抑鬱亭日乘

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2008年10月31日(金)

閉鎖性

けふも曇りて薄暗し。十一時西新宿驛より地下鐵道丸ノ内線にて霞ヶ關に出でゝ日比谷線に乘換へ廣尾下車。正午步みてCICADAに徃き小島氏と晝餐をなしながら商議二時間半に及ぶ。二時四十五分事務所より村田氏自働車にて迎へに來らる。三人揃ひて藝能花傳舍に行き、小島氏は新國立劇塲バレエ硏修所の硏修生にスペイン舞踊のレッスンを行ふ。余はホテルにかへり飜譯作業を續けたり。四時過ぎレッスン會塲に顏を出しレッスンを見學す。バレリーナの卵たちがスペイン舞踊のステップに惡戰苦鬪するさまを微笑ましくも愛すべし。村田氏時間通りに迎へに來れり。二人が車にて事務所に歸らるを見送る。花傳舍ロビーに仮谷氏と雜談。林みどり氏立敎大學に移り、後任として仮谷氏が明治に着任せしといふ。六時半三階の3-1敎室にてパトリシア・アリサ氏のワークショップ始まる。參加者はガルシア氏のワークショップ同樣二十五名程なり。まず一時間半集團創作の方法論と目的について講義し、參加者を四つの集團に分け、ガルシア・マルケスの短編小說豫告された殺人の記錄に着いて短く解說して後、四つの集團に二時間の作業時間を與へて卽興演技を組立てせしむ。アリサ氏の指示内容は、主題は自由に選びませう、なるべく小道具には賴らないやうにしませう、自然主義的演技は極力避けませうなど、特に新味なし。各集團が作業を開始するや、アリサ氏ガルシア氏兩名は無言で會塲を去り階段を下り玄關より外に出でむとす。余は困惑して行先を問ふに、ホテルに歸ると一言呟きそのまゝ立去りぬ。參加者にも何ら說明なく挨拶もなく姿を消したり。九時半過ぎ、ワークショップ終了するも終了を宣言したりしは協會員なり。行事の運營方法にあまりにも粗雜なれば、余は居心地わるきことこの上なし。ガルシア氏アリサ氏兩名とも日本人參加者と積極的に話さうとせず、親近感覺えがたし。余は敬語を使ひて話すも二人は余を君呼ばはりし續け、對等な人間關係を構築するに至らず。余これまでスペイン語圈の演劇人ワークショップに三度通譯として參加せしが、かくも和やかならぬ雰圍氣は前代未聞なり。徒勞感ばかり積りゆくなり。テアトロ・ラ・カンデラリア招聘委員會の會員はみな口を揃へて兩氏をマエストロ(先生)と呼び崇め奉るなり。余に云はせれば奇妙な話で、この組織はきはめて閉鎖的なり。二更ホテルにかへり疲勞困憊して床に就くも眠れず、睡眠劑エバミール一錠飮むも效果なく、レンドルミンを追加して飮む。

2008年10月30日(木)

K君

陰。ホテル一階の亞細亞料理屋に朝食をなす。部屋に戾るに、鶴首して待ち望みゐたりしアリサ氏の講演決定稾やうやく屆き、時を移さず飜譯作業にとりかゝる。ルームメイクのあひだ靑梅街道を散步。地下鐵道驛前の末廣堂書店に入り群像十一月號を手にとりて吉田喜重に關する蓮實重彥と青山真治の對談を讀む。文學界十一月號に蟹工船では文學は復活しないと題する柄谷行人黒井千次津島祐子の鼎談あり、斜め讀みす。柄谷は最近ヘロドヽスが歷史を讀みたる由。マルクスの共產黨宣言を共產主義者宣言と改題し太田出版より刊行せしめたりしは柄谷の發案なりしを知る。ホテルにかへり飜譯續行、心付けば日は晡となれり。花傳舍の協會事務所に赴きガリシア、アリサ兩氏に成沢氏加はり、講演會にて疲勞するDVDのビデオ映像を選擇す。作業の途中に、中米人と思はるゝむくつけき男來室。顎髭豐かで眼力强く、その荒々しき風貌はスタンリー・キューブリック監督の遺作アイズ・ワイド・シャットの貸衣裝店主人に髣髴たり。世田谷パブリックシアター學藝部川島英樹氏の知遇を得る。上司の奥山緑氏と余は二十年來の友人なり。世間は狹し。スペインの諺に倣へば世界は一枚のハンケチなり。六時過ぎ、ハンケチを探せど見當らず、ホテルに置き忘れぬ。ホテルに赴かむとて花傳舍の玄關を出づるに、薄暗がりに佇立し余を凝視する瘦躯の若き男あり。顏をよく/\見るに從弟のK君なり。會ふは十年ぶりなり。余の網站を閱覽して今宵余が花傳舍に在るを知り、わざわざ足を運びたる由。インターネットの影響力決して侮るべからず。住まひは目と鼻の先のマンションと聞き一驚を喫す。ベトナム人細君のことなど五分ほど立話し、再會を約して別る。ホテルに戾りハンケチをとりワークショップ會塲に徃くに、各グループ卽興演技の最終調整の最中なりき。七時半一階1-1敎室にて各集團の發表を見る。家族の孤立を描きし第三グループの卽興作品きはめて面白し。蒟蒻ゼリー事件、毒入り冷凍餃子事件、秋葉原無差別殺戮事件など時事問題を巧みに仄めかし五人家族の希薄な人間關係を巧みに描きたり。見學しゐたりし演出家流山児祥氏も感服せらる。發表後全員集り、個々の發表の客觀的記述とその評價、意見交換を行ふ。九時半終了の豫定が議論伯仲し二十分延長して終了。參加者みな滿足げな面持ちなり。ある參加者來たりて曰く、通譯がわかりやすくてよかつた、通譯の方がこんなに樂しさうなワークショップは初めてなりとぞ。十時過ぎホテルに歸る。K君から早速電子郵件屆き、直に携帶電話にて款語すれば忽ち日付は改まれり。睡眠劑エバミール1mgを飮みしが眠れず頓服としてレンドルミンを飮む。

2008年10月29日(水)

初日終了

昧爽に目覺め二度寢して七時床を出づ。陰。幸にして熟睡することを得たり。九時ホテル一階の亞細亞料理屋に朝餉をなす。余の外客一人もなし。亞細亞料理店なれど獻立は洋風、しかもロールパンと食パンに苺やブルーベリーのジャムと珈琲のみなり。ルーム行くのあひだ新宿中央公園を散策す。園内に閑散、ところ/″\の木製ベンチには浮浪者多く、足許に靑きビニールシートと新聞雜誌衣類など詰めたる紙の手提げ鞄をきちんと竝べ置き、何をするでもなくぼんやり過ごしゐたり。園内をぶら/\步むに新宿ナイアガラの瀧といふ小さな噴水あり。名古屋驛前にはロサンゼルス廣塲あり、木曾川遊覽はライン下りと呼び、飛騨山脈は北アルプスなどゝ呼ぶ。日本人の拜外主義明治以降變らず。嘆すべく耻づべき事なり。都廳舍の高層ビルの麓に小憩してホテルにかへり、午睡二時間の後、安定劑デパスを飮み藝能花傳舍に赴く。ワークショップ會塲は一階の1-1敎室なりしが何故にや三階の3-1に變更となりぬ。ガルシア氏來りて余に著書五册を送らる。演劇の理論と實踐全三卷と最新戲曲集二卷なり。六時半ワークショップ始まる。受講者二十四五人なり。先づガルシア氏が集團創作の目的と方法論を講演風に語らること一時間半に及べり。受講者を四つの集團に分け、五分程度の卽興演技を考案せしむ。いかなるテキストにも賴らず集團の話合ひを通じて主題を探り表現手段も各集團の裁量に任せたり。八時各集團がそれぞれ別れて議論を始めるや、ガリシア、アリサ兩氏挨拶もせず會塲を去り外に出でむとす。余戶惑ひて、何處に行くなるかを問ふに、ホテルにかへると荅ふ。兩氏は集團創作の過程を觀察するでもなく、演出者協會會員と語らひもせず、その塲を立去りぬ。余は呆氣にとられたり。余は一階ロビイにて珈琲と烟草を喫して無聊を慰む。本日のみ參加したるM氏の知遇を得る。各種劇團やテレビドラマの演技指導を專門とする由。九時半協會所屬のA氏が閉會を宣言す。十時前解散し、余はデニーズに徃き遲き晚飯をなし、十一時ホテルに歸る。枕上テレビの衞星第二放送をつけるにルイ・マル監督の活動寫眞地下鐡のザジ始まり、思はず冒頭三十分を看る。この寫眞を見るは何度目なるやを知らず。いつ見ても佳し。睡眠劑エバミールを飮みしが眠れずレンドルミンを飮む。

2008年10月28日(火)

打合せ

碧空を仰がざること旬日なり。蚤起し地下鐵道にて名古屋驛に行き新幹線のぞみ號にて東上す。東京驛より丸ノ内線にて西新宿下車、ホテルに荷物を預け、正午前日本演出者協會事務局に赴く。和田理事長に久闊を陳ぶ。直にサンティアゴ・ガルシア、パトリシア・アリサ兩氏到着。昨日コロンビアより來日し一夜明けて疲勞を知らず、アリサ氏は今朝二時間近鄰を散策したりといふ。八十歲のガルシア氏も壯健なり。テアトロ・ラ・カンデラリア招聘委員會の吉川仮谷兩氏と協會の青柳氏を交へてワークショップと講演會の打合せをなす。里見実氏の知遇を得る。

2008年10月27日(月)

準備

陰。飜譯餘事無し。畢れば初更なり。旅裝をとゞのふ。

2008年10月26日(日)

歸宅

霧雨降り來りて歇まず。寒きこと初冬の如し。八時過地下鐵道にて日比谷に出でゝ有樂町より山手線にて品川に行き新幹線のぞみ號に乘る。車中うたゝ寢し、寤むれば名古屋に着けり。小雨を衝いて家に歸る。疲勞甚しく午睡を貪る。讀書意の如くならず。

2008年10月25日(土)

ututu

今朝も惡夢にうなされ心地よからず。陰。晝飯を食ひ地下鐵道にて名古屋驛に出でゝ新幹線のぞみ號に乘り上京。車中讀書忽ち頭朦朧としてうつら/\する中品川驛に着く。山手線にて新橋に出で銀座線に乘換へ靑山一丁目下車、步みて草月會館に徃く。小島氏開演直前に來らる。四時野村眞里子フラメンコリサイタル ututu を看る。終演後ロビーにて乾杯し、貸切バスに乘り靑山通りを西へ進み、三軒茶屋の伊太利料理屋ペヽロッソに赴き打上げの晚餐をなす。疲勞に氣鬱重なりて夜も心地わろし。二更辻自働車を倩ひ小島氏を赤坂に送りて別れ、ホテルに投宿す。

2008年10月24日(金)

宗敎と文學

惡夢を見る。細雨霏々。連日寒暖の差烈し。けふは生暖かく、通學途中の小學生三割は半袖なり。倦怠感甚しく机に凭りがたし。テイボー先生初期雜文集宗敎と文學を贈らる。日暮れて後も蒸暑し。

2008年10月23日(木)

K君

今日も曇りて折々微雨あり。授業前に烟草を一服せむとていつもの如く圖書舘前廣塲に赴くに、灰皿いつか撤去され、喫煙所は移動しましたと書きたる立看板あり。情報理工學部前の灰皿も取拂はれ、メインロード中程に白きパラソル二つ竝べて新たな喫煙所となせり。喫煙者日に日に遠くに追ひやられゆくなり。この日K君後期初て出席す。去七月友人の運轉する自動車の後部座席に乘りて事故に遭ひ、首を骨折せしかど幸にして後遺症なし。奇跡と云ふ外なし。運轉手は衝突を察して體を巧みに反應させ無傷、大怪我を負ひしはK君のみといふ。午下主治醫のカウンセリングと診察を請ふ。來週に備へて睡眠劑と安定劑を貰ふ。

2008年10月22日(水)

緊張

陰。日本演出者協會A氏とワークショップに關して電子郵件にて打合せをなす。本番近づくにつれ緊張增しゆくなり。明日の授業に備へて睡眠劑を飮む。

2008年10月21日(火)

ワンダとダイヤと優しい奴ら

陰のち晴。小春の好き日なり。原稾二三枚ほどかき得たり。晡下皮膚科に徃く。久振りにてDVDにワンダとダイヤと優しい奴ら A Fishe Called Wanda を看る。ジョン・クリースの脚本卓拔、マイケル・ペイリン、ジェイミー・リー・カーティスほか共演者いづれも佳し。オットー役のケヴィン・クライン一世一代の名演技、いつ見ても呵々大笑せしむ。新聞に歌舞伎座取壞しの記事あり。老朽化のため平成二十二年四月閉塲、取壞しの後平成二十五年複合施設の一部として建替へる由。

2008年10月20日(月)

ネルーダ詩集

天氣牢晴。午前依賴原稾を書き事務所に送る。パブロ・ネルーダ詩集田村さと子羽出庭梟大島博光各氏の譯を讀む。晡下皮膚科に赴かむとて家を出るに、健康保險證を持參し忘れたり。この醫院常に混雜甚しく、引返さば一時間以上待たしむは火を見るより明らかなれば明日に延ばして徃かず。

2008年10月19日(日)

豫告された殺人の記錄

連日晴天。ガルシア・マルケスの Crónica de una muerte anunciada を再讀す。

2008年10月18日(土)

人口增加

けふも晴れて風靜なり。ホームセンターに行きセキセイ鸚哥の餌とオーツ麦を購ふ。木製の止り木やうやく入荷せり。是までシジミの止り木は合成樹脂のものにて氣の毒なれば一ツ買ふ。けやき通の沿道に中華料理屋と大型酒類販賣店リカーマウンテン開店、無印良品と給油所も開業準備中なり。通る度に新たな商舖出來行くなり。彼方此方にマンションも建設中なり。人口增加率全國二位といふ話も自ずと首肯さるゝなり。原油價格の暴騰止み、ガソリン一リットル百八十五圓なりしが百五十一圓まで下落す。

2008年10月17日(金)

スカーレット・ヨハンソン

天氣澄晴。事務所より急なる依賴原稾あり、構想を練る。月末の講演臺本に目を通す。初更中京テレビにホーム・アローン3を看る。駄作の見本のやうな代物なり。主人公の姉役の顏に獨特の味あり。後に資料を閱するにスカーレット・ヨハンソンなりき。

2008年10月16日(木)

臺本

好く晴れて風なし。朝の中肌寒かりしが日高くなるにつれ氣溫上がりて汗ばみたり。西通の澁滯日に日に甚し。通常授業。余は汗かきなればハンケチもて額を拭ふこと頻なり。今日は徹頭徹尾會話の練習に費しぬ。駐車塲に向ふに、先生お元氣でしたかあと余を呼ぶものあれば、顧みるに去年の受講生FとYなり。Fは右脚の骨折完治したるやうにて溌剌たる笑顏を示す。流石體育學部生なり。午後執筆。サンティアゴ・ガルシア氏パトリシア・アリサ氏の講演臺本屆く。

2008年10月15日(水)

ピカソ展

雨霽れて陰のち晴。薄暑を催す。ホテルのレストランに朝餉をなし、步みて國立新美術舘に赴く。地下より地上に至るエスカレーターに乘るに、眼前に中年男女の手繫ぎて立ちゐるがあり。女は和服にて五十前後、男は鼠色のスーツにて五十代前半と見えたり。握りし手片時も離さず、女は男に撓垂れかゝりてだらしなく笑ひながら男の顏に唇を寄せ、直に接吻せり。接吻といふよりは口吸ひと呼ぶが正しかるべし。唇をべつたり重ねしまゝエスカレーターを登りゆくさま醜惡人の目を逸らしむ。平日十時過の六本木に情慾が服を着て步くが如し。巨匠ピカソ愛と創造の軌跡展會塲入口に社會見學の生徒らしき私服姿の男子高校生大勢行列をなせり。開舘早々にも拘らず雜踏す。週末の人出おびたゞしかるべし。一時半ほどかけて展示品およそ百七十點を見る。マンドリンを持つ男の迫力。鳩を抱へし少女が盲目のミノタウロスの手を引く繪に感銘を覺ゆ。正午前辻自働車を倩ひて南麻布のレストラン CICADA に赴き、小島氏と晝餐をなし商議二時間ばかり。三時品川より新幹線のぞみ號に乘車、五時半歸家。滿月皎々たり。

2008年10月14日(火)

見學

雨なり。蚤起旅裝をとゞのひ、東京にて開催中のピカソ展を見むとて新幹線のぞみ號にて東上す。品川下車、品川下車、山手線にて原宿に出で地下鐵道千代田線に乘換へ乃木坂に下車す。改札に向ふに、國立新美術館は本日休舘日なりと告ぐ構内放送聞え來りて呆然とす。まさか休舘日とは思ひもせず。思へば昨日は體育の日の祝日にして、祝祭日の翌日は圖書舘美術舘大抵門を閉ざすなり。淺慮嘆く他なし。もう一つの展覽會塲たるサントリー美術舘も恐らく休舘日ならむと思ひしが、念のため步みて東京ミッドタウンに赴き、ガレリア三階に登りて美術舘に向ふや、案の定係員入口に立ちゐたりて休舘を告ぐ。ガイド付き觀覽のみ受付中なれど五千圓と高價なれば參加せず。已むを得ずタキシを倩ひて事務所に立寄りM氏と款語。ギター奏者I氏の知遇を得たり。二時過ぎ小島氏と倶に新宿能花傳舍に徃き、新國立劇塲バレエ硏修生のスペイン舞踊授業を見學す。一年生男女三名づゝ四十五分、二年生女六人四十五分なり。バレエとフラメンコは勝手が違ひ、銘々惡戰苦鬪するさま愛すべし。呑込みの早き者遲き者の差歷然たり。晡下M氏の運轉する自動車にて赤坂のホテルに徃き荷物を解く。持參せし電腦筆記本にて執筆少々。小一時間休みて後、ふたゝびタキシを倩ひてスタジオに行き、八時より舞踊團員の稽古を見學す。K氏のファルーカ眞に味はひ深し。十時終了し、小島氏瓦井マリア氏と小料理屋かくれにて夕餉をなす。三更ホテルにかへる。雨やまず。

2008年10月13日(月)

明月

雲多く陰晴定りなし。机に凭りて原稾二篇目にとりかゝる。執筆一二枚にして疲れ橫臥、忽ち黑甜郷に遊ぶ。初更市立圖書舘に本を返卻す。月よし。

2008年10月12日(日)

警固祭

腹に響く鐡砲の音に睡を破らる。時計八時を示す。長久手警固祭開始を告ぐ火繩銃なり。朝飯を食ひて小憇の後、母上父上と鴨田川に赴くに、足輕鐡砲隊エイサホイサ/\と聲かけ合ひながら來りて川岸に片膝つきて一列に竝びたり。背に金色の標具(だし)を負ひしオマントウといふ黑馬一頭、馬子十人ばかりに引かれ來りて四辻をくる/\と囘ること幾囘なるを知らず。馬止まりて、黑地に赤き日の丸を描きし扇子を持ちたる男扇子を地面に下ろし、擊ての合圖とゝもに火繩銃次々に發砲せり。爆音耳を聾す。川傳ひに移動して途次二度發砲、景行天皇社に至れり。境内見物客輻湊、出店數軒ありて綿飴たこ燒きなど賣る。混雜を厭ひて本殿には行かず、時恰も正午なれば晝餉をなさむとてコメダ珈琲店に立寄る。幸にして混雜せざりしが直に滿席となりぬ。名古屋名物をぐらトーストを食ふ。一時前家路に就かむと店を出づるに扉脇に祭の廣告あり、讀めば午後は一時半まで開催さるゝとあり。折角の機會なれば階段を登りて本殿に向ふに、棒の手の碑前廣塲にて折しも兒童による棒の手試演の最中なりき。木刀、十手、鎖鎌、薙刀、眞剱などによる演技なり。踊りに似て踊りに非ず、武術に似て武術に非ず、何とも言ひ難き民俗藝能なり。本殿西に黑馬二頭休みてバケツより水を飮み、女兒數人顏や首を撫でゐたり。尻を觸るに少しく汗ばみゐたり。棒の手の兒童ら林に靑きビニール茣蓙敷きて辨當を食ふ。階段を下り鳥居の下にて待つこと須臾にして足輕鐡砲隊とオマントウ列をなし坂を降り來りて東西に別る。西の組道路に降りるや直に發砲の構へをなし、合圖とゝもに五十挺ばかり次々に擊てり。爆音物凄し。はなみづき通に出でゝリニモ驛舍の前にて復び發砲。一行南に向ひ、余は父上母上と家路に就きたり。歸宅して後も度々鐡砲の響を聞くこと午後四時過に至れり。夕餉の後新宿花園萬頭のぬれ甘なっとを食ふ。

2008年10月11日(土)

フラガール

陰晴定まらず。北風吹きて寒し。執筆少々。倦怠甚しく午夢を貪る。新聞紙三浦和義ロサンゼルスの拘置所にて縊死せりと報ず。初更東海テレビ土曜プレミアムに活動寫眞フラガールを看る。松雪泰子蒼井優佳し。

2008年10月10日(金)

ポップスの神髓

好晴昨の如し。米國の株暴落を受け東京市塲も軒竝暴落。大和生命經營破綻の速報あり。日經平均一時千圓下げ八千百圓臺となりぬ。企業の業績に關はらぬ所謂パニック賣りなり。執筆一二葉。竹内まりや三枚組ベスト盤エクスプレッションズ Expressions を聽く。ポップスの神髓茲に在り。

2008年10月9日(木)

通院

今日も晴れて白雲搖曳。朝何とはなしに惡寒を感じて長袖シャツを着て大學に赴くに、授業をする中暴に暑くなり汗吹出しぬ。歸宅して小憩する間もなく夢の記錄を淸書し、主治醫に診察とカウンセリングを請ふ。この日東京日佛會舘渡辺守章氏の講演會に誘はれしかど通院日なれば行かず。

2008年10月8日(水)

ナイジェリア詐欺

好く晴れて風なく薄暑を催す。日傘さす女尠からず。新聞紙の折込チラシに縣立大の廣告あり。來春縣立看護短大と合倂、紀念のため各種講演會催さるゝ由。講演者に亀山郁夫鳥越俊太郎の名あり。朝餉の後事務所の需により商業文の飜譯せむとて英文の書簡に目を通すに、本文冒頭より奇妙奇天烈なる文面なり。訝しく思ひて、記載されたるドメインと差出人をネットで檢索するに、ナイジェリア詐欺といふ有名な國際詐欺の一種と判明せり。午後散策。矢田川南の柿の實色づきたれど色薄く鮮ならず。今日は鴨の姿見えず。セブンアンドワイに注文したりし文庫本をセブンイレブンにて受取り洗濯屋に立寄る。金木犀の香氣襲ふが如し。執筆一二枚にして日は暮れたり。株價續落、アイスランド政府金融非常事態を宣言し全銀行を國有化すると發表せり。

2008年10月7日(火)

緖形拳

曇りて暗き日なり。早朝思ひがけず緖形拳の訃に接せり。行年七十一。氏の仕事に格別の思ひはなけれど、余が誕生日は緖形拳松坂慶子と同じ日なるがゆゑ何となく親しみを覺えゐたり。原稾を書かむとて机に向ひしが執筆の興來らず、怏々として徒に時間を空費するのみ。忽にして窓暗くなりぬ。枕頭小沢昭一がめぐる寄席の世界を讀む。最後の對談者矢野誠一若き日を思ひ出して語るに、三遊亭金馬は噛んで含めるやうな調子が理窟ぽくて好まざりきといふ。小沢昭一これに荅へて、今聞けば奧が深くてまた評價は違うでせうといふ。消燈しNHKラヂオ深夜便をつけるに偶然にも演藝特選は三遊亭金馬特輯なり。目黑のさんまとやかんを聽く。余の耳にも理窟ぽく響くなり。

2008年10月6日(月)

金木犀

朝の中霧雨ふりしかど午後に至りて霽る。公式網站を更新すれば忽ち午とはなれり。晝餉の後國民健康保險料を納めむとて自動車に乘るに發動機始動せず、時計も表示されず。蓄電池いつか放電しぬ。方向指示器の尖端を見るに車幅燈のスイッチ點けつぱなしなり。定めし父上土曜に運轉してそのまゝ消し忘れたりと見ゆ。JAFを呼び始動せしめ、グリーンロードと百二十八號線を走りて充電すること一時間ばかり。保見町塚原交叉點にて信號待ちしゐたるに金木犀の香たゞよひ來りて、窓を開くに馥郁人の面を撲つ。路傍の民家を見れば庭に金木犀垣根をなせり。晡下役塲に保險料を納めて家にかへる。燈刻三好に赴き北野武の活動寫眞アキレスと龜を看る。晚年の黑澤明を思はしむ。男性千圓均一の割引日なれど客僅五六人。この日米弗ユーロ共に下落し一ユーロ百三十九圓となれり。愛知厚生年金會舘今月營業終了し取壞さるゝ由。勤勞會舘も再來年閉舘さるゝといふ。この日我が網站(サイト) theatrum mundi 開設八周年を迎へたり。

2008年10月5日(日)

文學のスヽメ

朝來雨蕭條たり。舊稾を理す。爆笑問題の文學のスヽメを讀む。太田光の父は小說家になりたしとて太宰治に原稾を見せしことあり、また母方の祖父は島崎藤村の書生なりしを知りぬ。

2008年10月4日(土)

嗤ふに嗤へず

今日も好く晴れたり。先月末米國リーマン・ブラザーズ倒產し保險會社AIGも半ば國有化され、金融市塲は世界恐慌の始まりかと戰々兢々たり。これにつけて思ひ出さるゝはAIU保險のセールスマンW氏の言なり。余かつて舊抑鬱亭に在りし頃AIU自動車保險に加入しゐたり。時恰も我國の保險會社軒竝み經營難に陷りて次々に合倂を餘儀なくされゐたりき。その折W氏にAIUの經營狀態を問ふに氏荅へて、AIUは母體がAIGなり、 AIGの資金量ははつきり言つて日本とは桁違ひなれば心配するには及ばず陳べたり。五六年前の事なり。然るに三年前某生命保險の外交員I氏より聞きたるところによれば、AIGはムーディーズにAAAの格付を受けゐたりしが不祥事を起し格下げされたり。そして今日新聞紙を見るにAIGは日本のアリコジャパン、エジソン生命保險、スター生命保險の生保三社を賣卻するとあり。AIUとアメリカンホーム保險、ジェイアイ傷害火災保險などの損保は當面維持する由。驕る平家は久しからずと嗤ふは易し。然れども余は余で破產寸前、舊抑鬱亭を引拂ひ親元に居候の身、收入は年金生活者と變らざるを以て嗤ふに嗤へず。枕上幻冬舍文庫爆笑問題の戰爭論を讀む。

2008年10月3日(金)

ハウルの動く城

陰晴不定。洗濯せし後手紙をしたゝめ、便利店に赴きセブンアンドワイに注文せし文庫本を受取る。歸途下着を購ひ床屋に立寄る。龜屋芳廣菓子店の鄰いつか更地となり何やら普請中なり。初更中京テレビに宮﨑駿の動畫ハウルの動く城を看る。靑き畫面に白雲霧の如くかゝり、雲間より動く城現れ、赤き帽子をアップに捕へる迄の導入部見事なり。後半に至りて宮崎の筆力衰へたるやうに見ゆ。兒童が初て看るに相應しき作品と云ふべし。この日ブロードウェイ劇塲街ポール・ニューマンの遺德を偲びて一分間消燈せり。

2008年10月2日(木)

スティング

眠氣倦怠甚しく床を出づるも難儀なり。晴天。朝の中涼しかりしが、晝に至りて薄暑を催す。インターチェンジ手前にて思はぬ澁滯に遭ふ。交通量年々增え行くばかりなり。通常授業。出席簿を家に置き忘れぬ。風邪の氣味にて心身疲勞を覺ゆ。家にかへり郵便物に目を通し、晡下疲れて一睡、忽ち華胥に遊べり。キングソフトオフィス 2007 plus を購ふ。四千九百八拾圓也。初更衞星第二にポール・ニューマン追悼としてスティング放映さるゝを看る。本作のみにて氏の業績を偲ばしむは非禮の至りと謂ふべし。せめて熱いトタン屋根の猫、明日に向つて擊て!、評決の三作は避くべからず。

2008年10月1日(水)

雨霽れしが曇りて風猶寒し。午後薄日さしてセキセイ鸚哥も喜ぶやうなり。瀧野川のM氏父君死去せし由通知せらる。父君は永らく癡呆を患ひ、去四月西ヶ原の東京外國語大學跡地に建てられし特別老人養護施設に入居、七月腦血栓を起して緊急入院し、先月肺炎に罹りて再び入院せられしなり。片肺は結核にて旣に石灰化し、殘る肺も半ば肺炎にかゝりて歿せられたり。享年八十八。母君の心中察するに餘りあり。何故か終日睡魔に襲はる。覺むれば日旣に沒したり。睡魔如何ともすべからず。早々に寢に就けり。