晴れて西風烈し。寒氣凜冽。散步せむとて外に出でしが、寒風あまりに烈しければ煙草のみ購ひて止む。エッソのガソリンスタンド洗車を待つ車長蛇の列をなす。高野文子黃色い本を讀む。第二話の途中で俄に睡魔來りて忽華胥に遊ぶ。寤むれば六時なり。晚餐に手卷壽司を食す。余の作りし羊羹を味見す。上出來なり。YouTube にてカウント・ベイシー、デューク・エリントン、メル・ルイス、ディジー・ガレスピー等のビッグバンド演奏を堪能す。瀏覽器 ネットスケープ開發終了。余が初めてネットスケープ・ナビゲーター Netscape Navigator を使ひしは平成八年十月なりき。當時愛知縣立大學には主頁なかりき。翌年二月にマイクロソフト社がインターネット・エクスプローラ Internet Explorer を無償配布せり。近年は Firefox を愛用す。今年を振返るに前半病臥すること多かりしかど休講もせず持堪へ、秋に入りて恢復し去月來心身良好、睡眠藥を飮まず熟睡すること一箇月以上に及べり。喜ぶべし。
空霽れて白雲搖曳。西北の風寒し。カーマホームセンターに徃き鸚哥用オーツ麦を購ふ。アサリとシジミの好物なり。DVDで爆笑問題ツーショット二〇〇七年年上半期を看る。塵分別ネタに腹を抱へて笑ふ。YouTube にてカウント・ベイシー樂團のコーナー・ポケットを聽くこと幾囘なるを知らず。ソニー・ペインのドラム拔群なり。ベイシー餘裕綽々、こゝぞといふ時以外鍵盤を叩かず。佛蘭西元日よりカフヱーも喫煙禁止令施行さるゝといふ。ホテル、レストランなど公の室内は全面禁煙なりとぞ。悲しむべし。
晏起十時に近し。雨歇みて風生暖かし。明日も雨なるべし。終日門巷蕭條として兒童の聲も聞えず日は早く暮れたり。母上千兩の花束を食卓に飾らる。花束に見知らぬ桃色の實あり。寫眞を撮り意味なし揭示板にて公開するにターコさん直にヒペリカムですよと敎示せらる。抑鬱亭界隈にも夏に黃色き花を咲かせるといふ。世の中知らぬ事ばかりなり。
細雨空濛。寒からず。ベジナル・ブット暗殺事件の續報をネットで調ぶ。ニューヨーク・タイムズ、ル・モンド、リベラシオン、エル・パイス、CNNなど。事務處より稾料飜譯料の振込あり。漸く年を越せるなり。内田樹春日武彦健全な肉體に狂氣は宿るを讀む。快哉を叫ぶこと幾囘なるを知らず。鬱病治療に示唆するところ多し。
乍陰乍晴。溫暖初春の如し。甥R高野文子の漫畫るきさんを耽讀するなり。午下Dと父上母上を車で地下鐵道驛に送り別る。圖書館に赴くに年末年始休館中なりき。ブックオフに徃き新書を三册購ふ。各參百五拾圓。日立オムロンターミナルソリューションズ社門前にいつか信號機設置さる。病院に徃き主治醫の診察とカウンセリングを請ふ。Web草思本日號を以て休刊。パキスタンのブット元首相自爆テロにて暗殺さる。枕上養老孟司茂木健一郎對談本スルメを見てイカがわかるか!を讀む。
快晴無風。小春の天氣喜ぶべし。D父上に伴はれ郵便局に散步に出かける。余はオスカー・ピーターソンのサタディ・ナイト・アット・ブルーノートを聽きながら新年度シラバスを作成す。正午歸宅したるDを伴ひ溫泉ござらつせに徃く。平日正午とて客少く、大浴塲を獨占す。低き日光露天風呂の天井を掠めて射す。Dは湯船全てを制霸しぬ。外に出づるに戶口に早くも門松を飾りゐたり。歸途伊太利料理屋ピッコロ・ステラに立寄りピッツァを食す。Dおいしい/\を連發、マルゲリータとツナコーンを一枚以上平らげる。アンティサラダは野菜サラドとニョッキの南瓜ソース、白身魚のマリネ、本日のドルチェよりRはショコラ、余はフランボワーズを選ぶ。二時歸宅。シラバスをオンライン作成。殆ど誰も讀まざる書類を作る事ほど空しき事はなし。時間と勞力の無駄と云ふ外なし。三時銀座コロンバンのブッシュ・ド・ノエルを食す。晡時猛烈なる睡魔に襲はれ一睡、忽華胥に遊ぶ。寤むれば六時なり。夕餉に手鞠壽司を食す。Dの作りし稻荷壽司は滿腹にて食へず。初更R余の寢室に來る。倶にDVDでスター・ウォーズ第三話シスの復讐の戰鬪塲面を看る。
七時半起き出でゝエル・パイス紙をみるにオスカー・ピーターソンの訃報あり。去二十三日腎不全にて歿。行年八十二。ニューヨーク・タイムスの記事も讀む。平成十六年十月十日の大阪公演余は鑑賞券を購ひたれど微恙ありて徃くこと能はざりしはかへす/″\無念なり。十時半名古屋驛に甥Dを出迎へる父上母上を地下鐵道驛に送る。午下甥R無事到着。小學五年生にして初めての一人旅なれば新幹線車中緊張しどほしなりきといふ。背丈伸び母上とほゞ同じになりぬ。モンブランケーキとS子手作りのブラウニー、クッキーを食す。晡下Dを車に乘せ三郷やまとの湯に徃き割引囘數券を購ふ。目を離した隙に塀に登るさま忍者の如し。晚餐にしやぶ/\を食す。アサリとシジミDの掌に載る。シジミが人の手に乘るは珍しきことなり。終日曇りて日光を見ず。第四十二囘紀伊國屋演劇賞發表さる。下の如し。
團體賞 | |
---|---|
NODA・MAP | 『THE BEE』(日本・ロンドンバージョン)、『キル』 |
個人賞 | |
---|---|
別役実 | 木山事務處『やってきたゴドー』 |
文學座アトリエの會『犬が西向きゃ尾は東―「にしむくさむらい」後日譚―』 | |
服部基 | パルコ・プロデュース『コンフィダンド・絆』 |
新國立劇塲『コペンハーゲン』 | |
NODA・MAP『キル』の照明 | |
木場勝己 | 新國立劇塲『氷屋來たる』におけるラリー・スレイド |
こまつ座&シス・カンパニー『ロマンス』における晚年のチェーホフ | |
竹下景子 | 地人會『朝燒けのマンハッタン』における稲垣愛子 |
あうるすぽっと『海と日傘』における佐伯直子 | |
松本修 | MODE『變身』 |
世田谷パブリックシアター『審判』『失踪者』の構成・演出 |
審査員 村井健/小田島雄志/大笹吉雄/長谷部浩/松原治
天皇誕生日振替休日。西北の風吹き、晴れたる空には白雲多く浮びて折々日を遮る。けふも羊羹をつくる。滿月朦朧たり。
晴れたる空午近くよりくもる。暖なること歲末の頃とも思はれず。窗邊の籠でアサリ水浴びをするほどなり。今年は大寒に入りてより益暖なり。羊羹作り二日目。寒天三本をカップ四杯の水に溶かし、粗目を入れ煮詰めて栗の煮汁一袋を加へ、昨日作りし漉餡を入れ木篦で練る。バレンボイムとサイードの對談本音樂と社會を讀みながら練ること四時間ばかり。鹽少々。三つの型に流込み二つに栗を入れ羊羹を作る。雲間に折々小望月を看る。
冬至なり。細雨糠の如し。母上に指南を受けお節料理の羊羹作りを始む。小豆千五百瓦を鍋二つに分け煮る。電腦筆記本を食卓に移し携帶ラヂオで radio-i を聽き、煮具合を見ながら執筆。TiddlyWiki を活用す。間食に自家製スヰートポテトを食す。ふつくらと煮上りし小豆を漉せば日は忽晡ならむとす。雨次第にふりまさり夜に入るも歇まず。夕餉に南瓜の小豆和へを食す。中沢新一藝術人類學を讀む。中日新聞に北村想の取材記事あり。鬱病について語る。下の如し。
――代表作と呼ばれる「寿歌」を書いたころから、うつ病だったのですか。
二十五歳で寿歌を書いたころ、最初に付けられた病名は「うつ性心気症」でした。「治ることはありません」とはっきり医者に言われました。だんだん悪くなり、今は底をついた状態です。
十年ぐらい前には、うつを「そんなの気の持ちようや」と言う人がいたんです。今も「心の風邪」と言う人がいますが、初めてその言葉を耳にしたときに絶対よくない例え方だと思いました。
うつ病の原因は分かっていませんし、病態はさまざまでいろんな誤解のされ方をします。僕はコーヒー一杯すらいれられなくなり、自殺念慮が出る。
長年うつと付き合って、うつの兆しが自分で分かるようになったのですが、僕の場合は加害妄想が出る。「劇団員の人生を狂わしたのはおれのせいや」と思い詰めたり。
うつとは闘えない。闘えないことほどつらいことはない。うつになったら自分の判断や思考は拒否した方がいい。「銀行からカネ借りようか」「自殺しよか」なんて考えてしまうけど、病状が収まれば「何であんなこと考えたんやろ」と思うから。僕はそんな時、周囲に「今、生ごみやから、おれの言うことは信用せんといてくれ」と伝えます。本当に生ごみみたいになってしまいます。
こういう話をするのは、うつ病のことをもっと知ってもらった方がいいからです。本当のうつ病を軽くみていたら家族は崩壊します。大事なのは早めの手当です。
灰色に空曇りて風なし。寒からず。明日の羊羹作りに備へ小豆を水に漬ける。午後三郷やまとの湯露天風呂に浴す。客尠し。井田町交叉點に吉野家普請中。ホームセンターナカイ跡地のダイハツ特約販賣店來月三日開業の橫斷幕あり。スロベニア、スロバキア、エストニア、チェコ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、マルタ九箇國シェンゲン協定發效、歐洲二十四箇國で出入國審査撤廢さる。一昨日モーリス・ベジャールの遺作八十分間世界一周ローザンヌ・ボーリュー劇塲にて初演。アリシア・アロンソ九十歲の誕辰。去十七日キューバ國立バレエ團主要舞踊家アニャ・グティエレス、タラス・ディミトロ・スアレス、ミゲル・アンヘル・ブランコの三人カナダにてアロンソを見捨てゝ米國に亡命しぬ。
晴。寒氣凜冽。年内最終授業。家にかへりCDでオスバルド・ゴリホフの歌劇アイナダマールを聽く。ラコタ族米國より獨立を宣言す。去十八日ウルグアイ國會にて同性愛者に夫婦同等の權利を與へる法案可決さる。社會保障年金受給相續權財產分與など夫婦同然の扱ひとするものなり。五年以上の同居が條件なり。
陰。讀書の外他事なし。初更NHK-FMに宮本文昭ファイナル・コンサートを聽く。去三月三十一日東京トッパンホールにて錄音。曲目を茲に記す。
オーボエ・ソナタ | ドニゼッティ |
ホルン・ソナタ ヘ長調 作品十七 | ベートーベン |
バイオリン・ソナタ K.三七六 第一樂章、第三樂章 | モーツァルト |
三つのロマンス 作品九四 第一曲、第二曲 | シューマン |
アダージョとアレグロ 作品七〇 | シューマン |
オーボエ・ソナタ 作品一六六 | サン=サーンス |
白鳥の歌 | 加古隆 |
明日の記憶 | 大島ミチル |
風笛 | 大島ミチル |
アヴェ・マリア | カッチーニ |
ジ・エイム&エンド | 宮本文昭・鳥山雄司 |
くもりて寒さ烈しからず。終日讀書餘事無し。マンション別棟に降誕祭の電飾を施す家庭二三軒あり。近年の主流は靑色發光ダイオードなり。米國ニュージャージー州にて死刑廢止法成立す。スピルバーグ六十一歲。
曇りて暗き日なり。寒氣日に日に加はる。セブンイレブンにて文庫本二册受取る。草掛橋より香流川を望む。輕鴨五六羽尻を振り水草を食ひゐたり。午後聯載原稾七枚。晡時午睡。暉峻康隆落語の年輪を讀む。
天氣晴朗、雲翳なし。讀書午睡の他記すべき事なし。父上の新潟土產上越市くさのやの笹だんごを食す。菅で結はへた熊笹の香り佳し。去十三日メイ牛山歿享年九十六。
晴れし空次第に曇りて雨意天に滿つ。寒氣骨に徹す。補講。土曜のことゝて學生少し。いつもの如く學生二人を一組にして活動寫眞蝶の舌一塲面の科白を暗誦せしむ。休憩時間に縣立大學舊同僚T氏の來るに逢ふ。再來年縣立看護短大と合倂する由。藝術大學との三校合倂は破談なりとぞ。父上新潟より歸宅せらる。石橋純熱帶の祭りと宴を讀む。
曇りて風寒し。原稾執筆、補講敎材作成に半日を消す。夕刻疲勞して午睡。夕餉に毛蟹と牡蠣雜炊を食す。マドンナ、ベンチャーズ、ジョン・メレンキャンプ、レナード・コーエン、デイブ・クラーク・ファイブの五組ロック殿堂入り。USA トゥデー紙を讀むに米陸軍の自殺率最惡を記錄。三分の一はイラクとアフガニスタンに派遣されたる兵士の由。Antiwar.com によればイラク人犧牲者十萬人以上、IraqBodyCount の調査にても八萬人以上。
朝來の雨午に至りて歇む。通常授業。午下一旦家にかへり一服の後中央圖書館に立寄り病院に徃き主治醫の診察とカウンセリングを乞ふ。池内惠現代アラブの社會思想を讀む。吉田都大英帝國勳章受章決る。アイク・ターナー歿享年七十六。
曇りて溫暖薄暑を催す。スヱータのみ着て往來する男女少からず。大雪の頃とも思はれず。雀の子も樂しげなり。聯載原稾執筆、讀賣新聞劇評を西班牙語に飜譯。Googleノートブックを活用す。他にGoogleブックマーク、Googleカレンダー、Gmail、 iGoogle、Blogger 等愛用の機能多し。まさにGoogle帝國なり。アマゾンのマーケットプレイスにて購ひたる古書一齋に屆く。明日の授業資料準備中猛烈な睡魔に襲はれ殆ど支ふること能はず。橫臥忽華胥に遊ぶ。夕刻寤むるにいつか小雨降出しぬ。ドグマチールの服用を已む。ドグマチールは食慾大にそゝりて間食とまらざればなり。枕上DVDでシティボーイズ〇四年公演だめな人の前をメザシを持って移動中を看る。
風雨瀟々。暖なること春の如し。セブンアンドワイに注文せし本三册をセブンイレブンにて受取り、理髮舖に立寄りカーマホームセンターに赴きセキセイ鸚哥の餌を買ふ。西通り漫畫喫茶前にて今日も黑き女蹌踉と步みゐたり。DVDでシティボーイズ一昨年公演メンタル三兄弟の戀と昨年公演マンドラゴラの降る沼を看る。メンタル失敗作、マンドラゴラ佳作。讀賣新聞夕刊に「際立つ小島の存在感」と題して戰下の詩人たち評揭載さる。評者祐成秀樹。アルジェにて聯續爆彈あり。六十七人死亡、國聯職員十人以上行方不明。9・11、3・11に續き12・11はアルカイダの符號ならむ。
晴れてあたゝかなり。執筆半日。中京大學E氏に名古屋西班牙協會宴會に誘はれしかば、五時半名鐵グランドホテルに赴く。余は大人數の會合ほど苦手なものなし。然れども斷り切れず。參會者八十人ほどなり。縣立大學E氏T氏、南山大學P氏に會ふ。中日新聞社M氏の知遇を得たり。ビンゴ大會催され三位當選、伊太利製ハンドバッグを貰ふ。何故にや余はビンゴに强し。曾てコートと電氣毛布當りし事あり。今年は前半微恙に惱まされつゞきたりしが後半は幸運の女神の微笑むを見たるやうなり。
陰晴定まりなし。西北の風吹き出で門内落葉狼籍たり。楠の枝いつか裸になり一枚の葉もなし。母上の豫約錄畫せられたる中部日本放送皇室アルバムを看る。晡下午睡。香川縣株式會社ピクチャリングオンラインよりサンディスク社製 cruzer micro 優盤屆く。容量2.0GB、參千九百九拾五圓也。夜に入り空晴れ星斗森然たり。皇太子妃四十四歲の誕辰。過日I君と電話で會談せし折I君雅子さんの皇室に嫁ぎたるは日本の損失なり、優秀な外交官を失ひたればなりといふ。余も同感なり。この日宮内廳を通じて誕辰の感想を發表せらる。
これまで、国民の皆様より、ご心配をいただき、温かい気持ちをお寄せいただいてきておりますことに、改めて感謝申し上げたいと存じます。まだ、十分に復帰できないことを心苦しく思いますが、この一年も、お医者様のご指導の下で快復に努め、少しずつ活動の幅を広げることができるようになりましたことをありがたく思っております。6月には長野県、10月には徳島県を公務で訪れましたが、まわりの方々に助けていただきながら、お陰様で無事に務めを果たすことができました。訪問の先々で多くの方に温かく迎へていただきましたことは何よりありがたく、私にとりまして大きな励みになりました。
また、今年も国連大学で引き続き聴講の機会をいただいたほか、いろいろな方から、こどもを取り巻く状況や環境問題など、現在の社会が直面する様々な課題について伺うことができましたこともありがたいことでした。
皇太子殿下は、今年6月に十二指腸ポリープの切除手術をお受けになりました。幸い医療関係者の皆様のご尽力で無事に手術を終えられて御退院になり、安堵いたしました。その後も、7月のモンゴル国への御訪問を始めとして、以前とお変わりなく、お元気に御公務をお務めになっていらっしゃることをありがたく心強く思っております。
愛子は今年、幼稚園の年長組になり、幼稚園生活にもすっかり馴染んで本当に楽しそうに幼稚園に通っておりますことを何よりうれしく思っております。日々の送り迎へを始め、様々な行事への参加など、親子で参加することが多く、その中からたくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じますが、愛子には、あと数か月の幼稚園での日々を、先生やお友達と楽しく過ごしてくれることを願っております。そして、4月には学習院初等科に進学し、また新しい一歩を元気に踏み出してくれればと思います。これまで、皆様に愛子の成長を常に温かく見守ってきていただいておりますことに重ねて感謝申し上げたいと存じます。
天皇皇后両陛下より、これまでお心遣いをいただきながら温かくお見守りいただいておりますことに深く感謝申し上げます。また、皇太子殿下には、お忙しい御公務をお務めになりながら、常に大きな支えになってくださっていることを、心からありがたく存じております。
お陰様で、こうして今年も無事に誕生日を迎へられますことに感謝しつつ、国民の皆様がおだやかな年の瀬を迎へられますように心よりお祈りしております。
陰晴定らず。アサリとシジミ珍しく余の右手に竝びて乘る。シジミの疥癬ほゞ完治せり。NHK-FMゴンチヽ世界の快適音樂セレクションにてテンプル・シティ・カズー・オーケストラのイン・ザ・ムード、イズラエル・カマカウィオールの天國からカミナリを聽く。この日より Google ノートブックを Firefox アドイン Scrapbook と倂用す。一長一短あり。マイクロソフト・オフィス2007試用版を下載す。六年前に購ひし余の貧弱なる電腦筆記本には重すぎ卻て不便なり。DVDにてシティボーイズがNOTA恙無き限界ワルツを看る。いとうせいこうブログにて活動寫眞アメリカVSジョン・レノンに觸れて曰く、この映畫を觀ると、空氣を讀まないことの重要さが身にしみる、「空氣を讀む」ことの奧底には、國家の言ひなりになれといふ命令が潛んでゐる。昨今KYなる畧語流行す。空氣が讀めない人の謂なり。空氣とは世間なり。世間の風潮を見るに不愉快かぎりなき事のみなり。シュトックハウゼン歿享年七十九。
晴のち陰。風絕えて寒からず。蚤起西班牙語公演資料作成。午前A4二十枚書き得たり。午後手紙二通したゝむ。印刷機のインキ盡たればケーズデンキに赴きキヤノンのを購ふ。黑とカラーで五千圓、正規品の高價なること殆犯罪といふべし。二個づゝ買へば印刷機一臺買へるほどなり。西通りの漫畫喫茶Y前に黑き女の蹌踉と步むを見る。如何なる素性なるや、常に俯きて一人とぼ/\ゆくなり。浮浪者にしては荷物少く住人にしては鄰接市町村の彼方此方を彷徨ふ。詩人A氏戰下の詩人たちに感銘受け小島氏に頌詩を贈らる。ピアニスト川上ミネ氏より電子郵件あり。晡下疲勞し一睡、カント著池内紀譯永遠平和のためにを讀む。
寒氣凜冽。自働車の正面硝子凍れり。襟卷をまとひ出勤す。授業先々週に引續きホセ・ルイス・クエルダ監督の活動寫眞蝶の舌後半を看る。歸途中央圖書館に立寄る。アイデアプロセッサ Frieve Editor を下載す。晡下I君より電話あり。ミュンヘン新婚旅行の土產話を聞く。互聯網で戰下の詩人たち批評を檢索するに Waki さんといふ人のブログ發見。不思議ですごいものを見てしまったといふ感じ、はじめて歌右衞門さんを見たときのやうな衝擊を感じましたなどゝあり。文面印刷し傳眞で小島事務處に送るや直に小島氏より電話あり、殊の外喜ばれる。
曇天。西北の風はげしく寒氣凜然たり。聯載原稾執筆。ケーズデンキに徃き各社USBメモリの價格を比較。初めてソニー社製有機ELテレヴィジョンを見る。畫面薄きことクレジットカードの如く、畫像のぶれ殆無し。十一型貳拾萬圓。四年後地上デジタル放送開始するころには有機が主流とならむ。三郷やまとの湯に立寄り露天風呂に一浴す。ガソリンまた値上レギュラー壹百四拾五圓なりしを壹百五拾參圓となす。エル・パイス紙の插繪作家マキシモいつしか解雇さる。マキシモのゐないエル・パイスはエル・パイスに非ず。復歸要求運動に電子署名す。寢室の螢光燈二つとも切れ、ドラッグストアに赴く。駐車塲に本日ポイント三倍デーと大書せし幟立竝びてあり。帳塲にてポイントカードを見せむとて嚢中を探るに家に忘れたり。我が粗忽恨むばかり。今宵初めて手袋を使ふ。
雨天の空墨を流せしが如し。風寒きこと嚴冬の如し。霧雨午後に至りて霽る。朝九時小島氏より電話あり。來年の公演の事につきて商議す。今日は桶川市にて最終公演ある日にして早や次囘公演に思案をめぐらさる。踊る狂人といふべし。日本演劇學會演劇學論集紀要四十五を捲る。川上音二郎の「金色夜叉」初演と海外巡業と題する井上理惠の論文のみおもしろし。晡下全身筋肉痛疲勞を覺え一睡。母上スヰートポテトを作らる。美味なり。夜暗雲散じて星出づ。多田道太郎歿享年八十三。
雨。寒からず。十一時ホテルを出づ。折疊み傘持參し忘れたれば銀座東二丁目交叉點のファミリーマートに立寄り六十糎のワンタッチ傘を購ひ、雨を衝いて昭和通りを步み京橋美々卯に徃き、昨夜置き忘れたる手帳を受とる。鍛冶橋通りを西に步み、鍛冶橋交叉點に出でゝ東京驛に至る。荷風先生の步みし町なり。十二時三分新幹線のぞみ號に乘る。二時四十五分名古屋着。雨やみたれど存外寒し。三時半歸宅。父上の北海道土產ロイズ・チョコレートをつまみながら父上母上に土曜の話を聞く。座席は五列十三番十四番、兩陛下と同じ中央の四列手前なりきといふ。N子小島氏のソレアに壓倒され吐氣を催し人事不省に陷ること暫しなりとぞ。母上大に心配し、退席せしめたくとも兩陛下の手前身動きすること憚られ如何ともする事能はざりき。幸にして持堪へ、醜態を晒さずに濟みたりといふ。晚間S子に電話かけ、行幸啓顚末を報告す。新語流行語大賞發表。茲に記す。
大賞 | |
---|---|
どげんかせんといかん | 東国原英夫 宮崎縣知事 |
ハニカミ王子 | 石川遼 杉竝高校プロゴルファー |
(消えた)年金 | 舛添要一 厚生勞働大臣 |
そんなの關係ねぇ | 小島よしお |
どんだけぇ~ | IKKO |
鈍感力 | 渡辺淳一 |
食品僞裝 | |
ネットカフェ難民 | 川崎昌平 |
大食ひ | ギャル曽根 |
猛暑日 | 滝沢寧和 熊谷市直實商店會々長 |
小春の天氣喜ふべし。午前昨日の抑鬱亭日乘執筆公開。N子に電話かけ、在京中の父上母上の樣子を訊ねるに、きのうは銀座にいたよ、氣附かなかつた、と問ふ。余に内證で觀劇したるを知り一驚を喫す。母上電話口に出で、終演後皇后陛下が御辭儀して下さつたねえと余を祝福さる。今日の囘も鑑賞して名古屋に歸らるとのことなれば劇塲にて會ふ約束をなす。湯島扇笹卷きすし本舖の壽司風味笹むしびを食ひ、二時ホテルを出でゝ劇塲樂屋に赴く。パーカッション奏者ホセの需によりて客席最後列の音響卓にデジタルヴィデオカメラを設置す。二時半ホワイエより客席に向ふに母上來りて在り。母上は當日券を購ひ十三列一番、余は同列中央十四番にて鑑賞。斜め前に小田島雄志先生、斜め後ろに阿木耀子。母上の話に平幹二郎も來りて在りといふ。三時開演。踊り演奏ともに昨日に勝る。觀客の反應も今日が最も良し。小田島先生の拍手力强し。樂屋は來客輻輳、賑やかな立食パーティー會塲と化す。假面制作者正法地美子氏と諧語。西脇美繪子氏來りて余の手を强く握られ、今囘は本當にお世話になりましたと滿面の笑顏なり。七時散會、小島氏と友人八名と倶に京橋美々卯に徃き晚餐をなす。花湯葉饂飩美味なり。變な外人こと日暮里シャレースイスミニ店主ダニの知遇を得る。親父ギャグの應酬樂し。九時閉店、銀座一丁目 Teddy's Bar に河岸を變へる。余は酒を飮まざれど水戶黃門主題歌の旋律に合せてどんぐりころころを歌ひ、逆にどんぐりころころの旋律にて水戶黃門主題歌を歌ひて座の爆笑を誘ふを得たり。ピアニスト川上ミネ氏の知遇を得る。西班牙コルドバ市在住、每年淸水寺にて演奏會を催し、每夏玖馬を訪問さるゝ由。彼の地の音樂につきて笑語、ゴンサロ・ルバルカバに對する評價を共有す。十一時解散。タキシにて西麻布に歸る小島氏を見送りてホテルに戾る。手帳一册を美々卯に置き忘れたり。余今日まで嘗て物を忘れたることなきに此の日始めてこの事あり。老病ほど言甲斐なきものはなし。東京公演無事終了、明後日の桶川公演を殘すばかりなり。
陰曆十月二十二日。乍晴乍陰。暴暖小春の如し。蚤起聯載原稾執筆。ネクタイを求めて三越に徃き店員に事情を話し、勸めらるゝまゝにジョルジオ・アルマーニを一本購ふ。百貨店を出づるに鄰にネクタイ專門店田屋ありしに心附かず少々後悔す。銀座通りは步行者天國、遊步するもの多し。ホテルに歸り原稾執筆を畢る。シャワーを浴びスーツに著替へて銀座メガネ店に立寄りレンズを洗滌せしめ、ル テアトル銀座樂屋に入る。通路の喫煙處に一服するに折目正しき紳士來りて余の名を呼び、エリザベスの時はお世話になりましたと一禮さる。舊銀座セゾン劇塲制作部長鈴木氏なり。現在はル テアトル銀座の營業部長なりとぞ。應接間に招じられ、奈良岡奥山兩氏の近況、十二年の短命に畢りしセゾン劇塲の得難き思ひ出、世田ヶ谷パブリックシアター、宮沢章夫の面白さ抔につきて歡語時の移るを忘る。ベゴーニャ腰痛惡化、このまゝでは夜は踊れないと目に淚泛ぶ。堀越千秋氏急遽樂屋に來りて掌腕脚に指壓を試みるに腰痛忽散じベゴーニャに笑顏戾りぬ。三時マチネ開演。余はベゴーニャの緊急事態に備へて舞臺袖に待機す。四時半終演。ベゴーニャ見事に踊り、痛みは忘れたるやうなり。小島氏の樂屋に來客長蛇の列をなす。木の実ナナ來訪。喫煙處にてハビエルと一服、ブラックジョーク連發に爆笑。六時過ぎ浜田滋郎先生をホテル西洋銀座一階ロータリーに出迎へ、倶に二階ヱレベーターホールに向ふ。ミゲル・カリエド西班牙大使ご夫妻旣に來りて在り。自己紹介するに、君はどこでスペイン語を學んだのか、私はマドリード生れだが君の言葉は生粹のカステリャーノだと夫人共々瞠目さる。大使自らすゝみて余に名刺を下さる。事務局村田マチ氏受付業務に區切をつけ來りて五人揃ひ整列。六時四十二分天皇皇后兩陛下ヱレベーターより御到着。一人ひとりの前に來られ、余らは銘々自己紹介す。余の前にまず天皇陛下來られしかば余は制作協力及び飜譯を擔當しましたと挨拶す。續いて皇后陛下が、西班牙の、と余に專門分野を問はれしかば、演劇の硏究をしてをりますと荅ふ。兩陛下が控への間に入らるゝを見屆け、余は大使ご夫妻浜田先生を客席九列目上手側に案内す。七時、余が執筆せし英語のアナウンス塲内に流れるを合圖に余は率先して立上り、德島縣知事と堀越千秋氏を促し通路に出でゝ待機。兩陛下客席に入塲せらるや觀客全員起立し拍手をもつて迎ふ。天皇皇后嚴かに步み入られ、觀客の歡迎に應ぜらるゝさま寔に慇懃なり。余は兩陛下を九列十四番十五番座席に案内し、天皇は浜田滋郎先生の鄰にご著席、余は皇后の鄰に坐る。皇后陛下舞臺奧の美術幕をご覽になり、これは今囘特別に作られたものですかと問はる。余は堀越千秋氏が制作したものでございますと荅へり。直に客電落ち開演。死神に扮せし小島氏團員の肩車に乘り登塲するや、皇后陛下余に小島さんですかと問はる。パット・メセニーの音樂を踊る第一塲餘兆 Presagio が終るや率先して拍手せられしは皇后陛下なりき。赤のドレスを黑に著替へて現れたるベゴーニャを見て、さつきの赤い服と同じ方ですかとご質問なさる。暗轉し、いなほ保育園の學童三人登塲、警戒せよ Alerta と題するアントニオ・マチャードの拙譯詩を朗誦するや、これはどなたかの詩ですかと問はれたれば、アントニオ・マチャードの詩でございますと解說するに、アントニオ・マチャード、アントニオ・マチャードと二度呟かれ、天皇にアントニオ・マチャードの詩ですつてと耳打せらるゝ姿まことにほゝゑまし。余附加へて、あの三人の男の子はこの詩を二日で暗記しましたと說明するに、まあ二日でと心底感心せらる。中盤白化粧に黑衣の小島氏登塲。ソレアを二十分踊るをご覽になりて小島氏の黑いスカートに著目され、あれは女性を表現してゐるのでせうかとお訊ねになられたれば、あれは死の象徵でございます、ですから男女の性別は超越してゐるのでございますと應ずるに、皇后陛下また逐一天皇陛下に耳打さる。續けて、小島さんの踊りは一九七二年頃でしたか、セビリアで拜見したのでございますよ、もう吃驚いたしましてねと感慨深げなり。皇后陛下は舞臺の如何なる細部も見逃さず、群舞の各人に目を配られる。最終幕直前の希望 Esperanza のナニ・パニョスの踊りの最中、陛下の首が小刻みに前後するを感じ、橫顏を窺ふに疲勞を覺えたるにや、暫しうと/\と眠られたり。最終幕アレグリーアの明い群舞に目覺め、アレグリーアの意味をお尋ねになりしかば、喜びでございますと荅へるに、アレグリーア、アレグリーアと低き聲にて二度呟きながら何處か怪訝な面持ちなれば、余は英語のジョイ joy に相當しますと附言するや、ジョイねえと聲を上げ尊顏にぱつと明りが燈りたるが如き表情を泛べらる。ハビエルが入念に振付を施せし出演者一同の挨拶が終るや陛下大變御滿足の樣子にて心よりの拍手を送らる。美術家堀越千秋、振付師ハビエル・ラトーレも舞臺に上りて一禮、最後に小島氏が下手より學童三人を招じ入れるや萬雷の拍手、陛下も盛んに兩手を打鳴らせらる。客電燈り塲内のどよめきが鎭まるを見計らひて余はふたゝび立上がり兩陛下を通路に導き、大使ご夫妻浜田先生を先導して兩陛下の後に從ひ退塲。控への間まで送りて待つこと四五分なり。小島氏、ハビエル・ラトーレ、音樂監督チクエロ、堀越千秋、舞踊手イレーネ・ロサノ、ナニ・パニョス合流、直に宮内廳職員に促され一同控への間に入室。弓形に竝びて立ちしまゝ兩陛下と歡談す。お二人も立通しなり。余の役目は通譯と思ひしかど宮内廳の通譯男女二名在りしかば余は光榮にも演劇硏究者として同席するを得たり。二人の通譯するを聞くともなしに聞くに存外下手糞なり。舞踊團を意味するコンパニーア compañía を會社と譯したるは一例なり。皇后陛下チクエロの前に進み出でゝ、前にお目にかゝりましたねと挨拶せらる。五年前同じル テアトル銀座にて邂逅と題して小島氏とクリスティーナ・オヨスの共演したりし舞臺の話なり。皇后陛下余の前に來られ、西班牙内戰は何年續いたのですかと訊ねらる。一九三六年から三九年まで三年間でございますと說明するに、アントニオ・マチャードの詩の内容を質問なされしかば、共和國政府を防衞するため若者を鼓舞したものでございますと解說するや、警戒せよ、と余が譯せし詩句を口になされり。飜譯に携はる者誰か之を聞きて感激せざらむや。余はマチャードが内戰終結直後に佛蘭西にて客死した事を話し、浜田先生も加はりて話題はロルカの事に移れり。三十八歲で銃殺されたるを知るや皇后陛下、まあそんなに若く、と聞入らる。余が飜譯せしロルカの詩につきてお訊ねになり、余はこの時ぞとばかりに血の婚禮やイェルマなど純然たる悲劇の偉大さにつきても解說す。浜田先生もギリシア悲劇に通じる人間の根源を描いた作品ですと附言せらる。ロルカはフラメンコもとても愛したのですと余が云ふと、陛下これを聞違へて、フランコをと目を丸くして驚かれたり。いゝえフラメンコですと余が訂正したるや、あゝフラメンコねと納得して微笑まれ一同どつと笑ひたり。小島氏余の左鄰に在り。皇后陛下小島氏の前に進み出で、フラメンコは不思議な踊りですねえと素直な感想を述べらる。小島氏首肯して、一生好きで居られさうですとにこやかに應ず。陛下深々とお辭儀して、どうか何時迄もお元氣でと小島氏に長壽を祈らる。小島氏應じて陛下も何時迄もお元氣でと荅ふ。歡談は二十分の豫定なりしかしど小一時間に及びぬ。兩陛下戶口にて深々とお辭儀し、余らは控への間に殘りて見送る。カリエド大使余のもとに來りて、陛下は君に何をお訊ねになったかね、君は西班牙人ですかとお聞きになつたのではないかねと言はる。今宵余は意外にも緊張せず、役目を恙なく終へたり。これも偏に天皇皇后兩陛下のお人柄のお蔭なり。余は天皇制反對論者なれど、個人としての天皇皇后には親しみを覺えてやまざる者なり。余と同じく精神の病を患ふ皇太子妃は天皇制の犧牲者なり。大使ご夫妻と浜田先生を見送り、村田氏と倶に樂屋に戾る。十時劇塲を出で辻自働車を倩いて西麻布交叉點の燒鳥屋鳥ともに打上げの晚餐をなす。出席者は小島とハビエル、ナニ・パニョス、ベゴーニャ・カストロ、イレーネ・ロサノ(以上舞踊家)、チクエロ、サルバ・デ・マリーア(ギター)、エル・ラビ、ペドロ・オブレゴン、エミリオ(以上カンテ)、ベース奏者ジョルディ・ガスパール、、トランペットのライナル、パーカッションのホセ、舞踊團のレペティトゥリス柳谷歩美、小島氏の弟子にして名古屋スタジオ・マルソ主宰者の磯村萩原と余なり。やんちや坊主ホセ興に乘りて歌ひ踊り店内爆笑の渦と化しぬ。款語三更に至る。明朝西班牙に發つハビエルと西麻布交叉點にて抱擁、再會を約して別る。辻自働車に乘り銀座のホテルに歸る。