抑鬱亭日乘

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2001年3月30日(金)

西班牙到着

二十六日に佛蘭西航空でS氏と共に日本を發ち翌日西班牙に渡り、早朝曇天のマドリードに到着す。宿は開業したばかりのホテル・エスペリア。總支配人とS氏は刎頚の友。大變現代的な内裝で雰圍氣頗る良し。斬新であり乍ら落着き寛げる。宛がわれた部屋は豪奢に淫することなく居心地眞に宜しい。二十八日は日歸りでグラナダに航空機で徃く。ファリャ財團のドニャ・エレーナ女史とノミック氏と會談。我々のファリャ追悼公演に興味を示して下さる。續けてガルシア・ロルカ記念館々長ロクサ氏と會談。今年五月のフラメンコ公演の概要を申述べる。膝を乘出して傾聽して下さり甚だ恐縮す。氏の若き祕書とタクシーでロルカ記念公演を見學。午後九時飛行機でマドリードの宿に戻る。けふはロルカ財團の理事長と會見す。爾後、ホテルの總支配人と晝食を共に飯す。和蘭人だが西班牙語を融通無碍に操る。マドリードのホテル・リツツの副支配人を勤めし人なれば人格卑しからず、教養横溢、自己中心的で夜郎自大な計營者ではなく文化への關心頗る高く、ホテル業は演劇に通ずなどという嬉しい意見を伺え、S氏と餘は快哉を叫ぶ。天氣豫報は雨だが、會食を終えると明るい日差しがへ部屋に燦燦と降注ぎ大變心持が良い。體調頗る良好なり。

2001年3月25日(日)

西班牙渡航前日

睡眠導入劑功を奏して熟睡す。隂欝な天氣なりしが氣分は爽快なり。數日來、原稾執筆と渡航準備で神經消磨せしが、物事はなるやうにしかならないと堪忍し、氣持ちにゆとり生ず。けふは午過ぎに東上しS氏邸に寄寓する。如何なる不慮の事態が出來しても對応出來るやう、渡航前日に東上するのが賢明と判斷す。折りしも昨日午後廣島縣を中心に大地震發生し、新幹線がすべて運行を見合はせた。かう云ふ豫期せぬ災害や事故がが何時起きても不思儀ではない。

2001年3月24日(土)

謝恩會

月曜來、欝の谷底に陷り悶絶せしが、主治醫に強めの抗欝劑を處方して貰つたお蔭で快方に向かふ。火曜日は病を冒して卒業式に出席。袴姿の學生たちを見るに「馬子にも衣裳」と云ふ言葉が腦裡を去來す。午後から體調愈々惡化し、謝恩會は斷腸の思ひで缺席。心配した學生たちから見舞の電話を何度も受ける。大變申し譯ない事をした。返す返すも殘念なり。岩波『科學』の原稾、病身に鞭打つて脱稿。編輯者より適切な助言と忠告を賜り、全面的に容れて改稿し送る。渡航の荷造りは昨日片附きぬ。道中氣掛かりなのは睡眠なり。睡眠導入劑に一縷の望みを託す。

2001年3月19日(月)

助動詞の憂欝

春暖にしてスヱタアも重たき心地するほどなり。
 大學にて雜事を濟ませ、心療内科で診療を乞ふ。西班牙渡航中の備へとして藥を三週間分處方して貰ふ。午に實家に徃き兩親と妹と晝餉を食す。母上數日前に近鄰の住宅街の眞中に自家焙煎の咖啡店を發見せりと云ひ、佇まい甚だ趣きありと訴へるに赴かむとせしが、折惡しく定休日なり。詮方なく、昨秋開店したばかりの百貨店に徃きスタアバツクスで咖啡を啜る。月曜の午後なれど幼子を連れた家族や老夫婦、年若の戀人などで殷賑を極めてをり、背景音樂耳を聾せんばかりに響き渡り、病を冒して出掛けた餘は通路を逍遙するだけで眩暈を覺え、父上母上妹が夕餉の食材を贖ふのを長椅子に坐して一服し乍ら俟つ。實家に歸參せしより夕餉まで爲す事なく、持參した『斷腸亭日乘』を讀む。此の拙い『抑鬱亭日乘』の云はば教科書の如き書物なれば、頁を繰る度に感興催し胸躍り、「景仰」「欷歔」「四鄰」など現時滅多に目に留まらざる熟語を見つけては片つ端から餘白に轉記す。舊字體舊假名遣ひに漸く慣れて來りしが、餘は助詞或は助動詞の使ひ方が未だ下手糞なり。下のやうな件を讀むにつけ出るは溜め息ばかりなり。
 「帝國劇塲に徃き、梅欄芳の『醉楊妃』を聽く。華國の戲曲は餘の久しく聽かむと欲せしものなり。今夕たまたまこれをきくに、我邦現時の演劇に比すれば遙に藝術的品致を備へ、氣局雄大なることまさに大陸的なりといふべし。餘は大に感動したり。感動とは何をかいふや。餘は日本現代の文化に對して常に激烈なる嫌惡を感ずるの餘り、今更の如く支那及び西歐の文物に對して景仰の情禁じがたきを知ることなり。これ今日新に感じたることにはあらず。外國の優れたる藝術に對すれば必この感慨なきを得ざるなり。然れども日本現代の帝都に居住し、無事に晩年を送り得る所以のものは、唯不眞面目なる江戸時代の藝術があるがためのみ。川柳狂歌春畫三味線の如きは寔に他の民族に見るべからざる一種不可思議の藝術ならずや。無事平穩に日本に居住せむと欲すれば、是非にもこれらの藝術に一縷の慰藉を求めざるべからず」。
 長々と書き冩したる所以は、此は餘の心境そのものならずやと思へばなり。
 夕餉を飯し、倉皇自働車で歸宅す。

2001年3月18日(日)

妹來名

晴天風暖なり。戸坂潤『科學と文學の架橋』、長山靖生『鴎外のオカルト、漱石の科學』を讀む。晡時東京より妹來り。居を遷した許りの實家に實感が沸かない樣子。過日首筋から背中に痛みが走り、二三週間に一度整骨院に診察を乞ふと云ふ。鍼と灸が痛みを治するに效ありと云ふ。額や足の裏に迄鍼を打つてもらひ、其まで曲がらなかつた脚が思ふ樣に曲がるやうになり、血色も頗る良好。ほぼ全癒したとみえる。勤務先で製造してゐる栗羊羹を土産に持參す。餘は是に目がない。和菓子とも洋菓子とも云へる逸品で緑茶にも番茶にも咖啡にも大變合ふ。家族四人で夕餉を飯すのは昨秋以來なり。實家は周りの物音殆ど響かず、耳を澄ませば近隣の犬の咆哮が微かに聞こえるのみなり。西班牙渡航を三日延期した旨兩親に報告、母上心底安堵す。六時半に夕餉を飯し、歡談するに早くも九時になりぬ。暇乞ひす。

2001年3月17日(土)

東上観劇

春雨霏々。東上し新國立劇塲に永井愛作・演出『こんにちは、母さん』を看る。加藤治子、杉浦直樹、平田滿と藝達者が揃ひ客席は滿席なり。芝居の出來は可もなく不可もなし。加藤治子が屡々間を外す。朝來體調に不安を覺え何處へも寄らず名古屋に戻る腹積もりだつたが、夕刻復調し、演出家のS氏を要町に訪ねる。膝附き合はせて今年と來年の演出計劃、來週の西班牙訪問計劃を練る。もうじき一歳に成る長男K君、餘に興味ありしと見え顏を近づけるに右手の指の爪で鼻の頭を引掻かれ、血が滲む。幼子だが怪力の持主なり。昏暮名古屋に歸參す。

2001年3月16日(金)

西班牙渡航延期

春風嫋々たり。門巷寂然晝も夜の如し。午前は晴れて一點の雲もなけれど昏暮書窓暗澹たり。數日前まで腹痛憂悶する事甚しけれど漸く痊える。されど筆を把れども懶く感興來らず。終日困臥。西班牙渡航は延期、出發は二十六日なり。

2001年3月15日(木)

不景氣萬歳

午前烟雨濛々、午後曇。下腹の痛み漸く癒えるも、どんよりと曇つた空模様の所爲か鬱々として樂しまづ臥褥にて惰眠を貪る。宅配便で『笑藝人』第四號屆く。今號の特輯は東京漫才なり。若手の漫才師の雙璧が爆笑問題と淺草キツドであると云ふ管見が裏附けられ快哉を叫ぶ。此の雜誌は笑藝に就いて語らせれば右に出る者なしの高田文夫が編輯長なれば、内容の充實ぶりには端倪すべからざるものあり。夕刻所用ありて近所まで來た父上と母上來宅す。此の抑欝亭日乘を讀み二人共呵呵と哄笑す。昨今の新聞雜誌議會は失言續きの森首相の進退を巡り百家爭鳴。されど後繼者に相応しい大人物見當たらず、當分混亂は續くであらう。株價は下がる一方で一萬二千圓を割込み、圓も安く一弗百二十一圓なり。新聞雜誌は莫迦の一つ覺えのやうに不景氣不景氣と憂へてゐるが、海外旅行に徃く人は史上最高を記録してをり、ユニクロ等の廉價販賣店は殷賑を極めてゐる。十五年前の泡沫經濟の時代が異常なれば現今の經濟至極正當と云はざるを得ず。

2001年3月14日(水)

後始末

春風漸く暖なり。
 兩親の元の住まひを大家さんに引渡す作業に立會ふ。年金生活者の兩親の代はりに餘の名義で借りてゐた故なり。不動産屋からの聯絡不備で、不動産屋ではなく清掃業者が立ち會ひに來たりて、要領を飮込めない父上困惑し、敷金の拂戻しを巡つて一悶着あり。餘は精神消耗し、要件が濟むや否や直ぐに歸宅す。

2001年3月13日(火)

下腹痛みの原因判明

内科に徃き下腹部を診てもらふ。名古屋に來て内科に行くのは初めてなり。抗欝劑と睡眠藥合はせて六種類服用してゐる旨傳へると、醫師はすかさず「ようけ飮んどるな。其れだけ飮んでたら腹も痛くなるしガスも溜まる。どれか減らして樣子を見なさい。屹度藥が原因です」とのこと。併し今の藥を飮んでから半年經つてをり、下腹部の痛みが始まつたのは一週間前なり。腑に落ちぬ。整腸劑二種類を處方してもらつただけなり。どうも納得が行かぬ。

2001年3月12日(月)

實家の引越し

晴れて好き日なり。實家の引越し。禍福の痛みを堪へ乍ら作業を手傳ふ。下の住處から歩いて三分ほどの近さ故、語戰中に荷物の搬入は凡て濟む。引越し好きの母上は朝來嬉々としてゐる。新居は七階建て新築マンションの三階で、周圍に背の高い建物がなく、窓外に大きな植ゑ込みの榎などが望める。牀煖房でトイレはウオシュレツト。父上はウオシユレツトが初めてで、「水が外に飛び出してしまはないか」と氣を揉む。母上と餘は呵々と哄笑す。實家は二、三年に一度は轉居してきたが、此處が最後の住處だらう。辨當屋で贖つた辨當で晝餉。二時暇乞ひ。下腹部の調子愈々をかしい。小食にもかかはらず下腹のあたりが張つて大變困る。

2001年3月11日(日)

訃報と舊字體變換プログラム

一昨日は母上余の病輕からずを知り見舞に來らる。昨日は隂晴定まりなく朝來腹中輕痛あり。心地爽快ならず。書棚を遊弋し科學に關する文献を引張り出しては濫讀し、いざ筆秉らむとせしが感興來らず。蓐中にて咖啡を啜る。今朝は晴れて暖なり。數日前花沢徳衛の訃報に接す。渋味のある俳優だつた。
 下腹痛く終日困臥、臥褥にて咖啡啜る。電腦網で漢字を自動的に舊字體に變換する家頁を發見す。個人用電算機は舊字體の入力が不得手ゆえ此は頗る重寳なり。併し「數」や「參」など變換されざる字體あり、畫龍點睛を欠くと云はざるを得ず。
 更に電腦網を渉獵するに、舊字體のみならず舊假名遣ひにも自動的に變換して呉れる家頁に出會ふ。此れぞ決定版なり。「ゐ」や「ゑ」を文字毎に入力する煩瑣な手續きが此れで解決す。「まるやるま君」というプログラムなり。無論、丸谷才一に由來する。

2001年3月9日(金)

早朝覺醒および讀書

半隂半晴。鸚哥早朝より啼きつづけたり。昨夜は池田晶子の『考える日々二』を枕頭の書とし讀書深更に及ぶ。哲學用語を用ゐぬ平易な文體の哲學的思考は常人の及ばぬ筆力なり。鶴首して待望んだ三宅周太郎『演劇五十年』(鱒書房、昭和十七年)古書店より届き欣喜雀躍す。小山内薫の孤独を思う。その孤独は断じて浪漫主義にあらざれば現今の讀書に堪えるべし。
 午後空俄にくもり西北の風吹起り雪ふり來りしが須臾にして歇む。讀書黄昏に及ぶ。池田晶子の『考える日々』一聯を讀む。週刊誌掲載の随想集なれば讀み應え少なく、『事象そのものへ!』を再讀す。わかき時讀みたる書を再び繙く時、思ひも掛けぬ興味を覺えてやまざることあり。またはさほどに面白しとも思はず、昔はいかにしてかくの如き書を面白しと思ひたるかなど怪しむ事もあるなり。

2001年3月8日(木)

ふたたび病臥

月曜に福岡から歸りし以來鬱烈しく食欲皆無、睡眠薬も功を奏さず昨日は終日困臥、午後九時に寝に就きぬ。今朝漸く痊えたれば朝食の際咖啡を挙ぐ。けだし病中の一大快事なり。頭中覆いし霧が晴れる思いす。
 雪もよひの空暗く風寒し。霙。漸く體調恢復。実家の引越しの荷造りを手伝う。東京から歸參した父が咳嗽甚しい。医者の診断はインフルエンザ。終日病臥。渡る世間は病人ばかりなり。

2001年3月6日(火)

福岡

曇りて風なほ冷なり。金曜から昨日まで福岡に赴きI君宅に寄寓す。初日は飯塚よりW君來宅し明方三時まで歓談す。翌日入院中共に病と闘つた戰友と再會し昼餉を共にす。幹事務めしI君は體調頗る悪く心労察するに余りあり。滞在中食事らしき食事は三度きりにて、消耗すること瀕死の蝉の如し。日曜午後八時、I君卒爾として大牟田に赴かんと欲し猛吹雪をついて車で海の病棟へ徃く。寒風吹きすさび思ひ出に耽る余裕なし。昨日午後歸宅し心身共に疲労困憊し横臥す。

2001年3月1日(木)

隂雨

終日細雨霏々として降り夕刻歇む。隂雨に鸚哥囀らず寄添つてぢつとしてゐる。早くも三月朔なり。勤務先の同僚に摩訶不思儀な眼鏡を見せてもらう。目に宛がうと画像受像機の映像が眼前に銀幕に写したるが如く現れ吃驚仰天す。然らば巨大な銀幕も受像機も必要なし。世の中には便利なもの數多あり。輾転反側の晩など蒲団に寝転び活動写真を樂しむに重宝なり。併し高価ゆえ購うこと能はず。夕餉を外で済ませ歸宅し書物を繙けど懶し。陋巷に引移るを欲するは長期休暇の時期の常なり。