抑鬱亭日乘

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2007年12月31日(月)

黄色い本

晴れて西風烈し。寒氣凛冽。散歩せむとて外に出でしが、寒風あまりに烈しければ煙草のみ購ひて止む。エッソのガソリンスタンド洗車を待つ車長蛇の列をなす。高野文子黄色い本を讀む。第二話の途中で俄に睡魔來りて忽華胥に遊ぶ。寤むれば六時なり。晩餐に手卷壽司を食す。余の作りし羊羹を味見す。上出來なり。YouTube にてカウント・ベイシー、デューク・エリントン、メル・ルイス、ディジー・ガレスピー等のビッグバンド演奏を堪能す。瀏覧器 ネットスケープ開發終了。余が初めてネットスケープ・ナビゲーター Netscapr Navitator を使ひしは平成八年十月なりき。當時愛知縣立大學には主頁なかりき。翌年二月にマイクロソフト社がインターネット・エクスプローラ Internet Explorer を無償配布せり。近年は Firefox を愛用す。今年を振返るに前半病臥すること多かりしかど休講もせず持堪へ、秋に入りて恢復し去月來心身良好、睡眠藥を飮まず熟睡すること一箇月以上に及べり。喜ぶべし。

2007年12月30日(日)

爆笑問題とカウント・ベイシー

空霽れて白雲揺曳。西北の風寒し。カーマホームセンターに徃き鸚哥用オーツ麦を購ふ。アサリとシジミの好物なり。DVDで爆笑問題ツーショット二〇〇七年年上半期を看る。塵分別ネタに腹を抱へて笑ふ。YouTube にてカウント・ベイシー樂團のコーナー・ポケットを聽くこと幾囘なるを知らず。ソニー・ペインのドラム抜群なり。ベイシー餘裕綽々、こゝぞといふ時以外鍵盤を叩かず。仏蘭西元日よりカフヱーも喫煙禁止令施行さるゝといふ。ホテル、レストランなど公の室内は全面禁煙なりとぞ。悲しむべし。

2007年12月29日(土)

ヒペリカム

晏起十時に近し。雨歇みて風生暖かし。明日も雨なるべし。終日門巷蕭条として兒童の聲も聞えず日は早く暮れたり。母上千両の花束を食卓に飾らる。花束に見知らぬ桃色の實あり。寫眞を撮り意味なし掲示板にて公開するにターコさん直にヒペリカムですよと教示せらる。抑鬱亭界隈にも夏に黄色き花を咲かせるといふ。世の中知らぬ事ばかりなり。

2007年12月28日(金)

健全な肉體に狂氣は宿る

細雨空濛。寒からず。ベジナル・ブット暗殺事件の續報をネットで調ぶ。ニューヨーク・タイムズ、ル・モンド、リベラシオン、エル・パイス、CNNなど。事務處より稿料飜譯料の振込あり。漸く年を越せるなり。内田樹春日武彦健全な肉體に狂氣は宿るを讀む。快哉を叫ぶこと幾囘なるを知らず。鬱病治療に示唆するところ多し。

2007年12月27日(木)

D家にかへる

乍陰乍晴。温暖初春の如し。甥R高野文子の漫畫るきさんを耽讀するなり。午下Dと父上母上を車で地下鐵道驛に送り別る。圖書館に赴くに年末年始休館中なりき。ブックオフに徃き新書を三冊購ふ。各参百五拾圓。日立オムロンターミナルソリューションズ社門前にいつか信號機設置さる。病院に徃き主治醫の診察とカウンセリングを請ふ。Web草思本日號を以て休刊。パキスタンのブット元首相自爆テロにて暗殺さる。枕上養老孟司茂木健一郎對談本スルメを見てイカがわかるか!を讀む。

2007年12月26日(水)

食道樂

快晴無風。小春の天氣喜ぶべし。D父上に伴はれ郵便局に散歩に出かける。余はオスカー・ピーターソンのサタディ・ナイト・アット・ブルーノートを聽きながら新年度シラバスを作成す。正午歸宅したるDを伴ひ温泉ござらつせに徃く。平日正午とて客少く、大浴場を獨占す。低き日光露天風呂の天井を掠めて射す。Dは湯船全てを制覇しぬ。外に出づるに戸口に早くも門松を飾りゐたり。歸途伊太利料理屋ピッコロ・ステラに立寄りピッツァを食す。Dおいしい/\を連發、マルゲリータとツナコーンを一枚以上平らげる。アンティサラダは野菜サラドとニョッキの南瓜ソース、白身魚のマリネ、本日のドルチェよりRはショコラ、余はフランボワーズを選ぶ。二時歸宅。シラバスをオンライン作成。殆ど誰も讀まざる書類を作る事ほど空しき事はなし。時間と勞力の無駄と云ふ外なし。三時銀座コロンバンのブッシュ・ド・ノエルを食す。晡時猛烈なる睡魔に襲はれ一睡、忽華胥に遊ぶ。寤むれば六時なり。夕餉に手鞠寿司を食す。Dの作りし稲荷寿司は満腹にて食へず。初更R余の寝室に來る。倶にDVDでスター・ウォーズ第三話シスの復讐の戰鬪場面を看る。

2007年12月25日(火)

オスカー・ピーターソンとDの一人旅

七時半起き出でゝエル・パイス紙をみるにオスカー・ピーターソンの訃報あり。去二十三日腎不全にて歿。行年八十二。ニューヨーク・タイムスの記事も讀む。平成十六年十月十日の大阪公演余は鑑賞券を購ひたれど微恙ありて徃くこと能はざりしは/″\無念なり。十時半名古屋驛に甥Dを出迎へる父上母上を地下鐵道驛に送る。午下甥R無事到着。小學五年生にして初めての一人旅なれば新幹線車中緊張しどおしなりきといふ。背丈伸び母上とほゞ同じになりぬ。モンブランケーキとS子手作りのブラウニー、クッキーを食す。晡下Dを車に乘せ三郷やまとの湯に徃き割引囘數券を購ふ。目を離した隙に塀に登るさま忍者の如し。晩餐にしやぶ/\を食す。アサリとシジミDの掌に載る。シジミが人の手に乘るは珍しきことなり。終日曇りて日光を見ず。第四十二回紀伊國屋演劇賞發表さる。下の如し。

團體賞
NODA・MAP『THE BEE』(日本・ロンドンバージョン)、『キル』
個人賞
別役実木山事務處『やってきたゴドー』
文學座アトリエの會『犬が西向きゃ尾は東―「にしむくさむらい」後日譚―』
服部基パルコ・プロデュース『コンフィダンド・絆』
新國立劇場『コペンハーゲン』
NODA・MAP『キル』の照明
木場勝己新國立劇場『氷屋來たる』におけるラリー・スレイド
こまつ座&シス・カンパニー『ロマンス』における晩年のチェーホフ
竹下景子 地人會『朝焼けのマンハッタン』における稲垣愛子
あうるすぽっと『海と日傘』における佐伯直子
松本修 MODE『変身』
世田谷パブリックシアター『審判』『失踪者』の構成・演出

審査員  村井健/小田島雄志/大笹吉雄/長谷部浩/松原治

2007年12月24日(月)

羊羹三日目

天皇誕生日振替休日。西北の風吹き、晴れたる空には白雲多く浮びて折々日を遮る。けふも羊羹をつくる。滿月朦朧たり。

2007年12月23日(日)

羊羹二日目

晴れたる空午近くよりくもる。暖なること歳末の頃とも思はれず。窗邊の籠でアサリ水浴びをするほどなり。今年は大寒に入りてより益暖なり。羊羹作り二日目。寒天三本をカップ四杯の水に溶かし、粗目を入れ煮詰めて栗の煮汁一袋を加へ、昨日作りし漉餡を入れ木篦で練る。バレンボイムとサイードの對談本音樂と社會を讀みながら練ること四時間ばかり。塩少々。三つの型に流込み二つに栗を入れ羊羹を作る。雲間に折々小望月を看る。

2007年12月22日(土)

漉餡

冬至なり。細雨糠の如し。母上に指南を受けお節料理の羊羹作りを始む。小豆千五百瓦を鍋二つに分け煮る。電腦筆記本を食卓に移し携帯ラヂオで radio-i を聽き、煮具合を見ながら執筆。TiddlyWiki を活用す。間食に自家製スヰートポテトを食す。ふつくらと煮上りし小豆を漉せば日は忽晡ならむとす。雨次第にふりまさり夜に入るも歇まず。夕餉に南瓜の小豆和へを食す。中沢新一藝術人類學を讀む。中日新聞に北村想の取材記事あり。鬱病について語る。下の如し。

──代表作と呼ばれる「寿歌」を書いたころから、うつ病だったのですか。

二十五歳で寿歌を書いたころ、最初に付けられた病名は「うつ性心気症」でした。「治ることはありません」とはっきり医者に言われました。だんだん悪くなり、今は底をついた状態です。

十年ぐらい前には、うつを「そんなの気の持ちようや」と言う人がいたんです。今も「心の風邪」と言う人がいますが、初めてその言葉を耳にしたときに絶対よくない例え方だと思いました。

うつ病の原因は分かっていませんし、病態はさまざまでいろんな誤解のされ方をします。僕はコーヒー一杯すらいれられなくなり、自殺念慮が出る。

長年うつと付き合って、うつの兆しが自分で分かるようになったのですが、僕の場合は加害妄想が出る。「劇団員の人生を狂わしたのはおれのせいや」と思い詰めたり。

うつとは闘えない。闘えないことほどつらいことはない。うつになったら自分の判断や思考は拒否した方がいい。「銀行からカネ借りようか」「自殺しよか」なんて考えてしまうけど、病状が収まれば「何であんなこと考えたんやろ」と思うから。僕はそんな時、周囲に「今、生ごみやから、おれの言うことは信用せんといてくれ」と伝えます。本当に生ごみみたいになってしまいます。

こういう話をするのは、うつ病のことをもっと知ってもらった方がいいからです。本当のうつ病を軽くみていたら家族は崩壊します。大事なのは早めの手当です。

2007年12月21日(金)

シェンゲン協定

灰色に空曇りて風なし。寒からず。明日の羊羹作りに備へ小豆を水に漬ける。午後三郷やまとの湯露天風呂に浴す。客尠し。井田町交叉點に吉野家普請中。ホームセンターナカイ跡地のダイハツ特約販賣店來月三日開業の横斷幕あり。スロベニア、スロバキア、エストニア、チェコ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、マルタ九箇國シェンゲン協定發效、歐洲二十四箇國で出入國審査撤廢さる。一昨日モーリス・ベジャールの遺作八十分間世界一周ローザンヌ・ボーリュー劇場にて初演。アリシア・アロンソ九十歳の誕辰。去十七日キューバ國立バレエ團主要舞踊家アニャ・グティエレス、タラス・ディミトロ・スアレス、ミゲル・アンヘル・ブランコの三人カナダにてアロンソを見捨てゝ米國に亡命しぬ。

2007年12月20日(木)

Ainadamar

晴。寒氣凛冽。年内最終授業。家にかへりCDでオスバルド・ゴリホフの歌劇アイナダマールを聽く。ラコタ族米國より獨立を宣言す。去十八日ウルグアイ國會にて同性愛者に夫婦同等の權利を與へる法案可決さる。社会保障年金受給相続権財産分與など夫婦同然の扱ひとするものなり。五年以上の同居が條件なり。

2007年12月19日(水)

宮本文昭

陰。讀書の外他事なし。初更NHK-FMに宮本文昭ファイナル・コンサートを聽く。去三月三十一日東京トッパンホールにて録音。曲目を茲に記す。
オーボエ・ソナタドニゼッティ
ホルン・ソナタ ヘ長調 作品十七ベートーベン
バイオリン・ソナタ K.三七六
第一樂章、第三樂章
モーツァルト
三つのロマンス 作品九四
第一曲、第二曲
シューマン
アダージョとアレグロ 作品七〇シューマン
オーボエ・ソナタ 作品一六六サン=サーンス
白鳥の歌加古隆
明日の記憶大島ミチル
風笛大島ミチル
アヴェ・マリアカッチーニ
ジ・エイム&エンド宮本文昭・鳥山雄司

2007年12月18日(火)

Happy birthday to Steven

くもりて寒さ烈しからず。終日讀書餘事無し。マンション別棟に降誕祭の電飾を施す家庭二三軒あり。近年の主流は青色發光ダイオードなり。米國ニュージャージー州にて死刑廢止法成立す。スピルバーグ六十一歳。

2007年12月17日(月)

落語の年輪

曇りて暗き日なり。寒氣日に日に加はる。セブンイレブンにて文庫本二册受取る。草掛橋より香流川を望む。輕鴨五六羽尻を振り水草を食ひゐたり。午後聯載原稾七枚。晡時午睡。暉峻康隆落語の年輪を讀む。

2007年12月16日(日)

笹だんご

天氣晴朗、雲翳なし。讀書午睡の他記すべき事なし。父上の新潟土産上越市くさのやの笹だんごを食す。菅で結はへた熊笹の香り佳し。去十三日メイ牛山歿享年九十六。

2007年12月15日(土)

補講

晴れし空次第に曇りて雨意天に滿つ。寒氣骨に徹す。補講。土曜のことゝて學生少し。いつもの如く學生二人を一組にして活動寫眞蝶の舌一場面の科白を暗誦せしむ。休憩時間に縣立大學舊同僚T氏の來るに逢ふ。再來年縣立看護短大と合併する由。藝術大學との三校合併は破談なりとぞ。父上新潟より歸宅せらる。石橋純熱帯の祭りと宴を讀む。

2007年12月14日(金)

自殺率

曇りて風寒し。原稿執筆、補講教材作成に半日を消す。夕刻疲勞して午睡。夕餉に毛蟹と牡蠣雑炊を食す。マドンナ、ベンチャーズ、ジョン・メレンキャンプ、レナード・コーエン、デイブ・クラーク・ファイブの五組ロック殿堂入り。USA トゥデー紙を讀むに米陸軍の自殺率最惡を記録。三分の一はイラクとアフガニスタンに派遣されたる兵士の由。Antiwar.com によればイラク人犠牲者十萬人以上、IraqBodyCount の調査にても八萬人以上。

2007年12月13日(木)

現代アラブの社会思想

朝來の雨午に至りて歇む。通常授業。午下一旦家にかへり一服の後中央圖書館に立寄り病院に徃き主治醫の診察とカウンセリングを乞ふ。池内恵現代アラブの社会思想を讀む。吉田都大英帝國勲章受章決る。アイク・ターナー歿享年七十六。

2007年12月12日(水)

Google帝國

曇りて温暖薄暑を催す。スヱータのみ着て往來する男女少からず。大雪の頃とも思はれず。雀の子も樂しげなり。聯載原稿執筆、讀賣新聞劇評を西班牙語に飜譯。Googleノートブックを活用す。他にGoogleブックマーク、Googleカレンダー、Gmail、 iGoogle、Blogger 等愛用の機能多し。まさにGoogle帝國なり。アマゾンのマーケットプレイスにて購ひたる古書一齋に屆く。明日の授業資料準備中猛烈な睡魔に襲はれ殆ど支ふること能はず。横臥忽華胥に遊ぶ。夕刻寤むるにいつか小雨降出しぬ。ドグマチールの服用を已む。ドグマチールは食慾大にそゝりて間食とまらざればなり。枕上DVDでシティボーイズ〇四年公演だめな人の前をメザシを持って移動中を看る。

2007年12月11日(火)

シティボーイズ三昧

風雨瀟々。暖なること春の如し。セブンアンドワイに注文せし本三冊をセブンイレブンにて受取り、理髪舗に立寄りカーマホームセンターに赴きセキセイ鸚哥の餌を買ふ。西通り漫畫喫茶前にて今日も黑き女蹌踉と歩みゐたり。DVDでシティボーイズ一昨年公演メンタル三兄弟の戀と昨年公演マンドラゴラの降る沼を看る。メンタル失敗作、マンドラゴラ佳作。讀賣新聞夕刊に「際立つ小島の存在感」と題して戰下の詩人たち評掲載さる。評者祐成秀樹。アルジェにて聯續爆彈あり。六十七人死亡、國聯職員十人以上行方不明。9・11、3・11に續き12・11はアルカイダの符号ならむ。

2007年12月10日(月)

Bingo!

晴れてあたゝかなり。執筆半日。中京大學E氏に名古屋西班牙協會宴會に誘はれしかば、五時半名鉄グランドホテルに赴く。余は大人數の會合ほど苦手なものなし。然れども斷り切れず。參會者八十人ほどなり。縣立大學E氏T氏、南山大學P氏に會ふ。中日新聞社M氏の知遇を得たり。ビンゴ大會催され三位當選、伊太利製ハンドバッグを貰ふ。何故にや余はビンゴに強し。曾てコートと電氣毛布當りし事あり。今年は前半微恙に惱まされつゞきたりしが後半は幸運の女神の微笑むを見たるやうなり。

2007年12月9日(日)

損失

陰晴定まりなし。西北の風吹き出で門内落葉狼籍たり。楠の枝いつか裸になり一枚の葉もなし。母上の豫約録畫せられたる中部日本放送皇室アルバムを看る。晡下午睡。香川縣株式會社ピクチャリングオンラインよりサンディスク社製 cruzer micro 優盤屆く。容量2.0GB、參千九百九拾五圓也。夜に入り空晴れ星斗森然たり。皇太子妃四十四歳の誕辰。過日I君と電話で會談せし折I君雅子さんの皇室に嫁ぎたるは日本の損失なり、優秀な外交官を失ひたればなりといふ。余も同感なり。この日宮内庁を通じて誕辰の感想を發表せらる。
これまで、国民の皆様より、ご心配をいただき、温かい気持ちをお寄せいただいてきておりますことに、改めて感謝申し上げたいと存じます。まだ、十分に復帰できないことを心苦しく思いますが、この一年も、お医者様のご指導の下で快復に努め、少しずつ活動の幅を広げることができるようになりましたことをありがたく思っております。6月には長野県、10月には徳島県を公務で訪れましたが、まわりの方々に助けていただきながら、お陰様で無事に務めを果たすことができました。訪問の先々で多くの方に温かく迎えていただきましたことは何よりありがたく、私にとりまして大きな励みになりました。
 また、今年も国連大学で引き続き聴講の機会をいただいたほか、いろいろな方から、こどもを取り巻く状況や環境問題など、現在の社会が直面する様々な課題について伺うことができましたこともありがたいことでした。
 皇太子殿下は、今年6月に十二指腸ポリープの切除手術をお受けになりました。幸い医療関係者の皆様のご尽力で無事に手術を終えられて御退院になり、安堵いたしました。その後も、7月のモンゴル国への御訪問を始めとして、以前とお変わりなく、お元気に御公務をお務めになっていらっしゃることをありがたく心強く思っております。
 愛子は今年、幼稚園の年長組になり、幼稚園生活にもすっかり馴染んで本当に楽しそうに幼稚園に通っておりますことを何よりうれしく思っております。日々の送り迎えを始め、様々な行事への参加など、親子で参加することが多く、その中からたくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じますが、愛子には、あと数か月の幼稚園での日々を、先生やお友達と楽しく過ごしてくれることを願っております。そして、4月には学習院初等科に進学し、また新しい一歩を元気に踏み出してくれればと思います。これまで、皆様に愛子の成長を常に温かく見守ってきていただいておりますことに重ねて感謝申し上げたいと存じます。
 天皇皇后両陛下より、これまでお心遣いをいただきながら温かくお見守りいただいておりますことに深く感謝申し上げます。また、皇太子殿下には、お忙しい御公務をお務めになりながら、常に大きな支えになってくださっていることを、心からありがたく存じております。
 お陰様で、こうして今年も無事に誕生日を迎えられますことに感謝しつつ、国民の皆様がおだやかな年の瀬を迎えられますように心よりお祈りしております。

2007年12月8日(土)

KY

陰晴定らず。アサリとシジミ珍しく余の右手に竝びて乘る。シジミの疥癬ほゞ完治せり。NHK-FMゴンチチ世界の快適音樂セレクションにてテンプル・シティ・カズー・オーケストラのイン・ザ・ムード、イズラエル・カマカウィオールの天國からカミナリを聽く。この日より Google ノートブックを Firefox アドイン Scrapbook と併用す。一長一短あり。マイクロソフト・オフィス2007試用版を下載す。六年前に購ひし余の貧弱なる電腦筆記本には重すぎ却て不便なり。DVDにてシティボーイズがNOTA恙無き限界ワルツを看る。いとうせいこうブログにて活動寫眞アメリカVSジョン・レノンに触れて曰く、この映画を観ると、空気を読まないことの重要さが身にしみる、「空気を読む」ことの奥底には、国家の言いなりになれという命令が潜んでいる。昨今KYなる略語流行す。空氣が讀めない人の謂なり。空氣とは世間なり。世間の風潮を見るに不愉快かぎりなき事のみなり。シュトックハウゼン歿享年七十九。

2007年12月7日(金)

永遠平和のために

晴のち陰。風絶えて寒からず。蚤起西班牙語公演資料作成。午前A4二十枚書き得たり。午後手紙二通したゝむ。印刷機のインキ盡たればケーズデンキに赴きキヤノンのを購ふ。黒とカラーで五千圓、正規品の高価なること殆犯罪といふべし。二個づゝ買へば印刷機一台買へるほどなり。西通りの漫畫喫茶Y前に黑き女の蹌踉と歩むを見る。如何なる素性なるや、常に俯きて一人とぼ/″\ゆくなり。浮浪者にしては荷物少く住人にしては隣接市町村の彼方此方を彷徨ふ。詩人A氏戰下の詩人たちに感銘受け小島氏に頌詩を贈らる。ピアニスト川上ミネ氏より電子郵件あり。晡下疲勞し一睡、カント著池内紀譯永遠平和のためにを讀む。

2007年12月6日(木)

歌右衛門

寒氣凛冽。自働車の正面硝子凍れり。襟卷をまとひ出勤す。授業先々週に引續きホセ・ルイス・クエルダ監督の活動寫眞蝶の舌後半を看る。歸途中央圖書館に立寄る。アイデアプロセッサ Frieve Editor を下載す。晡下I君より電話あり。ミュンヘン新婚旅行の土産話を聞く。互聯網で戰下の詩人たち批評を検索するに Waki さんといふ人のブログ發見。不思議ですごいものを見てしまったという感じ、はじめて歌右衛門さんを見たときのような衝撃を感じましたなどゝあり。文面印刷し傳眞で小島事務處に送るや直に小島氏より電話あり、殊の外喜ばれる。

2007年12月5日(水)

Campaña para que Máximo vuelva a EL PAÍS

曇天。西北の風はげしく寒氣凛然たり。聯載原稿執筆。ケーズデンキに徃き各社USBメモリの價格を比較。初めてソニー社製有機ELテレヴィジョンを見る。畫面薄きことクレジットカードの如く、畫像のぶれ殆無し。十一型弐拾萬圓。四年後地上デジタル放送開始するころには有機が主流とならむ。三郷やまとの湯に立寄り露天風呂に一浴す。ガソリンまた値上レギュラー壱百四拾五圓なりしを壱百五拾參圓となす。エル・パイス紙の插繪作家マキシモいつしか解雇さる。マキシモのいないエル・パイスはエル・パイスに非ず。復帰要求運動に電子署名す。寝室の螢光燈二つとも切れ、ドラッグストアに赴く。駐車塲に本日ポイント三倍デーと大書せし幟立竝びてあり。帳塲にてポイントカードを見せむとて嚢中を探るに家に忘れたり。我が粗忽恨むばかり。今宵初めて手袋を使ふ。

2007年12月4日(火)

安息

雨天の空墨を流せしが如し。風寒きこと嚴冬の如し。霧雨午後に至りて霽る。朝九時小島氏より電話あり。來年の公演の事につきて商議す。今日は桶川市にて最終公演ある日にして早や次囘公演に思案をめぐらさる。踊る狂人といふべし。日本演劇學會演劇學論集紀要四十五を捲る。川上音二郎の「金色夜叉」初演と海外巡業と題する井上理恵の論文のみおもしろし。晡下全身筋肉痛疲勞を覺え一睡。母上スヰートポテトを作らる。美味なり。夜暗雲散じて星出づ。多田道太郎歿享年八十三。

2007年12月3日(月)

失神

雨。寒からず。十一時ホテルを出づ。折畳み傘持參し忘れたれば銀座東二丁目交叉點のファミリーマートに立寄り六十糎のワンタッチ傘を購ひ、雨を衝いて昭和通りを歩み京橋美々卯に徃き、昨夜置き忘れたる手帳を受とる。鍛冶橋通りを西に歩み、鍛冶橋交叉點に出でゝ東京驛に至る。荷風先生の歩みし町なり。十二時三分新幹線のぞみ號に乘る。二時四十五分名古屋着。雨やみたれど存外寒し。三時半歸宅。父上の北海道土産ロイズ・チョコレートをつまみながら父上母上に土曜の話を聞く。座席は五列十三番十四番、両陛下と同じ中央の四列手前なりきといふ。N子小島氏のソレアに壓倒され吐氣を催し人事不省に陥ること暫しなりとぞ。母上大に心配し、退席せしめたくとも両陛下の手前身動きすること憚られ如何ともする事能はざりき。幸にして持堪へ、醜態を晒さずに済みたりといふ。晩間S子に電話かけ、行幸啓顛末を報告す。新語流行語大賞發表。茲に記す。
大賞
どげんかせんといかん東国原英夫 宮崎縣知事
ハニカミ王子石川遼 杉並高校プロゴルファー
(消えた)年金舛添要一 厚生勞働大臣
そんなの關係ねぇ小島よしお
どんだけぇ~IKKO
鈍感力渡辺淳一
食品僞裝 
ネットカフェ難民川崎昌平
大食ひギャル曽根
猛暑日瀧沢寧和 熊谷市直實商店會々長

2007年12月2日(日)

東京公演終了

小春の天氣喜ふべし。午前昨日の抑鬱亭日乘執筆公開。N子に電話かけ、在京中の父上母上の樣子を訊ねるに、きのうは銀座にいたよ、氣附かなかつた、と問ふ。余に内證で観劇したるを知り一驚を喫す。母上電話口に出で、終演後皇后陛下が御辞儀して下さつたねえと余を祝福さる。今日の回も鑑賞して名古屋に歸らるとのことなれば劇場にて會ふ約束をなす。湯島扇笹巻きすし本舖の壽司風味笹むしびを食ひ、二時ホテルを出でゝ劇場樂屋に赴く。パーカッション奏者ホセの需によりて客席最後列の音響卓にデジタルヴィデオカメラを設置す。二時半ホワイエより客席に向ふに母上來りて在り。母上は當日券を購ひ十三列一番、余は同列中央十四番にて鑑賞。斜め前に小田島雄志先生、斜め後ろに阿木耀子。母上の話に平幹二郎も來りて在りといふ。三時開演。踊り演奏ともに昨日に勝る。観客の反應も今日が最も良し。小田島先生の拍手力強し。樂屋は來客輻輳、賑やかな立食パーティー會場と化す。假面制作者正法地美子氏と諧語。西脇美絵子氏來りて余の手を強く握られ、今囘は本當にお世話になりましたと滿面の笑顏なり。七時散會、小島氏と友人八名と倶に京橋美々卯に徃き晩餐をなす。花湯葉饂飩美味なり。變な外人こと日暮里シャレースイスミニ店主ダニの知遇を得る。親父ギャグの應酬樂し。九時閉店、銀座一丁目 Teddy's Bar に河岸を變へる。余は酒を飮まざれど水戸黄門主題歌の旋律に合せてどんぐりころころを歌ひ、逆にどんぐりころころの旋律にて水戸黄門主題歌を歌ひて座の爆笑を誘ふを得たり。ピアニスト川上ミネ氏の知遇を得る。西班牙コルドバ市在住、毎年清水寺にて演奏會を催し、毎夏玖馬を訪問さるゝ由。彼の地の音樂につきて笑語、ゴンサロ・ルバルカバに對する評価を共有す。十一時解散。タキシにて西麻布に歸る小島氏を見送りてホテルに戻る。手帳一冊を美々卯に置き忘れたり。余今日まで嘗て物を忘れたることなきに此の日始めてこの事あり。老病ほど言甲斐なきものはなし。東京公演無事終了、明後日の桶川公演を殘すばかりなり。

2007年12月1日(土)

行幸啓

陰暦十月二十二日。乍晴乍陰。暴暖小春の如し。蚤起聯載原稾執筆。ネクタイを求めて三越に徃き店員に事情を話し、勧めらるゝまゝにジョルジオ・アルマーニを一本購ふ。百貨店を出づるに鄰にネクタイ專門店田屋ありしに心附かず少々後悔す。銀座通りは歩行者天國、遊歩するもの多し。ホテルに歸り原稾執筆を畢る。シャワーを浴びスーツに著替へて銀座メガネ店に立寄りレンズを洗滌せしめ、ル テアトル銀座樂屋に入る。通路の喫煙處に一服するに折目正しき紳士來りて余の名を呼び、エリザベスの時はお世話になりましたと一禮さる。舊銀座セゾン劇場制作部長鈴木氏なり。現在はル テアトル銀座の營業部長なりとぞ。應接間に招じられ、奈良岡奥山兩氏の近況、十二年の短命に畢りしセゾン劇塲の得難き思ひ出、世田ヶ谷パブリックシアター、宮沢章夫の面白さ抔につきて歓語時の移るを忘る。ベゴーニャ腰痛惡化、このまゝでは夜は踊れないと目に涙泛ぶ。堀越千秋氏急遽樂屋に來りて掌腕脚に指圧を試みるに腰痛忽散じベゴーニャに笑顏戻りぬ。三時マチネ開演。余はベゴーニャの緊急事態に備へて舞臺袖に待機す。四時半終演。ベゴーニャ見事に踊り、痛みは忘れたるやうなり。小島氏の樂屋に來客長蛇の列をなす。木の実ナナ來訪。喫煙處にてハビエルと一服、ブラックジョーク連發に爆笑。六時過ぎ濱田滋郎先生をホテル西洋銀座一階ロータリーに出迎へ、倶に二階ヱレベーターホールに向ふ。ミゲル・カリエド西班牙大使ご夫妻既に來りて在り。自己紹介するに、君はどこでスペイン語を學んだのか、私はマドリード生れだが君の言葉は生粋のカステリャーノだと夫人共々瞠目さる。大使自らすゝみて余に名刺を下さる。事務局村田マチ氏受付業務に區切をつけ來りて五人揃ひ整列。六時四十二分天皇皇后両陛下ヱレベーターより御到着。一人ひとりの前に來られ、余らは銘々自己紹介す。余の前にまず天皇陛下來られしかば余は制作協力及び飜譯を擔當しましたと挨拶す。續いて皇后陛下が、西班牙の、と余に專門分野を問はれしかば、演劇の研究をしておりますと荅ふ。両陛下が控への間に入らるゝを見屆け、余は大使ご夫妻濱田先生を客席九列目上手側に案内す。七時、余が執筆せし英語のアナウンス場内に流れるを合圖に余は率先して立上り、徳島縣知事と堀越千秋氏を促し通路に出でゝ待機。両陛下客席に入場せらるや観客全員起立し拍手をもつて迎ふ。天皇皇后嚴かに歩み入られ、観客の歓迎に應ぜらるゝさま寔に慇懃なり。余は両陛下を九列十四番十五番座席に案内し、天皇は濱田滋郎先生の鄰にご著席、余は皇后の鄰に坐る。皇后陛下舞臺奥の美術幕をご覧になり、これは今囘特別に作られたものですかと問はる。余は堀越千秋氏が制作したものでございますと荅へり。直に客電落ち開演。死神に扮せし小島氏團員の肩車に乘り登場するや、皇后陛下余に小島さんですかと問はる。パット・メセニーの音樂を踊る第一場餘兆 Presagio が終るや率先して拍手せられしは皇后陛下なりき。赤のドレスを黑に著替へて現れたるベゴーニャを見て、さつきの赤い服と同じ方ですかとご質問なさる。暗轉し、いなほ保育園の學童三人登場、警戒せよ Alerta と題するアントニオ・マチャードの拙譯詩を朗誦するや、これはどなたかの詩ですかと問はれたれば、アントニオ・マチャードの詩でございますと解説するに、アントニオ・マチャード、アントニオ・マチャードと二度呟かれ、天皇にアントニオ・マチャードの詩ですつてと耳打せらるゝ姿まことにほゝゑまし。余附加へて、あの三人の男の子はこの詩を二日で暗記しましたと説明するに、まあ二日でと心底感心せらる。中盤白化粧に黑衣の小島氏登場。ソレアを二十分踊るをご覧になりて小島氏の黑いスカートに著目され、あれは女性を表現してゐるのでせうかとお訊ねになられたれば、あれは死の象徴でございます、ですから男女の性別は超越してゐるのでございますと應ずるに、皇后陛下また逐一天皇陛下に耳打さる。續けて、小島さんの踊りは一九七二年頃でしたか、セビリアで拝見したのでございますよ、もう吃驚いたしましてねと感慨深げなり。皇后陛下は舞臺の如何なる細部も見逃さず、群舞の各人に目を配られる。最終幕直前の希望 Esperanza のナニ・パニョスの踊りの最中、陛下の首が小刻みに前後するを感じ、横顏を窺ふに疲勞を覺えたるにや、暫しうと/\と眠られたり。最終幕アレグリーアの明い群舞に目覺め、アレグリーアの意味をお尋ねになりしかば、喜びでございますと荅へるに、アレグリーア、アレグリーアと低き聲にて二度呟きながら何處か怪訝な面持ちなれば、余は英語のジョイ joy に相當しますと附言するや、ジョイねえと聲を上げ尊顔にぱつと明りが灯りたるが如き表情を泛べらる。ハビエルが入念に振付を施せし出演者一同の挨拶が終るや陛下大變御滿足の樣子にて心よりの拍手を送らる。美術家堀越千秋、振付師ハビエル・ラトーレも舞臺に上りて一禮、最後に小島氏が下手より學童三人を招じ入れるや萬雷の拍手、陛下も盛んに兩手を打鳴らせらる。客電灯り場内のどよめきが鎭まるを見計らひて余はふたゝび立上がり両陛下を通路に導き、大使ご夫妻濱田先生を先導して両陛下の後に從ひ退場。控への間まで送りて待つこと四五分なり。小島氏、ハビエル・ラトーレ、音楽監督チクエロ、堀越千秋、舞踊手イレーネ・ロサノ、ナニ・パニョス合流、直に宮内庁職員に促され一同控への間に入室。弓形に竝びて立ちしまゝ両陛下と歓談す。お二人も立通しなり。余の役目は通譯と思ひしかど宮内庁の通譯男女二名在りしかば余は光榮にも演劇研究者として同席するを得たり。二人の通譯するを聞くともなしに聞くに存外下手糞なり。舞踊團を意味するコンパニーア compañía を會社と譯したるは一例なり。皇后陛下チクエロの前に進み出でゝ、前にお目にかゝりましたねと挨拶せらる。五年前同じル テアトル銀座にて邂逅と題して小島氏とクリスティーナ・オヨスの共演したりし舞臺の話なり。皇后陛下余の前に來られ、西班牙内戰は何年續いたのですかと訊ねらる。一九三六年から三九年まで三年間でございますと説明するに、アントニオ・マチャードの詩の内容を質問なされしかば、共和國政府を防衞するため若者を鼓舞したものでございますと解説するや、警戒せよ、と余が譯せし詩句を口になされり。飜譯に携はる者誰か之を聞きて感激せざらむや。余はマチャードが内戰終結直後に仏蘭西にて客死した事を話し、濱田先生も加はりて話題はロルカの事に移れり。三十八歳で銃殺されたるを知るや皇后陛下、まあそんなに若く、と聞入らる。余が飜譯せしロルカの詩につきてお訊ねになり、余はこの時ぞとばかりに血の婚禮やイェルマなど純然たる悲劇の偉大さにつきても解説す。濱田先生もギリシア悲劇に通じる人間の根源を描いた作品ですと附言せらる。ロルカはフラメンコもとても愛したのですと余が云ふと、陛下これを聞違へて、フランコをと目を丸くして驚かれたり。いゝえフラメンコですと余が訂正したるや、あゝフラメンコねと納得して微笑まれ一同どつと笑ひたり。小島氏余の左隣に在り。皇后陛下小島氏の前に進み出で、フラメンコは不思議な踊りですねえと素直な感想を述べらる。小島氏首肯して、一生好きで居られさうですとにこやかに應ず。陛下深々とお辭儀して、どうか何時迄もお元氣でと小島氏に長壽を祈らる。小島氏應じて陛下も何時迄もお元氣でと荅ふ。歓談は二十分の豫定なりしかしど小一時間に及びぬ。両陛下戸口にて深々とお辭儀し、余らは控への間に殘りて見送る。カリエド大使余のもとに來りて、陛下は君に何をお訊ねになったかね、君は西班牙人ですかとお聞きになつたのではないかねと言はる。今宵余は意外にも緊張せず、役目を恙なく終へたり。これも偏に天皇皇后両陛下のお人柄のお蔭なり。余は天皇制反對論者なれど、個人としての天皇皇后には親しみを覺えてやまざる者なり。余と同じく精神の病を患ふ皇太子妃は天皇制の犠牲者なり。大使ご夫妻と濱田先生を見送り、村田氏と倶に樂屋に戻る。十時劇場を出で辻自働車を倩いて西麻布交叉點の焼鳥屋鳥ともに打上げの晩餐をなす。出席者は小島とハビエル、ナニ・パニョス、ベゴーニャ・カストロ、イレーネ・ロサノ(以上舞踊家)、チクエロ、サルバ・デ・マリーア(ギター)、エル・ラビ、ペドロ・オブレゴン、エミリオ(以上カンテ)、ベース奏者ジョルディ・ガスパール、、トランペットのライナル、パーカッションのホセ、舞踊團のレペティトゥリス柳谷歩美、小島氏の弟子にして名古屋スタジオ・マルソ主宰者の磯村萩原と余なり。やんちや坊主ホセ興に乘りて歌い踊り店内爆笑の渦と化しぬ。款語三更に至る。明朝西班牙に發つハビエルと西麻布交叉點にて抱擁、再會を約して別る。辻自働車に乘り銀座のホテルに歸る。