抑鬱亭日乘

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2003年9月30日(火)

自然をつかむ7章

天氣晴朗風靜なり、森林公園に向ふ途次、信號待ちの宮下橋より矢田川を望むに白鷺三十羽ほど亂舞し水面の煌くさま描くが如し、園内センター廣場の樹木の葉殆散りぬ、終日飜譯、岩波編輯S氏ジユニア新書二册を郵送せらる、氏編輯する處の木村龍治著自然をつかむ7章を拾讀す、第四話「二〇〇一年宇宙の旅」の謎を解くは快擧なり、全篇の布局構想は寺田寅彦に匹敵すべく、文章の簡明なるに至つては寺田の上に在りと謂ふ可し、是を以て論ずれば科學入門の規矩となすべきものなり、ストリートチルドレンの著者工藤律子氏は豫が大學院の先輩なり、是日レモン産卵す、

2003年9月29日(月)

夢路いとし

天氣牢晴風強し、夢路いとし去二十五日死去、自然気胸に肺炎を併發せり、餘両三年前より高座を見んものと思ひつゝ荏苒として日を送る中突然其訃に接せり、享年七十八、痛歎の情遣る方なし、日本放送「ラヂオビバリー昼ズ」を聞くに、冒頭いとし・こいしが僕は預言者の一部放送さる、昭和三十六年の録音なり、午後雜誌の稾を脱す、夕刊新聞紙上エリア・カザンの訃報もあり、行年四十五歳なりと、五時實家に夕餉をなす、獻立は一色町産炭火燒鰻丼、大根と里芋の味噌汁なり、食後巨峰を食し初更前に歸宅す、夜色蒼茫として夕月あきらかなり、

2003年9月28日(日)

砂上の楼閣

秋の空澄みわたりて風爽なり、竟日抄書またCGIプログラム修正餘事なし、眼鏡屋キクチにて蔓を修繕せしめ、南新町ダイソーにてクリアファイルを購ふ、交叉點の雀莊晩夏の頃にや更地となり、この程に至りフアミリーマート出店せむとす、商店の栄枯盛衰目苦し、圖書館通を徃くにリニアモーターカー東部丘陵線はなみずき通のあたりまで工事進捗す、二年後に萬博催さるゝが爲なり、中部國際空港工事も始まりたるやうなるが、名古屋空港國際線の改築されたるは豫が愛知に來りし頃なり、然るにわづか両三年にしてビルは取壞され跡地は商業施設に賣却さるゝ由なり、之を以て観るに日本人の公共事業ほどたのみ少きは無し、日本人の事業は之を要するに一時の流行にしてその基礎の固からざること砂上の楼閣に似たりと謂ふ可し、ドナルド・オコナー歿、行年七十八歳、雨に唄へばの Make'em Laugh と Moses に感涙を流したること幾囘なるを知らず、是日大野一雄養老天命反轉地にて野外公演を催す、九十六歳にして踊りつゞけるは驚異といふほかなし、

2003年9月27日(土)

無事

好晴、午後より曇る、竟日網站の CGIプログラム修正倦むことなし、S氏電話にて去二十四日入學試驗を受けたれど不合格なりと云ふ、三個月程以前より豫氏の需により毎日々々西班牙語添削をしたるに首尾好ましからざれば驚かず、合格すらば卻て大學院の基礎日に/\危くなれることを示すべし、札幌H君凾館Mさんより返書あり、昨日は建物の揺れたるのみにて家は無事なりし由、晩飯に秋刀魚の刺身を食す、

2003年9月26日(金)

地球があんまり荒れる日には

積雨新晴、一天拭ふが如し、ラヂオを聞くに今暁北海道にて震度六弱の地震ありしを知りテレヴィを看る、道東に津波警報發せらる、震源襟裳岬東南東沖にしてマグニチユードは八の由なり、午前企畫書校正、傳真にて送る、新聞紙上エドワード・サイードの訃報あり、午後雜誌の稾をつくる、日暮三郷やまとの湯露天風呂に一浴す、新月の光靜なれば南天低く赤き火星皎々たり、余廿六歳の頃精神消磨し、發病を知らぬまゝ馬徳里に學びゐたし時夜空を見上げること頻なりき、北海道南西沖地震の報に接したるは其時なり、ふとそれ等の事を思浮べ何となく心にかゝりしかば、谷川俊太郎が二十億年の孤独を繙き地球があんまり荒れる日にはを讀む、

2003年9月25日(木)

栗きんとん

昨來の雨終日歇まず、午前クリニツクに徃き診察を請ふ、医の語る所をきくに、四月以來精神浮沈を知らず、然れば投藥治療の畢る日も必ず來るべしと、藥二週間分を得て帰ること例の如し、演出家協會W氏より電話あり、結石治療のため先週より入院の事を聞く、午下Tさん來訪、虎氏より預かりし福岡土産を渡すに、神戸垂水坂 Rêve de chef の燒菓子を頂戴す、龜屋芳廣の栗きんとんを茶請に一茶して款晤す、関西に比して中部関東の住人表情乏しきこと能面の如しと言はるゝを聞くに大阪南港維新派の客を想はざるを得ず、其快活なる野蛮東京に絶えて久しきものなり、Tさん日本男兒の料簡の狭さを憂ふ、晡時帰り去れり、是日氣分よろしからず、さりとて今の處別にどこがわるいと云ふべき處もなし、晩間ロス・アンデスに書を送る、

2003年9月24日(水)

困臥

雨降りしきりて暗し、午前草稾をつくる、S氏より電話にて昨日W大學院の入學試験を受けたれど豫想どおり玉碎せりといふ、晝飯すませるに疲勞を覺ること甚しく、精神亦明瞭ならず、唯うつら/\と眠氣を催し殆支ふること能はず、困臥燈刻におよぶ、レモンいつしか枕元に來りて餘の瞼を掻きゐたり、四軒家の面白姉さんより電話かゝり來るやうなれど白河夜船にて福岡土産渡すこと能はざりき、是日チリにてパブロ・ネルーダ歿後三十周年紀念式典催さる、來年は生誕百周年なり、

2003年9月23日(火)

睡生夢死

秋分、風冷なること彼岸の頃とは思はれぬ程なり、午前秋公演の企畫書執筆、午に至りて睡魔に襲はれ、三郷やまとの湯に浴して後一睡を貪れば日もいつか暮れ果てぬ、初更脱稿、窗外蟲聲多し、煙草を購はむとて表に出でるに疎雨に値ふ、昨日森光子放浪記千六百公演を達成す、河原崎長一郎の訃報に接す、

2003年9月22日(月)

旅帰り

晴れて風凉し、十時虎さんの車にてホテルを發ち、一樂にて昼餉に博多ラーメンをし、空港三階のカフヱに小憩す、虎さんの深切謝するに辞なし、十二月の再會を約し搭乘口にて別る、三時名古屋空港着、實家に立寄り夕餉をなし六時半歸宅す、愛知の歴史は近世以降のものなり風俄に寒し、小島氏より電話あり、

2003年9月21日(日)

裝飾古墳

晴れて風あり、十時虎さん迎へに來らる、父上を伴ひ古墳を巡る。橘塚古墳、綾塚古墳の石室質素なれど石壁の平らかなるさま見事なり、夏吉横穴古墳羣の數夥し、竹原古墳の團扇状の裝飾画何を表象したるや、太きズボンと靴は高句麗のものなるべし、壓卷は王塚古墳の色彩裝飾なり、石室の天井を覆ひたる同心円文は星辰なるべし、壁面は盾の紋樣に鋲あり、太刀に鞘、靫に弓矢ありて寫實なれど、一ツ目に二本足の生えたるが如き双脚輪状文は不思儀なり、團扇の摸寫といふ説のあるやうなれど、豫思ふに内の同心円は星にて周囲のぎざ/\は光明の烈しさの表現なるべし、然れば二本足は星の足とみるが妥當なり、即ち是彗星の尾なり、ハレー彗星なる歟、赤黄縁黒の三角文意圖全く不可解なれど圖案色彩頗る現代的なり、福岡の陽射名古屋に比して強く風景の輪郭くつきりと明瞭なり、飯塚の穗竝み風景は一幅の繪畫なり、愛知は近世以降の土地にて北海道は明治以降なること言ふを俟たず、飯塚に言ひ難きなつかしさを覺えるは倭人のふるさとなるが故ならむや、燈刻嘉穂郡桂川町の料亭やますいに登り鯨三昧の晩餐をなす、獻立は鯨すき焼き、赤身竜田揚げ、特上ベーコン、心臓、尾の身、尾羽毛、赤身、百尋、鯨マメ、鯨タンの刺身盛合せなり、九時ホテルに戻り父上は寢に就き、豫は虎さんと弁分のフアミレスに憩ひて談笑夜分に至る、

2003年9月20日(土)

同期會

午後雨天の豫報外れて晝前より雨濺ぎ來れり、車を倩ひて藤が丘驛に馳せ、高速バスにて名古屋空港に徃く、三時半福岡着、虎さん迎ひに來らる、大風十五號九州全土を襲ひゐたりしが幸にして福岡のみ降雨を免る、虎さんの車にて飯塚ステーシヨンホテルに徃くに入口に父上と逢ふ、父上今朝六時半の新幹線にて福岡に入り、飯塚T氏と會食をなしてホテルに帰り着きしばかりなり、三人揃ひて一階サンエトワーレに小憩す、六時半父上部屋に戻り、ふたゝび虎さんと車にて吉塚九州大學附屬病院そばの臺灣屋台料理亞州界世に登りて第二囘海の病棟同期會キ○ガイ達の集ひを催す、I氏夫妻父君の容態惡化したれば來らず、豫はあけみさん、綾翠さん、僞弟氏と相識りたり、ぷよ虎子さんに會ふは退院後始めてなり、未だ本復には程遠きやうなれど三年前の入院時に比すれば頗る快活なり、大に喜ふべきなり、あけみさんは知的にしてヒユーモアに溢れ、色香自づと漂へり。ヰオラ奏者綾翠さん言ひ難き気品あり、むかしは斯くの如き氣質の女も珍しき事にてはあらざりしならむ、されど近世に至り反抗思想の普及してより近代主義の都会に、かくの如きむかし風なる女の猶殘存せるは實に意想外の事なり、絶えて無くして僅に有るものとも謂ふべし、虎稗田兩氏とは相識りてより知遇を蒙むること淺からず、笑語深更に及ぶ、あけみさんを車にて送り、虎さんと極樂湯に立寄りて浴す、四更ホテルにかへる、

2003年9月19日(金)

マロンクリーム

曇りて風あり、秋暑猶去らず、朝餉にSさんの巴里土産バニラ風味マロンクリームを麺麭に塗りて食す、寔に美味なり、午前模擬試驗添削、三箇月に及びしが是日やうやく畢りぬ、午下電話かゝり來ること數次なり、煩累に堪えざれど已むを得ざり、午後買物をなしござらつせに浴す、晩食の後旅裝を整ふ、夜に入りて纔に涼を得たり、ロバート・ドユヴアル聖林ウオーク・オヴ・フェイムに名を刻む、

2003年9月18日(木)

教へ子

隂、朝の中肌寒かりしが午後に及びて蒸暑くなれり、衰老のわが身ばかりかくやと思ひしに、若き人も今日は蒸暑しといへり、早起執筆晡時に至る、其間電話のかかり來ること數次なり、五時半本郷ダリに佛科四年Sさん英米科卒業生Nさんと會す、倶に晩餐を食して歓晤時の移るを忘る、獻立はハモン・セラーノ、鰯のマリネ、ガスパチヨ、小海老の葫オリーブ炒め、子羊のロースト、菠薐草のトルテイーリヤ、魚介類のパエーリヤなり。Sさん月初一年滯在せし巴里より歸國し卒論はジヤツク・タチ論に決たる由なり、鑑賞せし映畫百本を超ゆ、Nさん今春よりJTBに勤務し繁忙を極めゐたりしが、今週末始めて三泊四日の長期休暇を得たれば車にて道東を旅行するとのことなり、大學を去りし後に教へ子に會ひ、依然として勤勉快活なるを見るや、喜の餘り大に二子の徳義を稱揚せずんばあらず、十時驛にて別れ家にかへる、夜に入りても溽蒸去らず、是日圖らず網站のご挨拶に失態を演じぬ、わが粗忽に辟易し讀書する氣力もなし、

2003年9月17日(水)

東奔西走

隂晴定らず、朝餉の後名古屋驛に徃くに警備員の數夥し、第一生命ビル爆破事件の翌日なるが故なるべし、九時四十四分の新幹線のぞみ號にて名古屋を發ち東上、正午南麻布ビストロ・ド・ラ・シテに小島章司氏と會食す、去十日歸國せられて日淺からざれど顔色頗る良し、二週間大に勉強しましたと意氣頗昂然たり、秋の公演企畫書プログラムの文案につきて商議す、店主関根氏病院に用事ありとて在らず、獻立はガスパチヨ、鯛のソース・ベアルネーズ、仔牛の赤ワイン煮、胡桃入自家製麺麭、チョコレートケーキとアイスクリーム三品盛合せ、エスプレッソ咖啡なり、西麻布交叉點にて別る、始めて六本木ヒルズを間近に望みしがさして感心せず、瞳は徃來の美女を追ふばかりなり、三時半のぞみ號にて東京を發ち五時名古屋に戻る。高嶋屋の東急ハンズに立寄らむとするも臨時休業なり、藤が丘にて買物をなし六時家に着きしが鍵見當らず、新幹線車内に置き忘れたるにや、實家に徃き豫備を受取り開錠す、レモン嬉々として囀り籠をみるに卵あり、今夏産卵せしこと數次、一昨年よりその數既に百を越ゆ、夕餉を畢るや添削をなしS氏に送る、

2003年9月16日(火)

世態変遷

乍晴乍隂、朝の中風凉しかりしが午後より暖氣蒸すが如し、午前實家に徃くにN子朝食を畢たるばかりなり、昼餉の代りに梨葡萄を食し藤が丘驛に送りて別る、一時半家にかへりてラヂオを聴くに、大曽根の第一生命ビル四階爆破を報ず、昏黒動畫ニュースを看る、五十二歳の男輕急便名古屋支店を襲ひガソリンを撒き自ら火を放てり、容疑者支店長警察官の三名死亡せり、男の要求は僅二十七萬圓なりし由なり、三十萬足らずの額にビルを爆破し他人を捲添へにす、是亦世態変遷の一端を示すものと謂ふべし、昨夜阪神タイガース優勝す、共同通信報ずるに、倫敦に虎フアルガーなる猛虎會ありてネルソン紀念柱の下に六甲おろしを合唱し、巴里にては大阪府巴里事務所職員ら在留邦人三十餘名シヤンゼリゼに集ひて六甲おろしを歌ひ凱旋門まで行進せりといふ。

2003年9月15日(月)

N子

仮睡より寤むれば朝の五時なり、去月來何の故とも知らず週末に身體の疲勞を覺ること甚し、碧空拭ふが如きなりしが昼過ぎてより曇る、八時半開門と同時に森林公園をあゆむに散策者の多きこと例ならず、何の故にや不思儀に思ひつゝ暫しあゆみ、始めて是日敬老の日なるに心づきたり、落葉團栗日ごと増す、正午實家に赴きN子と會す、來月コロンバン二子玉川に新店舗を構へる由なり、正彦のどら焼を茶請に咖啡を喫す、三時須臾にして睡魔に襲はれ歸宅す、蟲声雨の如し、

2003年9月14日(日)

白装束集團

秋の空澄みわたりて風静なり、森林公園をあゆむ、川水平日に比すれば澄みて青し、子供の家裏にハクセキレイ三羽嬉々として戲るゝを見ゆ、センター広場大芝生より野太き男の聲聞えれば赴くに、還暦も過たると思しき老人八名横一列に整列し、鍔の帽子に半袖シヤツ、ズボン何れも白盡めなり、一名前に進み出で、ワタシハ、ミズノ某デス、ヨロシクオネガヒシマスと聲高に名乘りて上半身を斜に折り、全員之に應へてヨロシクオネガヒシマスと一齋に叫びたり、挙止頗軍隊的なり、挨拶の後一同イチ、ニ、サン、シと唱へラヂオ體操を始めたり、軍事教練なるや唯の健康体操なるや、氣味わろし、午前讀書例の如し、昨夜母上埼玉の妹N子里帰りしたる由書を寄られたれば、昼餉の後一睡して会食の約に赴かむとするに、横臥忽泥の如く眠りぬ。

2003年9月13日(土)

アマサギ

晴又隂、秋熱猶去らず、早起森林公園を散策するに、辻の札川にアマサギの一羽水中の一点に忍寄るを見る、樹木日に日に落葉す、終日讀書他事なし、昏黒煙草を購はむと外に出るに、西の彼方に花火を打揚るを見ゆ、方角より察するに瀬戸市なるべし、時節にあらざれば何の故なるを知らず、晩食に秋刀魚の刺身と野沢菜の山葵漬を食す、

2003年9月12日(金)

脱稿

晏起十時に近し、晴れて蒸暑きこと盛夏の如し、模擬試驗添削の後、雜誌社に送るべき草稿に筆をとり昏黒脱稿す、その間レモン眼鏡のレンズを蔽ひ戲るゝこと頻なり、六月頃より雜誌の聯載原稿をつくること時と共に意欲薄らぎて、いかに勉強せむと思ひても筆を執ること能はずまことに苦痛のかぎりなりしかど、秋に入りて稍復調せり。されど今日の時勢は最早や文字の遊戯をなすべき時ならず、一時の感興に乘じて作りたる文字を公にすることは以後大に慎しむべし、今宵も火星南の空に明かなり、

2003年9月11日(木)

紫陽花

晏起、晴れて殘暑再び甚だしけれど烈日を見ざれば草の葉を動す風もおのづから涼し氣なり、森林公園内植物園をあゆむ、沈丁花壇に紫陽花一輪咲居たり、時候不順のためなる歟、岩本池に降りるに鴨の一羽遊弋するのみ。萬歩計五千歩を示す、午後添削、文藝論集を讀むほどに日影いつか傾き、おちこちに虫の啼く聲聞え、やがて十五夜の月雲間に浮び初めたる空のさまいよ/\仲秋らしき心地なり、但し去五日盛岡市高松ノ池にオオハクチヨウの四羽飛來せしは氣候順調なれば晩秋に入りてより後の事なるべし、今年は秋に入らざるに早く鄰家に木槿花の花ひらきたり、

2003年9月10日(水)

奇観

雨の後薄く晴れてまた曇る。机上詩經をよめば忽日は晡となれり。晩間飯塚W氏より電話あり。小望月の西に火星皎々として寄添ふ、頗奇観なり。レモン文机の抽斗より身丈ほどのステープラーを銜えて床に落下せしめたり、是亦奇観なり。

2003年9月9日(火)

輾転反側せしが黎明に至りて纔に眠るを得たり。秋暑忍ふ可からず。十時要町にS氏を訪ひ舞臺藝術を論議し、目白驛にて別れを告ぐ。巣鴨驛を發車せんとするに鄰の客車より女の叫び聲聞ゆ。若き女驛員乘客に支へられプラツトホームの長椅子に座りたり。意識明らかなるをみて直に發車せり。二時半の新幹線にて名古屋にかへる。レモン欣喜雀躍す。燈刻クリニツクに徃き藥を請ふ。藥局のテレビを見るに野中広務政界引退する由なり。古書數册屆く。月横雲の間に浮べるさま昨夜の芝居の書割の如し。

2003年9月7日(日)

金銀

晏起十時を過ぐ。快晴。昼の中秋暑ふたゝび熾なりしが夜に入りて風凉し。記すべきものなし。レモンと戲る。髪を金色に染めし北野武の『座頭市』ヴェネチア映畫祭にて銀獅子賞を受賞す。豫に取りて寔に喜ぶべきことなり。宵月皎々たり。

2003年9月6日(土)

晴天。西風颯颯。午前ござらつせに浴す。晝飯頃書斎向かひのマンシヨンに怒聲聞ゆ。書斎の窗より窺見るにごみ置き場に女二人、一人はジーンズ姿にて素足に草履をはき、他の一人は襤褸を纏ひ同じく素足にて、ごみ袋を奪ひ合う様子なり。襤褸女ごみを棄つるにジーンズ女之を奪ひて中より兒童靴を取出し塀に置けば、襤褸女ふたゝび之を袋に詰め棄てるなり。其間つかえるて、つかえん、つかえるて、つかえんと、叫びつゞけ居たり。母娘或は姑嫁なるべし。親子が白晝堂々住宅街の路上にて世間を憚らず喚き散らすは獸にも劣るといふべし。晩食に秋刀魚の鹽燒を食す。夜半風稍しづかになりて宵月明かなり。

2003年9月5日(金)

相談窗口

朝夕の風身にしむばかり涼しくなりぬ。日課の散歩より家にかへるに、鍵を森林公園休憩處に置き忘れたり。ふたゝび車を馳せ事務處を訪へば無事屆けられゐたり。今春より曾て物を忘れたることなきに此の日始めてこの事あり。老病ほど言甲斐なきものはなし。終日電話のかゝること頻なり、草稾締切日のため一々應接するに邊あらざれど、已む事を得ず應對す。抑鬱亭俄に人生相談窗口と化しぬ。豫の如き青二才に人生を問ふは殺人鬼に人の道を問ふも同然なり。己の人生を知らず、況や人の人生をや。初更脱稿、直に送る。虫聲雨の如し。

2003年9月4日(木)

マントラ

晏起八時。一天拭ふが如し。公園に吹く風爽なり。札の辻川の鯉に麺麭を遣る男あり。午前舊作を淨寫し午後雜誌の草稾を草す。晡下買物、一浴せむとやまとの湯に向ふ途次、カーラヂオよりマンハツタン・トランスフアーのボーイ・フロム・ニューヨーク・シティ聞え來り。血俄に騷ぎ、テイム・ハウザーの聲に合はせて口遊みぬ。其他オペレイター、バードランド、スパイス・オブ・ライフ、ルート66、トワイライト・ゾーン~トワイライト・トーンなど流るゝに及び、温泉には徃かず、街中に車を馳せ終始歌ふ。豫の始めてマンハツタン・トランスフアーの虜となりしは昭和五十三年の春豫が中學に入りし時なり。昭和五十六年中學の課程を卒へ、其年の春高等學校に入るや合唱を始めしに、その頃マントラ大に流行せり、同好の部員三人との交誼水魚の如くになりしかばアカペラ・グループを結成し、週末すゝきのの音樂パプに通ひては飛入りで歌ひしこと頻なりき。ラヂオやレコードをカセツトテープに録り聽取百遍四人の旋律を採譜すれば時の經つを覺えざりき。札幌は厚生年金會館にて演奏會催されたり、豫の歡び限りなかりしかば、通信教育Z會にてテイムと名乘りたるほどなり。年々物事忘れ勝ちになり行けばこゝに思出るまゝを識す。今日の番組は服部克久の「ミユージツクプラザ」なり。歸途市立圖書館に數册を借りる。是日北野武の『座頭市』ヱネチア映畫際にてオープン2003 特別賞受賞す。

2003年9月3日(水)

我心匪鑒、不可以茹

残暑猶盛なるも昨日に比して少しく忍び易し。早朝Oさんより電話あり、今日退院する由なり。朝餉の後戰友の談に應じ、本郷に送りて別を告ぐ。一奇談あり、こゝに記すること能はざるを憾む。讀書また一日を消す。暮刻Sさんの書に接す。昨日巴里より無事歸國せしといふ。是日窗外の電線に燕の二羽戲れること半日に及ぶをみる。常ならば吉兆を告るものとなし心憙び勇むべきところ、何のわけとも知らず悲哀の念胸底に湧起るをおぼえたり。詩經に我心匪鑒、不可以茹、といへるもの當に豫が今日の憐愍を言盡したり。豫満腔の愁思を遣るに詩を以てせむと欲するも詩を作ること能はず、僅に古人の作を抄録して自ら慰むるのみ。

2003年9月2日(火)

紅葉

曇りて残暑猶熾なり。公園の木の葉に既に赤く色づきたるものあり。讀書の後茟を秉るも思ひのまゝならず。晩食をなさむとするに戰友より電話あり、家に招ぐ。初更車を馳せ來宅せらる。晩間蒸暑きこと昨日の如し。朧月夜なり。

2003年9月1日(月)

ブチンスキー

舊暦八月五日。昨夕の仮睡より覺むれば午前四時半なり。雲低く空を蔽ひ驟雨來らむとして來らず。溽暑忍ふ可からず。公園遊歩。つく/\法師蜩の聲雨の如し。今日より開門時刻三十分遅れ八時半なり。初稾校正、直に郵送す。舊稾整理半日を消す。チャールズ・ブロンソン歿。リトアニア人移民の子にて洗礼名はチャールズ・ブチンスキーなり。燈刻TBS「荒川強啓デイキヤツチ」を聞くに兩親と英語にて話したること一度もなかりしといふ。享年八十一。是日二百十日に當りしが未明に微雨ありたるやうのみにて、夜に入りても曇りしのみ。