ツマグロヒョウモンなるや、或はヒメアカタテハなるや。午後試驗問題を作成し、襍稾のつゞきを書く。午後十時ニッポン放送開局後十五周年記念番組「あの〝マイケル・ジャクソン出世太閤記〟をもう一度」放送せらるゝ日なれど、不幸にして愛知は中繼されず。ニューヨークタイムズ紙に三宅一生の寄稾文 A Flash of Memory を讀む。被爆體驗初めて公にせらる。オバマの核兵器削減政策に心打たれし由。下に抄錄す。
On Aug. 6, 1945, the first atomic bomb was dropped on my hometown, Hiroshima. I was there, and only 7 years old. When I close my eyes, I still see things no one should ever experience: a bright red light, the black cloud soon after, people running in every direction trying desperately to escape --- I remember it all. Within three years, my mother died from radiation exposure.
一九四五年八月六日、我が故郷廣島に初の原爆落下せられたり。余は現塲に在り、齡七歲なりき。瞼を閉ぢれば今もなほ、何人も體驗すべからざる情景目に浮ぶなり。眩い赤き光、直後の黑雲、必至に逃げ惑ふ人々――萬事今に忘れず。三年を經ずして母上被爆死せられたり。
I tried never to be defined by my past. I did not want to be labeled “the designer who survived the atomic bomb,” and therefore I have always avoided questions about Hiroshima. They made me uncomfortable.
余は是まで己の過去により定義せらるゝことなきやう努め來れり。「原爆を生き延びしデザイナー」の通り名にて呼ばるゝを好まざりき。ゆゑに廣島に關する質問は常に是を避けたりき。胸の詰まる思ひをせしめるなり。
Last week, Russia and the United States signed an agreement to reduce nuclear arms. This was an important event. However, we are not naive: no one person or country can stop nuclear warfare. In Japan, we live with the constant threat from our nuclear-armed neighbor North Korea. There are reports of other countries acquiring nuclear technology, too. For there to be any hope of peace, people around the world must add their voices to President Obama’s.
先週露西亞米國ともに核兵器削減案に同意署名せり。畫期的なる出來事なり。然れど我々は手放しに喜ぶ者にあらず。一人もしくは一國のみにて核戰爭を止めること能はず。日本は核武裝せし鄰國北朝鮮の脅威に日々直面しゐるなり。核技術を入手濟みの國他にも幾つかありとの報告あり。平和の望みあらしめるために、世界の人民はオバマ大統領の聲に同調するべきなり。
If Mr. Obama could walk across the Peace Bridge in Hiroshima --- whose balustrades were designed by the Japanese-American sculptor Isamu Noguchi as a reminder both of his ties to East and West and of what humans do to one another out of hatred --- it would be both a real and a symbolic step toward creating a world that knows no fear of nuclear threat. Every step taken is another step closer to world peace.
もしオバマ大統領が廣島の平和大橋を渡らば――欄干は日系米人イサム・ノグチの意匠にして、東西の絆の强さと東西の人間が憎しみに驅られて相互に何を爲したるかを思ひ出さしむるなり――核の脅威を懼るゝ心配なき世界を構築する現實的かつ象徵的なる一步とならむ。一步進めば世界平和に更に一步近づくなり。
炎熱日に日に盛なり。朝餉の後車を運轉し父上を接骨院に送り、母上と倶に園藝店に赴き素燒の植木鉢を購ふ。ふと店内に小さき白竹の緣臺を見つけ、坐りてみるに思ひの外心地好し。定價三千四百八十圓を現品に限りて半額となすといふ。書齋のベランダにうつてつけなれば是も購ふ。晝餉の後ベランダに緣臺を置き烟草を喫す。襍稾執筆初更に至る。社會保險廰ねんきん定期便を送り來る。
陰晴定らず。風なく苦熱机に向ひがたし。油蟬鳴く。母上の發案により、大相撲名古屋塲所の入塲券をネットで購ふ。椅子席は完賣、升席を買ふ。定額給附金の使ひ途として好個といふべし。目當は日馬富士と白鵬なり。以前引退直前の寺尾を見に行きしは早や九年前の昔とはなれり。午後郵便局に赴き西班牙に速達便を送る。酷暑忍ぶべからず。中庭より女兒らのシャボン玉に興ずる聲聞ゆ。晡下困憊して橫臥するに、今まで晴れゐたりし空俄にかきくもり、大粒の雨ばらゝと落來り、遠雷の響聞ゆ。開け放ちし窗より突風吹込みカーテンを眞橫に煽り、居間の奧よりガチャンと物の壞るゝ音聞ゆ。何事かと起き出でゝ見るに、ベランダの八つ手の植木鉢一つ落ちて半壞せり。大嵐になるやと懼れしが、須臾にして風雨歇み、ふたゝび靜止畫の如き午後となれり。階下のN氏惠那の茄子隱元豆など餽らる。尾鷲で攝氏三十八度を記錄す。キリンとサントリー經營統合するといふ。深更日本フラメンコ協會名譽會長香取希代子氏の訃報に接す。享年九十八。
薄く曇りて風絕ゆ。溽暑甚し。朝飯の後母上を伴ひ農協に赴き買出しをなす。無花果まだ入荷せず。昨日アマゾンに注文せし季刊誌考へる人春號夏號早くも配達せらる。夏號に丸谷才一氏の取材記事を讀む。二時FM愛知に山下達郎サンデー・ソングブックを聽くこと例の如し。モータウン・アーカイブス最終囘。マイケル・ジャクソンの出世作オフ・ザ・ウォールより She's Out Of My Life かゝり、スモーキー・ロビンソン Daylight and Darkness つゞきて、過日のマイケル・ジャクソン追悼式にてスティービー・ワンダーが歌ひし Never Dreamed You'd Leave In Summer 流れ、締め括りはマーヴィン・ゲイ What's Going On なり。感動措く能はざるなり。特輯番組かくあるべし。この日文机の硝子板を粗大塵として處分す。勉强机とこの硝子板を新調したりしは中學時代なりき。早や三十年前のことゝはなりぬ。窗外に油蟬の鳴聲を聞く。この日東京都議會選舉あり。自民黨大敗、民主黨過半數に達す。
晴。氣溫高かれど窓より吹き入る風爽やかなり。脫稾し編輯長に送る。BUFFALO RAMDISK ユーティリティーを用ひてレノボ社製輕省筆電 IdeaPad s10e のメモリー上に假想ドライブを構築し、Firefox のプロファイルを置く。夕餉の最中窗外より新蟬の聲聞ゆ。
陰。雨來らむとして來らず。今日も旅行代理店業務に半日を消しぬ。夕刻連載の稾をつくる。今週は執筆の遑ど無かりき。晡下疲勞し一睡、寤むれば燈刻なり。輕省筆電(ネットブック) IdeaPad s10e のメモリーを1GBから1.5GBに增設す。二更敎育テレビ藝術劇塲にリミニ・プロトコルのカール・マルクス:資本論第一卷を看る。職業俳優を排した着想卓拔なり。
溽暑甚しく蒸し風呂に在るが如し。雨來らむとして來らず。豐田キャンパスにて忽然新蟬の聲を聞く。平常授業を行ふ。gustar を用ゐし會話文を二人一組にして暗誦せしめ、殘り時間はプリントを配布し一課より四課までの復習に費やす。一時歸宅。書齋の電腦 ThinkCentre M57 Eco Ultra Small のメモリーを2GBから4GBに增設す。トランセンド社のメモリー DDR2-667一枚二千二百圓也。夕食後母上を伴ひヤマト運輸に赴き紫蘇ジュースを發送す。今宵ナゴヤドームにてサイモン&ガーファンクルのコンサートあり。アート・ガーファンクルはマイケル・ジャクソンを偲びて Bright Eyes を歌ひし由。
雨ふりてはまた歇む。CNNにマイケル・ジャクソン追悼式典の樣子を見る。娘パリス嗚咽しつゝよく最後まで悼辭を陳べたり。九時過母上と倶に福祉センターに赴き健康診斷を乞ふ。歸途グリーンセンターと農協に立寄り赤紫蘇と野菜を購ふ。正午歸宅。代理店業務連日の如し。晝餉の後市立圖書館に徃く。綠町のファミリーマートに貼紙あり、先月末にて閉店せりといふ。授業の復習プリント作成。合間に谷川俊太郎の詩集トロムソコラージュを讀む。一九九二年ビル・クリントン大統領の當選記念式典にてマイケル・ジャクソンが歌ひし Heal The World の動畫を YouTube に看る。
終日雨の豫報なりしが、朝の中小雨ふりしばかりなり。校正リストを送信す。門前に七夕の笹竹を携へる婦人とすれ違ふ。けふも代理店業務を續け、一仕事終れば夜は忽初更なり。この日小暑。
雨ふりては又歇む。燕の子五六羽中庭を旋囘するを見る。ロジャー・フェデラー優勝。世界順位一位に返咲き、缺塲のラファエル・ナダルを二位に退かしむ。懸案の稾を書かむとすれど筆意の如くならず。午下睡魔に襲はる。覺むれば日旣に晡なり。涼味襲ふが如し。晚間旅行代理店業務を行ふ。
曇りて風あり。朝早くグリーンセンターに赴き無花果を探すも未だ入荷せず。あぐりん村にもなし。町内產の紫蘇茄子隱元豆など購ふ。昨日北小學校前に見つけし薄紫の花をネットで調ぶるに、アガパンサス屬紫君子蘭(ムラサキクンシラン)と判明せり。原產地は南アフリカなりといふ。アガパンサス agapanthus は希臘語のアガペー agape とアントス anthos より成り、愛の花を意味するなり。FM愛知に山下達郎サンデー・ソングブックのモータウン・アーカイブス第三囘を聽く。モータウンサウンドの系譜として松田聖子ハートをROCK(甲斐よしひろ作曲)、桑田佳祐悲しい氣持ち、広末涼子MajiでKoiする5秒前(竹内まりや作曲)、安室奈美恵NEW LOOK、達郎MIGHTY SMILEをかけたり。二更眠る前にテレビをつけるに、ロジャー・フェデラー對アンディー・ロディックのウィンブルドン男子決勝戰始まり、覺えず第三セット途中まで看る。
朝の中薄く晴れしが夕刻よりまた雨となる。校正を畢る。晡下皮膚科に徃き濕疹の治療を乞ふ。マリ・クレール九月號にて休刊。STUDIO VOICE も同月號にて休刊。國文學、學燈など硬軟問はず雜誌の休廢刊夥し。昨年より今年にかけて休刊せし主な雜誌を爰に記す。
朝の中小雨ふりてゐたりしが直に霽る。いつもより早めに出發し、豐田學舍に着くや烟草を書齋に置忘れしに心附きたり。散財を惜しんで烟草も百圓ライターも買はず。今日の授業は gustar 型動詞と目的間人稱代名詞の練習に費やせり。授業後個別に質問を受く。前期試驗間近に迫れば質問者尠からず。理髮舖に立寄りてかへる。午後O氏の原稾を校正すること昨の如し。昨日北島三郎延曆寺根本中堂にて歌唱奉納したる由。曲は遠藤実の遺作比叡の風。
閏五月九日。晴。風なく溽暑忍難し。倉敷の小島氏と電話で話し、ピナ・バウシュ急死のことを告げるに、小島氏驚きて暫し絕句せらる。公演資料を作成し、H氏にクロネコメール便で發送す。A4百枚を八拾圓にて送れるは大助かりなり。速達料百圓を追加しても百八拾圓なり。秋公演の準備いよ/\本格的に始まれり。S子に紫蘇ジュースを送る。午後O氏の原藁を校正。夜に入りて雨車軸を流すが如し。