くもりて寒し、粉雪舞振るも須臾にして歇む、終日草稾を作る、小山内薰と帝國劇塲の關聯を調べるに、小山内頓死の際土方與志後輩の身を顧みず自らせゝり出で、故人の舊友とは何らの相談をもなさず勝手の振舞をなし、遺骸を多摩郡の墓地に埋葬せり、然るに荷風等の知る所によれば前年小山内の母死去の折には牛込若松町なる濟松寺にて葬式を行ひ、同寺の境内に葬りたり、土方は何故母子處を異にして埋葬せしにや、其意中荷風等の解するに苦しむ所なり。
曇天、雪解の水雨樋つたひて落ちる音物さびしく、窗前の木の梢より雪のすべり落ちる響き折々聞ゆ、茟秉るも感興來らず、レモンと倶に牀に伏せば忽華胥に遊ぶ、睡より寤めれば午を過ぎぬ、大學に赴き書類レポート整理、生協にて講談社『類語大辭典』を受取る。晡時やまとの湯に寄り家に歸る。大寒に入りてより晷の永くなりたること稍際立つやうになりぬ、年の改まりし頃には夕方五時にはあたり全く暗くなりてゐたりしが、今は五時半を過ぎざれば窗外昏黑とはならざるなり。揭示板にY君來りて靑年劇塲がドルフマン『顏』上演豫定ありといふ、一度見て置きたきものなり。S氏より藤田嗣治の原稾屆く、返書をしたゝめて送る。宮沢章夫『サーチエンジン・システムクラッシュ』サイン本屆く。國道沿ひにドラッグストア開店せり、カツプヌードル78圓との札を下げたり、價の下落驚くべし。インフルエンザ猖獗を極めたり。
隂晴定なし、風寒し。嘔吐を催すほどにはあらざれど胸痛みて心地わろし、喫煙の所爲ならんや、余十七八歲の頃風邪の後自然氣胸に罹りし時胸痛みて堪へがたかりし事あり、ふとそれ等のことを思浮べ何となく心にかゝりしかば日記を繙く、當時母上に伴はれて札幌醫大附屬病院に赴き檢査を受けたり、漏斗胸の手術をし入院してゐたりしは三歲の頃なり、窓邊で兒童向け雜誌の附錄で「ゲヾヾの鬼太郎」の屋敷を造つて娛みとなしゐたり、注射のたびに泣き喚きたれば擔當醫部屋に來りて「今日も泣くのか」と笑ひながら余の顏色を窺ひぬ。三年前福岡大牟田市「海の病棟」に入院せし時、患者には院内で首を吊たるものあり、今日の余なりせば一日も居たゝまれぬ所なれどその頃は生延びんとするに精一杯なれば日夜鄰室の患者の咳嗽する聲を耳にしながらモンテーニュなど讀みゐたりしなり。午下「海の病棟」の戰友福岡のW氏より電話あり、歡談二時間に及ぶ。午睡。昏黑睡より寤めて窗外をみるに雪紛々として降りしきりたり、屋根の上一寸ほどつもりぬ、超級市塲ナフコに赴く、街燈の光積もりし雪を照らす、街路人家供に蒼然たり。
風强く寒し、やまとの湯で湯治し大學に徃く、途中粉雪降出し須臾にして歇む、夜間主のEさんHさん來室、アルモドバル、キアロスタミ、ブニュエル、トゥルエバ抔のビデオを讓る。インフルエンザ猖獗を極め同僚友人次々に病臥に伏す。昏黑實家に徃き夕餉をなす、父上に角川書店『類語大辭典』と圍碁の電腦用有料文件「GORO」を贈る。無料文件「彩」は棋力十二級程度なれば、弱すぎて話にならぬと嘯く、「GORO」三級に設定しいざ勝負を始めるに父上忽眉間に皺を寄せ五十手程で逃げまどふありさま、まことに滑稽なり。初更家に歸る、霙交じりの吹雪橫毆りに吹きつけたり。
朝來雨霏々たり、午後に至つて烟雨濛々、大學に向ふ途次瀨戶の町霧中に消えぬ、雲の中散步するが如し。四年生W さんより休學中のT君の消息を受ける。墨西哥に移り住み彼地の記錄映畫字幕を和譯し著作權を有したれども運用方法に疎くWさんに意見を乞ひたり。思ふに幾つか作品を集めて日本國内で上映會の如きものを催す心ならむ。山形國際記錄映畫祭抔紹介す。家に歸り午睡、眠より寤むれば旣に黃昏なり、實家に徃き夕餉を飯す。赤葡萄酒で乾杯し母上六一囘目の誕生日を祝し、食後手土產のアンテノールのケーキで茶話に興ず。新聞によるに一昨夜前橋三俣町のスナックにて二人組の男無言で銃を亂射し市民二人卷添へになりぬといふ。徃時ヤクザ決して堅氣に手を出さゞりし。
晴れたれど風猶强く冷なり、午前執筆、午下やまとの湯で湯治の後午睡。燈刻金山サンプラスホテルに赴き學科同窓會に出席す。定年退職のN氏と客員敎授C氏及び余の三名招かれたり、參會者百五十餘名、遠路國外より來らる卒業生あり、久闊を敍して歡談す。同窓生バイオリンとピアノを奏で、フォルクローレの演奏もあり、宴に花添へたり。元ゼミ生Iさん心勞祟り舊臘塾講師を辭め知多の實家に戾り派遣會社に勤務したる由、Sさん郵便局勤務、KさんとNさんトヨタ關聯會社の同僚なり、澁谷在住Oさん電通の營業部に轉屬す、K君商舩會社勤務の傍ら法科大學院受驗し合否發表を控へたり、Iさんメキシコより歸國、肌褐色に燒けたれば別人と見紛ふ、O君飛騨高山より來らる、顏は慥に記憶すれども名浮かばず腦裏をさぐりて考へつゞくる中名刺差出されて漸く思ひ出したり、余近年健忘性になりたればこゝに記し置くなり。卒業後僅かニ三年にして皆表情逞しくなりぬ、浮世の風冷たければ必定ならんや。談笑三時間に及び、敎鞭の謝禮なりとて三名壇上にて花束を贈らる、參會者全員二列に竝びて向ひ合ひ腕を屋根に見立てゝ廻廊をなす、身を屈めて通り拔け拍手に送られ退塲せり。P氏と懇談、三月會食を約す、元ゼミ生抑鬱亭來訪せんと欲すれば應諾す。N氏の勞をねぎらひ握手するに、N氏瞳を濡らし「ぼくのやうにいゝ加減にやりなさい」と餞の言葉賜る。禍福は糾へる繩の如し。余が昨今の生涯はこの句の中に言盡くされたればこゝに錄す。
晴天寒氣日に隨つて益甚だし、北風吹き狂ひ電線啾々と鳴りひゞきて鬼哭の聲かと疑はる、塵を浴びたる木の葉昨日の雨に洗はれて遽に靑くなりぬ、ベネズエラのカラカス依然として國情不安定なり、新聞反チャベス大統領派市民數人の爆死を報ず、午前讀書、午下會議。大學が定見もなく課程新設を議論するやうになりては論外の沙汰なり。晡時アルファロフトに徃き車引取る。舊臘より基督敎系某團體の女性運動員來訪し勸誘をなすこと頗急なり、「ビン・ラディン萬歲」と叫んで擊退せんと欲すれど卻て後難を招ぐ虞れあれば喉元でぐつと堪へて置くなり。
朝來風雨、眠より寤めればレモン啼きやまず、めづらしく晏起すること九時を過ぎたり、机に凭りて稿を草す、時々突如として睡眠を催すことあり、几邊の書類草稿なんど整理せむと思へどその氣力なし、斜向かひのキクチメガネにてアイフォリクスを受取る、フレーム重量僅か三グラムなり。ゴルフの電動窗故障、半開きのまゝうんともすんともいはず、走行中車内寒風吹き狂ひて寒し、窗を開放した儘煖房をつける、不經濟極まりなし。アルファロフトに徃き修理を依賴す、代車ハイエースで出勤、久方ぶりの右ハンドルに戶惑ひしが直に慣れたり。燈ともし頃に歸宅、大學院にて倶に學びしTさんより來書あり。昨秋佛西國境のポールボウより繪端書屆き、以來音沙汰なくあれこれ身の上を案じて年を越しぬ。健壯にて西班牙を放浪し歸國せらるを讀み安堵す。余の指導敎官、授業中或は酒宴の席にて突然余のことを語り出て此の如き不甲斐なき人物も世には尠し、又かくの如き始末におへぬ男もめづらしきなり抔と口を極めて誹謗せしこと六年に及びたり、Tさんも大學院に在りし頃同敎官の辱めを受けること筆舌に盡くしがたし。爾來余にとりて戰友のひとりとなれり。文を讀みすゝめるに「不健康でも元氣でなくても絕好調でなくても、どうかそこにゐてください」の一文あり、感激の至りなればこゝに記す。
晴れて風寒し、朝餉の後連載原稾を草せんと思ひて机に向かふ、いまだ筆を把らざるに屐聲あり、出でゝ見るに分讓マンション訪問販賣員なり、昨今かゝる販賣員の來訪後を絕たず、今日はいかなるマキアヴエリズムで擊退すべきやと思ふ間もなくすご/\と退散せらる。セーターの襟よりセキセイ鸚哥レモン顏を出しゐたれば、珍なる光景に訪問販賣の意氣沮喪したるは言を俟たず。レモンまことに天晴れと謂ふべし。午下 T氏と倶にS氏遺贈圖書を予の硏究室に運ぶ、段ボール十箱を超ゆ。「本復の折には非常勤としてゞも大學に戾られたし」と勸めらる。歸途主治醫に診察を請ふ、病瘉えるは遠からざりと診斷さる、はじめてのことなり、暫し笑語、橫綱引退記者會見のすが/\しき笑顏に及び主治醫予の境遇を貴乃花に准えたり、畏れ多きこと甚だしければ一笑に附すほかなし。來書を見るに選舉運動の勸告文のみにして封を開くべきものは一通もなし、先週來往來の板壁など到處知事選舉候補者の姓名肖像を印刷したる紙片を見る、近鄰の板壁にも何やら二三枚張附けてあり、マフラー外套に身を包みし女子高生ふたり竝んで鼻先を肖像につけたり、寒風吹きすさぶ中女子高生を道端に佇ませしめる肖像は何れならんやと眺めるに、ふたり同時に人差指を神田現知事の目玉に突刺しぐい/\と力を込めたり、知事の目玉千々に亂れぬ。夕刊で安原顯の訃報に接す、享年六十三。
晴れて寒し、硏究室で晝餉を飯し書筐整理す、家に歸り連載原稾執筆。アルモドバルの新作『トーク・トゥ・ハー』、第六十囘米ゴールデングローブ賞外國映畫賞受賞す。前作『オール・アバウト・マイ・マザー』につゞく快舉なり。橫綱貴乃花引退表明す。新聞の會見記事によるに、昨日の敗北は左肩の怪我のためならざり、引退は「すがすがしい氣持ち」で「心の底から納得」してゐるといふ。橫綱武藏丸たゞひとりになりき。魁皇素質充分なれど足腰脆弱で齡若からざるを思へば昇格能はざらんや。寺尾土俵を去りしのち予の角界への興味著しく失せたり。
晴天、北風吹き出でゝ復び寒くなりぬ、ワルツで咖啡豆を贖ひ、午後散髮、書篋を整理す。讀書執筆日課の如し。初更睡魔に襲はれ橫臥、レモン書齋より飛び來りて予の額に鎭坐すること數囘。忽ち華胥に遊ぶ。
臥牀中遽に惡寒を感ず、眠より醒めればまだ深更なり、胃のあたりに鈍痛あり、華胥に遊ばんと寢返りを打つに忽ち激痛吐氣を催す、厠に向はんとするも體思ふ儘にならず這ひ蹲りて漸く辿り着く、吐氣甚だしけれど嘔吐すること能はず、卒爾に惡寒烈しさを增し全身冷たきこと雪中の如し、震へとまらず暫く牀に坐り込む、第一に腦裏に去來せしは急性胃炎なり、三年前のやうに救急自働車を請ふべきならむやと思ひしが下痢を催し吐氣殆ど失せぬ。午前舊ゼミ生O孃K孃R孃に電子郵件を送り、名驛での再會斷念を報告す。ふたゝび臥牀に入りて伏す、忽ち華胥に遊ぶも鈍痛癒えず。午下O孃K孃R孃にW孃合流、予の身を慮つて抑鬱亭に來らる。退職記念にと花束を贈らる。添へられしカードを讀むに「これからもずつと私の先生でゐて下さい」の言葉あり、神戶「アンテノール」のケーキで歡待、乙女たちいづれも二個をぺろりと平らげ、予は腹下しをおそれて好物ブランマンジェひとつで辛抱す。子供好きのO孃私塾にて幼兒に英語を敎へる、鬱々と日を樂しまざりしG銀行勤務時代に較べれば朗らかなこと別人の如し、K孃三重の商社で堅實に仕事こなし、R孃は富山のインテリア店で接客業に從事、W孃は岐阜の農協で銀行業務を營む。現代の婦人の文學政治などに熱中して身をあやまる者多きを見、心ひそかに慨歎する折柄、こゝにかくの如き純情かつ逞しき女性たちに出逢ひしは誠に幸福といふべし、人生の行路につかれ果てたる夕ふと蟲の音に無限の安憩と哀愁を覺えたるが如き心地にもたとふべし。然れど夫々相應の苦衷あるは言を俟たず、とりわけ二年ぶりに富山より名古屋に來られしR孃將來を心配すること頻りなれば、「マニャーナ・エス・オトロ・ディア」を捧ぐ、西班牙語の諺であしたはあしたの風が吹くの謂なり。大いに歡談すること四時間に及べり、窗外日はとつぷり暮れぬ。車で藤が丘に送り暫しの別れを告げる。夕刊紙に神經科醫師山嵜秀樹氏の隨想あり、感じ入るところ多し、こゝに披露す。
元どほりではない別の生き方を選ぶために、大切にしてきた何かを諦めなくてはならないときがある。そしてその何かを諦めたとき、實は前より自分が樂になつてゐることに氣づくこともある。『うつ』と云ふ體驗に意味があるとしたら、その氣づきを少しだけ促してくれることかもしれない
晴また隂、鳥籠に水桶なし、昨夜水を取りかへむと臺所の蛇口をひねりレモン舞ひ來りて蛇口より直接水を飮みしをり、桶を臺所に放置す。小松菜嬉々として啄むこと毎朝の如し。机に凭りて筆を執る。フランクリン傳馬店より眼鏡屆く。發注僅か四日前、一萬八千圓は破格の安さなり。沖浪(ネットサーフィン)し「どこでもメガネ」なる在線商店を發見す。肖像冩眞を上載(アップロード)し畫面上で試着、網站上で視力檢査も行へれば卽注文す。廣島女子商學園立志舘大學、四年制移行二年目にして計營破綻す。深作欣二告別式。
晴れて日の光うらゝかなれど風猶寒し、レモン常より小一時間はやく朝を告げたるはそのためならんや。出勤することおそければ書類を整理して煙草一二本吸へば忽最終ゼミとはなるなり、新作西班牙映畫を鑑賞す。受講の禮を述べるに學生諸子ありがたうございましたと頭を垂れ年度内に倶に呑むべしとすゝむ、まこと人生の財產なり。午後西班牙語應用、正眞正銘縣大最後の授業なり、秋以降受講者E科N孃たゞ一人のみなり、少人數敎育こゝに極まれリ、巴里滯在中のS孃歸國の折に西班牙料理屋で再會祝福するを約す。學期末にて人通り少く、構内いづこも火の消えたるやうなり、わが身も一昨年より病みがちにて、一時は食事さへ思ひのまゝならざりしが、一年休職してより萎れたる草花の露に逢ひたるが如く、健康少しく舊に復したりとよろこぶ程もなく、持病再發し、何といふわけもなく身のまはり裏淋しく、餘命のほども幾何ならずといふ心地して、倦怠愈々甚だしく、夏期休暇中には蒲團より起上がること能はざるほどなり、舊き友予の顏を見るたび、白髮四十代の如しと言はるゝなり、世の中の事も全く我が身には緣なきやうなる心地して、いかなる事を耳にするも公憤を催さず、政治屋の輩のとや角言ふが如きことは宛らに蚊の鳴くに異ならず、人の噂聞くさへ唯只うるさき心地して此方より耳を掩ふばかりなり、わが友人等はいづれも余が身の上ほど多幸なるはなしと言へり、こは予自らもかくの如く思ひゐるなり、今にして思ひ返せば、我が身に定まる妻のなかりしも幸の一なり、妻なければ子孫もなし、子孫なきが故にいつ死にても氣が樂にて心殘りのすることなし、予は文筆藝人を目して人間の屑なりとなせり、予自身の事はこゝには棚に上げて言はず、世の學者莫迦といふものは家と硏究室の他世間を知らず、手紙を書くことを知らず、禮儀を知らず、風流を解せず、まことに視野狹窄なり、予こたび故あつて四十歲に至らず職を辭し、學者莫迦を友に持たざるは是亦わが幸福中の第一なりと謂ふべきならむ、靑二才なれど好き學生に惠まれ、是亦幸なる身の上なりと謂ふべし。
晴天風寒し、Oさん携帶電子郵件送信頗る頻なり、福岡は霙といふ、ロルカ財團理事長M氏より見舞ひ狀屆く。G大學S氏より電子郵件あり、來年度綜合科目「藝術と諸科學」の講座「映像と詩學」擔當の誘ひなり、退職の身なれば鄭重に辭退す。西班牙語網站の體裁一新す。Javascript に手こずる程に窓の硝子いつか暗くなりぬ。
曇りて風なし、長久手町福祉の家倂設天然溫泉「ござらつせ」に父上を誘ひて徃く、臘月開業、平日晝間にかゝはらず客多し、一階男湯二階女湯にわかれ、湯は無色無臭透明のナトリウム鹽化物泉、あたりやはらかなり。露天風呂に樫や楢植ゑてあり、石張りの洞窟風呂より中年男の甲高い喋り聲轟きわたる。男女をとはず町民の聲大なるは年來の不可思議なり。大浴槽、檜風呂、バイブラバス、サウナ、打たせ湯と浴槽ひとゝほり備はる。施設廣く開放感あれども、父上不滿を漏らすこと頻り、「壁の色が惡い」「人が多くて落着かない」「風呂と云ふより事務所だ」と、假借なく難癖つけたり。老境に入りて頑迷固陋愈々甚だし。「ござらつせ」は「いらつしやいませ」の謂。午後S氏より電話。藤田嗣治の話。アムアーツのO氏より電子郵件。テイボー先生「意味なし揭示板」に來訪す。
晴天、暖氣春の如し、終日執筆他事なし、昏黑實家を訪ひ初更家に歸る。チリ・サンティアゴ國際演劇祭の劇團らせん舘『サンチョ・パンサ』好評なり。土曜の初日は客總立ちで喝采を博す。枕上DVDを觀ること毎夜の如し。
晴天。午前O氏を驛に送り、東京での再會を約す。午前卒論指導。新聞で深作欣二の訃報に接す。前立腺癌、享年72。ビージーズのモーリス・ギブ、腸閉塞で急逝。53歲。午下橫臥。眠より覺めれば燈刻なり。飯塚のW君より電話あり、春の訪福、夏の來名のことなど話す。
晴れわたりて暖なること春の如し、百圓均一店「生活良品舘」で雜貨贖入、抑欝亭掃除。晡時東京よりO 氏來亭。昭和59年マドリード大學に留學せしをりアパートを紹介せらる先輩なり、10年ぶりに舊交を溫める。學生時代より女性遍歷數知れず、「にんげんのくず」を自稱す。M銀行からJ社に出向中、昨年結婚、東京は白金に居を構へたり。いづれ途上國開發援助の仕事をせんと欲す。一旦家に歸りて6時西班牙料理屋「ダリ」に飯す、大いに歡談すること三更に及ぶ。リオハ產赤葡萄酒ラン、セラーノの生ハム、鮟肝のマリネ、マツシユルームの大蒜炒め、仔牛のポトフ、魚介類のパエーリヤ。抑欝亭に歸り、O氏ギターを奏で、亞爾然丁や西班牙の歌曲を合唱す。レモンを見ては「食べちやうぞ」と脅す、まこと、にんげんのくずなり。五更就寢。
晴れて暴に暖なり、卒論指導、町内逍遙、やまとの湯で湯治す。レモン予の身邊片時も離れず、セーターの襟よりもぐり込み腹の上に憩ふことカンガルーの子の如し。愛兒同然に世話すれども予に發情し卵を產むに至りては近親相姦の誹りを免れず、養子を妻に娶り子をもうけしウディ・アレンの先例を慰みとす。
晴れて好き日なり、マンシヨン入口の注連飾り未だ撤去されず、藪入りを待つためならむと見えたり、固より管理人物臭なれば眞意は知るべからず、Yクリニックに徃く、交遊壽がれたり、藥變はらず。午下母上來宅。よせと云へども飽かず倦まず家中掃除さる。實家に送り筆記本電腦の設定をあらため辭去す、町内一挺目キクチで眼鏡注文す、視力檢査で左眼斜視といふ、憂ふべきやいなやと訊ねるにごく輕きものなれば度を調整するには及ばぬ由。納品再來週なり、歸途やまとの湯に立ち寄らむかと思ひしが晚風寒きを以つて家に歸る。從弟K君より賀狀。「諸般の事情により」臘月末實家を出でて獨居生活をはじめたりといふ。幼時父親家庭を棄て、母ひとり子ひとりの暮らし長く續きたればK君の勞苦察するに餘りあり、新聞配達で生計を立てW大學の夜學にて學士號を取得し成長著しき企業に職を得たり、精神逞しきこと感歎すべきものなり。
晴天昨日に比すれば差暖なり、大學敎務課にて敎室變更依賴す。實家に徃きN子を驛に送る。午後一挺目T店で自働車のタイヤ交換。主頁に swf 文件四點加へる。讀みそびれし昨日の夕刊を捲るに藤原新也の不良論目にとまれり。徒黨を組まず敵も作らず反體制を氣取りもせず「自分といふ法のドスを呑んで、心の中に刄を隱し持つてゐるやばい奴」こそ眞の不良なりと說く。思ふに當世の不良如きものは自惚れと甘へのつよきことかの辻某に劣らざるなるべし。今日の夕刊に神戶女學院大學内田樹敎授のエリート論を讀む。「自分を超え、自分に優つた一つの規範に注目し、自ら進んでそれに奉仕するやむにやまれぬ必然性を内にもつてゐる」ものこそエリートなりといふオルテガを紹介し、「高い地位を自分の努力で得たと考へる人は、倫理的に行動しません。一方で、自分だけの力ぢやない、ラッキーだつたと考へる人は、その幸運を他にも分け與へやうとする。本來のエリートは、地位を個人的努力の成果と思はない。獨占すべきでないと考へます」と掌を指すを讀むに快哉を叫びぬ。
晴天、風吹きいでゝ復びさむし。岩波書店の郵送し來りし目錄を見るにめづらしきものあり、書店に徃きて贖はむかと思ひしが思ひ返して止みぬ。廣島のF君より年初の電子郵件あり、「夕空の法則」「抑鬱亭日乘」再開を祝福さる。「戰友」なれば一陽來復を願つてやまぬ。大學で郵便物の整理す。午下午睡夕刻に及ぶ。晚間風の歇むのを待ち「アンテノール」で手土產のケーキを贖ひ實家に徃く。石狩鍋。S氏と電話。『白鳥の湖』『トーク・トゥ・ハー』のことなど。
深更より雪紛々たり、朝歇む。名古屋近邊の高速道路各所通行止め。午前筆硯に親しむ。午下 N子を伴ひやまとの湯で湯治。露天風呂の湯熱ければ寒風もまた心地よし。湯舩でマツチヨをぢさんに逢ふ。入浴後フランスベツド社製マツサージチエアで全身隈なく揉む。抑鬱亭で咖啡を喫す。N子臘月ウエブデザイナーの資格取得せり、派遣會社に勤めんと欲す。晡下M銀行勤務のO氏より電話あり、凡そ十年の久闊を敍す。昭和61年マドリード大學留學の折アパートを紹介賜りし恩人なり。「惡魔の西班牙語講座最高だね」とお襃めの言葉を賜る、週末來宅の報に欣喜雀躍す。燈刻實家、食前酒テイオ・ペヽ、獻立はチーズフオンデユ。
晴れて寒し。午下高島屋に赴き、一昨年のゼミ卒業生O孃K孃F孃と晝餉、食後マリオット・アソシアホテルのラウンジに河岸を變へる。失戀する者あり、職場の人附合ひのむづかしさに心痛め心境吐露しつゝ落淚する者あり。淚は健康の證なり。塗炭の苦しみを味はへば淚さへ出でず。年度末の再會を約す。暮刻實家。初更歸宅。恩師S先生ご朋友と絕交。予も三年前交はりを絕ちし人あれば心中忖度すること難からず。
天氣牢晴、寒氣日に從つて愈々甚だし、午前中机に凭りて「惡魔のスペイン語講座」執筆すること昨日の如し。國分寺のY君に電話、病狀を問ふ。年末年始心身消磨全く去らざるはパニック障碍と輕度の鬱のためならむと云ふ。恩師急逝の報の重きを思へば胸中察するに餘りあり。晡下レモンを伴ひ實家。N子と自働車でギガスに徃き、家電製品を眺める。全自動洗濯機、正月特價二萬九千八百圓と破格の安さに驚歎す。夕餉にジンギスカンを食し初更歸宅。
晴れたれど寒氣甚だし。東京は雪模樣、名古屋も午から疎雨。「惡魔の西班牙語講座」第一課の稾を脫す。昏黑實家に徃く。程なく妹N子新幹線にて東京より來たる。お節蛸しやぶ豚しやぶで日本酒葡萄酒を酌交す。初更歸宅。石狩郡花川より三人連名の電子郵件屆く。從兄M君T君從弟S君。M君の實家に集まりて予の家頁を閱覽、懷舊の情にかられて便りを寄越せりといふ。久闊を敍さんと欲して15年の歲月流れたれば欣喜雀躍す。
空隈なく晴れわたりしが夜來の風愈々烈しく、寒氣骨に徹す、午前机に向ふ。午下午睡。時をりレモン舞ひ來る。燈刻實家で夕餉を食す。近鄰の廻轉壽司屋朔よりいづれも煌々と明かりを燈し盛況なり。S先生のモノダイアローグ新年第一號拜讀す。「評論のやうな小說」と評すご友人まことに正鵠を射たり。
隂曆十一月三十日。風なく晴れてあたゝかなり。畑に霜おりて自働車のフロントガラス薄つすらと氷化粧。レモンを伴ひ實家に徃き親子三人で屠蘇をかはしお節と雜煮を食す。數年來の長閑な正月なり。燦燦たる陽射しにレモン嬉々として囀る。午下一旦抑鬱亭に歸り午睡。牀に就きしが午前四時なれば忽ちにして白河夜舩、黃昏母上に起こされたり。夕餉に蕎麥を食す。電話あり。予の身を案じる保險會社のHさん。「先生のやうな敎育者はめつたにゐませんよ」と身に餘る言葉を賜る。